51.約会包囲
桑水流との血液補給を終えて、エリシュカの元へと向かう。
釣り、エリシュカの言うところのデートへと向かうためだ。
何故いきなりデートなどと言い出したのは俺にも理解できないが、そう言えばエリシュカと約束して二人でどこかへ行くというのは初めてだった。
もちろんこちらとしてはただの釣りに行くだけなので、準備も何もない。
ただ釣り道具を準備するだけだ。
そう言えば釣りにはエサのミミズ獲りも含まれるが、デートでミミズ獲りをするつもりなのだろうかと疑問に思う。
もしそうだとしたら少し滑稽ではないだろうか。
桑水流との問題が解決されて少しほっとしていた俺は、適当な考え事をしながら歩いていた。
結局未だに天邪鬼だと言われた俺は、桑水流の優しさのおかげで問題を解決できたと言っていい。
一人だと楽だった。こんな問題はなかった。会社の同僚との関係でも問題はなかった。
彼女たちのように真っ直ぐにぶつかってこられると、俺は普通ではいられない。
以前なら面倒だと切り捨てていたが故に、今更こんな形で迷ってしまうのだろう。
考え事をしていると、そこで目の前に一人の女性が歩いているのが見えた。
頭には見たことのない麦わら帽子、その下は白いワンピース、手にはバスケットを持っている。
絵画やドラマ、小説なんかで出てきそうな格好だ。
何よりその姿に、白人らしく透き通った肌と栗色の髪がよく似合っていた。
「……ふふふ、これで白沼殿もイチコロなのじゃ……」
どうやらエリシュカは背後で歩いている俺に気が付いていないようだった。
確かに男だったら誰でもクラリとくる恰好だ。
だからこそ、その姿で少し黒い笑みを浮かべるエリシュカは全てを台無しにしていた。
「男でこの姿にドキッとせぬ人はおらんのじゃ……完璧なのじゃ……」
何やらブツブツと独り言を口に出しているが、全てが俺に聞こえていた。
確かにあんな恰好の女性がデートに来ると、大抵の男は舞い上がってしまうかもしれない。
それにしてもあの服装とバスケット、どこから手に入れたんだろうかと疑問に思う。
ついでによく見ると、ワンピースの下にはしっかり厚手のジーパンを履いており、手にも白い手袋を着けている。
一応蟻対策をしているところは評価したい。
「エリシュカ」
「んお! おったのか」
背後から声をかけた俺に、エリシュカは軽く驚いてこちらを振り向いた。
正面から見ると本当によく似合っている。
事前にエリシュカの赤裸々な発言を聞いていなかったらどうなっていただろうか。
「き、聞いておったかの?」
「何をだ?」
「……なんでもないのじゃ」
一応とぼけておく。慈悲のようなものだ。
それにしても、本当にエリシュカはデートのつもりで準備万端といった感じだった。
黒川や桑水流とこの恰好でデートとなると本気すぎて少し引くかもしれないが、エリシュカなら別にいいかと思う。
第一、俺は別にデートのつもりで来たわけではなかった。
「似合ってるぞ、それ」
「ほんとーかや!」
そう言ってエリシュカはその場でくるりと軽やかに一回転する。その勢いでワンピースが軽くふわりと舞い上がる。
こちらに戻ってきた顔でニコリと朗らかに笑うエリシュカはとても魅力的だと思う。
その笑顔に、無言で頷いて返しておく。
その行動全てが狙ってやっているのは明白だった。
その魅力と先の発言が相殺されて、ちょうどいつもと同じくらいになっていた。
「道具取りに行ったら、川に行くぞ」
「うむ!」
返事を聞いて歩き始めると、俺の斜め後ろをエリシュカがついてくる。
軽く話をしながら2人で遊歩道を歩く。
「その服、どこにあったんだ」
「秘密なのじゃ。わしはいい女ゆえのー」
そう言えば以前エリシュカが夜這いに来た時も何故かエロい服を持参していた。
俺だけ知らない服飾やシャンプーが置いてある倉庫でもあるのだろうか。
「なら仕方ないな」
「じゃろー。そう言えば、桑ちゃんとは仲直りできたのかや?」
「……ああ、なんとかな」
「ならいいのじゃー」
突然桑水流の話題を出してきた。
そう言えば、などと言う辺り、あまり心配していなかったのだろう。
それが俺を信頼してなのか、桑水流の態度からなのかはわからない。
話をしているとすぐにログハウスに着いた。
手慣れた準備で釣竿を担ぐ。手にもクーラーボックスを持って立ち上がる。
「そう言えば、そのバスケット何が入ってんだ」
「お、これかやー」
バスケットには蓋がしてあり、中身が見えなかった。
デートでこの恰好、普通ならサンドイッチやらの昼食が入っているのだろうが、生憎サンドイッチは食べたくても食べられない現状だ。
保存食を入れるにしてはバスケットは雰囲気があり過ぎる。
エリシュカがゴソゴソと蓋を外す。
外すと、中から白い物体が飛び出してきた。そしてそのまま遠くまで走って行ってしまった。
マンソンだった。
「あー、逃げちゃったのじゃ!」
「……」
エリシュカが衝撃で取り落したバスケットを拾って中身を見ると、何も入っていなかった。
つまり最初からマンソンしか入っていなかったことになる。
今まで籠の中で暴れていなかったのが不思議だ。
「……マンソン?」
「一緒に連れて行こうかと思ってたんじゃよ」
猫をデートに連れて行く。
確かに、猫を可愛がる女性の所作は可愛いこともある。
これは狙ってやったのか、そうではないのか。
エリシュカの思考は相変わらず俺には読めない部分が多かった。
残念そうな表情のエリシュカは、可愛いとか可愛くないとかの次元ではなかった。
……
いつもの川まで歩いていき、釣り道具を降ろしてからミミズ獲りをする。
ミミズ以外の川辺の虫でも、魚は案外釣れる。
俺が適当な虫を捕まえている間、エリシュカは張り切ってミミズを大量に捕まえていた。
純白のワンピースに麦わら帽子でミミズを掘る西洋系の女は、相当にレアだった。
日本人でこれを見たのは俺が初めてではないかと思うくらいに。
はっきり言って、恰好は完璧なのにその所作は似合っていなかった。
足りるどころか多すぎるくらいのエサを片手に、釣り場所に戻る。
周りを飛んでいた蠅を軽く振り払いながら、道具を取り出す。
そのまま2本分の仕掛けを準備し、片方をエリシュカに渡した。
「よし。早速釣るか」
「……」
エリシュカは釣竿を見つめて動かない。
俺はエリシュカの返事を待たずにクーラーボックスを椅子代わりにし、そこに腰かけて釣竿を振ろうとする。
そこでエリシュカの声を聞いた。
「はー、めんどいのじゃ」
「……は?」
エリシュカの方に振り向くと、エリシュカは俺の方をチラチラと見ながら面倒だと言わんばかりに釣りの仕掛けを片手で弄んでいた。
確かにエリシュカは釣りが好きではないのは知っている。
それでも、釣りと聞いて勝手にデートだとテンションが上がっていたのはエリシュカのはずだ。
意味が分からない。
「めんどいのじゃ、めんどいのじゃ」
「……今更だな、おい」
相変わらずエリシュカは俺の顔をチラチラと窺っている。
俺の頭には未だに彼女の行動の理由が浮かばない。
そのことに、エリシュカは少し不満げな表情を作り出す。
「……このままじゃと、すぐにどこかへ逃げちゃうかもなのじゃー」
「……」
ここまで聞いて、ようやく理由が推測できた。
以前、エリシュカが逃げないようにと俺に密着させて釣りをしたことがあった。
その時は互いに服装完全装備だったため滑稽としか思えなかった。
その時エリシュカは俺と桑水流を軽く騙して釣りから逃げた。
もしかしたら、以前のように密着して釣りがしたいという事だろうか。
もし今この恰好で同じように密着したら、完全にバカップルとしか思えない。
そのことに呆れ半分で逡巡してしまう。
逡巡するが、以前同じことをしたし別にいいかと開き直る。
エリシュカが逃げても困るし、どうせエリシュカなら馬鹿なことをして雰囲気をぶち壊してくれるはずだからだ。
「……わかった。ほら」
「わー」
エリシュカは小さく歓声を上げて俺の元へと走って寄ってくる。
そのまま椅子に座る俺の足の間にすっぽりと収まる。
一応持っていた未使用のタオルをエリシュカの首筋に巻いておく。
「……これでいいか。俺は右の方に投げるから」
「わしは左じゃの! 任せるのじゃー」
「……ああ」
エリシュカの髪から女性特有のシャンプーの香りがする。
思っていたよりも、距離が近い。
以前俺はここまで近いと感じただろか。距離は同じはずなのに。
エリシュカの揺れる柔らかそうな髪が、どうしても視界に入ってしまう。
エリシュカはそのまま、えいっと声を上げて仕掛けを投げた。
投げたが、エリシュカはリールのロックを外していなかった。
リールのロックを外さず仕掛けを投げたらどうなるか。
釣り糸はリールから解き放たれることはなく、勢いのついた仕掛けはその勢いのまま投げた側に返ってくる。
「ひょ!」
エリシュカは変な声を出しながら勢いよく返ってきた仕掛けを避けた。
そのまま後ろにいる俺の顔面めがけて飛んできた仕掛けを、寸でのところで何とかキャッチした。
危なかった。ミミズが俺の顔につくところだった。
仕掛けから手を離しながら、軽くエリシュカを睨む。
「……」
「あ、ごめんなのじゃっ」
エリシュカは俺の方を振り向き可愛く謝ってきた。
予想通りで、よかったと思った。
……
釣りは順調な釣果で終わったと言ってもいい。
やたら俺に話しかけてきたエリシュカについては、釣り中は黙っていないと魚が逃げると諭したことが功を奏したのだろう。
終始デートのような雰囲気ではなかった。
デートのような雰囲気ではない方が、俺には彼女のいいところが見えてしまう。
馬鹿みたいなところがエリシュカのいいところなのかはさて置き、愛嬌がいいのがエリシュカのいいところだ。
夕食の支度をしながらそんなことを考える。
夕食は桑水流たちの栽培した野菜がメニューに入り、魚はムニエルとかいう無駄にオシャレなものになっていた。
言ってしまえば、塩コショウなどで下味をつけたただのバター焼きである。
調味料をとってきたことで料理の幅も広がっていた。
俺は揚げ物だろうが塩焼きだろうが気にしないが、やはり若い女性は洋風のオシャレな料理が好きなのだ。
好きでなくても、たまには食べたいものなのだろう。
味がいいので別に構わないが。
少しだけ華やかになった夕食を食べながら、3人がわいわい話しているのを眺める。
ここまで普通通りで、平和な食事は久しぶりだった。
どうにか、これが束の間の平和にはならないで欲しいものだ。
しかし、北のことを考えるとそうも言っていられない。
現状こちらへ害がありそうなことはないが、これから先は不透明としか言えない。
少なくとも今週中には、横山のところの北から帰ってきた男が目覚める。
恐らく事情聴衆があるだろう。現状唯一の情報源である以上、そこには参加しておきたい。
その男は恐らく北から逃げ帰ってきて、蟻の毒に感染していたのだ。
事は急を要するかもしれない。
「今週中に一度、街に行く」
「はい?」
突然声をかけた俺に、桑水流が軽く返事を返してきた。
これからの予定を話しておいた方が動きやすいだろう。
「横山のところだ。用事がある」
そう言えば桑水流を一度横山に診せたかった。
腕の怪我は既に安定しているように見えるが、医者ではない俺にはわからないことだらけだ。
「綾乃も行くか。ついでに怪我を診せておきたい」
「はい、行きます!」
桑水流が元気よく返事をしてきた。
いつも以上に元気なので少し驚いてしまう。
「デートですね!」
「お、デートなのじゃ」
「デート羨ましいー」
「は?」
3人が唐突に盛り上がる。
俺は咄嗟に着いていけずに呆然としてしまう。
「その次は絶対私だよ!」
呆然としていると、黒川が俺に向かって机から乗り出してきた。
次は、ということは今日のエリシュカとのデートらしきものは既に公然のことのようだ。
俺からしたら、今日のエリシュカとの行動はデートかどうか微妙だった。
病院に行くのもデートかどうか微妙だ。
黒川と行くらしきデートも知らない話だ。
しかしそんな俺を置いてきぼりに、3人はデートだと盛り上がっていた。
俺はなんとなく、罠に嵌められた感覚を覚えた。
いや、罠に嵌められたと言うより、3人に包囲されたような感じがしていた。
デートではない、などとは口に出せない。
俺と3人の行動は、俺の意思に関わらずに、勝手にデートになっていた。
これからもそうなるのかと思うと、少しげんなりした。




