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8.効用原理

 キャンプ場にはすぐについた。


 テント付近まで近寄ると、その外観から中がどういう状態になっているかを予想することができた。

 大量の虫が、テントの布にぶつかっている音。

 大量の虫が、テントの布に張り付いている影。


 何よりも、その臭いがひどい。

 人が猛烈に嫌悪感を感じるような臭気。

 何かが腐っている。それに、虫が群がっている。

 そんなテントがいくつか密集して集まっている。


 ひどく嫌悪感の沸く光景である。


「……中は、以前一応確認した。もう見たくないけどな」

「…………おぇ……」


 黒川が口を手でおさえ、川の方まで走って行った。

 見えないところで吐けとは言ったが、川を汚されるのは微妙だ。


 川の水は、安全ではない。

 よく観察したらわかるが、「蟻」が結構浮いているのだ。

 毒素は100倍近い水などで薄まると、その効果はほぼゼロまで落ちるらしい。

 しかし、手で水をすくいあげたとして、その水の中に蟻がいたら薄まり切らないかもしれない。


 山の中で吐けと言いそうになったが、近寄りたくないのでやめておく。


 すぐに戻ってきた。

 口周りが濡れている。

 口をゆすいで、ついでに水もたくさん飲んだのだろう。

 次は、腹が減ったとか言い出しそうだ。


「おかえり」

「ただいま……」


 気分の悪そうな口調で答えてくる。

 なんとなく、ちょっとだけ苛めたくなる。


「とりあえず、朝飯でも食べるか? パンならあるぜ」

「ご飯の話は…………やめてよ……」


 ま、そうだろうな。


…………


 テントから離れた集会所のような場所で、ひとまず休むことにした。

 適当なベンチに、並んで座って休む。

 ご飯の話は……とか言っておきながら、俺が渡したパンを普通に食べている。


 俺は自分の食べる分を渡してしまったので、仕方なくタバコに火をつける。


「ここに住むことはお勧めできないな」

「…………う。」

「ってか、その制服」


 チラッと黒川の脚とスカートに目をやる。

 黒川は迷惑そうな表情をして、スカートを手で押さえる。

 少し元気がなさそうだ。


「何よ……」

「地肌をさらすとか、無防備すぎる。街中でもヤバイってのに、山の中でそれはねぇよ」

「一応、そのくらいわかってるわよ……」

「…………どうだか」


 おそらく、楽観的に考えていたのだろう。


 しかし、全部のテントの中には、合計して少なくとも十数人の死体があった。

 あれを見て、山の中で暮らそうとは思えないはずだ。


「でも、街の方には帰りたくないよ…………」


 泣きそうな声で、言われた。

 理由とか、あるんだろう。

 悲しいこととか、あったのかもしれない。

 でも、俺とは関係ない。

 だから、俺からしたらただの駄々っ子でしかない。


「知るかよ。他の町にでも引越せばいいだろ?」


「それは……嫌なの……」


「じゃあ、どうすんだ? まぁ事情は知らんが、ここで暮らすってんなら、心配はしてやるが止めはしねーよ」

「…………」

「すぐ死ぬとは思うけどな」

「……」


 会話が止まる。


 俺もいきなりまくしたて過ぎた。これではすぐには帰ってもらえない。

 少し、結果に焦ったような会話の進め方だったかもしれない。


 黒川は俯き、パンを食べる手が止まった。

 俺はかまわずタバコを吸い続ける。

 このまま話題を進めても、いい方向には進まないだろう。

 景気悪い表情で話すのも飽きたので、軽い話題に変えることにする。


「にしても、今日はいい天気っすなぁ」


 タバコの煙を太陽に向かって吐き出す、

 太陽は迷惑そうに、俺に向かって日光を叩き付ける。

 休日の昼ってのは、こうあるべきだよなぁ。


「ねぇ、真面目に考えてる?」


 黒川は少し怒った風に、横でリラックスする俺をにらんできた。


「考えてねぇよ。俺が黒川のこれからについて考えても仕方がないだろ。それよりこんないい天気の日は釣りでもするかなぁ」


「釣り? 食料の確保するの?」


 こいつはまだここに住むことを考えているのか?


「あんな小川じゃ、まともな大きさの食べられる魚は釣れねーよ」


 ログハウスの横の小川は、本当に小さな水路でしかない。

 飲む水には困らないだろうが、魚なんてメダカみたいな大きさの奴しかいないだろう。

 でも、サバイバル生活といえば川で釣りである。

 黒川のことは置いておいて、俺は釣りがしたかった。


 黒川は顎に手をやり、少し考えるそぶりを見せた。


 (どうかしたんか?)


 それを横目に、タバコを吸い続ける。

 タバコを吸い切ったので、地面に落とし、足の裏で火を消した。

 この世の中、ポイ捨てなどもはや関係ない。

 昔は携帯灰皿なんかを持ち歩いていたが、今はどこに捨てようが誰も何も言わないだろう。と思っていた。


 と、黒川はいきなり俺の足元に屈んで、俺が潰したタバコの吸い殻を拾い上げ、俺に吸い殻を向けて言った。


「ポイ捨て。よくないよ?」


 (……こいつ、マジか)


 言われると思っていなかったことを言われ、少し衝撃を受けた。


「…………あぁ。そうだな」


 驚きながらも、吸い殻を受け取る。

 見た目はギャルであるが、中身は意外に真面目か?


 上着のポケットをあさると、以前から入れたままになっていた携帯灰皿があった。その中に吸い殻を押し込む。


 見ると、黒川の顔は少し明るくなっていた。


「ここから小川の上流に少し行くと、少し広い川があるの。知ってた?」


 ……どうやら、キャンプ場には以前来たことがある様子だ。

 近頃は学校の研修などでキャンプ場へ行くことが多い。

 俺は実家が遠いところにあるため、このあたりには詳しくない。

 地元の人間なら詳しくて当然か。


「……知らなかったよ」

「釣り道具とか、持ってる?」

「……道具自体は持ってきてる。釣りは中学の時以来してない」

「充分!! ねぇ、釣りに行くんでしょ? 一緒に行かない? 私、釣りとかほとんどしたことなくて……」


 経験はあんまりないって言ってるのだが。


「ちょっと待てよ。釣りは別にいい。いや、良いか悪いかだと良くないが、その前にお前これからどうするんだよ。そっちが先だろ?」


「また『お前』って言ってるよ。これからのことは、さっき言った通りだよ。ここに住む」


「いや……、蟻のことはどうすんだよ」

 思い通りに事が進まない。少しイラつく。


「蟻のことは……ひとまず忘れる!」

「はぁ? 忘れるって……」

「服は着替えるよ。蟻のことはちょっと甘くみてた。だから、ね?」

「ね? なんだよ」


「釣りに連れて行って! お願い!」


 そう言うと黒川は、両手をバシッと合わせて、俺に向かって懇願のポーズをとった。

 俺は神でも仏でもねーよ……

 思わず、あきれたような表情をしてしまう。


「ちょっと考えさせろ」


 そう言って、少し考えることにする。

 なんとなく、黒川のペースに乗せられている感がある。


 こいつを街まで無理やり連れて行く事は容易い。

 しかし、俺が保護者面して「山は危ないから」と街まで連れて行くのは気持ち悪い。主に俺が。ついでに説得も面倒だ。反発してくる可能性も高い。


 無理やりの線は今は考えないでおく。騒がれてもいやだ。


 黒川を説得することは、難しい。

 はっきり言って何を考えてるかわからん。


 ふと、黒川の方を見ると、意外におとなしく待っている。

 パンの残りを両手で持ち、チビチビ食べている。


 それを見て、少し懐かしいような気分になる。


 (そう言えば、人と話すのも随分久しぶりだ。)


 人というのは、やはり人を求める。

 どんな人間だろうと、独りは嫌なのである。


 (俺はその点、独りでも割と普通だが……。)


 久しぶりに人と話して、あまり嫌な気分にはなっていなかった。


 よくよく考えると。

 そもそも、このキャンプ場に固執することはないし、現状は自宅に帰っても問題はない。

 こいつか例えここに住み着いたとして、1人ではすぐに死んでしまいそうだ。それを待ってここに移るのも構わない。

 どうせ一週間もしたら、例の親子の状況を見極めるために、数日街に戻ることになる。


 (俺の蟻への耐性がバレることについては……。)


 あまり心配はないだろう。

 そもそも、こいつ一人では山を下りるのは時間がかかる。

 俺という物的証拠を持って役所や研究施設にでも行かなければ、まともに取り合ってくれないだろう。

 それにいざとなれば。


 (蟻を使って)


 悪魔のような考えが浮かぶ。

 頭を軽く振って、考え直す。

 流石に、意図をもって人を殺したくはない。

 だが、本当に自分自身に危険が迫れば……やるしかないかもしれない。


 第一、数時間一緒にいたところで、バレるとは思わない。

 俺は見た目は完全防備にしている。

 この長袖を堂々と脱げないことは、この暑さでは問題ではあるが。


 ……とりあえず、決めた。

 俺も元から釣りをするつもりだった。

 川の場所も教えてくれるという。


 なにより、これから黒川がどうするかという動向は知っておきたい。

 ほんとに住むというのなら、俺が買ってきたものや貴重な備蓄品は触れないようにしておきたい。

 どこに住むのか、どういった行動をするつもりなのか、知っておきたい。


 いつの間にか黒川はパンを食べ終わり、俺のことを見ていた。

 俺はその視線に気づき、心の中で溜息をつきながら、答えた。



「…………さっさと着替えてこい」

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