アレセンシア国3
柔らかな月の光が白銀の毛に触れるとキラキラ輝き出し真鍮色の瞳は月をそのまま目にはめ込んでいるのかと思わせる程力強く目が合えば吸い込まれてしまいそうだった。
何よりその凛とした佇まいは美しいと一言で片付けてしまうには勿体無い程の気高さを感じさせていた。
トゥールは目の前にいる狼の姿に一瞬で目を奪われその場から動く事すら出来ずただただ見入っているしかなかった。
「すごい…ルアかっこいいよ!」
「おいおい、ルアは見せ物じゃないんだぜ。」
ミーゴはトゥールをたしなめながらルアの方を向き小さく頷くとこの世界へトゥールを連れて来た目的を話し始めた。
「おいお前、ようく聞いておけよ。何故お前がここに来たのか、それはアレセンシアが今、危機に瀕しているからだ。この危機を救うにはお前の力が必要なんだ。はぁ、何でこんな子供なのか全く信じられんが!」
林を抜ける心地の良い風は虫達の羽音と共に耳元を通り過ぎると辺りはシンと静まり帰った。
トゥールは言われた事の意味をいまいち理解出来ずミーゴの言葉に自分の耳を疑った。
まさか自分がよく知りもしない世界を救うなど未だかつて考えた事すらなかったからだ。
モリアスに住んでいる頃だって誰かを助けるなんて経験は無かった。
せいぜい祖母や先生の手伝いぐらいだろうか、そんな自分がどうやって世界を救う事が出来るのだろう。
トゥールは到底無理な話だと思った。
「むっ無理だよっ!僕にそんな事出来る訳ないよ!」
「だよな、俺もそう思うぜ。だが、これは決められている、お前は選ばれた人間なんだ。」
「そんな…勝手に決められても困るよ!僕は子供だし何もできない…」
俯き声を震えさせ今にも泣き出しそうなトゥールにルアは大きな瞳を伏せ落ち着いた口調で語りかけた。
「私たちの種族には古くからの言い伝えがある。アレセンシアが滅びるとき月に選ばれし人間が舞い降り再びこの地を再生させるだろう…」
トゥールは自分が選ばれた人間だという事に納得出来るはずもなく恐怖と怒りが一気に込み上げてくると両方の手のひらをぎゅっと握りしめ怒りに任せて大声で叫んだ。
「さっきから選ばれたって言うけど一体僕は誰に選ばれたんだよ!ミーゴが勝手に連れて来たんじゃないか!」
こんなに大きな声を出すのは初めての事だった。
トゥールは今まで誰かに感情をぶつけたことなど一度もなかった。
母を亡くし祖母に預けられた生活は決して辛いものでは無かったが、人がトゥールの境遇を知り可哀想だと言うと何故だかわからないが自分でもそうなのだと思わずにはいられなかった。
それに町の人達が自分の事を陰で《親に捨てられた子》だと噂している事も知っていたのだ。
心のどこかで自分は借りものの生活を送っているのだと思うと誰にも本当の気持ちを伝える事が出来なかった。
トゥールは我に返り思わず大声を出してしまった事に戸惑っていた。
ルアは目を閉じ人の姿に戻ると身に付けていた首飾りを外しトゥールへ見せた。
「クリソプレーズ…この石と同じだ!」
トゥールはポケットにしまったままだった石を取り出すとルアの持つ首飾りと並べた。
「そうだ、この石はアレセンシアの物だ。そして言い伝えによるとお前の持っているその本はアレセンシアの未来を記すもの。頼む、私に力を貸してくれないだろうか。」
ルアの真っ直ぐな眼差しを向けられたトゥールはそれ以上何も言うことは出来なかった。
しかしまだ何ひとつ決心する事は出来ず、この先がたまらなく不安で仕方がなかった。