57.誘導尋問
男は少し周りを気にするそぶりをしつつ、どこかへと歩いていく。
俺はその後方30m程の距離から、その男を尾行している。
頭では危険だとわかっていても、体がそれを止められそうもない。
事実、ここで軍が何かをしようとしているのは確定的だ。
しかもその参考人が目の前に居て、危険だからと去ることのできる人間がどれほどいるだろうか。
自分なりの警戒の意味も込めて、少しずつだが相手との距離を開けていく。
二重尾行なんて関係ない世界の話だと思っていたが、自分が見られている可能性も考慮に入れ時折周囲を見渡す。
なんの訓練も受けたことのない俺のその動きは、理にかなっているのか、逆に怪しいだけか。それすら判然としない。
やがて男は一つの建物のドアの前に立った。
5階建てのビル。一階は駐車スペースで、上の方は何かの事務所のようだった。
駐車スペースには普通車が置いてある。
男が周囲を見渡しながら建物の中に入っていくのが見えた。そのまま内部の階段を昇っていく音が聞こえる。
もしかしたら中には他に数人の仲間がいるのかもしれない。
ひとまず建物だけでもわかったので、多少距離をとって近くの民家に勝手に入り込んで休息をとる。
一応男の入った建物を窓から見ることのできる場所だ。
短い時間だったが、正直慣れない尾行のような動きで疲れてしまった。
手元に飲み物が一つもないことに舌打ちしつつ周囲を探るが、口に含めそうなものは何もなかった。
仕方なく適当な椅子に座り考える。
場所はわかったからと言って、突入したり近づいて盗み聞きなんて不可能だ。
食料すらない状況で長時間の観察も不可能。
一度キャンプ場に戻ったとして、その間に拠点を移されたり行動を起こされたら意味はない。
溜息を吐きつつ例の建物を眺める。
窓は全てブラインドで内部が見えなくなっている。
屋外に緊急用と思われる階段が一つあり、その他の出入り口はエントランス部分しかない。
裏には行っていないが、一つくらいは裏口があるだろう。
どちらにせよ2階に行くには二つの階段のどちらかを昇る必要がある。
タバコに火を点け思考を巡らすが、相手から安全に情報を奪えそうな方法は思いつかなかった。
そのまま何の気なしに立ち上がり、窓から建物の周囲を見渡す。
それは偶然だろうか、神のイタズラだろうか。
俺の目に映ったのは、遠くの方から道路を例の建物の方向に向け歩く女3人組だった。
女は3人とも縦にも横にもデカかった。
その顔には見覚えがある。
随分前に、駅近くのビルで男女のカップルを殺していた奴らだった。
その図体のデカさに、つい相撲の格付けをあだ名として付けたような記憶がある。
横綱とかなんとかだ。
チラリと建物の方に目を向けるが、外からは何のアクションも見えない。
アクションを起こさせることができたら、あるいは何らかの情報を得るタイミングが訪れるかもしれない。
(使えそうだな)
その女3人を利用することに決めた。
軍人相手に運悪く命を落とすことがあっても、人殺しなら相応の末路だ。
現在の俺の所持品は、木の実のことについて書いてある本一冊、銃は残弾が一発、それと飴の入った袋のみ。大したものはない。
俺の存在も、可能なら知られたくはない。時間もない。
(さて、どうするか)
その女たちは武器のような棒以外は特に何も持っていなかった。
学校に置かれた物資も手に入れてはいないと考えられる。
食料をどの程度ため込んでいるかわからないが、目の前にある物資は殺してでも奪うような奴らのはずだ。
以前横綱達が行った所業から、奴らは人の居る場所を襲うことを生きる術の一つとしていることは明らかだった。
つまり例の建物に人がいることがわかれば、横綱達はそこに向け動く可能性がある。
咄嗟には一つしか方法が思い浮かばなかった。
成功するとは思えないが、少なくとも馬鹿みたいな方法は思いついた。
横綱達が近づいてくる前に急いで民家を出て、身を隠しながらとりあえず例の建物の入り口付近に向けて低空で小さな飴袋を投げてみた。
4つ程投げると、そのほとんどが入口の周辺に散らばった。一つだけが路地裏にまで転がってしまったが。
死角から低空で投げたため、横綱達は俺の動きに気付いていない。
身を隠しながら投げたため、建物からも見えていないと思う。
この方法が成功する可能性は微妙だ。
しかしもしこの方法が成功したら、俺は間違いなく爆笑する。
なんとなく成功するような気もしたので、声を出さぬように腹筋に気合を入れておく。
一応二次案も考える。
女3人が建物の前を通り過ぎた後、飴玉でもなんでも建物に向け投げて物音を立てる。
これでどちらかがリアクションしてくれればいい。
俺の存在に気付かれたら、しょうがない。全速力で逃げるだけだ。
退路にも目を向け、軽く道を脳内でシュミレーションしておく。
そのまま、建物の方角に向け歩く女3人に注視する。
建物の前を通らなければ意味はないが、その心配は必要のないものだった。女たちは進路を変えていない。
感覚的に数分にも感じられる時間、息を殺しすぐに動けるように腰を落とす。
女3人が、建物の前を横切る。
女3人は建物入り口付近で、その足を止めた。
一番デカい女が腰を落とし、地面に落ちている飴袋を拾い上げた。
俺の腹筋は少し引きつりそうになる。横綱が飴玉に釣られた。
そのまま3人は笑顔になり、建物の入り口を指差して少しの間話し込み、周囲を軽く観察してから建物に入って行った。
自分で仕組んだことだが、奇跡だと思った。
たかが飴の数袋で、奴らは釣られて建物の中に誰かがいると思い込んだのだろう。
確かに、真新しい飴袋が建物の入り口に散乱していれば疑うことはあるだろう。
建物も、実際に人が出入りしているような痕跡があるのだろう。
それでも飴で俺の意図する通りに動いてくれたことに驚愕する。俺は腹筋に力を籠め、なんとか笑うのを堪えた。
少し長く息を吐き深呼吸をして、なんとか自分を落ち着かせる。
これから建物の内部では何らかの動きがある。それを注視する必要があった。
俺は女3人が階段を昇り見えなくなったことを確認し、急いで大回りに建物の横まで移動した。
今なら多少は侵入者に注意が向いているはずだ。
建物の中で何らかのアクションが起こるのを待つ。
ついでに、持っていても荷物にしかなりそうにない本をその辺に投げ捨てる。
そういえば、桑水流に怒られそうなことをまたやってしまった。
危険に飛び込んだ上に、女3人を嵌めて軍人とぶつけようとしている。
女3人が死んでも自業自得だとは思うが、桑水流は俺に怒るだろう。
人を襲うために建物に入って、相手が強くて死んだとして。
それは当事者の責任だ。俺は飴を投げて少し誘導しただけだ。
それでも怒られるだろうから、俺はなかなか行動を縛られているなと思う。
考え事をしていると、突然建物から大き目な音が鳴り響いた。
扉を蹴破って無理やり開けたような、そんな音だ。
音に合わせて俺も身を低くして耳を澄ませる。
すぐに複数人の怒鳴り声と叫び声がいくつか耳に入ってきた。
聞こえるかもしれないと思っていた銃声は聞こえない。
顔近くを飛び回っていたうっとおしい蠅を手で振り払い、音に集中する。
次に聞こえてきたのは、ドタドタと階段を急いで降りるような複数の足音。
すぐさま建物の入り口が視界に入る様に位置を移動する。
移動して身を潜めると、すぐに女3人が建物から転がるように出てきた。
随分と焦ったような面をしている。
それもそのはず、そのすぐ背後からは軍服を着た男が2人、女たちを追いかけていた。
建物の入り口から出て数m離れたところで、女3人は男に捕まった。
捕まったというより、背後から接近され柔道のような技で投げられていた。
足の速さも筋力も桁違いなのだろう。ついでに、もう片方の男は腰だめに銃を構えていた。
その姿を見ながら、どうするかを考える。
これから女3人と軍人との会話で有益な情報が出るかと言われれば、出ないと思う。
尋問でも始まればいいが、女3人がさくっと殺されれば俺の出る幕はない。
建物を見上げるが、侵入するのは危険すぎる。
アクションは起こさせたが、それでもできるのは状況を注視するだけだ。
男達は女3人に質問を始めた。質問内容がよく聞き取れない。
片方の男が喋り、もう片方の男は銃を構えて微動だにしない。
そのうち尋問になるかもしれない。
そう思ったところで、建物から3人目の男が出てきた。
その男は痩せた長身で眼鏡をかけ、白衣を身にまとっている。
恐らく年齢は50代以上だ。
軍人のような雰囲気もなく、何かの訓練も受けているような印象もない。
白衣の男は腕を組んで建物の壁に寄りかかり、軍人2人と女3人を眺めている。
しかしすぐに飽きたように、足元に落ちている俺の投げた飴を拾い上げて片手で弄び始めた。
白衣を着ているのだから、研究者か何かだと思う。
軍人と一緒に危険区域に来ているのなら尚更だ。
可能ならこいつから情報を聞き出したいところだ。
白衣の男は周囲に散らばる飴の袋を拾い上げ、興味深そうに何やらしげしげと見つめている。
ハッカ味の飴が珍しいのだろうか。
そのうち男は俺が投げ損ねた路地裏の飴に気付き、そこに向かって歩き出した。
路地裏は軍人からは死角。
行動を起こすなら今しかない。即断して急いで移動する。
危険ではあるが、軍人に見つかった時は逃げればどうにかなると思う。
距離があるし、ここは遮蔽物の多い町だ。
さらに、この騒ぎでも軍人は2人しか出てきていない。もし白衣の男の護衛だとしたら、逃げる相手を無理に追うこともないはずだ。
相手をすべき女3人もいる。人手不足だ。
希望的観測だと思う。
それでも、目の前の白衣の男は多くの情報を持っていそうだった。
北での出来事もそうだが、例えば、何故エリシュカが感染しなかったかを知っているかもしれない。
見逃すことはできない。
建物の反対側を移動し白衣の男のいる路地裏へと向かう。
角から顔を出すと、白衣の男は飴を拾いながらこちらに背を向けていた。
胸元から銃を取り出し、静かに接近する。
身をかがませている男の頭に、少しの距離から銃口を突きつける。
「動くな、銃で狙っている」
「!」
自分で思っていたより、冷たい声が出た。
白衣の男ははじかれたように顔を上げ、俺の方を見ようとする。
後頭部を手で鷲掴みし、その動きを無理やり止める。
「声を出したら殺す。勝手な事をしたら殺す」
「……」
まるで銀行強盗か何かのセリフのようだ。
そんなよくあるセリフだからこそ、俺の舌はよく回った。
「立って、俺の指示通りに歩け」
「……馬鹿な」
男が声を上げたので、ゆっくりと銃のハンマーをスライドさせる。
静かにカチャリと響く小さな音に、男は身を竦ませた。
本当はスライドさせるのを忘れていただけだ。
「歩けよ」
低い声で小さく呟く。
その声に男は時間を掛けてコクリと頷き、立ち上がった。
何も言っていないのに、何故か男は両手を上にあげていた。大抵の人間は反射的にそうしてしまうのかもしれない。
その男の背中を銃で押し、無理やり歩かせる。
その場に響くのは、軍人が女3人に向けて吐く声だけだった。
男の足は、震えていた。
銃で狙われているのだから、当然だ。この男は軍人というわけでもなさそうだった。
ただ、俺の足も多少震えていた。
危険すぎる橋を渡っている自覚があった。
準備もなく、無謀なことをした自覚があった。
しかしもう戻れない。
俺の知りたい情報源が目の前にあり、俺を止める人はここにはいない。
3人がいたら止められていた。それ以上に、3人がいたら彼女たちを危険に巻き込もうとは思わない。
そんな彼女たちとの平和な毎日は続かないと思っていた。
いつか何かが起こる。北での事も、それ以外のことであったとしても。
それなら、何か情報を手に入れるのは必要なことだった。
俺から平和な毎日を壊すようなことにならなければいいが。
男の背中を軽く小突きながら、軍人のいる場所から100m近く離れた適当な民家に入る。
リビングと思われる場所へと移動し、男をソファーに座らせる。
その男の背後から後頭部に銃を突きつけ、言った。
「知っていることを話せ」
「……何をですか」
「蟻の毒のこと、ここに軍がいること、物資のこと、全てだ」
軍人はすぐに気付くだろう。
仲間と思われるこの男がいなくなったことに。捜索も始まるだろう。
重要なことを聞きだし、男を適当な場所に閉じ込めてすぐに逃げるべきだろう。
俺の言葉に白衣の男はゆっくりと頷き返し、少し深呼吸をした。
その背後で、俺も聞こえないように小さく深呼吸をした。
「両手を後ろ手組め。組んだ手は動かすな」
リビングにはガムテープが転がっていた。
ちょうどいいのでガムテープを適当な長さに切り、男の両手を後ろ手に縛る。
足も縛りたいが、顔を見られたくないし男の正面には行きたくないので自重する。
目の前の男が全ての事を知っている可能性は少ない。
それでも、ここまで来たら聞くしかなかった。
目の前の男が、多くの情報を持っていることを願って。
「知っていることを、話せ」
先ほどと同じ言葉を、もう一度声に出した。
俺の声は震える代わりに、自分でも驚くようなひどく冷たい音になっていた。




