~感情が集まる世界~
俺は死んだ。その日は、人間だった俺【天季 空】の世界が終わり、世界の使者となり新たな命と役目を与えられた俺、クウとしての世界が始まった日。俺にとって始まりの…いや…運命の日になった。
朧気ながらも意識が覚醒する。俺は、どことなく見覚えのある部屋の中心でただ佇んでいた。
ここは?どこだろう?
涼しい…いや、むしろ寒気すら感じている。冷房の電源は点いていない。窓も閉めきっているのに。今は冬だっただろうか…そんな筈はない。今は真夏で日中の気温は30℃を超える。夕陽が射し込む時間になっても汗が滲み出る。
ならば、なぜ寒気を感じるのか?簡単だ。それは、俺の思考が暑さを完全に忘れ、恐怖心に支配されているからだ。思考は自分自身の身に起きた出来事と目の前の状況を冷静さを失いつつある頭で必死に分析し理解しようと稼働していた。しかし、到底理解できる筈もなかった。認めてしまう訳にはいかないから。状況から導き出された答えは1つの 現実 に辿り着き嘘であってくれと願う心理を 逃げ に使う余裕すら容赦なく奪い去った。
異常。それが俺が導き出した答えだ。
部屋には静寂さを打ち消すように俺の心臓の鼓動だけが高く鳴り響き続けている。この部屋には俺以外の人の気配はない…が…あったのだけは解る。少なくとも俺の他に1人、さっきまで部屋にいたんだ。つまり、部屋には2人いた。1人は、今、床を見ている俺。そして、もう1人は…
その時、あることに気がついた。
『俺は…誰だ?』
そう、俺は記憶を失っていた。何も覚えてはいなかった。気がついたら、この部屋にいて床を見ていたんだ。違う…正確には床に倒れている少女を見ていた。長い黒髪が力なく無造作に乱れている少女を。
『嘘だろ…何だよ…これ?』
俺は、今、言葉を発したのだろうか?声にならない声で呟いた言葉は記憶を失っている俺に現実を突きつけた。この状況は記憶のない俺にも理解る。目の前の光景は、俺の日常にはなかったもので、俺が住んでいた世界からは余りにも、かけ離れているということが。
赤…視界には赤が広がる。
鉄…鼻には部屋に充満した鉄臭さが残る。
少女の胸から流れ出ている赤い液体は、その身体を中心に広がり着ている衣類と俺の足下を濡らしていた。
ふと、自分の手から感じる違和感に気がついた。
濡れていた。
見ると、床に広がる赤い液体と同じものが手を染めていた。
少女の顔を見る。その顔には見覚えがあった。記憶には無いが知っていた。しかし、それだけだった。どこかで見た。ような気がする程度の知っているである。だが…
『む…無月…』
自然に口から出た言葉は震えていた。少女の目に残る涙の跡。少女は死ぬ間際に泣いていたんだ。無意識で無月と呼んだ少女を見ていた俺も知らず知らず涙を流していた。胸が締め付けられるような感覚と、悲しさと切なさが心にのし掛かる。
ああ…なんとなく解った。俺は、俺にとって、とても…とても大切な人を殺してしまったんだ。
徐々に思考が薄れ、意識が闇に沈んでいった。
◇
その日の朝は、目覚まし時計が鳴るよりも5分ほど早く目が覚めました。神経質な私【篝 無月】は、寝坊防止の為に、いつも目覚まし時計を2つセットし起床時間の5分前と10分前に予約時間を合わせます。
『んっ…っと…』
まだ鳴らない目覚まし時計の予約を解除。カーテンを開けると朝の日差しが部屋全体に突き抜ける。
差し込む光に目を細めながら窓を開け空気を入れ換えます。
最近、何だか嫌な夢ばかり見てしまい余り眠れません。
ですが、今日に限ってはそのようなことはなく熟睡できました。頭もすっきりしていて、とても良い目覚めです。
『良い夢見れたな♪』
最高の気分でした。夢の中の私は、大好きな幼馴染みの男の子の彼女さんになっていて、手を繋いだり、デートしたり、甘えてみたり、その…ちょっとエッチなこと…してみたり。
『はあ…現実でも彼女さんになりたいな。』
彼は、なかなかこの想いに気づいてくれません。
『鈍感なんだから。』
制服に袖を通しながら、ふと、近頃見る夢のことを思い出しました。
赤く染まった視界。胸から伝わる違和感。胸に 何か が突き刺さっている感覚。込み上げてくる嘔吐感と、全身の力が抜けその場に倒れ込む衝撃。
床は私の体から流れ出た赤いもので真っ赤な水溜まりができています。
そんな横たわる私の姿を彼が見下ろしています。涙を流しながら…。
私は彼に必死に何かを伝えようとしている。
そんな夢を見るんです。
最初は数ヶ月に1度位の割合で見ていた夢だったのに、だんだんと見る回数が増えていき、今では毎晩のように見るようになりました。
夢の最後に私は彼に対して、いつも、『アナタは独りじゃない』と言い残し、そこで目が覚めるのです。
『あの夢はいったい何なのでしょう?』
着替え終わった私は、彼と自分用に朝食とお弁当を作るのが毎日の日課です。もう10年近くにもなる変わらない私の1日の始まり。
『できました!』
愛情という調味料を大量に使ったお弁当の完成です。彼の好みの味は完全に把握しているので、味の調整をしつつ健康的な栄養バランスを10年かけて研究した究極の料理です。全ては彼に喜んで欲しいから…。改めて考えるとちょっと恥ずかしいですね。
完成した朝食とお弁当を持って女子寮を後に、彼の住む男子寮に向かいます。
私たちの通う学園は全寮制で、学園内には学生寮が密集した区画があり、学生たちは各々に与えられた部屋で生活するのです。学園側が支給するのは、主に授業で使う教科書や筆記用具など、それ以外のことは生徒の自主性に任せられています。食事や生活用品は生徒手帳の提示により購入することができます。購入はポイント制で毎月一定額のポイントが支給され、更に学園や都市への貢献度によって加算される制度です。つまり、ここ界星都市は、お金は全てポイントによるやり取りで行われます。因みに、バイトは自由です。
あ、それともう1つ。この学園には、星天会と(せいてんかい)と呼ばれる生徒会があって私は、そこの会長さんだったりします。星天会の仕事は一般の生徒会と同じく学園の雑務などが主な仕事ですが、1つ、学園と都市の間で選ばれた者たちで構成され、ある任務を与えられた組織でもあります。その任務とは…。
『えっ!?』
男子寮の敷地内に踏み入れた瞬間、眼前に広がる赤い世界。誰かが、私の胸を刺している。重い痛みと呼吸のできない苦しさが襲いかかり視界が歪む。その場に膝をついた。
『これって夢の…』
現実と夢が混ざり合い混乱と恐怖が一気に押し寄せる。徐々に現実が夢の映像を打ち消し通常の視界が戻る。いつの間にか、痛みと苦しみは消えていた。
『何!?今の…今のって私の夢だよね?』
震えが止まらない。妙にリアルな映像と感覚。今ならはっきり認識できた。あの夢は私の…私の…死…。
『私…死んじゃう…の?』
恐怖心から涙が流れ落ちる。怖い。もう嫌だ。自らの肩を抱きしめ座り込む。さっきの映像には、夢と同じく彼が目の前に立っていた。すごく悲しそうに泣いていた。
『ダメ!忘れなきゃ。』
考えちゃダメ。このままじゃ彼に気付かれてしまう。心配させてしまう。自分に大丈夫と言い聞かせ周囲の状況を確認する。幸いなことに、まだ朝早い時間帯だった為、人の気配は感じなかった。
朝の早い男子寮に倒れている女子生徒会長。学園側に知られたら大変なことになる。最悪、立ち入ることができなくなってしまう。誰にも見つかる訳にはいかない。
そうだ。きっとさっきのは気のせいだ。偶然、悪い夢を思い出しただけ。だから、大丈夫。所詮は夢の出来事。心配することないよ。気持ち切り替えなきゃ。
ふらつきながらも彼の部屋の前に着く。彼に預かっている合鍵で部屋へと入る。これも会長特権というやつです。気持ちは落ち着きを取り戻している。彼に気付かれることはない…筈。彼は妙に鋭いところがあるから安心できない。
『おはよう…ございま~す。』
音を立てないように静かに彼が寝ている寝室に入る。ベットで気持ち良さそうに寝息を立てて眠っている彼の顔を覗き込み、そっと手を握った。
『うん…安心する。それに…かわいい。』
温かく大きな手を握っていると不思議と先程の恐怖心が和らいだ。
彼の頬を指でつつく。眉間にシワを作り寝返りをする彼に思わず笑みがこぼれてしまう。
『大好き。』
大好きな彼が昔と変わらない寝顔のまま目の前にいる。そのことが嬉しくて、彼と一緒にいることが私の安らぎになっている。
『これからも…ずっと一緒にいようね…』
彼の唇をそっと指先で触れ、その指を自分の唇に当てる。体が熱くなる。
『ん…』
『っ!?』
びっくりしました。彼は再び寝返りをすると反対側を向いてしまいました。あらら…もう少し楽しみたかったのに。ふふ、もう少しだけ寝かせてあげましょう。
名残惜しいけれど、寝室を後にキッチンへと向かいます。容器に入れておいた朝食を温め直し、その間にお味噌汁を作ります。
チンッ!とレンジが鳴り、温め終えた料理をお皿に盛り付けていきます。
食事をテーブルに並べ終え、そろそろ彼を起こす時間になりました。
『そろそろかな?』
彼を起こしに再び寝室へ。
『失礼しまーす。』
先程と同じように寝息をたてている彼に優しく声をかけます。
『朝ですよ。起きて。』
数回揺すると、ゆっくり瞼を開ける彼。目を擦りながら上半身を起こし大きな欠伸を1つ。子供みたいな彼の行動1つ1つが小さな時の彼の姿と重なり思わず笑ってしまいました。
あの頃から変わってないんだ。
と、どこかホッとしている自分が少し恥ずかしくなって彼から目を反らしてしまいました。
『はあ~おはよう。無月。』
『はい。おはようございます。』
閉ざされたカーテンと窓を開くと、朝の涼しい風と太陽の優しい光が部屋を突き抜ける。
『朝ごはんできてるよ。早く着替えてね。』
『ああ。ありがとう。』
『いいえ。先に戻ってるから。』
『わかった。すぐ行くよ。』
それから彼と2人で朝食を食べ、他愛のない会話を楽しんだ後、食器の片付けをしながら彼の準備ができるのを待ちました。
『………』
待っている間、彼に今朝の不思議な出来事を話そうか悩んでいました。今思うに、あれは明らかな 死 のイメージでした。言葉では言い表せない重い感覚。とても、信じてもらえる話ではないと思います。でも、彼は信じてくれるでしょう。信じて、それで心配してくれる。そして、彼なりの解決案を提示してくれると思います。
『やっぱりダメ!心配させられない。』
彼に、これ以上負担をかけられない。
『無月?どうかしたか?』
『っ!?』
いつの間にか準備を整えた彼が隣に立っていました。不安が顔に出ていたのか心配そうに覗き込んでいます。彼の表情を見ていると、心配させる訳にはいかないと決心がつきました。
『具合でも悪いのか?』
『何でもないよ。それより準備できたの?』
『ああ。いつでも行けるよ。』
『そう、それでは学園へ向かいましょう。』
エプロンを脱ぎ捨てカバンを取る。
『無月、何かあったのか?』
『ッ!何にもないですよ!心配し過ぎです!』
鋭すぎます。これでも必死に隠しているのですが、彼は昔からそう、他人の嘘を見抜く能力が異常です。
『そ、そうか。なら良いんだが。』
話を反らしたくなり、彼の手を引き学園への通学路を歩く。
彼の右側が私の定位置。ずっと変わらない私の居場所。今日もいつもと変わらない風景をいつもと変わらない歩幅でいつもと変わらない彼と一緒に歩く。いつもと変わらない毎日に幸福を感じながら流れていく風に身を任せた。
突然、彼が歩みを止めた。
『どうしたの?』
『何か懐かしいな。』
彼が私の顔を覗き込む。
『昔から一緒にいる筈の無月なのに、今日は凄く眩しく見える。まるで、初めて出合った…あの日みたいに感じる。』
『どういうこと?』
彼が困ったように頭を掻きながら言う。
『いや、変なこと言ったな。忘れて。』
『そうです。変ですよ。』
この時は、気が付きませんでしたが。彼は、もしかしたら いつもとの違い を感付いたのかも知れません。私には変わらない日常の1コマでしかなかった。ですが…今日を、彼は異常に感じたのかもしれません。昔から突然、不思議なことを言ったりする彼。ですが、必ず言葉は的を射ている。その彼の一言が私にあの夢を思い出させた。
学園に着くと私は星天会室に用を思い出し彼と別れました。彼とは同じ教室ですが、一時的とはいえ別行動することは寂しさを感じます。
星天会室には星天会の副会長である 鳴宮 奏さんが資料の整理をしていました。
『奏さん。おはようございます。』
『おはようございます。会長。』
『あ!ごめんなさい。体育祭の資料の整理を、あなた一人に任せてしまって。』
『いいえ。会長。これくらいなら私一人で十分です。それより、今日の放課後に時間はありますか?そろそろ、体育祭の日程を決めないといけません。』
『そうですね。では、今日の放課後に星天会のメンバー全員で会議を行いましょう。』
『はい。召集は私の方で行いますので、会長は時間になったら来てください。あの方と昼食を食べた後でも構いませんので。』
いたずらっぽく微笑む奏さんの一言に私は顔が赤くなるのを感じた。
『もう、奏さん!』
『ふふふ、会長は反応が可愛いですから、つい…』
奏さんが立ち上がり鞄を手にする。
『もう少しでチャイムがなります。教室に戻りましょう。』
『そうですね。』
奏さんと一緒に教室に向かう。彼女とは隣のクラスであるため並んで歩く。その間、奏さんにからかわれ続けるのでした。
『無月。』
本日は午前中のみの授業のため、お昼前には放課後になりました。
彼と中庭で昼食のお弁当を食べ終えた後、彼が私を呼び止める。
『一緒に帰らないか?』
彼の申し出は素直に嬉しかった。
『ごめんなさい。今日は星天会で大事な会議があるの。夕食は作りに行くから先に帰っていて。』
『そうか、わかったよ。頑張れよ、会長さん。』
少し残念そうに言いながら、優しく私の頭を撫でる彼。気持ち良さに思わずニヤけてしまう。
『そろそろ行きますね。』
『ああ、また後でな。』
私はそこで彼と別れた。これが、生きていた時の彼との最後の会話。今にして思う…もっとお話、したかったな…と。
星天会での会議が終わり、帰り道に商店街で夕食に使う材料を買う。その足で彼の部屋に向かいます。生徒会のみに与えられる学園内全ての部屋に入ることができるマスターキーで彼の部屋に入室する。もちろん、彼の許可は貰っているし学園の許可も得ている。
『あれ?まだ帰って来ていないのかな?』
時刻は16時を過ぎていた。きっとどこかに遊びにでも行っているのでしょうか?
『どこに寄り道しているのか?』
では、彼が帰って来る前に夕食の準備を済ませておきましょう。彼の好きなモノをいっぱい作って喜ばせてあげます。
その時でした。
『え?』
突然、背後に感じた気配に振り向いた。驚きました。そこには、見覚えのない少女が立っていたのです。
『あ、あなたが、…か、彼の…もっとも…大切な…人…ですか?』
この人… 神獣 だ。
『あなたは誰ですか!?それに彼っていうのは!?』
不思議な服装で獣の耳と尻尾が生えた少女。何よりも彼女の全身から放たれる異様な空気が彼女が神獣だと告げていた。
私を見つめる虚ろな瞳からは彼女の思考は読み取ることができない。
『ぐっ!?』
突然、胸部を重い衝撃が襲う。
『ご…めん…な…さい…』
体の中を貫いた異物が引き抜かれる。途端、全身の力が抜けその場に倒れ込んだ。倒れる瞬間、異物の正体が私の目に映った。異物は彼女の手。私の血で真っ赤に染まった。彼女の手から腕にかけて桃色の花びらが舞っていた。
視界は赤に塗り潰される。世界が赤で包まれた。
この感覚には覚えがあった。そうだ。何度も…何度も体験した、あの夢だ。夢は現実となったのだ。
『貴女は…どうし…て…』
何で…どうして私がこんな目に合うの?どうして、目の前の少女は泣いているの?
何もかもが理解できない中、不自然で決定的な感覚に襲われた。それは、急激な痛みと寒気。全身から力が抜け落ちたように身体の自由が効かなくなる。
これは、死の感覚だ。これが夢であるならば、この時点で目が覚めるだろう。だが、悪夢は目覚めることなく現実を私に突き付けた。
苦しい…怖い…痛い…寒い…辛い…
赤い世界が光を失い視界が黒いカーテンで覆われたように何も見えなくなった。黒く、暗い。
私…死んじゃうの?
薄れ逝く意識の中、私は…
『もう一度だけ…彼に…会いたい…』
と強く願った。