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49.受取手形

 桑水流を追いかける気も起きずに、墓からゆっくりと管理所に向かっていく。

 思えば、桑水流の口から「好き」だと聞いたのは今回が初めてだ。

 既に公然のこととはいえ、このような形になってしまったのは桑水流も嫌だろう。


 管理所の前まで行くと、ドアの前に黒川が立っている事に気付いた。

 そのドアを守っているかのように突っ立っている。


「……綾乃は」

「今、ちょっと混乱してると思う。何があったの?」


 黒川にも俺がオッサンたちを殺したことは言っていなかった。

 ここで言うのは今更かもしれないが、それでも言わないよりマシかと思う。


「……綾乃を撃った3人は、俺が殺した」

「……」

「さっきの娘はその現場を見てた」

「じゃあ、桑水流さんは」

「さっきあの娘とその話をしているのを聞かれたな」


 黒川はあまり驚いていなかった。

 少し予想外だが、そのことに少しだけ安堵する。

 流石に黒川まで桑水流のようになってしまっては、収拾のつけようがない。


「それだけ?」

「……殺した時、何も思わなかったとは言ったな」

「そっかー」

「黒川は驚かないんだな」


 難しそうな顔をして両手を組む黒川は、普通に桑水流を心配しているだけにしか見えない。

 確かに黒川は、俺がナイフの男を血まみれにしたところを見ている。


「白沼さんがキャンプ場に帰るって言った時、あの人達はどうにかしたんだなーって」

「……成程な」


 黒川の考えは率直で的を射ていた。

 確かに、あのオッサンたちが野放しの状況でキャンプ場に戻るわけがない。

 黒川は俺の行動について何か言うことは少ないが、それでも俺の行動についてはよく考えているのかもしれない。


 逆に何故桑水流がそのことに気付かなかったか。

 そう言えばあの時桑水流は大好物の鶏の卵で頭がいっぱいみたいだった。まさかそのせいだろうか。


「明日桑水流さんにも説明してよね」

「……ああ」

「桑水流さん、白沼さんのこと好きなのにかわいそー」


 黒川は少し茶化しながらそう言って、くるりと後ろを向いた。

 その動きで黒川の金色の髪がふわりと靡いて、何とも言えない香りを周囲にまき散らす。

 このご時世、俺はシャンプーはある分を節約して使っている。

 黒川達は未だどこからか拾ってきて毎日使っていたりするのだろうか。

 年頃だし、普通気にはするはずだ。どうでもいいことだが。


 とりあえず今日は桑水流に接触しない方がいいだろう。

 管理所には行けないから、ログハウスで寝るとするか。


「俺はログハウスで寝る」

「うん、おやすみ」

「黒川もな」


 桑水流のことを任せる、などとは言う必要はないだろう。

 そんなことを言わなくとも、エリシュカが桑水流の周囲をパタパタと走り回っている様子は目に浮かぶ。

 黒川から目を切りログハウスの方に歩き出すと、背後から声がかかった。


「ねぇ」

「……なんだよ」

「やっぱり、桑水流さんのためなの?」

「……」


 俺がオッサンたちを殺した理由、だろう。

 確かに桑水流を傷つけられたことは大きな理由の一つだ。

 他にも要因はある。食料や工具を盗られたこと、キャンプ場を我が物顔で闊歩されたこと、愛須唯のこと。

 しかし桑水流のためだと言うとまた面倒なことになりそうだ。


「理由の一つはそれだな」

「……」

「キャンプ場や食料を盗られて、な」

「……そっか」


 黒川は納得したように頷いた。あんまり疑われても困る。

 それからもう一度互い一言挨拶をし、黒川は管理所の中へと入って行った。


 その後ろ姿が消えるのを見ながら考える。

 桑水流が落ち着くまでは時間が解決してくれる、とは言っていられない。

 明日にはまた血液を与える必要がある。

 その時にまた怯えられて無駄に時間がかかるのも嫌だし、桑水流にとってもその状況が続くのはストレスになるはずだ。


 こう、頭を撫でて解決、みたいなことができたらいいのに。

 昔読んだ漫画ではそんなシーンがいくつかあった。

 どこぞやのイケメンならそんな感じに簡単に解決してしまうんだろうなと思いながら、ログハウスへと向かった。


 考えても無駄なので、行き当たりばったりでいいかと眠たくなった目を擦った。


……


 翌朝、管理所に行くとそこにはエリシュカが地面にぺたりと座って一人で猫と戯れている姿があった。

 平和な光景だなとは思うが、猫が蟻を毛の中に忍ばせていたらと思うと溜息が出る。

 一応手袋などはしっかりと着けているので、強くは言わない。


「おはよう」

「んー、おはよーなのじゃー」


 エリシュカは随分とやる気のない返事をしてきた。

 よく見れば眠そうに眼をこすっているし、髪の毛がいつもより乱れているように見える。

 もしかしたら、桑水流についてて寝不足なのかもしれない。


「猫に触った手で目を擦るなよ」

「うむー」

「随分と眠そうだな」

「……」


 エリシュカの目が泳ぐ。

 桑水流についていたとして、優しいエリシュカならそれを隠そうとしてもおかしくはない。

 ただ、本当に何か遊んでいて寝不足になっていそうなのもエリシュカだ。

 どっちなのかわからない。


「他の2人は」

「畑におるのじゃ。トマトがどうとか言っておったのー」

「お前は?」

「……」


 今度は目をそらして下手くそな口笛を吹きだした。

 他の二人が作業しているのに遊んでいるのはどうなのだろうか。

 以前少し働き者になったかとは思ったが、やはりそう簡単には人は変わらないのかもしれない。

 畑は3人の人数がいる程大きくないし、問題があるわけでもない。


「まぁいい。猫だからって気を抜きすぎるなよ」

「うむ」

「ちょっとしたら、2人で魚釣りに行くか」

「デートなのじゃ!」


 突然やっほうと飛び跳ねるエリシュカに、猫が驚いて姿勢を低くする。

 デートではない。食料を確保するための仕事だ。

 しかしあまりにも嬉しそうに飛び跳ねるエリシュカの言葉を否定する気にもならない。

 否定した後が面倒なのだ。


「……とりあえず、この辺にいろよ」

「うむ!」


 流石に真っ直ぐに満面の笑みを向けられると、何とも言えない気分になる。

 エリシュカも黙っていれば顔は可愛いのだ。

そう言えばいつか変な日本語について聞こうと思っていたが、まだ聞いていたなったことを思い出す。いつでも聞けるからいいか。


 はしゃぐエリシュカを置いて、畑の方に向かう。

 今から血液を飲ませようと思うが、桑水流はどうなのだろうか。

 昨日と同じような状態なら簡単にはいかない。


 管理所を横切って畑に目を向けると、2人が何やら作業をしていた。

 いつものお婆ちゃんスタイルではない。よく考えれば、二人は感染しないのだからお婆ちゃんスタイルは卒業してしまったのかもしれない。


 帽子は以前と同じように被っているが、前のようにタオルを首に巻いていない。

 手袋はしているが半そでになっている。暑いし当たり前かと思う。


「おはよう」

「あ、おはよー」

「……! おはようございます」


 黒川はいつも通りに元気に挨拶してくるが、やはり桑水流は少し変だった。

 一瞬体がびくりと震えていた。


「一区切りしたら、いつものこれだ」


 そう言って服をまくって腕に指をさした。

 黒川はいつも通りに返事をして作業に戻った。桑水流は少し俯いて頷いただけだ。

 ずっとこの状況が続くのも面倒なので、ここでどうにかするべきだろう。


 管理所横まで歩いていき、タバコに火を点ける。

 どうしようかと考えようと思ったが、考える間もなく黒川がやってきた。

 火を点けたばかりのタバコを備え付けの灰皿に落とす。

 もったいないことをしてしまったと溜息をついた。


……


 黒川は桑水流について何も言わなかった。

 いつも通りに腕に吸いついて血を飲んだだけだ。

 また歯形をつけられるかと思っていたが、本当にいつも通りに血を吸っただけだった。


 黒川はすぐに部屋を出て行ってしまったので、もうすぐ桑水流が部屋に来る。

 とりあえずは、オッサンたちを殺したことは説明しなければならない。

 怯えているのを取り除く方法は浮かばない。


 少し待つと、部屋のドアからトントンとノックの音が響いた。


「入っていいぞ」

「し、失礼します」


 桑水流の動作は、違和感だらけだ。

 まるで私は怯えていないと自分を押さえつけているような、そんな感じだ。

 まるで怖い進路指導の部屋に入ってきた学生みたいだ。


「とりあえず、座れよ」

「はい……」


 桑水流が椅子に座ったのを見て、小さくため息をつく。

 なんとなくタバコを吸いたいタイミングだが、屋内では吸ってはいけないルールがある。


「あのオッサンたちは、俺が殺した」

「!」

「テントの方でな。色々盗もうとしていた」

「……」

「あと、あいつらは昨日の娘を奴隷代わりにしていた」


 間をおかずにさっさと説明する。

 ゆっくり説明したって、どう転ぶかはわからないのだ。

 それでも、奴らが桑水流を撃ったからとは言わない。


「言ってなくて、悪かった」

「……」

「俺の事、怖いか」

「!」


 桑水流が唐突に体をビクリと動かす。

 殺人犯である俺を怖がるのは、どうしようもない。


「……頭では、全部理解してるんです」

「……」

「白沼さんは優しいです。私が銃で撃たれたことを言わないのも、やっぱり優しいと思うんです」

「それは」

「でも、体が」


 桑水流は畳み掛けるようにそう言うと、手を目の前にかざした。

 その手はふるふると揺れていた。

 頭でわかっていても、目の前の人が次々と人を殺した事実で手が震えている。

 何も言えない。桑水流からしたら、俺が殺した理由は明らかだろう。


 桑水流はそのまま手を俺の顔の方に近づけてくる。

 その手は一度軌道を変えて俺の胸のあたりの服に置かれ、その服を強く握りしめる。

 いつかのように、俺の顔に触れようとしたのだろうか。


「本当に、殺した時何も思わなかったのですか?」

「……そうだな、スッキリしたくらいだった」

「……」


 言い訳のような言葉はいくらでも脳裏に浮かんでくる。

 生きるため仕方がなかった、あいつらも人を殺していた、少女を奴隷にしていた。

 しかしどれも、口に出そうとは思えない。

 その場しのぎの言い訳は、こんな場所では言いたくなかった。


「……今の世の中が、そういう状況というのはわかってるんです」

「……」

「でも、白沼さんが怖いのが一番悲しいんです」

「……」

「そう考えてしまう私は、どこかおかしいのでしょうか」


 桑水流は少し目を伏せて俺の服を強く握りしめる。

 体の震えを隠そうとしているかのように。


「私に、触ってみてください」

「……」

「白沼さんからは、逃げたくないんです」


 そう言って桑水流は真面目な表情で、もう片方の手を俺に向けて差し出した。

 俺がこの手に触れて、どう転がるか。

 しかし桑水流の視線は少し俺からずれているように思える。我慢しているのが丸わかりだ。

 ショック療法ということだろうか。

 互いに体を触れ合えば、怯えは消える。そうであれば楽なものだ。


 ただ俺の予想では、そんな簡単にはいかない。

 この問題はもっと根深いと思うし、俺が触れて桑水流が恐怖心を抑えきれなければ、問題は悪化する。

 俺から触れる事に一度でも怯えてしまった桑水流は、かなりの時間尾を引いてしまうだろう。

 その差し出された手は今だって震えているのだから。


 しかしその真面目な表情のお願いを断ることも解決に繋がらない。

 どこかの物語の主人公なら、ここで頭を撫でて一発解決するのだろう。

 それか頬あたりを優しく撫でてその後お決まりのキスシーンやらに続くやつだ。


 しかしそのどれも、今可能とはとてもじゃないが思えない。

 そんなことを俺からする必要性も感じない。

 桑水流の差し出した手を見ながら、何か案はないかと考える。

 すると、突如頭の中で閃くものがあった。


 こういう時は、少し馬鹿らしいことをして問題の本質から思考をずらした方がいい。

 このままでは、怯えないようにと考える程に桑水流は泥沼に嵌ってしまう。

 俺はその思考をいい考えだとばかりに早速実行に移した。


 つまり桑水流の差し出した手を軽くスルーして、その胸を鷲掴みした。

 やってから気付く。自分の行動の馬鹿さに。

 頭を撫でるでもなく、頬に優しく触れるでもなく、胸を鷲掴み。

 どう考えても俺は頭が狂っているとしか思えない。


「……え?」

「……」


 やってしまったことは、やり直しがきかない。

 もうどうでもいいかと無表情で指を動かす。


「え? え?」

「……」


 桑水流はかなり動揺していた。

 俺の顔と手と、自分の差し出した手を順番に見つめて混乱している。

 俺の思考をずらすという目論見は成功したようだ。

 成功したようだが、いい方向に転がるかは微妙だった。


「あの、どこを……」

「……」


 何を言っても、俺はただの大馬鹿野郎でしかない。

 口を開くこともできずに、俺は適当にそのデカい胸を揉み続けた。


 告白を拒否した俺が揉む胸は、別にいつも通りの感触だった。

 ただ、なんとなくストレス解消になった気がした。

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