理想の王子様
フリルとレースがたくさんついたレモン色のドレス。栗色の髪をくるくる巻いて、同色の大きな瞳とピンクの唇を引き立たせるように軽く化粧をされる。精一杯のおめかしをして、6歳のある日、私は王宮に呼ばれた。これが、後に婚約者となる第2王子と初めて会う日だった。
第2王子のウィリアム・クラウディアは庶子の生まれだった。母の身分は平民であり、王が静養地へ行った際に出来心で手をつけた娘だった。やがて娘は懐妊し、ウィリアムと名付けられた彼は王宮で暮らすようになる。
しかしその生まれから王妃や他の兄弟たち――第一王子や姉王女からは疎まれていた。下賤の血を引く卑しい王子と徹底的に虐げられ、王宮の隅で暮らしていた。
母は側室とはならなかったものの、王子を産んだものとして田舎で屋敷を与えられてくらしているという。彼女は王宮へウィリアムを差し出して、会いにくることは一度もない。
父王もそんな彼に愛情を示すことはしなかった。ただ義務のように最低限の住環境を施した。そして“婚約者”をあてがった。この国では身分の高い者は幼少期から婚約者がいるのが普通である。庶子といえども婚約者は必要であり、体裁だけは整えられたのだ。
その婚約者が私、シェリルである。私はシェリル・コレット。コレット公爵家の長女。
私が選ばれたのは、公爵家の娘という身分が王子の婚約者として釣り合っていたからだろう。ただ、他の貴族でも第2王子と年の近い娘は他にもいた。その中で父は出世欲がないというのか、権力や地位に固執しない人だった。おかげで社交界でも変わり者だ。変わり者の公爵家だから、将来性のない王子を押し付けられただけだった。
そんな思惑を知らない私は、物語に出てくるキラキラした憧れの“王子さま”に会えることをとても楽しみにしていたのを覚えている。
「シェリル、ご挨拶なさい。ウィリアム殿下だよ」
「初めまして、ウィリアムさま! シェリルといいます!」
「……初めまして」
彼の声はとても小さかった。ずっと虐められていた彼は何かにおびえるようにびくびくしていて、すぐに私から目を逸らす。
それでも私は目の前の王子さまにただ興奮していた。彼の姉が「地味で陰気」と言う深い藍色の髪と瞳は大人っぽくて素敵だと思ったし、彼の兄が「病人みたいですぐに死にそうだな」と笑うほど白い肌は透き通り美しかった。実際には手入れのぞんざいな髪はぼさぼさで、日の当たる衆目の前にめったに出てこない彼の顔は青白かった。
それでも私は、キラキラした王子さまフィルターを通して見えた彼が格好良いと思ったのである。
「君が、僕の、こんやくしゃ?」
「ええ、そうよ。会えてとってもうれしいわ!」
「うれしい?」
私は彼の手をぎゅっと握って言った。
「ずっと仲良くしましょうね!」
「ずっと……? 僕と一緒にいてくれるの?」
「もちろん!」
彼のおびえていた表情がふと安心したようになり、小さく笑みが浮かんだことに、その時の私は大層満足していた。
そして、10年後。
……どうしてこうなった。
「くだらんな。私の時間を無駄にしてそんな話をしている暇があるなら、さっさと言う通りに法案をまとめろ」
「申し訳ありません。殿下!」
執務室の中心から絶対零度の視線を飛ばしているのは、かつてはあんなに可愛らしかったウィリアムだ。目鼻立ちが整った顔を歪ませて嫌悪感を露わにしている。その視線を受けた壮年の執務官は、真っ青な顔で書類をまとめると部屋から出て行った。
ちなみに私は今、部屋に通されたのは良いものの仕事中のウィリアムを邪魔しないよう部屋の隅の椅子で縮こまっている。
「……ウィル」
「シェリル、待たせてごめんね? せっかく君が来てくれたのに。あの爺の頭が悪くてさ」
くるりとこちらを向いた彼の顔は、蕩けるような笑顔だった。
ウィリアムは優秀な人物だった。婚約によるコレット公爵家という後見を得た彼は、王宮を逃げ出すように公爵邸へ度々訪ねてきた。そこで家庭教師について勉学や教養を学ぶと、彼の才能はあっという間に開花したのだ。それと同時に、臆病だった彼の性格はどんどん冷酷かつ尊大になっていく。
彼の優秀さは第一王子を超え、ついには先日、彼を苛め抜いてきた王妃と兄姉を王宮から追放したのである。王族を追放するなんて簡単なことではない。それでも貴族高官との癒着やら横領やら、果ては王妃の不義密通などと悪事という悪事を告発したのだ。ついでに税金で贅沢三昧をしていた彼らは国民の支持もなく、彼らを追放したウィリアム王子は絶大な人気となる。
庶子と見下され、そのうち臣籍降下されるだろうと虐められてきた王子はそうして王太子になった。
絵に描いたような勧善懲悪である。ついでに王宮内の腐った高官も一掃できたとのことで、国の秩序も回復できて一石二鳥。今まで彼らを野放しにしていた父王は、すでにお飾りのようなものだ。現在、政務はほとんどウィリアム王子が仕切っている状態である。
……いくらなんでも変わり過ぎだ。どうしてこうなった。
「シェリル、シェリル」
「なぁに、ウィル」
甘えた声で名前をささやかれる。ウイリアムの膝に乗せられ、抱きしめられているシェリルは諦めたように虚空を見つめた。
ウィリアムが理想の“王子さま”ではなかったのは成長とともに気づいている。小さな頃はウィリアムと過ごせるのを喜んて、彼が公爵邸に来ると一緒に話をしたり遊んだりしていた。婚約者といっても、子ども心には友達と一緒に遊ぶようなつもりだったのだ。そんな他愛のないことはずだった。しかし、周囲から疎まれ実母にすら愛情をもらえなかったウィリアムは、初めて与えられた優しさに執着をもつようになってしまったらしい。
才能は評価されながらも他人の前では無表情、冷酷、無慈悲と言われる彼は、シェリルの前では大層甘かった。
「ねえ、昨日ボール男爵から花をもらったんだって?」
「……何故それを知っているの」
以前シェリルが舞踏会で男爵と話をした際に、ちょっと屋敷の庭の話になったのだ。男爵家の庭師は腕が良くて、庭園に珍しい花が咲いていると聞いた。その流れで昨日、男爵がコレット公爵を訪問したついでに、わざわざその花束を持ってきてくれたのである。
「あの男、僕のシェリルに贈り物をするなんて、いい度胸だよね。あの家潰そうかな」
ちょっと不穏な言葉を聞いてしまった。
「心配しなくても、私なんて好きになってくれるのはウィルだけよ」
美しく成長した彼に対して、シェリルは残念ながらそれほど美人とはいえない。残念ながら十人並みよりちょっといいぐらいだろう。
「花を贈るなんて、下心があるに決まってるじゃないか。鈍感なシェリルも可愛いけど、そんな男と仲良く話をしたなんて……許せないな」
冷えた声音で言われて、びくりと体が跳ねる。抱きしめられる腕が痛いほど強くなった。
こちらを見つめる彼の瞳に劣情がみえ、こくりと喉が鳴った。彼はゆっくりと顔を近づけると唇を重ね、何度も味わうように柔らかく食む。
執着なんて言葉で表すのも甘いのかもしれない。
彼が今の地位を手に入れたのは、王妃たちへの復讐だけではない。シェリルの婚約者としてふさわしい王子になるためだったという。
もし私が婚約者に選ばれなければ、今頃どうなっていただろう。代わりに婚約者となった他の令嬢に優しくされれば、きっと彼はその子を愛したはずだ。そんな“もし”を考えて胸がちくりと痛んだ。
「シェリル、愛している。ずっと僕だけを見てくれるよね」
「もちろん、私も愛しているわ」
彼の愛が多少歪んでいたとしても、それが輝いて見えるのだから、きっと私ももう手遅れだ。
私の理想の王子さまは、美しくて聡明で、少し怖ろしい素敵な人だ。
ヤンデレが書きたくて撃沈しました。