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54.想像限界

 俺は横山の不愉快そうな表情と共に、レトルトカレーを入手した。

 桑水流には既に知られているので独り占めはできない。桑水流と二人で山分けという案も浮かぶが、後が怖いのでやめることにする。


 昼前に神山の斑点は現れ、彼は力が入らないかのように臥せってしまっている。

 彼が死ぬ前に何か聞くことがないかと考えるために、桑水流にも先程聞いた話を伝える。

 焦っていない時の桑水流は頭の回転が速いという印象だ。


「……蟻を散布……ですか」

「十中八九、国の動きだとは思うけどな」


 桑水流と一緒に温野菜だけの弁当を軽くつまみながら思考をめぐらす。

 しかし桑水流の表情は芳しくない。一応彼女もワクチンには期待していたはずだ。


「正直なところ、理由も事実も、何も予測がつきません」

「だよな」


 桑水流も疑問ばかりが浮かび思考に収集がつかないのかもしれない。

 その疑問も神山によって解消されるようなものとは思えない。


「……重要なのは、北の動きが俺達に関わってくるかどうか、だな」

「そうですね。流石に今北に行くことはできませんし……」


 もし政府の意図が実験だとしたら問題はない。

 感染者を被験者として捕獲するため、などだ。

 しかし政府は放送によって民衆を北に集めていた。もし目的が暴動の鎮圧だとしたら、暴動を作為的に引き起こし、それを裏で操作することで収拾をつけたということだ。

 対象は暴動ではなく、全国から集まった民衆とその暴動の因子。

 つまり、北の安全圏以外に住む人間は既に国民ではなく、国にとって邪魔な存在ということだ。

 事態を掌握できる間に先に転がる暴動という芽を摘んだという考え方はできるが、それでは国は安全圏以外の国民を見捨てたと言っていい。


 国の行う暴動の危険排除がこれで最後なら問題はない。

 しかし、もしもう一度本州の人口を減らすことを考えるのなら……。

 東北に移動しようとする人間はもういない。だとすると、次は最も人口の多い地域。


「次があるなら、東京だな」

「東京、ですか」

「それ以外はないと思う。つまりこの辺りに来る可能性はある」


 現在の人口はどこが多いのかは知らないが、恐らくは自然が少なく元々人口の多かった東京だろうと思う。

 俺達にとって最悪のパターンだが、可能性は著しく低いとは言えなかった。

 もし安全圏の人間が不足した物資を手に入れようとするとして、物資が多くあるのは関東近辺だ。

 どちらにせよ、来ないとは限らないのだ。


 ヘリで蟻を散布したということは、蟻を大量に入手、もしくは養殖する手段があったということ。

 ヘリで散布したということは、既にその蟻のヘリでの運用方法は実用段階にあり、これっきりということはありえないということ。


 最悪を考えるのなら、明日関東にヘリが飛んできてもおかしくはない。

 もちろん、散布するのなら人がある程度密集していないと意味はないはずだ。

 一度に運べる量、散布できる量はそう多くはないだろう。


 ……少し、考え方が飛躍しているきらいがある気がする。

 推測は重ねるごとに想像に近くなってしまう。考えすぎかもしれない。


「……銃のことはどう思う?」

「……重火器がないというのは、白沼さんの言う通りよくわかりません。ただ数が多いというのは、誰かが配っていたとしか……」

「誰か、か。北海道の政府だったりしてな」

「……」


 冗談交じりに言ってみたが、事ここに至り、それすらあり得るように思えてしまう。

 神山の話では蟻の散布よりも、民衆がパニックに陥ったことにより放たれた銃弾で倒れた人間の方が多いといった印象があった。


 パニックを助長させるために銃を配った。

 その考え方も少し飛躍しているように思う。暴動鎮圧のために火器を配るなんて中東の戦争の一場面のようだ。

 流石に武器売買で儲けるなんてことはないだろうが。


「いずれにせよ、推測の域は出ないな」

「そうですね。それに、キャンプ場のような山間部は多少安全かと」


 国がいちいち東京まで来て蟻を散布する程の意味は現状見えなかった。

 最悪な事態を想定するのは構わないが、想像して恐怖するのは意味がない。


 一度溜息をつき、最後に残った温野菜の欠片を口に放り込む。

 軽く咀嚼して飲み込むと、桑水流はどこからか持ち出してきた水筒のコップを差し出してきた。

 中身は紅茶だ。気が利いている。


「旨かった。ごちそうさん」

「お粗末さまでした。」


 俺に返答してからテキパキとバスケットや水筒を片付ける桑水流の姿は、随分と奥ゆかしさを感じさせる。

 亭主関白にでもなった気分だ。

 それを嬉しいとは思わないが、2人も必要な作業でもないし手伝うのが面倒だった。


 片付けをする桑水流の綺麗な髪をボケッと眺めながら、神山にする質問は他にないかを考える。

 具体的な質問は浮かばない。今日限りという時間制限は実に厳しい。

 

 それ以上に気になるのが横山達の今後の動きだ。

 普通に考えるのなら病院からは動かないだろう。新しい住処を見つけることは困難だ。老体の横山と子供のソフィアがいるのならもちろんのこと。

 動く理由があるとすれば、他の男どもが復讐の意味合いで北上すること、東京より安全だと思われるどこかの田舎に移動すること。


 現状ワクチンは完成していないか、完成していても接種は困難なはずだ。

 それでもその影響で何か先走った行動をとることは考え難い。彼らが今日まで生きてこられたことは、それなりの慎重さを持っているからだろう。


 ひとまず今できることは横山達の動向の確認と、もし東京に北の連中が来た時の対策だ。

 キャンプ場に引きこもって置けば問題ないとは思うが。


 思索に耽っていると、いつの間にか桑水流は作業を終え、考えている俺の顔を緩やかな笑顔で眺めていた。

 その優しさを感じさせる表情に、一瞬戸惑ってしまう。


「……なんだよ」

「……いえ、白沼さんは危険の回避方法を真剣に考えてるのかなと」

「……そりゃな。ヘリに竹槍で向かっていくわけないだろ」


 俺はこれまでも危険の回避を念頭に考えていたはずだ。

 しかしそれで人を殺しまくっている事実があるので、危険に飛び込むような奴と思われているのかもしれない。


 当たり前だが俺は、桑水流と前に約束したように、誰かと殺し合いするような状況は避けることを考えている。

 というか軍隊とかに勝てるわけがない。

 情報を手に入れるために軍の施設に潜入、なんてとてもじゃないが不可能だ。


「……これからどんな問題が起こっても、絶対大丈夫ですよ」

「ん?」

「4人で力を合わせれば、何だって解決できます。白沼さんがいてくれれば、みんな頑張れますから」


 桑水流にしては楽観的な言葉だと思う。

 もしかしたら、桑水流は今回の一件についてはあまり心配していないのだろうか。


 いや、こいつは今サバイバルナイフを装備している。

 サバイバルナイフ装備で頑張ってもらっても困るのだ。


「……程ほどにしろよ」

「?」


 サバイバルナイフを隠し持っている桑水流は俺の返答に、よくわからないといった具合に小首をかしげる。

 別にいつも通りの可愛らしい反応だとは思うが、なんとなくいつもより妙な迫力を感じた。


……


 神山がもうすぐ息を引き取る。

 夕方頃に横山からそう連絡を受け神山のいる部屋へと向かった。

 少し早いなと感じるが、愛須唯や桑水流の母の例から、死ぬタイミングには大分個人差がありそうだ。


 桑水流とソフィアを別の部屋に置いて神山の部屋に入ると、既に俺達以外の人はそろっていた。

 ベッドで死にそうな表情の神山を、皆遠巻きに眺めている。


 息を引き取る前に聞きたいことは結局浮かばなかった。

 ただその姿を見ると一つ、質問を思いついた。


「神山」

「……なんだよ」

「お前は北での一件、どう思う」


 当事者の意見を聞いていなかった。頭の中で想像を含めて考えるしかない俺達とは違い、こいつは実際にその場を体験していた。

 その場の空気、音、感覚的にしかわからないことはあるのだ。

 先程は事実だけを話してもらったが、当事者の意見も重要だと思う。


「……あー、安全圏の連中は俺たちでなんか実験してたんじゃないか」

「……何故」

「なんとなく。ヘリの動きも、なんか俺らを観察してるみたいな……」

「観察?」

「なんとなくだよ。俺も周りの人間がバタバタと毒で死んで、自分が観察してたからそう感じてんのかね」


 大した意見ではないが、心に留めておく必要はありそうだ。

 俺の考えでは実験という線は考え難い。蟻の毒やその症状に何か変化はないだろうし、銃で多くの人が死んでいる。


 もし睡眠に陥っても死なないという俺のような人間を量産できるような毒の変異の実験であれば、もっといいやり方はありそうなものだ。

 この状況で人が死ぬことを良しとする理由があるとすれば、それは国がそのワクチンを隠したい場合などだが、それも変な話だ。


「……参考にする」

「そりゃどーも。喋るのも疲れた」


 それっきり神山は口を閉ざして、部屋の明かりが眩しいと言わんばかりに目のあたりを手で覆った。


 神山は、その後1時間もしないうちに、そのままの体勢で息を引き取った。

 その場の全員、何か特別なことを感じている様子はない。

 こんな状況、今の生き残りの人間からすればとっくの昔に慣れてしまっている。


 俺も慣れている。

 慣れているはずだが、こうも冷静になれない場合もあるのだろうと思う。

 3人のうちの誰かが死んだら、俺は冷静でいられると自信を持って言えない。

 関係ない、意味のない考えだが。


「横山、これからどうする気だ」

「……何も。ここから動くことも難しいの」

「そうか」

「これから何を希望に生きて行けばいいのかのう」


 横山は以前と同じようなことを言う。

 ただ以前よりは、その表情はマシなものだった。

 ソフィアがいるからだとは思う。つまり俺のおかげだ。


「俺達は拠点に帰る。動くつもりもない」

「そうか。近いのか?」

「まあな」


 キャンプ場のことを伝える気はない。

 ただ、次に横山のところに来るのはかなり先の話だと思う。

 今回の一件で、病院への用事は全て消化した。


 また病院に来るとしたら、事態が動くか、誰かが怪我をするか。

 どちらにせよ、そんな事態は起こって欲しくない。


「帰る。それじゃあな」

「うむ」


 お互い話すこともない。その短いやり取りで、俺は部屋の扉へと向かう。

 扉に手をかけたところで、横山から声がかかる。


「白沼」

「……まだなんかあんのか」

「儂の身に何かあったら、ソフィアのことを頼む」


 その言葉に、咄嗟に返答が浮かばない。

 これではまるで、横山がそのうち死ぬみたいだ。

 保険のつもりで言っているのだろうが、あまりいい響きの言葉ではないのだ。

 歳喰って爺さんになると、みんなこうなってしまうのだろうか。


「自分でどうにかしろよ」

「もしもの時じゃ」

「……前向きに検討しとく」


 玉虫色の言葉で回答を濁し、部屋を出た。

 横山の身に何かあったら、ソフィアの身も無事ではないだろう。

 俺にできることがあるとは思えない。


「頼んだぞ」


 扉から出ると、部屋の中から小さく横山の声が聞こえた。

 聞こえなかったことにできればいいのに。

 世話になった手前、あまり無下にもできないのも困りものだ。


……


 その後俺は桑水流と合流し、車に乗り込みキャンプ場へと向かった。

 彼女のその手には、レトルトカレーが大事そうに握られている。

 いい手土産ができたと思う。ただ、嫌な話も同時にお土産として持って帰る必要がある。


 そう言えば結局デートといった雰囲気はあまりなかったが、桑水流はそれでいいのかと思う。

 俺はデートで感染者に質問を繰り返し、その死を見届けていた。

 これがデートだとすれば、2人でいればなんだってデートじゃないかと思う。


「デート、楽しかったか」


 少し皮肉をきかせて桑水流にそう言うと、桑水流はピクリと体を動かして俺を見つめた。

 なんとなく嬉しそうな表情だ。


「はい、デート、楽しかったです」


 そう言われて、しまったと思った。

 俺は今までデートという単語を出していなかった。

 俺からすればただ病院へ用があったから行っただけ。

 デートらしきもの、なんて考えていた。


 しかしこの会話があった以上、今日の2人の行動はデートであり、俺がそれを認めた形となる。

 桑水流が嬉しそうな表情をしているのも、俺にそれを認めさせたか、一杯食わさせたことによるものだろう。


 桑水流を軽く睨むと、桑水流は涼しげに俺の目線を受け流した。

 そのままシフトレバーに乗せていた俺の手に、自分の手を重ねてきた。

 その感触に驚き、一瞬レバーを変に動かしそうになってしまう。


「またデート、しましょうね」


 桑水流の嬉しそうな表情に、俺は何も返せなかった。

 桑水流の表情は優し気で、魅力的で。

 桑水流の手は温かくて、いい肌触りで。抵抗する気もわかなかった。


 積極的な桑水流は、正直言って少しズルかった。

 俺は運転中、手をずっとシフトレバーに乗せている。それはすでに癖になっている。

 だからキャンプ場に着くまで、そこから手を離すことはできなかった。

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