7.経過措置
タバコに火をつけたら、少し落ち着いた。
すぐ近くに置いていた自分の車の中から、ペットボトルのお茶を2つ取り出し、ドアの前で待機する。
5分もしないうちに、女は出てきた。
先ほどは焦っていてよく見ていなかったが、結構な綺麗どころである。
女にしては背は高いし、目鼻立ちも整っている。化粧のおかげって感じでもない。
割と華奢な体だが、出ているところは出ている。そんな体型。
ちなみにポニーテールはほどいていた。女はやっぱり髪の量が多いな。
(その体型の、どこからあのスピードを出した……?)
先程やられたビンタを思い出す。少しイラッとしたが、自分が悪かったのだ。
というか、般若のような顔をしているので、可愛いのか可愛くないのかもよくわからなくなる。
ひとまずペットボトルを投げて渡し、言った。
「さっきは悪かったな」
女は、ペットボトルを片手でキャッチしながら答えた。
「……それはもういいわ。私もあそこに勝手に侵入してたし。っていうかこのお茶、変なものとか入ってないでしょうね?」
「貴重なお茶にそんなもん入れねーよ」
そう答えると、女はペットボトルを開け、中身を確かめもせずに飲み始めた。
いい飲みっぷりである。
今は起き抜けだろうし、昨日は疲れていたのだろう。
半分ほど飲み干したところで、ようやくペットボトルを口から離し、言った。
「で?」
で? と言われてもな。
話す内容が即座に考え付かない時、人はこういった形で相手に会話の主導権を渡すものだ。
ちょうどいいので、いくつか質問することにする。
「俺の名前は白沼……」
「っていうか、あんたさっき一つ嘘言ったわよね?」
とりあえず質問の前に自己紹介しようとしたら、遮られた。
目上の俺に、なんたる無礼であろうか。
っていうか嘘だと? 嘘ならたくさん言った気がするが……。
どれだろうな。
答えに窮していると、彼女は続けた。
「あんた、学校の近くで何回か見たことあるわ。会社帰りって感じのスーツで。このキャンプ場は、私があんたを見かけたところと駅から逆方向なん だけど?」
スパッ言われた。
まさかの個人特定。
チッ、目立ち過ぎたか……。とかくだらないセリフが浮かんだ。
確かに俺はこの付近に住んでいるとは言った。
車で40分ぐらいなら「付近」と言っても、そこまでおかしくはないだろう。
いやおかしいか。
「ここには昔から時々来てたんだよ。そこまで離れてるってわけじゃないしな」
「……まぁいいわ。で?」
で? と言われてもな。2度目なので少しイラつく。
「俺は白沼路人。25歳。会社員。家は確かにあの駅の逆側だ」
「私は黒川由紀よ。高校生。……知っているんだろうけど」
もういいって言った割には引きずってくるな。生徒手帳くらい別にいいだろ。
っていうか俺は「元」会社員だった。よく考えると今は無職だ。
「俺はここを住む場所の一つとして候補に入れてる。……電気やガス、いつ止まるかわからん。もしかしたら、自然に還って自給自足の生活をする必 要もあるかもしれんからな。で、お前は?」
「……あんたに言う必要、ある?」
「…………別に、ねーよ」
まぁ、言いづらいことなんだろう。無理やり聞いたところで、答えてくれるとは思わないし、そこまで興味もない。
ただ、生意気だとは感じる。
「この辺はある程度調べた。わかってることは、人の死体と大量の蟻がいるってことくらいだ。住環境自体はそこまで悪くないけどな」
「…………」
「……お前の寝ていたあの建物、普通に蟻の巣、あるぜ。」
「……」
「よく感染しなかったな。いや、もう感染しているのかもしれんが。」
「……」
不安を煽ってみる。
黒川は少し青ざめたような表情をしている。
このまま適当に会話して、町まで送ってやればミッションコンプリートだ。
「……お前って呼ばないで。もう一度言うけど、名前は黒川由紀よ」
「お互い様だ、黒川。俺は白沼路人だ」
「白沼……さん。お願いがあるんだけど?」
意外なことに「さん」付けで呼んできた。
ただし、言葉の節々から生意気な感じが伝わってくる。
「お願い? ふもとまで車で送れとか?」
そうだったら嬉しい。
「違うわ。ここの情報、もっと教えて。私、ここに住むことにする」
予想の真逆だった。
そして、俺からしたら最悪な回答だった。面倒だ。
「……いや、さっきも言ったが、蟻がたくさんいるぜ? 街の中とは比べ物にならん。この奥はもっとやばい。キャンプ場あたりは、蟻でひどいことに なってる」
「じゃあ奥には行かない。この建物に住む」
「ここに住むって……。食料とか、あんのか?」
「ないわよ。バックの中身、見たでしょ?」
「何食って生きてくつもりだよ」
「それは……。魚、とかよ」
「…………」
街にはどうしても戻りたくない。そんな意志を感じる。
黒川は下を向き少し考えているそぶりを見せると、顔を上げて言った。
「白沼さん、ここに住むことを考えてるって言ったわよね。考えていた、じゃなくて」
「……んなこと、言ったっけか」
「今日ここにいる理由は何?」
「……荷物を取りに来たんだよ」
「……ねぇ、この奥にホントに蟻、いるの?」
疑われている。
俺は実はもうここに住んでいるのだろうとか。
実は住みやすくて、他の人が邪魔に思っているとか。
なら、あのテントと死体を見せればいい。
少なくとも、奥に来ることはなくなるかもしれない。
ただ、ログハウスの中はは見られたくない。
木でできた建物だから、蟻の住処になっていて近づけない。
理由はこれで行くか。
「じゃあキャンプ場、行くか?」
「やっぱり行けるんじゃない」
「行けるさ。道は割と整備されている。ただ、住むとなると話は別だ」
「じゃあ行くわ。案内してよ」
やはり生意気だ。
「……わかった。ついてこい。腐って虫が湧いてる死体とか、たくさんあるからな」
そう答え、手招きでついてこいというジェスチャーをして、歩き出す。
「え?」
「腐って虫が湧いてる死体だよ。絶対、テントや建物の中には入んなよ」
黒川の方を振り返りながら、答えた。
黒川は少しの間放心していたが、慌てたように俺についてきた。
歩きながら、会話をする。
歩きながらの会話は、精神的にいいものらしい。
自然に体がリラックスして、相手との距離も縮まる。
ナンパの極意は、歩きながら話すことと聞いたことがある。どうでもいいことだが。
「腐った死体って……グロい? ねぇ、グロいの!?」
「グロい。吐き気しか浮かばばない」
「あぁ……」
黒川は完全に血の気が引いているような表情をしている。
追い打ちをかけるか。
「何より、死体に虫が大量に湧いてるのが気持ち悪い」
「虫」
「蛆とか、蛆が孵化したやつとか」
「蛆」
「変なところに手を突いたりするなよ?蛆の卵が手につくからな」
「卵」
黒川は真っ青の顔で、俺の言葉を反芻するだけになっている。
自分の足で歩いてついては来ている。自分の目で確認はするつもりなのだろう。
「……冗談よね? 誇張してるのよね?」
「…………」
「なんとか言いなさいよ! 初めて会った人間を怖がらせて楽しい!?」
初めて会った人間にホイホイついてくる奴のセリフか。
「どうでもいいけどよ、吐く時とかは、俺に見えないところでよろしく」
「なんで……私が!! うぅ……」
心なしか小さくなってしまったように見える。
事実だから怖がらせたってわけでもないんだが。
「こんな時、タロウがいてくれたら…………!」
お? 彼氏の名前か?
それとも怪獣を倒す特撮巨人マンNo.6の方か?
まぁ聞いてほしくて言ったのかわからないが、男の話だろうから乗ってやる。
怖がらせた謝罪の意味で。
「タロウ? 彼氏?」
「人じゃないわよ。
……すごくね、強いの。困った時には、いつも助けてくれるの」
まさかの答え。
人ではない。強い。頼りになる。
例の特撮巨人マンしか浮かばない。
あまりの怖さに幼児退行してしまったか?
それともそっちに詳しい人か?
というか、余程タロウを信頼しているのか、雰囲気が柔らかくなっている。
そっちのが可愛いからいつもそうしろと思う。
喋っている内容はアレだが。
「実在してねーじゃん」
「確かにもういないけど……。こんな時はいつも、私に寄り添って元気づけてくれたの」
昔はいたのか。
それならこの「蟻」も怪獣の仕業なのかね。
というか「寄り添って」ってことは、彼女役か何かになったつもりなのか。
「好きだったのか……?」
「うん、大好きだった」
「…………」
「タロウも私のこと、大好きだったのよ」
「…………そうか。よかったな」
あぁ……。
……もはや何も言うまい。
このようなご時世、正気を保てなくてもおかしくはない。
「白沼さんも、タロウ見たでしょ? 可愛かったでしょ?」
「いや、実物は見てないからなんとも……」
「そうよね! 実物はもっと可愛かったんだから!」
なぜかテンションが上がっている様子だ。
実物って。
流石に見たことない。
しかし、自分が本当に好きなものの話題を話すことは、精神健康上いいのだろう。
その話の内容が何であれ。
心なしか、先程より俺との距離も少し縮まっている。
割と俺のすぐ後ろを歩いている。
俺のことを警戒してたけど、タロウの話題でどうでもよくなりました。って感じか。
「でもね、タロウはね……」
と、ここで少し黒川の様子が変わった。
「私のお父さんとお母さんが殺したの」
急に話の方向が変わる。
そして俺の頭は混乱する。
「…………マジか」
「そう。写真、見たでしょ? 私の親、あいつらは両方とも、家を放り出して知らない人と不倫してたの。それで、全然帰ってこないから、私もタロ ウも食べる物とかなくて」
「それは……つらいな」
「タロウは体も大きいから、水だけじゃ足りなくて……。私はなんとかお爺ちゃんに助けてもらったんだけど、その時タロウはもう限界で……」
「…………」
さすがに気付いた。
多分あの写真に写っていたゴールデンレトリーバーの話だ。
3分を越えたのかとか考えてた。
タロウにカップラーメンを作ってあげたが、完成したころには既に食べられる状態ではなかったのだとか。
特撮は関係なかった。
思っていたのとは違った話なことが判明し、急速に冷めてきた。
というか、ほぼ初対面の俺にこんな話するか? 普通。
まぁ、家族とも仲がいいとは思えないし、この状況下では話し相手も少なかったんだろう。
「やめようぜ。嫌なことをわざわざ思い出すこともないだろ」
この話題を話すのが面倒になってきた。他人の傷ついた話とか、どうでもいい。
相手を思いやっているように見えて、遠ざけている。
そんな対応。
「そう……ね。いきなり変なこと言っちゃってゴメン」
「いーよ。俺も無駄に怖がらせちまったし。気にすんな」
「うん……」
割と素直に謝るんだな。
まぁ、どっちでもいいけど。
両親の話題を聞いたら、町に戻るように説得する手がかりが掴めたかもしれないが、あまり突っ込み過ぎても聞くのが面倒だ。
「……」
「……」
お互いに、なんとなく気まずくなった。
そこからキャンプ場につくまで、俺たちは無言で歩いた。