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47.唯々諾々

 猫を飼うとエサが必要だ。

 蟻を運んでしまう可能性もあるし、衛生的にも問題が出るかもしれない。

 冷静に考えれば飼わない方がいいはずだが、それがわかっていても飼いたい人はいる。

 安全か危険かの二元論では語れないこともある。

 猫が好きだとか可哀そうだとか、そういう感情もある。

 それ以上に、危険を排除していった先に娯楽がどの程度残るのかという問題があるのだ。


 何が言いたいかと言うと、俺は危険だからと様々な物事を抑圧していいのだろうかと考えていた。

 俺が捨ててこいと強く言えば飼うことにはならないだろう。

 エリシュカなら何か抜け道のように、屋根裏に密かに連れ込んだりしてそうだが。


「猫、飼いたいのか」

「……無理ならいいのじゃ」


 試しにエリシュカに聞いてみたが、相当我慢している風な様子だ。


「本音は」

「飼いたいのじゃ! 放って置くなんて無理なのじゃー」


 軽く突くとエリシュカはすぐに本音を漏らした。

 足元に居た猫を撫でながら叫んだため、猫が驚いて尻尾を立てている。

 それでも逃げないのは相当懐かれているということだろう。


 黒川は猫を触りたそうに直視している。

 猫は何故か黒川に近寄らない。触りたいと思う程に猫は逃げるものだと聞いたことがある。

 桑水流は先ほどのショックが未だ抜け切れていないようだった。

 顔を伏せてしまっているので表情が読めないし、猫を見ていない。


「綾乃、猫、どう思う」

「え! あ、はい。……エリシュカが感染する可能性を考えれば、簡単には……」

「黒川は」

「……飼いたいなー」


 桑水流は割と冷静に返してきたが、黒川はおねだりするように俺をチラっと見て答えていた。

 桑水流も心象的には飼いたいと考えていそうだ。


「エリシュカ、エサはどうするつもりだ」

「むむむ、わ、わしの分を半分あげるのじゃ」

「それは却下だな」


 少しくらいの娯楽や何かがないと、3人にとってよくない。

 例えばストレスが溜まって3人や俺の中の誰かが仲違いをした場合、面倒な事態になるのは目に見えていた。

 今までの恋愛沙汰と同じように。


 そもそも、束縛すればするほど依存性は増すと聞いたことがある。

 彼女たちの告白を断る俺に、それを良しとする道理はない。


 それに、エサとある程度の安全性があれば飼ってもいいと思う。

 そもそも放し飼いにしたところで、この猫がちゃんと戻ってくるのか怪しいところだが。

 飼うとは言っているが、猫に飼われる気があるかはわからないのだ。

 それと、鶏には手出しできないようにする必要がある。


「エサは……そうだな、今度街に行くときにとってくるか」

「!! 飼ってもいいのかや!」

「それと、絶対に素手で触るな。蟻には気を付けろよ。管理所とログハウスにも入れないことだ」

「うむ!」

「……それが守れるなら、別にいいだろ。俺は世話をするつもりはないが」

「うひょー!」


 キャットフードなら街に行けばいくらでも放置されているだろう。

 というかエリシュカに会うまで、こんな喜びの叫びを普通にする奴がこの世にいるとは思っていなかった。

 世界は思っていたより広い。


 エリシュカと黒川は普通に喜んでいた。

 桑水流は驚いた表情をしながらも、頬を少しばかり緩ませていた。


「綾乃、猫に関して蟻の毒とかで思うことがあればすぐに言えよ」

「……わかりました」


 桑水流に任せておけばある程度は問題は発生しないはずだ。

 3人の喜ぶ表情を見ると、変に拒否しなくてよかったと思える。


「名前を! 名前を決めんといかぬのじゃ!」

「ポチ!」

「いや、ここはタムがいいのじゃ!」

「ポチでしょ!」


 黒川とエリシュカが喧嘩を始めた。

 黒川の命名センスがおかしい。ポチは犬につけるべき名前のはずだ。

 エリシュカは外国風な名前を主張しているためか、よくわからない。発音が近いがタマではないみたいだ。


「……たまごやき、なんてどうでしょう」

「可愛くない!」

「意味不明なのじゃ!」


 桑水流が割って入ったが、すぐさま却下されていた。

 桑水流が心なしかシュンと小さくなってしまった。

 とりあえず桑水流は卵が大好きなのはよく理解できた。


 それから3人は猫の名前について激しい論戦を繰り広げ始めた。

 正直俺は名前がどうなろうと全く興味がないので、猫を飼うにあたって他に注意事がないか考えていた。


 すると、いつの間にか足元に猫がすり寄ってきていた。

 俺にすり寄りながらも、俺の目を見つめてにゃあと鳴く。


(こいつらのセンスたいがいおかしいんや。お前が名前決めてくれや)


 猫がそう言っているような気がした。

 もはや何弁を喋っているのかわからないような言葉に脳内変換されていた。

 貧血気味で頭に血が充分に回っていないからだろう。


「……そうだな。マンソン、お前の名前はマンソンだ」


 脳内に浮かんだ適当な名前を口に出す。

 俺の声を聞き、3人が驚愕の表情で振り返ってきた。


「微妙だよそれ……」

「普通じゃな」

「理解に苦しみます」


 3人の評価はこれ以上ないくらいにひどいものだった。

 桑水流が一番否定しているのが気になる。


 それでも猫は、まだマシか、と言わんばかりに溜息のようなものを吐いてからにゃあと鳴いた。

 猫が返事をしたように聞こえたのは、先程飲んだウィスキーによるものだと思われる。


 しかし猫のその様子に、3人は肩を落として不承不承に承知の言葉を口にした。

 やはり猫が反応した名前が一番いいのだろう。

 猫の名前に刷り込みというものがあるかは知らない。


 それでも適当に思いついた名前だが、結構いい名前じゃないかと思う。

 リズムに乗っていそうな名前だ。以前からずっとここにいたようにも感じるくらいに。


「もうそれでいいのじゃ。よろしくの、マンソン」

「……そうですね。これでやっといつもの4人と1匹が揃ったと言ったところでしょうか」

「可愛い名前の方がよかったなー」


 エリシュカは諦めがよかった。黒川はまだ何か言っている。

 それでも、猫の名前は決定した。割とどうでもいいことだ。


「猫はもう適当にその辺に離しとけ。さっさと作業に入るぞ」


 そう言うと3人は、軽く返事をして猫の周りを取り囲みながら農作業に戻って行った。

 あんな感じに構いすぎると猫はどこかへ行ってしまうだろうが、その時はしょうがない。


 女性が集まると姦しいのは確かなことだ。

 それでも、静かに黙っていられたり変に真面目になられるよりずっといいことに気付く。


 恋愛だとかに積極的でない時の方が、女性は可愛らしい。

 猫の動きに合わせて靡くエリシュカの栗色の髪を見ながらそう思った。


 俺は意味もなく溜息をついて3人から目を離し、作業に移った。

 鶏小屋は補修したいと思っていたのでちょうどよかった。

 食料基盤を整えないと、その先が立ち行かない。

 考えることは多いが、目の前の問題に取り掛かるのは楽でよかった。


……


 夕方、俺は一人テントへと向かった。

 エリシュカが蟻に触れた時の現場を確認するためだ。

 潰れた蟻をどうしたかは覚えていないが、テントの現状を見れば何らかのヒントがあるかもしれないからだ。

 もし普通の毒を持たない蟻が多く徘徊していれば、見間違いという線も浮上する。

 逆に毒を持つ蟻が多くいれば、やはり何か原因があったと確信できる。


 テントの中に入るとそこにあるのは段ボールや工具、そしてもはや誰の物だったかもわからない血痕。

 ここで血を流したのは既に5人。

 あまりいい思い出はない。

 目を皿のようにして蟻を探すと、数匹がうろうろと歩いているのを見つけることができた。

 その特徴からして、全てが例の毒蟻だ。


 そもそも、騒動が起きる前によく見た普通の蟻を最近見ていない気がする。

 もしそれが確かだとすると、蟻の中でも感染し拡大していくものの可能性がある。

 だからと言ってどうすることもできないが、感染初期の蟻が毒を出さないが、体液が緑色になったり足が赤くなったりするのかもしれない。


 見渡す限り見つけることのできる蟻が全て毒蟻であることを確認し、俺はテントを出た。

 ヒントの少ない中で可能性を考慮し続けていくと、可能性上では答えが多くあり過ぎて困りものだ。


 管理所に向かいながらタバコを吸う。

 初期に大量買いしたタバコも数が減ってきている。

 一日に吸う本数を減らして、タバコを延命する方がいいのかもしれない。


 タバコにも賞味期限があるが、大体が購入の半年後くらいだ。

 消費期限はもう少し後だろうから、未開封なら一年は頑張れそうだ。

 その後はどうしようと考えるが、禁煙しかない。

 それができないならタバコの草の栽培だ。無理の可能性が高い。


 そう考えながら歩いていると、駐車場付近に人影が見えた。

 暗闇に溶けるように立ち、ほとんど動きのないその姿に反応が遅れる。


 傍には原付のようなものが倒れている。

 3人のうちの誰かではない。雰囲気が明らかに違う。

 背格好は小さい。若い女性と思えばしっくりくるような影だった。


 咄嗟に腰を落とす俺とは対照的に、その影はこちらに向けてゆっくりと首を向けた。

 自分を隠すような風でもなく、敵対的と言う風でもなく。


 暗闇に溶けていたその顔が月明かりに照らされて、徐々にその正体を明らかにしていく。

 見たことのある顔。

 見たことのある表情。

 見慣れた、斑点。


 名前は、何だったか。

 自己紹介はしていないが、俺が殺したオッサンが確かこう呼んでいた気がする。


「……ゆり……だったか」

「……唯よ、人殺しさん」


 間違えた。

 どうでもいいことなので真面目に覚えていなかったのだ。

 二度と会うこともないと思っていた。


 俺が名前を間違えた少女は、オッサンが連れまわしていた、俺が奴らを殺した時に居た少女だった。

 俺の事を人殺しと呼ぶのも記憶に新しい彼女の姿と同じものだ。


 しかしその顔色だけは以前と全く別物だ。

 斑点がなくとも、今にも死んでしまいそうだと思える程に生気が見られない。

 時折口元を抑えて下を向くのは、嘔吐感からだろうか。

 時折体がよろめいているのは、既に病によって体力が相当削られているからだろうか。


 あの時彼女は蟻の毒に感染していた。

 それから8日程度経過しているため、既に起きていても不思議ではない。


 解せないのは、何故ここにいるのかという点だ。

 傍にある見覚えのない原付に乗ってきたのだろうが、それにしても理由は浮かばない。

 死に至る程の病の中でここに来たと言うことは、何か強い思いがあるからに他ならない。

 死ぬ前に人がすることには、大きな想いが込められていることはこれまでの人生で思い知っていた。

 それでも、まさかオッサンと同じ場所に眠りたいとは言わないだろう。

 恨みがあったはずだ。ババア二人にも、オッサンにも。

 墓を掘り起こしてその死に顔がもう一度見たいと言われる方がまだ納得できる。


「なんか用か」

「……」


 俺の問いには答えず、以前と同じように彼女は陰鬱に笑った。

 黒川の明るい笑顔とも、桑水流の控えめな笑顔とも、エリシュカの能天気な笑顔とも違う。

 これが彼女自信本来の笑い方だというのなら、一生お付き合いはしたくない。

 そんな風に感じさせる笑い方だった。


「よかった、ちゃんとここに居てくれて」


 俺と彼女は友達でもなんでもない。

 一度会っただけの、ただそれだけの関係。

 しかしその言葉には唐突なフレンドリーの響きがあり、まるで数年来の付き合いであるかのように語られていた。


 静かに告げられたその響きと表情のコントラストは、俺の心をざわつかせた。

 どうやら彼女が用があるのは、俺が殺した3人にではなく、3人を殺した俺にのようだった。

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