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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

2人ともAB型

作者: 未定

 化粧下地を顔全体に塗ったら、明るい色のファンデーションを顔全体になじませて、ブラシではたいて余計な粉を落とす。チークとハイライトを適当に塗ったら。アイラインをひく。太く、長く、大袈裟に見えないように慎重に計算しながらひいたら、ビューラーでまつげを上げて、つけまつげを付ける。下睫毛にはマスカラを塗って、白のアイシャドウと茶色のアイシャドウで涙袋をつくる。最後に、赤い赤い口紅を塗って、その上に少しグロスを重ねた。

 髪の毛を縦に巻いて、レースのついた白のブラウスの上にお気に入りの黒いワンピースを着て、さあ、出かけるぞと、立ち上がった瞬間にすべてが嫌になった。


 クリスマスに、スノードームをもらった。丸い球体の中には、雪だるまとサンタクロースがいて、振ると雪を模した白いラメが舞い散る。そんな、スノードームらしい、ただのスノードームを彼は私にくれた。笑顔で。

 そんなガラクタ、正直要らなかった。プレゼントをもらうのなら、出来れば実用的なものが欲しかった。別に高くないものでもいいから。例えば、リップとか、靴下とか、紅茶とか、そんなものでよかったのだけど。飾るしか用途の無い、スノードーム。しかも、サンタクロースが中に入っているから、クリスマスの季節しか飾れないし。

 それに、何より気に入らないのは、19歳にもなって彼女に贈るプレゼントにスノードームを選ぶ彼の純粋さだった。中学生くらいまでなら、まだ許せた。でも、この歳になって、そんなものを選ぶなんて。スノードームを贈って私が喜ぶと思っていたなんて。彼と私の思考が違い過ぎる。

 別れよう。スマホを取り出して、LINEに『別れるね』と書いて送った。これで終わり。学校で会って話しかけても、無視しよう。大体、何で付き合っていたのかよくわからなかったし。愛想だけはいい、犬みたいな奴だったな、と思ってスマホをベッドの隅に投げて、私もベッドの上にダイブした。

 自由だ。久々に自由だ、と思った。せっかく化粧もして、着替えたのだし、どこか出かけようか。どこに出かけようか。新しい服を買うお金もないし、一人でカフェでお茶してもつまらない。そうだ、彼女に家に行こう。そう思って、鞄を持って家を出て、山手線に乗った。


「来たよ」

「別に、呼んでないわよ。何しにきたの?」

「暇つぶし」

「私、夜から用事あるから2時間後くらいには、出てってもらうわよ」

「いいよ、お茶しに来ただけだし」

「あんたは、私の家をカフェか何かだと勘違いしてるみたいね」

 文句をいいながら、彼女は私を家に入れてくれた。ピンクで統一されたその部屋は、綺麗に片づけられていて、いかにも女の子の部屋という感じ。テレビに前に置いてある、ビビッドピンクのソファは座り心地もいいし、寝心地もいい。私はこの部屋が大好きだ。自分ではこんなに部屋を綺麗に維持することが出来ないし、こんなにセンスの良い家具は集められない。だから、たまにこういう風に彼女の部屋に訪れ、自分の理想としている空間に身を置くことがもはや趣味のようになっている。

 さっそく、そのソファに腰をおろすと、彼女はキッチンに行ってお茶の用意をしてくれる。彼女はいつも、文句をいいながらも決して私を拒まない。それは、きっと彼女が寂しいからだと思う。根拠はないけれど、なんとなくそう思う。この人は、寂しさを背負っている。でも、だからといって私はそれには踏み入らないし、癒そうともしない。

「ねえ、聞いて。彼氏と別れたの」

「そう、何でまた?」

「クリスマスにスノードームをくれたから。しかもクリスマスにしか飾れないようなサンタが入ったやつ」

「スノードーム?」

「要らないものをくれたから、別れたくなったの」

「ああ、そう。かわいそう。彼」

「何それ? ららちゃんはスノードームもらって嬉しいとか思うの?」

「思わない。好きな人からもらったものなら、何でも嬉しいって思うほど純情じゃないから。どうせもらうなら、使えるものがいい」

「でしょ?」

テーブルの上にティーセットが並ぶ。薔薇の絵柄の入ったティーカップにソーサー。いかにも、少女趣味。私の好きなデザイン。果物の匂いのするカップの中の紅茶には湯気がたっている。いただきます、と一言言って飲んだ。甘い味がする、私の好きな味。

「用事ってどこに行くの?」

「どこだっていいでしょ」

「どこだっていいいけど、気になるじゃない」

「秘密」

「男だ」

「さあ?」

「ふーん、そうなんだ、へぇー」

 私は、彼女のことをほとんど知らない。大体、知り合ったのは半年ほど前だ。サークルの先輩に連れられて行った、何だかよくわからないひたすら人の多い、飲み会のようなパーティーのようなところで、たまたま知り合ったのだ。その日、彼女は黒地に大きな苺の柄が入ったMILKのワンピースを着ていた。その、ワンピースの可愛らしさに思わず私は声をかけたのだ。

「その服、かわいいね!」

 アルコール度数の低い酒でも、一杯飲んでしまえば完全に出来上がってしまう私は、その日もピーチウーロン一杯で完全に出来上がっていて、壊れたテンションで彼女に話しかけていた。

 彼女は、顔色一つ変えずに答えた。

「でしょ? お気に入りなの。MILKで買ったんだ」

 はぁ、そうなの。やっぱり、その独特の大柄のプリントは、MILKなんじゃないかと思ってたんだよね。とか何とか言って、私は彼女と二時間近く、飽きるまで話し続けた。その場のノリで連絡先を交換したけれど、まさかこんなに頻繁に会う仲になるとは思わなかった。

 その割に、本当に私は彼女のことを知らない。社会人だと言っていたけれど、何の仕事をしているのかも知らない。聞いても、なぜかいつも適当にはぐらかされる。そういえば、歳も知らない。彼女とは、一体何者なのだろうか。そう考えると、どんどん不思議な気持ちになって、彼女は本当に存在する物体なのだろうかと思ったので、思わず目の前で化粧を直し始めた彼女の手首を握った。

「何?」

「いや、ららちゃんって、存在するのかなーって思って」

「存在、するよ。お化けじゃないんだし」

「だよね」

 ららちゃん、という名前はピンクの綿菓子のようなロングヘアがキキララのララみたいだから〝ららちゃん〟と皆に呼ばれていると、彼女は以前に言っていた。おそらく、彼女の言う〝皆〟も、私と同じで本名を知らない。つくづく、謎な女だ。

「ていうか、そろそろ出かけるから、出てってもらうよ」

 彼女はそう言って、赤のルージュを塗った。血のような赤。苺のような赤。ポストの赤。タコの赤。バラの赤。ワインの赤。………。じっと、彼女の唇を見つめていたら、彼女は塗り終わった口紅を筒にしまって、蓋をした。

「ほら、準備してよ」

 そう言って、彼女は白のコートに腕を通した。その時、なぜか心に言い表せないくらい寂しくなったので、思わず彼女の左足にしがみついた。

「やだ」

「はぁ?」

「行っちゃ、やだ」

「………………」

 彼女は、私の手を振りほどこうとしない。私も私で、離しはしないという風に足を掴んだまま動かなかった。動かなかったというよりは、動けなかったに近かった。目から涙が溢れてくるのだ。今にも幼子のように、声をあげて泣きじゃくってしまいそうだった。

「行かないよ」

 彼女はそう言うと、うずくまる私の近くに座って

「行かないよ」

 と、もう一度言った。


 朝、目が覚めると私は白いネグリジェを着て、ピンクのベッドで寝ていた。天蓋付きのそのベッドは、言わずもがな、乙女チック。嘘みたいに女の子らしい家具達は、全身で私は女だと主張しているみたいだ。隣を見ると、彼女が寝ていた。胸のあたりに手を重ねて仰向けで眠る姿は、童話の中から抜け出したお姫様のようだった。ぎゅっと抱き締めて、彼女の髪に顔をうずめて匂いを嗅いだ。何だか全部嘘みたいで、夢みたいだけど、感触や体温、香りは現実のものだと知らせてくれる。この心地の良い空間に包まれて、二度寝をしようと思って目を閉じたら、彼女が目覚めた。

「おはよう……」

「おはよう」

 目をこする彼女の顔には、そばかすが浮いていた。普段は化粧に隠れているそばかすが見えることによって、普段より彼女が幼く見えた。それを嬉しく感じたのは、彼女が隠していることを知れたことだった。だって、私は彼女のことを、ほとんど知らないから、秘密を一つ知れたみたいで嬉しかった。

「何笑ってんのよ」

「別に」

「別に、じゃないわよ。まったく……」

 文句をいいそうになりながらも、文句は言わない彼女は立ち上がるとキッチンへ向かった。ぼうっと、ベッドの中からレースのカーテンから漏れる日光を見つめていたら、彼女はコーヒーが入ったマグカップを渡してくれた。

「はい」

「ありがとう」

 ミルクと砂糖が絶妙なバランスで入っていて、あまり苦く感じなかった。

 その時、ふいに彼女が愛おしく思った。こんなに情緒不安定な私に対して献身的になってくれる彼女が愛おしくて愛おしくてたまらなくなって、衝動的にマグカップをサイドテーブルに置いて立ち上がり、彼女の前に立ち彼女の唇に軽くキスをした。

 ふわり、と柔らかくて暖かい彼女の唇は、想像していたよりも、ずっと気持ちが良くて、8秒くらい唇を合わせて離した。

「びっくりした……」

 と言うわりに、表情は無表情で、至極冷静な様子で彼女は呟いた。

「いやじゃなかった?」

「いやじゃないよ」

「じゃあ、よかったの?」

「何それ。何か、いやらしい」

「いやらしくないよ。いやじゃないんなら、よかったんでしょ」

「何言ってるの。犬に顔舐められたのと、同じよ。さっきのは。女同士だし」

「何それ。何かムカつく。私は、犬じゃないよ」

 ムカつく、と言いながらも本当は全然ムカついてなんていないけれど、仕返しのように人形みたいな顔をした彼女にもう一度キスをした。やはり、彼女の唇は心地がいい。何だか、不思議と甘い味がする気がする。口惜しいけれど、彼女の言う通り、犬みたいに彼女の唇を舐めまわすようにキスをした。何だか全然飽きなくて、それどころかもっと深くまで知りたくなって、彼女に口に舌を入れようとしたけれど、口は固く結ばれて、私を頑なに拒んだ。何度も何度も、挿入を試みたけれど、やはり彼女は私を拒んだ。拒み続ける彼女に、痺れを切らして唇をやっと離した。

「意地悪」

 言葉を投げかけても、硝子玉のような瞳で彼女はこちらを見るだけだった。

「犬扱いが嫌なら、あんたは猫ね」

 そう言うと、彼女は私の唇を軽く噛んだ。驚いて言葉を発しようとすると、蛇のように口内に、ぬっと彼女の舌が入ってきた。そのことにさらに驚いて彼女の肩を押そうとすると、どこにこんな力があったのか、信じられないほどの強い力で彼女は私の両手首を抑えつけた。抵抗することは出来ぬまま、ただただ口内を荒らされた。呼吸が出来ぬくらい貪るので、酸素が脳にまわらずに意識が遠のいてしまうのではないかと思うほどだった。本人は本人で、涼し気な表情でやってのけるから、ますます訳がわからなくなってしまって、このまま酸素が足りずに死んでしまうのかと思った。しかし、唐突に唇は離れて解放された。

「どういうつもりなの」

「これがしたかったんでしょ?」

「わけわかんない」

 私はそういうと、彼女につかみかかった。つかみかかったといっても、それは犬や猫がじゃれ合うようなもので、動物的な戯れに過ぎなかった。彼女の髪を軽く引っ張ったり、首筋を軽く噛んだりした。彼女も、私の着ているネグリジェの裾を翻すと、私の太ももに軽く噛みついた。それからはもうめちゃめちゃで、身体をもつれさせては、離れてを繰り返した。子どもみたいにふざけあえば、全てどうでもいいような気になった。ベッドは、バタンバタンと音を立てた。


「なんでそんなことしたのよ」

「かわいい?」

「なんでそんなことしたのって聞いてるの、私は」

 髪をショートにして、水色に染めた。そう、彼女と釣り合いをとるために倣ったのだ。

「私はそんな髪にしろなんて、頼んでいないし」

「私が勝手にやったんだもん、いいでしょ」

「バカじゃん」

「だって、〝ララ〟の隣には〝キキ〟がいなくちゃ」

「キキララは姉弟でしょ? 意味わかんない、本当に、もう……」

「姉弟じゃいやなの? 恋人同士のキャラで例えた方がよかった? どんなのがいたっけ。アニメとか詳しくないから、わかんないや」

 彼女はため息をついて、こめかみに右手を当てた。

「とにかく、気が済んだら元の髪色に戻しなよ」


 そんなこといいつつも、実は彼女も内心実は嬉しいようでMILKのお揃いの色違いのワンピースを着て、手を繋いで街へ出かけた。街行く人々が、ピンクと水色の髪をしてお揃いのワンピースを着た私たちを見たけれど、世間とか視線とか、私たちにはおおよそどうでもよかった。嫌なものには目を背けて、綺麗で可愛いものには大きく目を開けてきちんと見る。シンプルな論理。嫌いなものは食べずに、好きなものだけ食べる。嫌いなことはやらないで、好きなことだけする。それでいいじゃない。難しく考えることなんて、ない。別に理解なんて求めていないし。目が合わないんじゃなくて、合わせていないだけだよ。だってもう、あなたの顔なんて、見たくないもの。さようなら、ミスター……忘れちゃった。

「何考えてるの?」

「夢想してたの」

「そう、変な子だよね。あんたって」

「知ってた」

「自覚はあるのね」

 カフェに入った私たちは、適当に休憩していた。彼女はメロンソーダを飲んでいた、合成着色料たっぷりの緑色のメロンソーダに、白いバニラアイスと赤いさくらんぼが乗った、いかにもメロンソーダらしい、メロンソーダ。私は、冷たい飲み物を飲むとすぐに体が冷える体質なので、梅昆布茶を飲んでいた。

「非生産的よね」

「何が?」

「あんたと一緒にいること」

「それってつまり、どういうこと?」

「あんたと一緒にいても、何も生まれないってこと」

 ぶくぶく、と彼女はストローを人差し指と親指でつまんで息を吐きだし、メロンソーダに泡を立てた。

「何か生まれた方がいいの?」

「そうね、何もないよりはなにか生まれた方がいいのかも知れない」

「女同士でしても子ども出来ないもんね」

「種がないものね。当り前よ」

 ずずっ、と梅昆布茶を啜った。暖かさが染みて、身体が温まる。梅の香りがふわりとして、とても心地が良い。

「じゃあ、何で一緒にいるんだろうね? 私たち」

「寂しいからじゃないの?」

「〝寂しいから〟?」

「寂しいのよ、あたしたち。だから、きっと一緒にいるの」

 そう言うと、彼女は私の右手を両手で握った。

「ほら、こうすれば暖かいでしょ? 一人より、二人でいる方が寂しくないの。でもね、決して人といれば孤独を感じないというわけではないの。集団の中にいても、孤独感や疎外感を感じることだってあるでしょ? そういう時の気持ちは、きっと一人でいる時の寂しさと勝らずとも劣らないのよ。でも、ちゃんと、自分が一緒にいて孤独感を感じない相手を選んでその人と一緒にいれば、寂しさを感じないの」

「ららちゃんのその相手が、私なの?」

「そうなるわね」

「じゃあ、よかった。私、私でいて」

「そう」

 私たちは、暗くなった道を手を繋いで彼女の家に帰った。夜風が変に生ぬるく、街の光が煌々と輝いている。彼女がふざけて私と手を繋いだまま走る、彼女を追いかけたら、今度は私が走って彼女の手をひっぱった。その繰り返しに、おかしくなって笑った。すれ違う人々がこちらを見てくるけど、おそらく私の人生に関係のない人々だからどうでもよかった。彼らにぶつかることがなければ、大きな声を出しているわけでもし迷惑はかけていない。だから、別にいいじゃない。私たちは、アルコールは一滴も飲んでいないのに気分が高揚して子どもみたいにはしゃいだ。二人でいれば、何も怖くないと思った。彼女と一緒なら、基地外になってもかまわないと思った。

               

「後藤が、あんたのこと探してるよ」

「後藤? 誰? どこの後藤?」

「あんた、元カレの名前も忘れたの?」

「ああ、元カレの後藤かー」

 大学の昼休みの食堂はやたらうるさい。至近距離で大きな声を出しても相手に伝わってるか不安になってイラつくから、いつも食堂で昼食をとるときは、授業中の3限にとる。だから、今日もこうして3限が空きの水曜日の13時に友人の香奈子と一緒に、食堂でカレーを食べている。

「やばいよ、なんか超殺気立ってる。あいつ、いつも穏やかっていうか、虫も殺さないような仏みたいな奴じゃん? そんな奴に、この前、凄い形相であんたはどこかって聞かれてさ……」

「へぇ」

「あんた、なんかしたでしょ?」

「別に、別れようってLINEしただけだし」

「相手が納得しないまま、ブッチしたんじゃないの?」

「うん」

「それでしょ……」

 香奈子はため息をついて、頭を抱えた。彼女が何故そんなにも焦っているのか、わからない。元カレの後藤とは学部も違うし、大体、この大学は学生の人数がとても多いから会おうにも会うことが困難だろう。まあ、会ったところで、別に。どうとも思わないけれど。

「やばいって……。絶対あいつ、あんたのことストーカーしてるよ。あんた、刺されるかもよ」

「え、やだ」

「嫌なら、もっとお互い納得できる別れしときなさいよ……」

「過去には戻れない」

「そうね」

 香奈子は、私の元カレに私以上に不安を感じて悩んでいるようだけれど、私は驚くほど何も感じなかった。だって、もう、どうでもいいし。過去の人間関係とか。

「そろそろ行かなきゃ」

「なんか予定あるの?」

「んーと、恋人の家に行く用事があるの」

「はぁ? あんた、もう彼氏出来たの?」

「まぁ、そんな感じ」

「気をつけなよ? 後藤、あんたのことつけてるかも知れないし……」

「またまた、ドラマの見過ぎだって……。でも、ありがとう。気をつける」

 今よりも、もっと若いころ。というと、大抵の大人は笑ってしまうかも知れない、だって私は一般的いうとまだ若いから。大抵の大人は、といったけれど、私も成人済みだから、私も大人だ。ああ、矛盾だらけ。

 つまりこうだ。私がまだ夢見がちな少女だった頃、こんな風に束縛されることを望んでいた。例えば、異性とちょっと喋っただけでものすごく嫉妬されたり、今日は一日どこで何をしていたかの報告を義務付けられたり、毎晩寝る前は電話することが絶対であるような、そんな嫉妬深い、愛の重い恋人が欲しかった。

 恋人が嫉妬する度に、自分が愛されていることを深く感じる。病的な私への愛は、もはや自己愛で私への迷惑は省みない。彼は、私のことが好きな自分が好き。深く愛しているようで、本当は自分の幸せしか願っていない。そんな自分勝手な、恋人が欲しかった。自分でも、そんな自分のことはおかしいと思う。

 でも、幸か不幸かそのような恋人には恵まれなかった。

 しかし今、過去の願いが突然叶ったのか、元カレがどうやらストーカー化しているらしい。ああ、願ったり叶ったり。でもね、ちっとも嬉しくない。だってね、

「だって、気がついたの。興味ない人に追い回されたって、ちっとも嬉しくないって」

「そう」

 彼女は、私の話を聞きながら爪にマニキュアを塗っていた。

「反応薄くない? ららちゃん」

「うーん。まあ、普通に心配してるよ? でもね、まあ。大丈夫でしょ」

「うん。まあ、私も、どっかで大丈夫だって思ってる。根拠のない自信だけど」

 いかにも、『私、かわいいでしょ?』と主張してるような濃いピンク色のマネキュアを塗った彼女は、爪に息を吹きかけた。このようにあざとく媚びるような愛くるしいかわいいものは、彼女が身に着けるすごく自然で全く嫌味に感じない。リズリサのピンクの花柄のワンピース、ゆるく巻いて耳の下でツインテールにした髪、そしてさっきつけたビビットピンクの爪。身に着けているものは、女性性を全面的に出したものばかりなのに、ぶりっこに感じないのは彼女の性格が竹を割ったようにさっぱりしてるからだろうか。

 それとも、彼女と男性を取り合っていないからそう思うのだろうか?

「どうしたの?」

 じっと彼女をみつめる私に気がついた彼女が、顔を覗き込んで問うてきた。

「ううん。ららちゃん、今日もかわいいなーと思って」

「努力してるもの、当たり前でしょ」

 ふーっと、また彼女は爪に息を吹きかけた。

 もし、もしもだ。私たちの目の前に、ハイスペックな男性(例えば、お金持ちでイケメンで都内に大きな一戸建てを持っていて黒塗りの高級車に乗っているような)が現れたとして、私たちが同時にその彼のことを好きになってしまったら、私たちはその瞬間から恋敵になってしまう。

 その時、もしかしたら、否、きっと。彼女が今着ている、リズリサのワンピースも、淡いピンク色の綿菓子のような髪も、つやつやピンクに光る爪も、整った顔も、痩せているわりに大きな胸も、白い肌も、甘い香水の匂いも、全て嫌いになってしまいそうな気がする。否、嫌いになるというより、引け目を感じてしまうという方が正しいと思う。だって、彼女と私を比較したら、容姿では圧倒的に彼女の勝ちだ。性格は、簡単に推し量って比較出来るものではないからわからないけれど、少なくとも容姿は彼女の方が私より上だ。きっとその時、彼女に対して劣等感から生じた嫉妬を抱くのだろう。

 じゃあ、今、私が彼女のことを好き、それも友達という意味ではなく、限りなく恋愛感情に近いまたは恋愛感情的な意味で好きであるというのは、私の前に魅力的な異性がいないからなのか。なんなのか。考えれば考えるほど、わからなくなる。

「何、難しい顔してんの」

「あ……、考えごとしてた」

「下手な考え休むに似たり、だよ」

「ららちゃんって、時々おばあちゃんみたいなこと言うよね」

「ことわざ使っただけで、おばあちゃん認定なの?」

 ふっ、と最後に息を強く爪に吹きかけた彼女は、そのまま腕を上げて大きく伸びをした。

「ネガティブな妄想しない方がいいよ」


「ららちゃんて、人の心を読めるの?」

「難しい顔してるから、どうせろくなこと考えてないんだろうなって思っただけだよ。あんたって、顔に出るし」

 そういうと、彼女は私の頬を彼女の両手で包んで、

「先のことは誰にもわからないけど、今が楽しければいいんだよ」

 と言って、彼女は私にキスをした。ふわりと彼女の香水の匂いがする、バニラのようなフルーツのような花のような、とにかく甘いものを全部に詰めたような匂いが私を包んだ。

 そうか、先のことはわからない。もしかしたら、明日、私のストーカーとなった元カレの後藤に適当にフられた恨みから刺されてしまうかもしれない。もしかしたら明日、本当に今まで出会ったことのないハイスペックな男性に出会って恋に落ちてしまうかも知れない。そして、運が悪かったら、さっき妄想してたみたいに彼女もその彼に恋に落ちてしまうかも知れない。そしたら……、まあ、その時はその時だ。全てを受け入れるしかない。

 私は、今でも彼女のことを知らない。本当の名前も、年齢も、職業も。前よりも、ずっとずっと近くになったのに。

 それでもいい、今を一緒に生きているから。彼女が何者でも、かまわない。例え、極悪非道人の犯罪者であっても私はきっと彼女のことを愛してしまうのだと思う。それほど、もう、彼女に溺れている。今更、彼女の肩書とか経歴を知ったとしても別に何とも思わない。だって、本当の彼女の姿は私が目で見たものだけがすべてだと思いたいから。

先のことはわからないけれど、現在は一緒に作り上げていくことが出来る。いつまで二人でいられるのかわからない。それでも、少しずつ幸せを積み上げていこう。

 誓いを立てるように、私は彼女の左手の薬指にキスをした。


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