二人の距離
あっさりとした婚姻を済ませて、2週間。
徐々にであるが、この国にも慣れてきた。食事の作法やこの国で使われている食材なども真っ先に学んだので、こちらに来た時のような不安はない。今ならあの嫌がらせを文化の違いではと勘違いすることもないと思う。
夜、暖かな気温であっても、朝にだるさを残すことが少しづつではあるがなくなってきた。
これが一番、嬉しい。やはり体調が悪いと、気持ちが沈むのだ。体調が悪いと、どうしても祖国が懐かしくなり、ふとした瞬間に家族に会いたくなる。
今は一日の大半を勉強に費やしている。クラウディオが用意した教師たちはとても優秀で、するりと内容が理解できてしまう。
必要最小限と言われているのは、歴史、語学、内政、算術だ。このうち意外なことに語学は及第点をもらっていた。祖国が他国との交易をしていたおかげで、自然と様々な言語を身に着けていたのだ。算術も商売をしようとしていたため、基礎はできている。
この国の歴史などはとても多彩で面白くどんどん進むが、内政の基礎などはかなり苦手だった。読んでいてもあまり頭に入らない。今日もまた理解できずに行ったり戻ったりを繰り返していた。
復習をするためにテーブルに本を広げていたが、とうとう集中力が切れた。
「ため息」
低い笑い声に思わず顔を上げた。いつの間にかクラウディオが部屋にいた。慌てて立ち上がり、彼を迎え入れた。ちらりと時計に目を向ければ、いつの間にか彼の戻ってくる時間となっていた。最近、公務が忙しいのか一緒に食事をとることはできていない。
「内政が難しくて」
みっともないところを見られてしまったので、素直に告げた。
「王弟妃が内政をすることはないから、そう気負わなくても大丈夫だ。どちらかというと妃殿下の手伝いができるようになってほしい」
「わかったわ」
クラウディオは長椅子に腰を下ろした。侍女がわたしの広げていた本を片付け、いつものようにお酒とつまみを用意する。わたしはお酒が飲めないので、果実水だ。隣に腰を下ろすと、そのまま抱き寄せられた。大きな体にすっぽりと抱きしめられてしまうと身動きが取れない。持っていたグラスが取り上げられ、テーブルの上に置かれた。
この距離感も結婚した時にはなれなかったが、恐ろしいことにここ二週間、毎晩抱きしめられているうちに慣れてしまった。まだお披露目をしていないが、すでに夫婦なのでこの距離でいいのだけど、恥ずかしさよりも心地よさを覚えてしまった。彼の体温はわたしよりも少し高めで、気持ちがいい。
「はあ、疲れた」
「お仕事、忙しいの?」
わたしを支えにするようにしている彼にそっと聞いてみた。公務の内容など聞いていいのかわからないので触れないが毎日遅くまで疲れた顔をしているので気になっていた。疲労回復のためにわたしの魔力を分けてあげたいのだが、魔法を使うなと言われている手前できずにいた。
「異母兄上が無理難題を押し付けてくる」
彼のボヤキにくすくすと笑った。婚姻の署名をした時にしか顔を合わせていないが、その短時間の間でもわかるほど仲の良い異母兄弟だった。国王であるイグナシオはとても存在感があり黙っていると圧倒されてしまうが、話せば気さくな印象だ。もちろん、わたしがクラウディオの妃だからというところもあるのだろうが、思っていたよりは恐ろしくなかった。
その後に王妃であるミランダを紹介してもらっていた。ミランダはとても明るく優しい女性だった。王子と王女にはまだ会っていない。
「……少しはここの生活に慣れた?」
「ええ」
「明日、一日休みを取った。ずっと離宮に籠っているようだから、一緒に出掛けよう」
思わぬ提案に驚いてしまう。
「え、いいの?」
「ああ。そのために少し無理した」
嬉しくて笑みが浮かんだ。出かけられることもそうだが、クラウディオがわたしのために時間を作ってくれたことが純粋に嬉しかった。
******
クラウディオが連れだしたのは王都の街だった。王都は王宮を中心に貴族が暮らす区画、その周りに平民の暮らす区画になっている。もちろん、この間には高い壁で囲まれており、許可なく貴族の暮らす区画へ平民は入ることはできない。
今日クラウディオが連れてきてくれたのは、壁の外、平民の暮らしている区画だ。平民の区画であっても、壁に近いほど治安がいいらしい。
わたしは祖国がとても人口が少ないため、これほどまでの人間が活動しているのを見たのが初めてだ。露店も所狭しと立ち並んでいる。食べ物だけでなく、宝飾品やちょっとした小物など何でもありそうだ。
クラウディオは初めからここに来るつもりだったのか、今日は周りと同じようにわたし達も庶民の服だ。きちんと肌が隠れていてとても安心する。フードを被っているのが店を見るにはちょっと邪魔くさいが、日差しがきついため仕方がないと諦めた。
お忍びの支度をしてくれるカルラに日に焼けるとどんなにひどいことになるかと、延々と説明されていた。彼女の心配はお披露目に影響するからだろうと思っている。
「すごいわ」
物珍しさに、ついきょろきょろした。足が止まりがちのわたしに付き合ってクラウディオも一緒に店をのぞく。
「何か欲しいものある?」
「ううん。見ているだけよ」
色の使い方も、小物の装飾もとても素敵だ。見ているだけでも楽しい。慣れた様子でクラウディオは切り分けた果物を買い、わたしの口に入れた。反射的にもぐもぐと咀嚼して飲み込んだ。
「おいしい」
ほんのりと甘くてとてもみずみずしい。よく冷えているのか、冷たさが火照った体に丁度いい。
普段から沢山の種類の果物を出してくれているが、初めて食べる味だった。
「気に入ったなら、今度食事に出すように言っておこう」
「ありがとう」
どこか満足そうな顔をしてクラウディオはわたしの手を引っ張った。引っ張られて歩いているが、視線はどうしてもきょろきょろしてしまう。クラウディオは休憩できるように日差し避けのある広間へと向かっていた。
「場所は取ってあるはずだ」
クラウディオがそう言って連れて行った先には護衛がすでに場所を確保していた。完全にお忍びだとバレバレであるが、周りもあまり気にしていないし、クラウディオも気にしていない。あまりにも慣れた態度につい聞いてしまった。
「ねえ、よくここに来るの?」
「場所を取ることは初めてだが、抜け出してくることは多いな。それにここの区画は治安がいいので貴族はよくお忍びで遊びに来ている」
店を出している人たちも見て見ぬふりをしてくれているのだと納得した。そして貴族相手の商売だからか、少し高めの設定になっていることも教えてもらう。クラウディオの説明に頷いてはいたが、すんなりと理解ができない。
売られている商品はどれもこれも安いと思っていた。祖国では嗜好品を他国から買うしかなかったからすごく高かった。それと比べてしまうとどうしても安いと思うのだ。
「あれは何?」
ふと広場を見渡して気になった像を見つけた。古い時代のもののように思えるが、それにしては状態が綺麗すぎた。
「魔道具だな」
「え?」
魔道具と言われて唖然とした。なんでこんなところに、というのが一番の感想だ。しかも大きい。祖国で使っている魔道具はとても実用性が高いので、魔道具でありながら銅像というのは見たことがない。大きくてもわたしの腰までの高さだ。あれ、魔力を流したら歩き出すのだろうか。
「魔力が衰える前は魔法大国だったんだ。魔道具も沢山作られて、国中溢れていた」
歴史でその話は教師が説明していた。聞いた時はふうんと思っただけだったが、こうして普通に置いてあるものを見ればなるほどと思う。
「今はもう動かないの?」
「動かすだけの魔力がないからな。過去の文献を見れば、この広間に置いてある像は円になるように配置してあって、暑さを和らげる結界を作り出していたらしい」
円になるようにと言われたが、像があるのはたった一体だけだった。
「ここを整備する時に魔道具として誤動作しないようにと撤去されたと聞いている。それでも王宮には撤去できないものが残っていたはずだ」
「今度時間がある時にでも見てみようかしら」
魔道具の誤動作なんて手に追えないだろう。国中にあふれるくらい魔道具があったのなら、使えなくなって不便になったに違いないと密かに思った。
わたし自身、生活魔法が使えなくてとても不便だからだ。それでも誰もいない時にこそっと使ってしまっているが、不便さは実感している。祖国にも魔道具はあったが、今でも使っているものばかりだ。暇になったら王宮に残っているという魔道具を見つけるのも楽しいかもしれない。
「少し何か食べようか」
クラウディオがそう言って立ち上がった。一緒に行こうとすると、すぐさま待っているようにと言われる。護衛を二人置いてクラウディオは店に向かった。彼の姿が見えなくなるわけではないので、護衛もいらないと思っていたのだがそうはいかないようだ。
クラウディオを視線で追っていると、自分が見られていることに気がついた。周りをぐるりと見回せば女性たちがちらちらとこちらを見ている。わたしを見ているような感じはしないが気になり、視線を追えばその先にはクラウディオがいた。
「仕方がないかぁ」
クラウディオはお忍びとして庶民の格好をしているが顔を隠していない。あれだけ人を惹きつける人だ。気にする女性も多くいるだろう。
そう思っていても、もやもやした気持ちは払拭できなかった。




