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53.一知半解

 横山の後をついていくと、突然病院内に叫び声が響いた。

 横山も含めて全員の足が止まる。

 叫び声の内容は聞き取れない。ただ、誰かが暴れているような音が聞こえる。


 それでも横山は冷静だった。

 思えば、その男は感染しているとのことだった。既に何らかの方法で誰かが感染しないように隔離しているのかもしれない。

 暴れているのも、叫んでいるのも、そのためなのかもしれない。


「おい、大丈夫なんだろうな」

「……あの部屋からは出られんはずだ」


 横山は冷静だが、心底嫌そうな顔をしている。

 これから俺達はその男から情報を聞きだし、その男を閉じ込めたまま見殺しにするのだろう。

 その男が死ぬ間際に外に出たいと言っても、この病院の人間は聞き入れないはずだ。

 感染者を隔離するのは当然のことだ。


 もしかしたら、相当嫌な光景を見ることになるかもしれない。

 そう思うと、桑水流とソフィアにはその光景はあまり見せられたものではない。

 これから男の体には徐々に斑点が浮き上がる。それは気持ちのいい光景ではないはずだ。

 除け者にしたところで、桑水流はいい顔はしないだろうが、


 というかソフィアと言う名前を思い出す度に、その外見との不一致で吹き出しそうになってしまうのが困りものだ。

 人の名前は笑っていいことではないが、こればっかりは仕方ない。

 ただ、ちょうどいいのでソフィアをだしにしようと思う。


「綾乃、その子を連れてその辺の部屋で待っててくれ」

「……わかりました」


 桑水流は少し不満そうな表情だが、流石に子供を預かるという役割を任されては断ることもできなかったのだろう。

 一応桑水流に近寄り、小声で話しかける。


「今から尋問だ。一応その子にも素手では触るなよ」

「……はい。結果、絶対教えてくださいね」


 桑水流は有無を言わさぬような表情で俺にそう告げた。

 軽く頷いて答え、桑水流とソフィアが近くの部屋に入っていくのを確認して横山に向き直る。


「確かに、ソフィアには見せられんの。助かるわい」

「ああ。行くか」


 横山も普段とは違い真面目な表情になっている。

 俺以上に、横山からしたら北の情報は死活問題のはずだ。

 2人で軽く頷き合うと、男がいると思われる部屋へと向かった。


 その部屋の周りには、相田含めて3人が立っていた。

 一応顔見知りのため、片手を上げて軽く挨拶しておく。3人は俺を見て少し驚いた表情を見せるが、すぐに部屋の方へと視線を送った。


「神山が、あいつ、さっきから暴れてどうにも……」


 名前の知らない男が困った顔でそう告げる。

 神山というのが中にいる死にかけの男の名前だろう。


「時間は少ない。入るぞ」


 横山の号令にその場の全員が頷き、部屋の中へと向かった。

 俺はあくまで部外者なので最後尾だ。


 その部屋は、普通の病室のようだった。

 部屋の端に置いてあるベッドに一人の男が四肢を縄で縛られて動けないように寝かされていた。

 恐らく30代後半程度。その辺にいる営業のサラリーマンといった風貌だ。

 随分興奮している様子で、息も荒い。既に体力も落ちてきているはずだ。

 その男は血走った眼で入ってきた全員を見て叫んだ。


「横山! なんで俺が! 縛られてるんだ!」

「神山、おぬしが感染しておるからじゃ。自分でもわかっとるだろう」


 横山が冷静に応対する。

 俺がすることはほとんどないだろうから、気楽にその光景を眺める。

 気楽と言っても、一言一句聞き逃すつもりはない。


「……そうかよ! クソが!」

「ああ、おぬしも感染した者を今のように縛っていたはずじゃ。おぬしの番が来たということじゃ」

「……クソッ」

「儂らも情報が欲しい」


 その男は悪態をつきながら、息を盛大に吐いた。

 ほんの少し冷静になった感じだ。

 その期を見て、横山は早速本題に入る。いつ男が喋れない程に消耗するかわからない。


「北で何があったのか、教えてくれんか」

「……俺と一緒に居た奴らは、十中八九死んでる」

「……何が」

「あの日、関所の方からアナウンスがあった」

「アナウンス?」

「……今日、ワクチンの試験を行うってな」


 ワクチンの試験。放送では完成していたと言っていた。

 通常ワクチンなどは、試験を行ってから完成するのが常のはずだ。


「それで?」

「……その前に、手の縄をはずしてくれよ。もう暴れたりしない」


 横山は少しだけ考えるようなしぐさを見せ、横に居た別の男に何か指示した。

 男が手袋をつけたまま、神山の手縄を外す。神山は上半身ゆっくり起き上がらせて軽く体の調子を確認していた。

 足は未だに縄で縛られているから、問題はない。


「誰かタバコ、持ってないか」

「……」


 他の奴は持っていないようだったので、一本だけ取り出しライターと一緒に投げて渡す。

 神山はそれを軽く片手でキャッチし、手慣れた動作でタバコに火を点ける。

 そのまま胸いっぱいに煙を吸い込み、吐き出した。


「……臭いタバコだな、おい。

 ……さっきの続きだが、俺は一人で車に残り、他の奴らは関所に向かったんだよ。で、俺は一人車内で車番をしてた。そしたら騒ぎが起こった」

「騒ぎじゃと?」

「ああ、北の方からヘリが何機か飛んできた」


 男は少し記憶を探る様に虚空を眺める。

 このご時世、複数のヘリコプターを運用できるのは軍隊ぐらいだと思うが。


「ヘリはすぐにどっかに飛んで行ったから偵察かなんかかと思ってた。その後騒ぎが始まった。俺は駐車場の関係で関所から数キロ離れてたが、それでも聞こえたよ」

「聞こえた、というのは何じゃ」

「パニックになった多くの民衆が銃を乱射してた音だ。それもとんでもない数の銃声。銃声かどうかもわからないようなデカい音だったな」

「……」


 神山は随分旨そうにタバコの煙を吸い込み、吐き出す。

 病院内でもタバコを吸っていい時もあるみたいだ。

 神山の独白は続く。


「で、あとは血だらけの人間がたくさん俺のいた場所に逃げてきてな。銃の弾もバンバン飛び交ってたから、俺も慌てて南に向けて逃げたってわけだ」

「……そんなことが」


 神山は少し疲れたように息を吐き、ベッドへとゆっくり倒れこんだ。

 まだ聞きたいことがある。

 横山は黙って今の情報を咀嚼しているのだろうが、ここは勝手に質問させてもらおうと思う。


「それじゃ片手落ちだ。あんたなんで感染した?」

「……お前誰だよ」

「横山の知り合いだな」


 神山は俺に初めて気が付いたかのように目を顰めた。

 タバコをやったのは俺だというのに。


「……まぁいいさ。蟻は、帰ってくる途中にトイレに行った時にな」


 神山は少し恥ずかしそうだった。

 北では大問題があったというのに、自分はトイレで感染したというのはかっこ悪い。

 しかし俺もトイレで蟻に触れた経験があるので人の事は言えない。


「ただ、帰ってくる途中に嫌な話は聞いたな」

「嫌な話?」

「……ヘリが、大量の蟻を空からまき散らしてたってな」


 室内にいた全員の息遣いが、空気が変わった。

 ヘリが蟻をまき散らしていた。それは、虐殺と言っても差支えのない行為だ。

 全員がそのことを理解し、空気は重くなる。


「帰る途中、ヘリから降ってきた蟻の毒で起きなくなった奴が何人かいた。ああそれと、ヘリ以外の軍隊とかを見た奴は一人もいなかった。

 ……俺の知ってるのはそれくらいだ。他は、今考えれば銃の数がおかしかった」

「銃の数?」

「よくわからないが、北にいた連中ほとんどが持ってたな」

「……」

「それで終わり。質問とかある?」


 神山は面倒そうに室内にいた全員を見渡した。

 誰も質問は言えなかった。

 この情報は咀嚼するにしても、持って帰るにしても、その内容が大きすぎていた。

 何より、この話を聞いて横山たちの求めていたワクチンがあるとは思えない。


 少しの間沈黙がその場を支配する。

 そのことを確認し、神山は疲れた顔で少し寝ると告げて目を閉じた。


……


 俺は廊下のベンチに座り、少し頭を整理していた。

 ヘリコプターというのは十中八九国の、自衛隊のものだ。複数で北から来るならそうとしか考えられない。

 そのヘリが空中から蟻をまき散らしていたのなら、考えられる理由は二つ。


 蟻の毒を使った何らかの実験、もしくは関所付近の反乱防止だ。

 散布された蟻の毒で死んだ人間がいるのなら、例えば品種改良で無毒化した蟻を散布したという線はない。

 それにその後パニックが起こって銃で人が多く死んだのなら、実験は失敗のようなものだ。

 ストレートに考えるのなら、現状では後者がもっともらしい。


 関所付近の反乱と民衆の関所の突破を恐れて、その集団を蟻の毒で鎮静化させた。

 直接歩兵などを出さなくとも、もっとスマートなやり方がありそうなものだ。

 スマートでなくても、睡眠までの猶予を考えると爆弾でも落とした方が楽なはずだ。


 もう一つの大きい情報は、北では銃が多く存在していたということ。

 恐らく日本中から集まった集団が、途中で自衛隊の基地にでも寄って奪ってきたのだろうと思う。

 思うが、それなら重火器も多くあるはずだ。

 重火器を持つ相手に、関所越しでも蟻を散布するだろうか。その場合反乱は怖くないのだろうか。


 少し考えても、国の行動の理由や原因がわからない。

 国というものに対しては、メリットがあるから何かをするという考え方は通用し難い。

 入り組んだ事情のもと動くことが多いだろうし、どこかの一集団の思惑で動くことすらある。

 その行動によって想定されるメリットを考えるという、推測する側の最も容易い数式が通用しないのだ。


 こんがらがってきた頭を軽く振り、もう一度神山のいる部屋に入ることにする。

 気になった事は少ないが、重火器に関して聞きたいからだ。聞けるうちに聞いとく。

 横山たちは神山を残して緊急会議を開いていた。

 考えをまとめているのだろう。


 部屋に入ると、神山はお腹を押さえて疲れた表情をしていた。


「腹、痛いのか」

「……腹減ったんだよ」


 大した問題ではないので、無視する。

 あとで横山に伝えればいいだろう。


「聞き忘れてたことだ。北にいた集団が持ってた銃って何だ」

「銃の種類とか知らんよ」

「……重火器とか、マシンガンとか、そんな程度でいい」

「あー、何だったかな」


 神山は面倒そうに眼を閉じて思考に耽った。

 このまま死なないだろうなと少し心配になってしまう。


「……そういや、ロケットランチャーみたいなのはなかったな」

「ふーん。どんなんだ」

「普通の拳銃とか、ちっさいマシンガンとか、俺が見たのはそんなもんだ」

「……」

「そんなによく見てなかったからなー」


 重火器がない、というのは少し不自然だと思う。

 確かに重く嵩張るだろうし、弾も少ないだろう。それでも関所を破ることを考えるのなら持ってきて当然だ。

 わからないことがまた増えてしまう。


「腹減った。死ぬ前にカレー食いたい」

「……そんなもんねーだろ」

「たくさんため込んでたはずだ。横山のオッサンに伝えてくれよ」


 軽い頼みだが、これも死にゆく人の頼みだ。既に新しい質問も浮かばない。

 一応聞いてやろうと頷いて返し、部屋を出る。


 部屋を出ると、横山と桑水流、ソフィアがドアの前で話をしていた。

 全く横山はタイミングがいい。他の2人は何で居るのかよくわからないが。

 俺に気付いてこちらを向いた横山に、神山の要望を伝える。


「横山、あいつがカレー食いたいだと」

「……わかった」

「あるのかよ、カレー」

「……レトルトじゃが、それなりにな」


 カレーがたくさんある。

 俺は久しぶりにカレーにありつけることができる可能性に内心狂喜した。

 これでカレーを食べるタイミングは最期かもしれないのだ。逃すことはできない。

 考えるのも面倒な程にわけのわからない話の後だけに、少し腹が減ったような気もしていた。


「俺にもカレーくれよ。4つくらい」

「アホか。自分で盗ってこい」

「……」


 意味深な目線で、ソフィアを見つめてみた。

 横山には貸しがあった。返してもらうアテがあるのなら、その権利はさっさと行使すべきだ。

 ソフィアは俺の視線に不思議そうな表情を返していた。

 横山は俺の視線に気づき、苦い表情になる。


「……わかった。これで借りはチャラじゃ」

「オーケー。綾乃、今日の夕飯はカレーだ」

「ほ、本当ですか! いいのですか、横山さん!」

「……うむ」


 桑水流も嬉しそうな声を出してしまう。それほどまでにカレーの魔力は強かった。

 横山もこの桑水流の笑顔を見られるのならカレーくらい大人しく差し出すだろう。


 思わぬ戦利品に内心胸が躍る。

 桑水流も嬉しそうな表情で胸が躍っているようだった。


「白沼さん! カレーですよ! みんな喜びます!」

「……そーだな」


 桑水流はあまりにも嬉しそうなので、冷静になって少し引いた。

 俺と桑水流のその会話に、横山は怪訝そうな表情になる。


「みんな? 二人だけではなかったのかの?」

「私と、あと2人同じくらいの歳の女性がいますよ」


 止める間もなく、桑水流は正直にこちらの現状を喋ってしまった。

 そう言えば横山は黒川とエリシュカの存在を知らないはずだ。

 相手が横山であっても、できるだけこちらの情報は隠しておきたかった。

 どこから話が漏れるかわからないし、それでまた暴漢が来たら目も当てられない。


 ただ横山はその言葉を聞き、怨嗟の籠った目で俺を痛烈に睨んだ。


「……その子たちも、可愛いんじゃろうな」

「はい。2人ともとっても美人ですよ」

「ほう」


 桑水流がまたもや口を滑らせた。

 横山の視線がどんどんきつくなっていく。

 この目線は怨嗟などではなく、嫉妬だ。


 その悔しそうな横山の表情が面白かった。

 その顔をさらに歪ませるために、無意味に優越感溢れる薄い笑みと共に勝利の言葉を返しておいた。


「3人とも、ちょっと見ないレベルに美人だな」


 その場に横山の歯ぎしりが響き、ソフィアがその音に体を震わせた。

 その顔が見たかったと、なんとなく満足した。

 そう言えばと桑水流に目を向けると、恥ずかしそうに、嬉しそうに真っ赤な顔で俺を見つめていた。


 口が滑ったなと少し後悔した。

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