9.債務釣果
俺たちは待ち合わせ場所を管理所の前と決めて、別れた。
黒川は管理所に戻って服を着替えるらしい。
その間、俺はテントの様子を見て回ると言っておいた。
黒川が見えなくなったところで、ログハウス横の物置に置いてある釣り道具を取り出す。買ったばかりの新品、釣竿は3本買っておいた。一本は大物 を釣る用の太い奴。海までいかないと必要ないか。
先に、値札やシールなどをはがしていく。
釣りには詳しくないが、子供のころは親とよく行っていた。仕掛けは全部親が作っていたので、記憶を探りながら準備していく。
川釣り入門の本もある。
代表的な魚の種類や、仕掛けの解説が載っているやつだ。
ルアーは使ったことがないので、今日は使わない。
竿、糸、数種類の重り、ブイ、エサ、バケツ、クーラーボックスを用意する。
保冷剤はもう溶けかかっている。エサも量がないが、なくなればミミズとかで問題ないだろう。
「準備は、こんなもんか」
必要なものはあらかた準備したので、不要なものを倉庫に押し込んでいく。鍵をかけ、荷物を背負う。
黒川のところに行くのはまだ早いかと思い、タバコに火をつける。
テントの前にあるベンチに腰掛け、空を見上げる。
(ほんと、あいつどうしようか……)
考えてもいいアイディアが浮かばない。
正直なところ、あまり彼女をどうこうしたくはなかった。
あいつも、独りで生きて行くつもりだったのかもしれない。
大人で男、金もあり、車なんかもある俺がその邪魔をするのは気が引けた。
っていうか、なんで一緒に釣りに行くことになってんだ?
今日初めて会った奴だってのに。
と、そこで黒川が歩いてきた。
「遅い! こっちから来ちゃったよ」
女の着替えとか準備とかって、もっと時間かかるもんじゃなかったか?
黒川は手を大きく振りながら近づいてくる。
下からスニーカーにジーパン、上は襟付きのシャツを着ている。
そして頭には、麦わら帽子をかぶっていた。
麦わら帽子を見て、頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。
「そんなもん、持ってたか?」
「……そういや私の荷物、把握してるんだっけ」
黒川が渋い表情を見せた。失言。
「これ、管理所にあったんだ。蟻対策」
帽子のつばをつまみながら、黒川は答えた。
なんとなく得意げな感じである。
確かに、麦わら帽子は上が広いし有効そうだ。
「いいんじゃないか? 山の中ではそれずっと付けてろよ」
可愛いとかおしゃれとかは思わなかった。
ゴム手袋にマスク、首にはタオルを巻いてるからだ。
田舎のおばあちゃんスタイル全開である。
「釣り道具、ここにあったの?」
「前に来たときな。あいてるテントの中に置いておいた」
無駄に嘘を混ぜてみる。
振り返りながら、背後のテントを指差す。
「あそこに多少の器具なら置いてある」
「ホント?」
黒川はテントの中に飛び込んでいった。元気なことだ。
テントの中に置いてるものは、優先順位の低い物か大きいものだ。消耗品は少ない。例え黒川に利用されても、大きな問題はない。
というより、よく考えれば食料さえ消費されなければいいのだ。器具を持ち逃げする必要なんてないだろうし。
「他のテントは死体だらけ、管理所やログハウスは蟻の住処」
「だよね。さっき管理所に行ったんだけど、蟻がホントにたくさんいたの! 今のところは大丈夫だけど」
テントの中から黒川の声が聞こえる。
もう毒に侵されてるかもな。
中に置いてある器具がよくわからなかったのか、黒川はすぐにテントから出てきた。
「川はここからどのくらいかかる?」
「歩いて10分ぐらいかな?」
「近いな」
タバコの火を消し、携帯灰皿に突っ込む。
ベンチから立ち上がり、クーラーボックスを肩にかける。
「これ、あたしが持って行っていい?」
黒川が釣竿を指差す。最近の釣竿は軽いし、別にかまわない。
「落としたりして壊すなよ」
「やたっ」
こいつは釣竿を運ぶことが嬉しいのか?
黒川は釣竿を持ち上げ、それを肩で支えた。
「思ったより、軽いね」
「最近のは、そうみたいだな。それは短いタイプだしそんなもんだろ」
「ふーん」
「で、どっちだ? 川沿いを歩けばいいのか?」
「あの細い道を歩いて行けばすぐ着くよ」
と、ログハウス裏手の遊歩道を指差す。
「ふーん。じゃあ、行くか」
「りょーかい!」
そう言って、二人して歩き出す。
こいつマジで元気だな。さすが女子高生。
そこまでウザく感じないのが奇跡だ。
自分が前を歩く。時々後ろにいる黒川を振り返り確認しながら歩く。
いきなり脇道にそれられたら面倒だ。
黒川は左右をキョロキョロしながら、元気よく歩いている。
俺はなんとなく小さくため息をし、前に歩き続けた。
目的の川にはすぐに到着した。川幅は4から5メートル程度。
しかし深さも1メートル以上、場所によってはもっと深そうだ。
思っていたより小さな川だったが、魚はいそうだ。
川の流れは早くない。浮き釣りの道具しか持ってないので助かった。
遊歩道の途中で川を横断する小さな木製の橋がかかっている。
橋というか、大きく頑丈そうな板が固定されているだけだ。
橋の上からなら、上に木もないし蟻の心配も少なそうだ。
ちょうど橋の真下は深くなっている部分なので、橋の上から釣りをすることにする。
「ここから釣るか」
そう言って荷物を下ろす。
「黒川は釣りの経験は?」
「全くのゼロっ」
元気のいい答えに無言でうなずいてやる。
黒川が下した釣竿をもらい、仕掛けを作っていく。
ブイから下が長すぎると、川底に針が引っかかってしまう。
逆に短すぎると、魚は釣れないだろう。
親の仕掛け作りを手伝った記憶を掘り起し、作業をしていく。
それなりのものが一本できたので、釣竿を黒川に渡す。
「エサはそれだから」
そう言ってクーラーボックスを顎で指す。
黒川は釣竿を受け取り、クーラーボックスを開けた。
「うへぇ……」
案の定、エサを見て黒川は呻く。女の子らしくない呻きである。
「それを針につける。エサの二か所に針が通るようにしたら、あとは川に投げるだけだ」
海釣りしかしたことがないので、個人的には仕掛けを投げずに落とすというのも違和感がある。
「うわぁ……、りょーかい……」
そう言うと、意外にも黒川はエサをしっかりと付け出した。
(女ってのは、大体こういう時キャーキャーうるさいもんだが)
エサを付けて? なんて言われてたらイラっとしていただろう。
黒川はエサを付け終わると、「よしっ」と声を上げ、川に糸を垂らした。
そしてクーラーボックスからエサを外に置き、中身のなくなったクーラーボックスに腰かけ、じっとブイに目を凝らして動かない。
経験者かと思わせる淀みない動きだ。
恐らく釣り番組とかの真似をしているだけだろうが。
「これからどうしたらいいの?」
やはり、形から入ってみたのだろう。
「ブイが動いてもじっとしとけ。ブイが水中に完全に引っ張り込まれたら、とりあえず竿を上に向かって立てろ。そのあとリールを回せばいい」
適当に指示しておきながら、2本目の仕掛けを作り始める。
黒川はブツブツと俺の指示を復唱している。
ちょうど二本目ができた時、黒川から声がかかった。
「ねぇねぇ、ブイが、なんか動いてるんだけど!」
「とりあえず小さな声でしゃべれ。魚が逃げる」
そう言ってブイに目をやる。ブイがぴくぴく動いてる。
よく動かずに我慢した。
「俺が合図をしたら、釣竿を上に向かって立て上げろ」
「う、うん……」
今は魚がエサを突っついているだけだ。口に咥えないと針は引っかからない。
「…………」
「…………」
二人してブイの動きに注目する。
と、ブイは突然水中に引っ張り込まれた。
「今!」
「うん!」
黒川は返事をすると、勢いよく竿を立てた。
仕掛けが短いし、勢いが強すぎたので糸の先端まで川からすっぽ抜けた。
しかし、その先には魚がしっかりとついていた。
黒川は驚いて硬直している。
「リール。竿を傾けずにゆっくり回せ」
「……あ、うん」
黒川はやたら慎重にリールを巻いている。
俺はその間に、自分の竿のリールにバケツを引っ掛け、竿を逆向きに川に伸ばし、川の水を汲んだ。
バケツの水に蟻は浮かんでいない。
魚はすぐに水揚げされた。
その魚を針から外し、バケツに放り込んでやる。
川魚についてはあまり詳しくないので、本で種類を探してみる。
黒川はその間、バケツの中で泳ぐ魚を見つめながら、
「おぉぉ、うおぉぉお」
と小声で呻いている。
種類は、多分これだというのが見つかった。
「多分、フナだな。このキンブナってやつっぽい」
「フナかぁ」
準絶滅危惧種と書いてある。
俺たちの腹の中で生き続けるといい。
「よーし、もっと釣るぞ!」
そう言って黒川は新しいエサを針に付けだした。
黒川は元気がいい。
俺も少しは釣らなきゃな。
そう考え、針にエサをつける。
なんとなく、眩しく見えた黒川から目を離しながら。
…………
結局、3時間もすると黒川も俺も飽きてキャンプ場まで戻ることにした。
釣果は、最終的に6匹。
小さ目の魚ばかりだ。
初めてにしては本当によく釣れたと思う。
ビギナーズラックというやつだったと思う。
これから、黒川はこの危険なキャンプ場に住み着くのだろうか。
その時、俺はどうするのだろうか。
考えても仕方のない。名案など浮かばない。
しかし俺の前を元気よく歩く黒川が持つバケツの中では。
一際大きい金色のフナが、美しく輝いていた。
その光景は、得体のしれない何かを俺に感じさせていた。