声の主
夜空を飛ぶ男の姿は林の中に棲む全ての生き物達にとって不自然であり驚きと恐怖をも与えていた。
それは男が昼の燦々と照りつける太陽の下、どこまでも続く青空を思うがままに飛ぶ事の出来る鷲だったからだ。
ある者は食事を諦め巣穴へと戻り、またある者は自分が鷲の胃の中に入らぬよう必死で隠れ場所を探した。
そうした生き物達の行動を空の上から見るこの瞬間は男にとってたまらなく優越感に浸れる瞬間なのだった。
男は瞳孔を開きギラギラとした目で下を見下ろしながら翼を大きく羽ばたかせると高い鳴き声を上げ夜の空へと消えて行ってしまった。
男が見えなくなると林の中のものは安堵の表情を浮かべそれまで張りつめていた空気が一気に和んでいくのがわかった。
やがて男は空高くまで上ると大きく割れた崖の中にある洞窟を見つけ急降下した。
洞窟の中は土の匂いと湿気が充満し腐敗した何かの臭いが鼻を突き、とても居心地の良い所ではなかったがここでの仕事が男にとって重要であり避ける事のできないものだった。
見上げると沢山のコウモリが器用に両脚を洞窟の窪みに引っ掛けやって来るものを見定めていた。
男は焦茶色の翼をたたみ洞窟の入り口に立つと中に向かって声をかけた。
「ただいま戻りました。」
「ああ、お前か。狼の娘の様子はどうだった?」
「はい、相変わらず。しかし、見慣れぬ子供を連れておりました。」
「そうか…ご苦労だったな、ビオ。」
声の主はビオにそう言うと姿を見せることなく洞窟の奥へと姿を消してしまった。
ポタリポタリと水滴が滴り落ちる洞窟の中、足音が聞こえなくなるまで頭を下げようやく寝床へ戻る頃には夜明け前になっていた。
「子供ねぇ…」
低く嗄れた声の主は奥へ戻ると手にした一枚の紙をじっくり見渡しながら呟いた。
そして所々破れた古い紙を大事そうに袖の中へしまうと目を細め顎に生えた白髭を指でなぞりビオの言う子供の事がどうにも引っかかって仕方がないようだった。
一方、眠れぬ夜を過ごしたトゥール達は日の出とともに林を立つ事にした。
夜明け前の群青色の空は徐々に光を帯び明るくなると昨夜の事など無かったかのように清々しい朝を迎えていた。
トゥールは昨夜の男の視線が恐ろしく冷えきっていた事やその時のルアの態度、アレセンシアの危機との関係が気になりミーゴへさりげなく聞いてみる事にした。
「ねぇ、アレセンシアの危機ってどういう事なの?きのう大きな鳥の男の人を見たんだ。ルアはすごく怒っていたし、何か関係があるの?」
ミーゴはルアの背中から気付かれないようトゥールの肩まで飛び乗ると上まで登り小さな声で耳打ちをした。
「それは鷲族のビオだ、ビオはアレセンシアの中でも1、2を争う優れた種族だ。以前はこんな事をする奴じゃなかったはずなんだが…」
そこまで言うとミーゴは思い悩んだように腕を組み下を向いた。
「アレセンシアの危機と関係しているのは確かだ、だがそれ以上は俺の口からは言えん。気になるならルアに直接聞くんだな。」
ミーゴは気まずそうに口を閉ざすとトゥールの背中へ回り隠れてしまった。
トゥールは何か事情があるのだと子供ながらに察するとそれ以上ミーゴに聞く事は無かった。
林の中には白いスミレの花が絨毯のように咲きトゥール達の行く先を案内してくれているようだった。




