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48.無邪気丈

 ちゃんとここに居てくれて。

 そう言った理由は定かではないが、何よりもまず嫌な印象を受ける。しかし罠にかけられたという感じではなく、本当に俺個人に用があるといった印象だ。


「どういう意味だ」

「……」


 彼女はその問いに答える代わりに体をふらつかせ、地面にへたり込んでしまった。

 その呼吸は荒く、もはや数秒も立っていられないという感じだ。

 それなのに、俺のことを見て気持ちの悪い笑みを浮かべている。


 俺はあの日彼女をマンションまで連れて行っていた。

 そこで睡眠に入っただろうから、そこから一週間と少し彼女を見なかったのだろう。

 そしてマンションで起きて、差し迫った自分の死を実感し、俺のところに来た。

 そうだとすれば、俺に会いにここに来た理由には一つだけ推測が立つ。


「家族は」

「……ドロドロになってた」


 彼女は少しだけ笑いながらそう告げた。

 彼女の家族は蟻の毒で死に、その場で腐っていたということだろう。


「人に、会いたくなったのか」

「……かも。一人で死ぬとか、けっこうキツイ」


 彼女は我慢できなくなったかのように、その場にゆっくりと身を横たえた。

 目は未だ俺の方を向いているが、既に顔にかかっている髪を直す気力もないのだろう。

 体全体に力が入らないといった感じだ。


「ねぇ、なんであたし死ぬの」

「……知らねーよ」

「ちゃんと答えてよ」

「……運が悪かったんだろ」


 身体は弱っているくせに、口だけはよく回っている。


 死ぬときは、人が弱くなる時だ。

 死んだ後は完全な無となり、人の意識など全ての連続性は完全に途切れる。

 そのことに人は絶望し、時に宗教に傾倒する。


 死ぬ前に無駄に時間があると、人はそのことを真剣に考えてしまい心が弱くなる。

 俺は自分が感染したと思っていた時、そのことを心から理解できた。

 だからといってなんともなかったのは、俺の性格か、満足していたからか。


 この少女は死ぬ前に死の恐怖を考える孤独な時間を与えられてしまった。

 しかも思春期、不安定な年齢でだ。

 その恐怖から逃げようと周りを見渡しても見えるのは死人ばかり。

 知っている中で生きている人間はおらずに、ようやく思い立ったのが俺、ということだろう。


「……運なんだ」

「そんなもんだろ」

「……じゃあさ、一緒に死んでよ」


 何が「じゃあ」なのか意味が分からないが、言いたいことは理解できる。

 彼女はその印象に似合わず、寂しがっている。

 見た目だけは普通の女の子なのだから、当然と言えばそうなのだが。


「悪いな」

「だよねー」

「死ぬのが怖いか?」

「……ほんと、なんなんだろうね、この感覚」


 彼女は喋りながら乾いた笑いを見せる。

 その彼女に対し、少しだけ俺の言葉も柔らかくなってしまう。

 俺の血液で、彼女は助けない。

 発症してからでは遅いのかもしれないが、試すことすらしない。

 その簡単な罪滅ぼしのようなものだ。この程度で済むのなら楽なものだ。


「死ぬ時は、看取ってやるよ」

「……意味あんの? それ」

「何もないよりマシだろ」

「……確かに」


 彼女は薄ら笑いをやめ、真面目は表情で頷いた。

 俺にできる事はこれくらいだ。

 できるとは言っても、もうじき死ぬだろうから俺のすることは後少し彼女と話すだけだ。


「あ、そうだ、聞きたいことあったんだった」

「なんだよ」

「あんな風に人を次々に殺していくのって、どんな感じなの?」

「どうって……」


 思い出そうと頭に軽く手を当てる。

 確かオッサンは割とあっさり殺すことができた。

 つまらない人間を殺すことで俺の手が汚れたことを不満に思ったくらいだった。

 ババア二人は、ただそこにきっかけがあっただけで、何も感じなかった。


「特に何も」

「なにそれ、つまんない」

「悪かったな」

「……でも、人殺しってそんなものなんだろうね」

「……」

「あいつらも何人か殺してたけど、別に普通だったし」


 あいつらと一緒にされるのは不快だった。

 ただそれを認めないわけにはいかなかった。

 俺は4人を殺した。その事実は変わらず、行くのは地獄、常夜なのは確定的だった。

 だからと言って何をするということもないが。


……


 どれほどの時間話していただろうか。

 1時間経っただろうか。10分も経っていないかもしれない。

 虫の息だった彼女は、もはや既に何も見えていないかのようにこちらから少しずれた場所に視線を送っている。

 彼女の眼の光は唐突に濁り、その死期の近さを感じさせるようになっていた。


「……人殺しさん、名前、教えてよ」

「……白沼路人だ」

「あたしは愛須唯」

「そうか」

「今度は間違えないでね」


 今度も何もないが、死人の言葉を否定する程野暮でもない。

 彼女はゆっくりと目を閉じ、その口をゆっくりと開いた。

 最期の言葉だろうか。

 辞世の句とは違うかもしれないが、はっきり聞いてやろうと彼女の口の動きに集中する。

 可能であれば、その音を記憶に止めてやろうと耳を澄ます。


「白沼被告に、死刑を求刑するー」

「……」

「あはは」


 既に何も見えていないはずの彼女に直視されたような感覚を覚える。

 その笑い声は徐々に小さくなっていき、途切れた。

 その途切れが、命の途切れにものによることは明白だった。


 彼女に近寄り、その口に手を当てる。

 息はしていない。胸を見ても、そこに命の鼓動は見られなかった。


 彼女の身を抱え、上を向くように姿勢を正してやる。

 手を胸の上で合わせるように動かしてやり、顔にかかった髪を正してやる。

 その行動に意味はないが、その姿勢の死人を見つめると、その死を実感できた。


 しばらく彼女を見つめながらその最期の言葉を想う。

 以前俺に言った「人殺し」という言葉と同じ響きがあった。

 それは彼女の最期のイタズラだろうか。本心なのだろうか。

 死人に口はなく、答える者はいないため考える事の意味もなくなってしまう。


 そうしてどの程度時間が経過しただろうか、唐突に背後から物音が聞こえた。

 振り向くと、そこには桑水流が佇んでいた。

 自分の腕でその身を抱きしめるようにして突っ立っている。


「綾乃……?」

「……」

「おい」

「は、はい!」


 どうにも、彼女の様子がどうもおかしい。

 一向に俺の方に近づこうとしない。

 いつもなら彼女は割と、俺の姿を見るとすぐ傍に寄ってくる。

 いつも俺の視線に入るのは、彼女の綺麗な横顔とその顔に少しだけかかる綺麗な黒髪のはずだ。

 今は暗闇で、桑水流の表情が読めない。


「どこから聞いてた」

「……」

「聞いてんのか?」

「わ、私は、2人を呼んできます!」


 桑水流はそれだけを言うと、管理所の方に走り去ってしまった。

 その行動自体は止めようとは思えない。しかしその様子が少し気になった。

 それでもそれは死人を見たからだろうと決めつけて、俺は彼女を引き止めなかった。


 桑水流から目を切り、再び愛須唯という名前だった少女に目をやる。

 仏教では死ぬと人の名前は法名へと変わると記憶している。詳しいことは知らない。

 ここには坊さんはいない。彼女が何教徒なのかは知らないが、大半は仏教式で問題ないはずだ。

 確かその生前の名前の漢字と合うものをお経の文章から取ってくるのだ。

 例えば、唯信、適当だがそんな感じだと思う。

 勝手な行為、意味のない行為だ。


 それでも、名前まで知ってしまう程に関わってしまった。

 その命すら見捨ててしまった。

 死ぬ前まで寂しいと叫んでいた彼女は、どうか死んでも天国へと行って欲しかった。

 天国など、ただ生きる者の気休めでしかないのだろうが。


「さて」


 一言心に区切りをつけ、立ち上がる。

 彼女を埋葬しないといけない。

 もう何回したかわからないが、あと何回することになるのだろうか。


 管理所の方を向くと、3人がこちらに走ってきていた。

 その足元には猫のマンソンまでついて来ている。


「な、何かあったのじゃ?」

「こ、この人だれ!?」


 エリシュカと黒川が少しだけ息を切らしながら口を開いた。

 その後に続いて、マンソンがにゃあと鳴く。

 桑水流は2人の後ろで未だに自分の体を抱き締めている。


「ちょっとした知り合いだ。さっき死んだ」

「……」


 その死に顔から、死因は蟻の毒によることは明白だった。

 すぐ傍で倒れている原付を見ても、突然ここに来たこともわかりやすかった。

 2人とも、呆然と立ち尽くしている。


「今から埋葬してやろうと思う。手が空いてるなら……」

「う、うん、手伝う!」

「任せるのじゃ!」


 2人とも頼りになることだ。

 もしかしたら、俺を元気づけようとしているのかもしれない。

 別にそこまでショックは受けていないが、確かに元気なわけでもない。

 そのことに、少しだけ頬が緩みそうになってしまう。


 桑水流も2人の背後で首を縦に振っていることを確認し、愛須唯だった死人の方に振り返る。

 前みたいに無茶に引きずって持っていくわけにはいかない。


 動かなくなった彼女を背負い上げる。

 その体はまだ少し、温かった。


……


 森の中で埋葬する時は、火葬などはしていなかった。

 ただ土に埋めるだけだ。

 一応彼女の息が完全に途切れていることを何度も確認し、掘った穴に彼女を少しだけ丁寧に置いてやる。

 生き埋めなどは絶対にしたくない。

 場所は4人が眠っている場所のすぐ近くだ。

 何か傍に置いてやろうかと思ったが、何も思いつかない。


 意味もなく、なけなしのレモン味の飴を一つ、その体の傍に置いてやる。

 俺が一番好きな味だ。


 その体にショベルで土をかけていく。

 徐々にその体が見えなくなっていくというのは、こちらをなんとも言えない気分にさせる。

 徐々にその顔が見えなくなっていくというのは、見ることすらこれで本当に最期だと思い知らされる。


 土を全てかけ終えて、墓標替わりに適当な石と木の棒を突き立てる。

 そこまで終わると、ようやく一息つくことができた。

 これで、終わりだ。


 タバコに火を点けて最期に少しだけその墓標を見つめ、背後に振り返る。

 黒川は顔の前で両手を合わせて目をつぶっていた。

 エリシュカはキリスト教徒のように体の正面で指を組んで、目を閉じている。

 マンソンはいつの間にかどこかへ去っていた。

 少し待つと、彼女たちは目を開けて一息ついた。


 やはり、桑水流の様子がおかしい。

 彼女だって、仏教式のお祈りはしそうなものだ。

 しかし、やはり自分の体を抱き締めるように腕を組んで震えている。


「綾乃、大丈夫か」

「……」


 黒川とエリシュカも桑水流の方を訝しげに振り返り、その様子に気付く。


「桑水流さん?」

「桑ちゃん?」


 桑水流は何も聞こえていないかのように、体を動かさない。

 時折俺の方に目をやり、目が合うとすぐにそらされる。

 思春期の恋慕の動きというわけではなく、どちらかと言うと俺に怯えているような。


「綾乃……?」

「……わ、私は」

「……?」

「私は白沼さんのことが好きなんです」


 唐突な告白だ。

 しかしその言葉は俺に言ったというより、自分に言い聞かせているように見える。

 その顔面の色が蒼白であれば尚更だ。


「好きなんです、好きなんです」

「おい、わかったって」


 彼女の方に一歩だけ近づく。

 足元で木の枝が折れた音がした。

 その音に桑水流は大仰に体を強張らせ、その固まっていた表情が崩れる。


「……」

「おい、綾乃、大丈夫か」

「!」


 彼女は盛大に表情を歪ませ、唐突に管理所の方へと走って行った。

 その姿はまるで、俺に怯えたからという感じだ。

 あまりに突然の行動に、俺は彼女を追いかけることもできずに突っ立ってしまう。


「白沼殿、わしが追いかけるのじゃ!」

「わたしも行く!」


 俺が突っ立っていると、エリシュカと黒川の2人はすぐさま桑水流を追いかけて行った。

 確かに、あの様子は心配だろう。


 一人残された俺は、後を追うこともできずにその理由を考える。

 桑水流はいつから様子がおかしかったか。

 何を聞いてこうなったか。


 そこまで考えると、ようやく俺は気付いた。

 最近俺も感覚が麻痺しているのかもしれない。当たり前のことに気付けなかった。

 桑水流や他の2人も、未だこの世界の変化に順応しきれていない。

 人殺しが普通の世の中に、順応なんてして欲しくもない。


 俺はオッサンたち3人を殺したことを桑水流には伝えていなかった。

 エリシュカにちゃんと説明しろと言われていながら、それを怠っていた。


「次々と人を殺した」

「何も感じなかった」


 俺は死んだ愛須唯とそんな風に会話していた。

 桑水流はそれを聞いていただろう。

 単純だ。こんなことを言う人間は誰だって、怯えられても当然のことだ。

 蟻の毒による騒動の前なら、こんな話を聞くのはニュースでレポーターが原稿を読み上げる時くらいのものだ。

 愛須唯の言ったように、死刑を求刑される存在なのだ。


 その後の俺への唐突な告白も、全て説明がつく。

 好きなはずの俺に怯えてしまい、わけがわからなかったのだろう。


 しかし、咄嗟に対応が浮かばない。

 俺が今桑水流と何を話しても逆効果な気がする。

 俺が人を殺した事実は変わらず、桑水流が人殺しに怯えることは当たり前の事なのだから。


 何より、俺が説明していなかったのがまずかったのだろう。

 ナイフの男を殺した時は何も問題がなかった。

 もちろんその時は緊急事態だったことを差し引いても、やはり俺が隠していたように思われたかもしれない。

 どうしたって、どう対応すればいいのかわからなかった。


 絶対に、桑水流を傷つけられたから殺したなんて、言えない。

 言えるわけがなかった。

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