52.約会起床
エリシュカとのなんちゃってデートの数日後、俺は早朝に桑水流を連れて車へと乗りこんでいた。
以前横山のところへ行ってから一週間、北から逃げ帰ってきた男が起きている可能性が高い日だ。
桑水流の服装はいつもよりオシャレだった。
白色のデザインの入ったワイシャツに、薄青色のカーディガンをまとっている。
髪の毛もいつものストレートや田舎のお婆ちゃんスタイルではなく、後ろで綺麗な結び目を作っていた。
さらにその手には、以前エリシュカがマンソンを入れていたバスケットを持っている。
流石に今回猫は入っていないはずだ。昼食が入っているのだろう。そう思うことにした。
車内はいつもより少しだけ静かだった。
それは桑水流が少し緊張しているからのように思う。
これから行くのは病院だ。注射以外の何を緊張することがあるというのだろうか。
桑水流はデート自体が初めてのようだった。
しかし俺としてはデートではないので、リードする気にもならない。
互いの目的の不一致でその場は不安定だった。
「似合ってるぞ、それ」
「そ、そうですか?」
喋ることもないので、一応それらしきことは言っておいた。
同じことをエリシュカにも言った気がするので、我ながらボキャブラリー貧困なことこの上ない。
「腕の怪我、今は大丈夫なのか」
「はい。もう痛むこともほとんどありません」
既に傷自体は塞がっている。
しかしその銃創には、銃弾が貫通した跡が色濃く残っていた。
銃創は醜い。以前包帯を替えた時にそのことを初めて知った。
桑水流の肌は綺麗だ。
俺の手足には子供の頃遊んでついた傷痕が未だにたくさん残っている。
桑水流の肌にはそういうものは見えなかった。子供の頃外で遊んでいなかったのだろう。
だからこそ、その綺麗な肌に残る銃創は相当に目立っていた。
その傷痕を見るたびに、思い出したように怒りが込み上げてくる。
「傷、綺麗になるといいな」
「……綺麗な方が、いいですか」
「……」
桑水流の質問の正解はわかる。否定かどちらでもいいといった答えだ。
それはわかるが、俺には綺麗な方がいいとしか思えなかった。
「そうだな、綺麗な方がいい」
「……やっぱり、そうですよね」
俺の回答に桑水流は落ち込んでしまう。
そうなるとわかっていても、俺にはあの傷がなくなって欲しいとしか思えなかった。
落ち込んでいる桑水流をどうにか慰めようと、自然に左手が伸びてしまう。
運転中のため右手はハンドルだが、頭でも撫でて気でも紛れてくれればと思った。
しかし俺の伸ばした手は、桑水流の手によって払いのけられていた。
少し驚いて桑水流の方を見ると、桑水流は自分の胸を押さえて俺の事を睨んでいた。
「ま、また! 胸を!」
「……」
俺は桑水流に相当警戒されていた。
前科があるのは確かだ。確かだが、桑水流は俺に空気を読ませてくれなかった。
久しぶりに空気を読めたと思ったらこれだ。
ふいに「桑水流の頭をどうにかして撫でる」というゲームを思いつく。
警戒した桑水流の頭をどうにかして撫でるという男の中の男のゲームだ。道具も使っていい。参加者は俺一人。
思いついただけで、挑戦しようとは思えなかった。
大人しく左手を引っ込める。
「……そう言えば、それ何が入ってんだ」
「あ、これでしょうか?」
話題を変えるために桑水流の持っていたバスケットを指差す。
そうすると桑水流は嬉々としてバスケットの蓋を開き始めた。
「……昼飯か」
「はい。今日の朝食の残りですが……」
中にはいくつかの野菜が入っていた。見た限り、温野菜にしてある。
個人的に温野菜は普通の野菜より好きなので、少し嬉しく思う。
どこかで手に入れたのだろうか、ドレッシングらしき物も入っていた。
野菜だけというのは不満だが、栄養を考えるとこの状況では十分すぎる程だ。
「旨そうだな」
「そう言って頂けるとありがたいです」
そう言って桑水流は嬉しそうにはにかんだ表情を作る。
その笑顔を少しだけ嬉しく思う。
すぐに、バカップルのようなやり取りに見えるかもしれないと、少し頬を引き締める。
桑水流はエリシュカのように雰囲気をぶち壊してはくれない。
そうして桑水流から意図的に目を離して温野菜を見ていると、温野菜の入ったパックの下に何かがあることに気付いた。
バスケットは桑水流が持っている上に運転中のため、それが何かよく見えない。
その何かに光が反射している気がする。少し細長くて先がとがっているように見える。
よく見ようと目をこらすが、桑水流はバスケットを閉じてしまった。
そのまま運転しながら、パックの下にあったのは何だったのだろうかと考える。
しばらく運転しながら考えていると、唐突にそれに見覚えがあることを思い出した。
それは、管理所にあった大き目のサバイバルナイフに似ていた。
同時に、以前桑水流が言った言葉を思い出す。
(もしどうしても人を殺す必要があったら、私が……)
桑水流はそんなことを言っていたはずだ。
そのためのサバイバルナイフなのだろうか。
横目で桑水流を見ると、機嫌良さそうに前方を見ながら小さく鼻歌を歌っていた。
桑水流は本気なのかもしれない。
そう考えると、少し寒気が走った。
……
背筋に走った寒気をどうにか忘れて車を走らせると、すぐに病院に着いた。守衛所の近くに車を停める。
守衛所の女がこちらへと近づいてくるが、俺と桑水流を見ると露骨に不機嫌そうな表情になった。
桑水流の恰好はすぐにデートだとわかるほどにオシャレだった。
「……ハッ。こんなご時世におデートですかね?」
「はい、そうです」
「……」
桑水流の正直な回答に、女は喉を鳴らして痰を道路に吐き出すことで答えた。
最近の病院の守衛というのは随分礼儀正しいのだなと感心する。
女はそのまま俺達を本気な顔で睨んでくる。
俺にはどうしようもないなと女の視線を無視することにした。
「横山いるか」
「あーはいはい、さっさと去ねや」
「ああ」
不機嫌そうな女には無駄に触れない方がいい。
しかし嘆息する俺とは対照的に、桑水流は随分楽しそうだった。
多分だが、デートだと人に言ったことやそれに対しての嫉妬を向けられたことで嬉しくなったのだろうと思う。
そのまま車を駐車場に停め、勝手知ったる病院の中を歩き横山の部屋を目指す。
桑水流は俺の横を歩いているが、その距離が今にも腕を組めそうな程に近かった。
腕を組む気は当然ないが、どうせ腕を組んでも胸に当たって逃げられて終わりだ。
そのまま歩いていると、横山の部屋の前で一人の少女を見かけた。
以前会ったソフィアとか言うキラキラネームの文学少女だ。
「おい」
「……! あの時のお兄さん!」
一応見かけたので挨拶しようと近寄る。
桑水流は訝し気にこちらを見ているが、説明するのが面倒だった。
「久しぶりだな。横山とは上手くやってるか」
「はい、お父さんですもん」
「それもそーだな」
以前より少し元気になっていると思う。表情も明るい。
言葉遣いも少し柔らかくなっている。
孤独な状況から親と再会できてストレスも減ったのだろう。
良いことをしたつもりはなかったが、結果的には良い事になっていた。
そのまま少し横山のことでも聞こうとするが、傍のドアからその横山が出てきた。
タイミングがいいことだ。
「ん? おぬしか」
「ああ、久しぶりだな」
横山はそのまま俺と少女、桑水流を順々に眺めていたが、桑水流を見た途端機嫌が悪そうに顔を顰めた。
「……まさかとは思うが、デートかの」
「はい、そうです!」
「……」
またもや桑水流が元気よく返事をした。
この調子づいた桑水流を俺は止められそうになかった。
少女は何やら感心したようにこちらを見ているが、横山は露骨に床に唾を吐きだした。
病院の床に医者が唾を吐いて許されるのだろうか。
子供の前でやっていいこととも思えない。
「きたねぇな」
「こんなご時世にデートなんかしとるお主の頭の方が、変な虫でも湧いとるとは思うがの」
「確かに」
反論するよりも、確かにそうだと納得した。
桑水流が少しムッとしたような表情になる。横山は間接的に桑水流を馬鹿にしていた。
「例の男、起きたか」
「……まだじゃ。もうすぐだとは思うがの」
「わかった。それまで桑水流の腕、診てくれ」
「そうじゃの」
そのまま横山はついて来いと言うように手を振って近くの部屋に入った。
その後を3人で追いかける。
「あの、宜しくお願いします」
「うむ。包帯は、ちゃんと巻いておるようじゃの」
桑水流は横山の前にある椅子に腰かける。
そのまま服をまくり上げ、包帯を解いて軽く触診を始める。
横山は厚手の手袋をしている。桑水流に触れても感染する心配はないはずだ。
その行動はどうしても必要なことだ。当たり前の行動だ。それは分かっている。
ただ、なんとなくいい光景には思えなかった。
横山がエロ爺なことは確定的だ。
それゆえ横山は、桑水流の柔肌に無駄に触れながら内心気持ちよくなっていることは明らかだった。
「おい、そこの彼氏、彼女が男に触られとるからと言って、そんなに睨まんで欲しいの」
「……」
そんな俺に、横山は見透かしているようにくだらない発言をする。
睨んでいたつもりはないが、変に否定すれば墓穴を掘るだろうから何も言わない。
「し、白沼さん……」
俺が何も言わなかったからか、桑水流はそこはかとなく嬉しそうな声をあげる。
その光景に、横山は意地の悪そうな表情で笑う。
黒川とエリシュカ、桑水流の3人だけでなく、横山にまで外堀を埋められている感覚があった。
横山は俺と桑水流は普通の彼氏彼女と思っているから仕方ないが。
桑水流の熱っぽい視線を無視し、横山にちゃんと診ろと目線を送る。
「つまらんのぉ……。傷はもう心配いらん」
「跡はどうなる?」
「残らない、とはとても言えん」
その言葉に、桑水流はまた少し悲しそうな表情になる。
俺は無言で頷いて返す。その結果はなんとなくわかっていた。
「すまんの」
横山が少し難しそうな表情で謝ってきた。
どこぞの元プロボクサーのような謝り方だ。ただ、別に横山が悪いとは思っていない。
「いや、それは仕方ない」
「……傷があってもお主がおるからの」
「それは綾乃に聞けよ」
横山がからかうように言ってきた。いい加減ウザかった。
将来、恋愛大好きジジイとかには絶対になりたくないと思う。
面倒なので桑水流に回答を投げた。
「白沼さんは私の傷、どう思いますか」
桑水流に投げたが、すぐに俺に返ってきた。
桑水流が俺の答えに期待しているのがわかる。俺の答えに少し緊張しているのがわかる。
横を見ると、横山とソフィアが俺の顔を見てニヤニヤしていた。
のろけを聞かせてくれよ、と言っているかのようだ。
生憎本当は恋人同士ではない。
この空気も読みたいと思えない。しかし変な言葉を言うと桑水流は落ち込むかもしれない。
「……あってもなくても、同じだ」
結局俺は、いい返事も思い浮かばずにそんなことを言っていた。
ただ少し気恥ずかしいことを言った自覚があった。
この雰囲気をどうにかぶち壊したくて、仕方なく桑水流の胸をガン見した。
俺の視線に桑水流は、少し驚いてから俺を可愛く睨むことで正しく答えた。
俺自身の行動で自分の株が無駄に下がっていく。それを止める術を思いつかなかった。
ただ、状況は俺に見方をしてくれたようだ。
部屋の外から人の走る音が聞こえてきた。
その音は徐々にこの部屋に近づき、その勢いのまま部屋のドアが乱暴に開かれた。
入ってきたのは見覚えのない男。
多分一度は見ているのだろうが、その顔は全く記憶になかった。
「先生! あいつが目を覚ました!」
「! そうか、すぐに行く」
横山が俺をチラリと見てきた。
俺はその視線に軽く頷いて返し、部屋を出る横山を追いかけた。
突然のことに、事情を知らない桑水流が俺に追いつきながら質問してくる。
「白沼さん! あいつというのは?」
「……」
なんと答えればいいのか迷う。
説明すれば長くなる。これから尋問に桑水流も立ち合せるなら、ある程度のことは知っておいてほしかった。
「北から逃げ帰ってきた、情報源だ」
「情報源、ですか」
しかし説明する時間もなく、仕方なしに短くそう答えた。
桑水流の目が、先程の色ボケから突然真面目なものに変わった。
最近俺の周囲は色ボケばかりだ。
俺もそれに感化されて、いつの間にか色ボケなどはしたくはないなと思う。
そう思うと逆に、桑水流の揺れる後ろ髪が綺麗に見えてしまうのは不思議なことだ。
そんなくだらない思考を頭を振ることでどうにか打ち消して、俺は横山の後を追った。




