プロローグ4
俺たちの…神創世界に神獣が?
『神獣の魂は負の感情で構成されているから本能的に破壊や殺害といった行動を取る個体が多いの。人間の側も神獣に対する対策をしているみたいだけど。神獣は蓄積された高密度の感情を持つ存在だから、人間では太刀打ちすることができないの。クウの世界で起きている未解決事件の殆どは神獣が関係しているの。』
感情の泉で回収された負の感情。泉に回収された回数が多ければ多いほど、その感情で造り出された魂を持つ個体の能力は高くなるらしい。
俺は琴亜に貫かれた胸に手を当てた。そこに傷は無く痛みもない。
確かに、琴亜は花びらのような刃を操っていた。全ての神獣があのような不思議な能力を持っているというのなら、到底人間が相手を出来るわけもない。
『クウを殺した犬神の神獣もクウの持っていた神創世界へ帰還する権利を利用して今、神創世界に出現している。』
琴亜に殺された俺は曖昧ながら最後の1日の記憶を取り戻した。だが、それ以前の記憶は失われたままだ。
曖昧な1日の記憶も幻想世界で琴亜に殺されたこと、このエンパシーにやって来てからのこと。そして、名前がわからない黒髪の少女の姿。これくらいのことしか思い出せてはいない。
シルが話したことは真実なのだと思う。大抵の人間は鼻で笑うような話だろう。だが、俺は知っていたんだ。シルが語った話を聞く以前にどこかで…。
『そう言えば…何で殺された筈の俺はエンパシーに来てしまったんだ?』
シルの話によれば死んだ人間の魂は感情の泉に回収されて新たな魂の素材にされる筈。だが、俺は自らの意思を持ちエンパシーに…感情の泉の外にいる。
『………』
シルは無言だった。
『どうした?』
シルは俺の顔を悲しそうな表情を浮かべ見つめている。
『クウはね。特別だったの。神様に、いいえ。エンパシーにとって特別な存在だったの。だから、招かれた。』
『特別?』
『私には…その、特別な 何か はわからないの。』
シルにもわからないなら記憶のない俺が知る筈もないな。
『クウは無くしてしまった記憶を取り戻したい?』
『え!?』
『で、できるのか?記憶を戻すことが?』
コクリと無言のまま縦に首を振るシル。
『この世界はエンパシー。感情を集め世界を繋ぐ始まりの世界。』
シルは儚げに微笑み、感情の泉に流れる水を手のひらに掬い上げた。その、水はシルの指先に水球として集束する。
『こっちに来て。』
シルの指先に集められた水の玉は、水というよりもスライムのようにドロッとした物質だった。
これが、感情…。
『この集まったモノがクウの記憶を内包した感情。この感情をクウに返すね。』
指先の水を俺の額に当てるシル。その瞬間、俺の視界は光を失い。代わりに頭の中にある映像が流れ込んで来た。
そうだ、俺は……………………………………………………………
『これが世界なのか?』
『そう、神創世界、神現世界、幻想世界、そして、エンパシー。この、4つの世界が今のエンパシーを中心とした世界体系の一つなの。』
琴亜に殺されエンパシーに送られた俺はどうするべきなのだろう?
『シル、俺はこれからどうすればいいんだ?エンパシーの意思って言うのは?俺に何をさせていんだ?』
『クウはエンパシーに選ばれた。それは、エンパシーの意思に従い世界の調和を保つ存在になるということ。』
『その調和って言うのは?』
『要するに世界で起こるエンパシーにとって良くない出来事をエンパシーに代わって解決して欲しいって事なんだよ。クウの場合は、神創世界に出現した神獣を倒して感情の泉に回収させて欲しいってこと。』
『それがエンパシーが俺に与えた意思ってやつなのか?』
『そう、神創世界には数百体の神獣が潜伏してる。彼らは幻想世界で人間を殺すとき、神創世界へ帰還する権利の他に、その人間が持つ蓄積された感情も吸収するの。感情の中には人間の知識や記憶、記憶に伴い発生した想いといった情報も含まれているんだ。』
簡単にいうと神獣は殺した人間から今まで生きてきた全ての情報を奪ってしまうということか。
『問題なのは神創世界に出現した神獣が最初に行う行動が自分が殺した人間の記憶の中にある最も大切に想っていた人間を殺そうとするの。』
えっ!?
『…な…に…?』
『それは、人間を殺して得た情報の上書きによる制約みたいなもので神獣自身には止められない本能なの。』
今、何て言った?最も大切な人を殺す?
俺は琴亜に…神獣に殺された。今の話が本当なら、琴亜は…俺の大切な人を殺そうとする!
『無月が…』
危ない!こんな所で話している時間はない。急がなければ琴亜に無月が殺されてしまう!
『クウ!?ちょっと待って!』
気がついた時には俺は走り出していた。
『確かこの泉は神創世界に繋がっているんだったな?』
無月を助けなければ!
『クウ!だめぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』
シルの制止の声も聞かずに俺は感情の泉に飛び込んだ。
『クウゥゥゥ………。』
無月、無事でいてくれ。今、助けに行くから!そう強く想い願った俺の意識は泉に静かに溶け込んでいった。
…………………………………………………………………………
意識が覚醒する。視界は正常に記憶はパズルのように噛み合った。
『思い…出した…』
そうだ。俺は前に一度この世界に来ていたんだ。だから見覚えがあった。懐かしいとすら感じたんだ。
琴亜に殺された俺はエンパシーに送り込まれた。そこで、シルと出会い世界の体系の説明をされたんだ。
説明の中、人間を殺した神獣が奪った権利と共に記憶も奪うことと、人間が想っていた大切な者を殺すことを知り、自分が体験した出来事から琴亜が俺の大切に想っていた無月を殺すと思い無我夢中で泉に飛び込んだんだ。
『思い出したみたいだね。』
『ああ。』
『今、クウが見たのが失っていた記憶の一部。残念だけど、感情の泉に残っていたクウの記憶はエンパシーに来た前後の記憶だけ。それ以前の記憶は感情の泉に飛び込んだ時にバラバラに分解されちゃったみたい。』
『分解された?』
『さっきも言ったけど。感情の泉は、感情の生成し合成、各世界に魂を送り、死んだもモノを回収。そして、分解、合成を繰り返す永久機関。だから、泉に飛び込んだ時、感情の泉はクウを分解しようとした。慌てて私はクウの魂を固定してブロックしたんだけど、ブロック出来たのは全体の三分の一程度。残りは他の感情と混ざり合って神創世界に送られてしまったの。それだけ、感情の泉に飛び込むことは危険だったんだよ!』
『そうか…シルが助けてくれたのか。ありがとう…。』
『泉は一時的とはいえクウを感情に分解して神創世界に送った。クウの意識を持っていた微弱な感情に与えられる肉体は神創世界ですら用意ができなかったの。だから、クウの意識は、現在クウが神創世界で最も強く繋がっている魂と同調した。』
『それが、琴亜…か。』
『そう、クウを殺したことでパスを奪った琴亜という神獣に五感や意識を重ね合わせることでクウは意識を覚醒させたの。けれど、そんな曖昧な状態がいつまでも続くものではないからクウの意識は再びエンパシーに回収されることになった。そこを、私が感情の泉より先に回収して新しい肉体を与えたの。座標は間違っちゃったけど。』
俺が視た映像。見覚えのある部屋。血に染まった手と床に倒れていた少女。そして、感じた悔しさと悲しみ。あれは、琴亜という神獣が視た景色と感情だったのか。
『無月は…死んだのか…』
『うん。』
申し訳無さげに頷くシル。
俺にとって最も大切な存在であった少女。過去を無くしてもその想いだけは残っている。
無月は琴亜に胸を貫かれて死んでいた。
『シル…俺は…』
今の俺に何ができるのか。俺自身は琴亜への復讐を考えてはいない。琴亜は泣いていた。俺を殺した時も無月を殺した時も。琴亜と同調した時、俺は琴亜の過去を知ってしまったのだから。
『クウはこれから何がしたい?』
『え?』
突然のシルからの質問。
『エンパシーはクウを選んだ。世界を正しき形にするために。けれど、クウには選ぶ権利がある。』
『選ぶ?』
『エンパシーは確かにクウに世界を護れという役割を与えるためにクウを生き返らせた。けれど、方法までは指定してはいないの。クウのやりたいようにできる。エンパシーにしたら結果として世界が正常を取り戻せば良いだけだから。』
『俺のやりたいように…』
俺は何がしたいのだろう?俺に何ができる?俺に何が…残っている?
そんなこと一つしかないじゃないか。
『シル、俺は記憶を、過去を…無月との思い出を取り戻したい。』
『クウ!』
シルは嬉しそうに笑った。
『そして、琴亜の願いを叶えたい。』
『え!?』
その言葉にシルの顔から笑顔が消え表情が強張った。
『琴亜だけじゃない。人間も神獣も全てを救いたい。俺はエンパシーの意思を受け入れようと思う。』
『っ!?』
シルが唇を噛み締める。
『どうして?受け入れるの?クウはエンパシーに利用されているんだよ?神様の身勝手で生み出されて大切な人まで失って…その上まだエンパシーはクウに世界のために働けって…そんな理不尽を受け入れるっていうの?全部神様が悪いのに!』
『ありがとう。シル。けれど、俺が行動しなければ俺のように大切な人を失う悲しみを持つものが増えてしまう。それに、神獣だって何らかの理由があって神創世界を訪れている筈だ。』
琴亜は泣いていた。謝っていた。自分が殺した俺に向け涙を流していたんだ。
『………』
『その連鎖を止めたい。それができるのは選ばれた俺だけなんだろう?なら、俺がやるさ。』
『それがクウの意思?』
『ああ、そうだ。』
迷いなどない。目的は見つかった。俺は無月との過去を…思い出を取り戻す。
『クウは…強いね。神様と違って逃げないんだね。』
悲しみの表情の笑みを浮かべ瞳に溜まった涙を拭う。
『神様?』
『私はクウの力になる。クウの願いは私が全て叶える。あなたが望むこと全部。クウが心を求めるのなら私はあなたに心を、身体を求めるのなら身体を捧げる。』
感情の泉を背にシルは俺を見据えた。
『汝は…何を求める?』
シルの雰囲気が一変する。威圧的で全てを包み込むような気配。これが、シル?
『…俺は…力が欲しい。無月との思い出を取り戻せるだけの力が!』
俺はシルにそう告げた。
『そう…』
シルの腕が俺の首にまわる。
『なら、力をあげる。』
重なり合う唇。シルとの接触部を通して何かが流れてくるのを感じた。
『だから、いつか、私を…』
最後の言葉は聞き取ることができなかった。