子供が欲しい
子供が欲しいと思う時、人はどんな感情だと思われますか?
え、そこから?という話ですが、生き物である以上誰もが一度は考える本能的且つ社会的な自己実現の一つですから、けっこう大切な考察ではないかと思います。
しかし、皆さんご存知の通り「子供が欲しい」という欲求に対しては、男女で多少の温度差がありますよね。特に若い時ほど。
そこでまず書いておきたいのは、男性と女性では物事の捉え方がかなり違う件についてです。男女は脳の仕組みからして違いますが、具体例も沢山目にしたことがあるかと思います。言葉の使い方、五感の受け方、嘘のつき方や励まし方なんかも違ったりしますよね。そして、女性の方が圧倒的に感情で物事を判断します。男性とは違い、私的な場では論理的に頭を使って話すということがまずありません。
もちろん例外や程度の差はありますが、良くも悪くも男性より感情に振り回されやすいのが女性なのです。
よく例えに出されるのが、失恋です。男性の方が終わった恋をいつまでも引き摺り、女性の方が意外と切り替えが早い、なんて言いますよね。これは、感情を押し殺すのに長けた男性よりも、感情を小出しに出来る女性の方が後々前向きになりやすいよ、というだけの話ですが、こと子供に関することとなると、それこそ本能レベルで女性は無尽蔵とも思える様々な感情を流し続けます。
「子供が欲しい」という理由は、それぞれです。本能、体裁、老後の心配・・・しかし、女性が「子供が欲しい」と思う時に一番胸の内を占める感情は、孤独や不満です。
幼少期における家族との関係不全のために、拒食症に悩まされるのは圧倒的に女性が多いのですが、これが幼少期の孤独や不満に関係していることは明らかで、愛情を求める行動にも性別によって特徴があると言えます。
では、愛情の正体とは一体なんでしょう。
よく、母の愛は無償であるなどと言われますが、愛情を与えたいということは、同時に愛されたいということに他なりません。
子供は純真無垢であり、子供の母親に向ける愛情は、むしろ無償とは正反対のところにあります。生きていくため、寂しくならないために、世話をしてくれる人に愛着を持つよう本能が判断しているのです。そしてその揺るがない愛着の向く先に、自分がいたいと女性は無意識に思う。そして、その愛しい子供に愛情を注ぎたいのです。
女友達や恋人に対しても、女性は「自分だけを見て!」と思います。それは執着であり、依存であり、同時に愛情に変わるものでもあります。
可愛らしいものを見て、胸がキュンとなる・・・いわゆる「萌え」の状態とは、「愛しい」ということです。そして、愛しいものが去った時、喪失感という名の孤独がやってきます。ーーそう、愛しさと寂しさは 表裏一体で、「子供が欲しい」と切に願う時、感情の波の中で生きている女性ほど、寂しさを感じているのです。
そしてそこに、タイムリミット(卵子は産まれた時から老化を始めますし、閉経という生殖器官の限界もあります)や社会的圧力が加わると、大混乱に陥る人もいます。
孫を欲しがる両親に、友人の妊娠。さぁ自分も!と思ったものの、それを望まぬ職場。
不妊治療に関しては、詳しい内容は書きません。様々な書籍も出ていますし、主旨がずれてしまいますから。
しかし、先に述べた「子供が欲しい」という欲求は、不妊治療を続ける中で心をボロボロにしていきます。
誰もが小さい頃、「自分を見て欲しいのに、お母さんは自分を叱る!きっとお母さんは自分を嫌いなんだ!」といった類いの、泣きたくなるような思いをしたことがあると思いますが、不妊治療とは、この心が張り裂けそうな心理状態が継続するということです。もちろん皆さん大人ですから、歯を食いしばり、時にはその感情を閉じ込め、自分自身さえ騙して生活していることもあります。
「自分は子孫を残せないかもしれない」、その大きな不安は、パートナーがいる人ほど強く打ちのめしにかかりますが、これについては女性に限ったことではありませんね。もし自分に原因があるのならば、感情を自覚するのが苦手な男性の方が、むしろ追い込まれるかもしれません。
そういった苦境を乗り越えていく課程で、一番の障害となるのは、やはり周囲の反応です。
みんなが小さい頃の自分の孤独な記憶を掘り起こし、それを対人関係に活かす余裕と想像力があったならと、心から思います。もちろん、私自身も含めて。
また、自分に子供が出来なかった時、もしくは考えたくもないですが、自分の子供が目の前からいなくなってしまった時・・・その時には、辛すぎて忘れてしまった幼い頃の体験を乗り越えて生きてきた自分の存在を、まず認めてあげることから始める必要があります。自己肯定感こそが最大の救世主ですから。
少子高齢化の現在、今は他人事な若い世代も、必ず自分自身の子孫問題にぶつかる時が来ます。その時に、子供が出来ようが出来まいが、孤独と向き合い耐性をつけることで、少しでも葛藤が減ることを願っています。