46.持続変異
もう一度冷静になるとウザいとしか思えない横山親子の感動の対面を捨て置き、俺はもう一度病院を出た。
感動的な場面はお腹一杯だった。
部屋を出る時、横山から涙交じりの感謝感激の目線を向けられたが、キモいとしか思えなかった。
一応かっこつけて「ごゆっくり」とかすまし顔で言って出てきたのだが、今思えば借りを作ることができたのだ。追々何らかの形で返してもらおうと思う。
車をキャンプ場へ向けて走らせるが、なんとなく心がざわついているような気がしていた。
それは先ほどの光景からの思考によるものか、それとも街の雰囲気によるものか。
今の自分の状態を考えると、当然のように前者だと思う。
ただ、街の雰囲気もなんだかいつもと違う気がしていた。何が、と言われると答えに窮する程度だが。
どうせ街まで来たのなら何かお土産が欲しいものだが、生憎食料を探すのは時間がかかりすぎる。本とウイスキーしかない。
何かプレゼントでも持って帰れば3人の機嫌は良くなるかもしれないが、面倒だしタイプではない。
何より、例えば目の前にある宝石店の宝石なんかを持って行っても何の足しにもならない。
結局ウイスキーだけを持って帰る。
先ほどストレートで飲んだせいか、多少の頭痛にこめかみを軽く押さえて車を運転する。
よく考えれば飲酒運転だが、それすら関係ないこの情勢に多少の爽快感を覚える。
もはや勝手知ったる道を運転し、キャンプ場に到着する。
このまま管理所まで行けば黒川達がいるはずだ。
これでいいのかと疑問が頭をもたげるが、どうでもいいかと車を降りて前に進む。
すぐに3人が畑の方からやってきた。
エリシュカには特に変な雰囲気もなく、やはり一日程度では容態は変化しなかったなと思う。
明日どうなるかがわからない。
血液を飲ませていいのかがわからない。
高熱の発症後は俺の血液は効かないかもしれないのだ。
考えても仕方のない思考を放棄し、3人に向かって歩いていく。
黒川を抱き締めるだのと思っていたが、とりあえずは話さないといけない。
そう思っていたが、エリシュカが何やら自分の足元を気にしていることに気付く。
視線を下に降ろすと、エリシュカの足元に猫がいた。
白と黒のまだら模様で、彼女の足に体を擦りつけている。
猫はこの騒動でも普通に生き残っている。
屋内飼いの自活能力のない猫の多くは既に死んでいるだろうが、元から屋内外を自由に出入りしていた猫は適当なところでエサを獲っているのだろう。
エリシュカはなんとなく不安そうな表情で俺の方をチラチラと見ている。
桑水流も同じように俺の方を見てきている。
この雰囲気、つい最近も同じようなことがあったことを思い出す。
「……猫か」
「う、うむ。どこからか迷い込んできて、わしに懐いてしまったようなのじゃ」
「そうか」
「……」
何か言いたいけど、言えない。そんな雰囲気だ。
そこから察するに、このまま放すのは心苦しい、できれば飼いたいということだろう。
懐かれて困っている風ではあるが、嬉しいという感情を隠しきれていない。
ただ俺はそんな猫を見ていると、少し昔の事を思い出した。
親が死んだ時、実家を一月誰もいないまま放置したことがある。大家には了承を貰っていたし、何も考えずに放置していた。
しかし実家では猫を飼っていたので、エサを適当に出しておいて俺は日常に戻っていた。
猫は家からは自由に出入りしていたし、問題ないと思っていた。
ひと月ぶりに家に戻ると、俺には一切懐いていなかった猫が俺にすり寄ってきたのだ。
今まで触れたこともなかった猫が俺にくっついて離れなくなったのだ。
スーツのズボンを毛まみれにされて、初めて猫の毛はこんなに抜けるのかと思ったほどに。
それまでは猫と言う動物は、いつもエサをくれる特定の人にしか懐かないと思っていた。
俺の中にある猫の思い出はそれくらいだ。
それでも、感傷的な思い出であったと思う。
そして、この猫の色合いは実家にいた猫に似ている気がした。
よく見れば目鼻立ちや模様は違うことはわかるが、何よりそのエリシュカから離れない仕草が似ていた。
猫は俺に驚くこともなく俺の足回りに近づいて、俺の足にその体を擦りつけ始めた。
その行動がどういう意味なのかは知らない。
おおかた臭いをつけて縄張りにしているか、甘えたがっているか。
その行動すら、久しぶりに帰った時の実家にいた猫の行動に似ていた。
だとしたらこの猫も、飼い主がいなくなって同じような状態に陥っているのだろうか。
足元にまとわりつく猫はそのままにし、エリシュカを見る。
以前鶏を持って帰った時はそれが有用だったからだ。
猫はエサも必要で蟻を拾ってくる危険もある。飼いたいとはとても思えない。
エリシュカもそれを理解しているようで、だからこそ俺に何も言えないのだろう。
面倒なのでひとまず猫の事は保留し、街の方の話をすることにした。
「猫のことはあとだ。街の方だが、あまり情報はなかったな」
「そう……ですか」
桑水流の返事は声色の暗い物だった。
街に行っても横山の話を聞いたくらいだ。
ソフィアだとかいう娘のことはどうでもいいし言わなくてもいいだろう。
何も好転していない。
北のこともエリシュカのことも、俺と3人との関係も何もかもだ。
俺が素直に受け入れれば、その内一つは上手くいく。
今の俺のように受け入れようと努力して、自分を騙して何が残るのかはわからない。
ただ、そっちの方が楽だった。
少しだけこちらから目をそらして気まずそうにしている黒川に近づく。
何かをしようと手を伸ばすが、何をすればいいのかわからない。
抱き締めればいいなんて簡単なものではない。こんな時、どう声をかければいいのか。
俺の雰囲気に、3人とも何かを察したように体を強張らせていた。
「……俺は、お前らの事……」
どうなのだろうか。
いつものように適当なドラマの文句も浮かばない。
よくあるように「好き」とでも言えばいいのだろうか。
好きではないと言っていたのに今更好きと言っても信じてもらえないだろう。
未だに好きでもないのに。
「ごめん」
何言えばいいんだと考えていると、黒川が静かに口を開いた。
突然出たその言葉を素直に咀嚼すると、俺はまさか振られたのだろうか。
「マジか」
「……ごめん」
「わしもごめんなのじゃ」
「私も、ごめんなさい」
「……マジか」
あまりの出来事に一瞬思考停止してしまう。
3人に言われた。普通の人間がこれを言われたらあまりの恥かしさで憤死するだろう。
俺だから耐えられた。と冗談交じりな風に考え心の平静を保とうとする。
が、黒川の後に続く言葉は俺を納得させるものだった。
「こんな時に変な態度とって、ごめん」
「……」
「満足したから。白沼さんが真面目に私のことを考えてくれて」
エリシュカも、黒川の言葉に頷いていた。桑水流は目をつむっている。
俺は動けない。あっけをとられたと言うか、驚いたと言うか。
ひとまず振られたわけではなかった。
「迷ってるの、わかったよ」
「……そうかよ」
「うん。迷ってくれて本当に嬉しいけど、迷わせちゃってごめん」
アルコールのせいだろうか。貧血のせいだろうか。
そんな言い訳も通用しない程に、俺は目の前の問題を早々に片付けようとしていた。
自分を騙して無理やりに3人との問題を片付けようとしていた。
俺らしくない考えどころの話ではない。
いや、面倒ごとを回避しようとする点ではひどく俺らしい考えなのかもしれない。
「でも、演技も嘘も、嫌だよ」
黒川は、先程の俺のしようとしていた行動を見抜いていたのだろうか。
今まで完璧に近かった俺の演技も見抜いていたのだろうか。
いや、ばれなていない方がおかしかったのだろうが。
ただ、俺以上に俺の事をよくわかっているなと思った。
3人とも、案外俺の事をよく見ているのかもしれない。
「こんな状況じゃ。わしらのことは後回しでいいのじゃ」
エリシュカが、いつかとは全く逆のことを言う。
多分、俺が迷っているのがわかったからだろう。
彼女たちの目からは、以前の俺が完璧超人か何かのように映っていたのかもしれない。
それが、俺が迷う事で割と普通に見えてしまったのだろうか。
それでも待つというのは、俺の思っているような立場の違いなどは関係ないということだ。
好きだと言われていい気はしなかった。
ただ、その愛なんだかよくわからない感情を向けられるのは気恥ずかしかった。
しかしこの、俺を待っていたような話の流れは意味が分からなかった。
俺の様子はいつもと違ったかもしれない。
それでも、これは前もって示し合わせていたとしか思えない。
「いきなり何なんだよ」
「……さっき、みんなで話したの」
黒川が顔を少しだけ伏せて答えた。
つまりは、俺は気を遣わせてしまったということだろうか。
まぁ確かに、俺はその話題をあからさまに避けようとしていたし当然かもしれない。
それでも、何らかの回答は出してやらないといけないと思う。
どこかの恋愛漫画の主人公のように、引っ張り続けるのは現実的ではない。
「……俺は、正直お前らに恋愛感情とかは持ってない」
「……」
「はっきり言って、恋愛感情を向けられると困る」
傷つかないように断るのは無理だと思う。
だから、そのまま本心を告げた。もう何度か繰り返していたやり取りだ。
しかし傷つくと思っていた彼女たちに、そのような様子はなかった。
「それは私達3人、一緒なんだよね」
「……そうだな」
「なら、いいの」
黒川が少しだけスッキリしたような表情で答えた。
エリシュカは少しだけ不満顔だが、納得している感じだ。
桑水流は……、と思っていたら気付いた。桑水流は少し挙動不審になっていた。
桑水流は別に俺の事が好きだとかは言っていない。
エリシュカが勝手に言ってしまっていたが、告白してないのに断られてしまった形だ。
「で、わしらを好きになってくれる可能性はあるのかや?」
「そうそれ!」
エリシュカの言葉に黒川が物凄い勢いで肯定していた。
こればっかりは、俺にはわからないとしか言えない。
「いや、微妙だろ」
「どうなの!」
「……少なくとも、状況が安定していないのに恋愛だ何だとかは言ってられない」
「つまり、状況を安定させればいいのじゃな!」
「おい」
断ったはずなのに、いつの間にか黒川とエリシュカの中では保留したような形になっていた。
つまり俺は肯定しない限り逃れられないということだろうか。
100%あり得ないと言わなかった俺の手落ちだろうか。
罠に嵌められたような感覚に陥る。
「桑ちゃんも、それでいいのじゃな!」
「え……」
俺はあえて触れていなかったが、エリシュカが自ら桑水流に飛び込んだ。
この反応は、恐らくエリシュカは桑水流に言っていないのだろう。勝手に桑水流は俺のことが好きだとか言ってことを。
鬼畜なのか、うっかりなのか。
「あの、私は白沼さんに何も……?」
「エリシュカから聞いた」
「え?」
「エリシュカから、桑水流は俺のことが好きだと聞いた」
正直に言ってあげた。
途端にエリシュカがあっと声を上げて表情が真っ青になる。つまりうっかりだ。
「エ、エリシュカ……」
「ご、ごめんなのじゃ! 言い忘れてたのじゃ! その、流れで!」
「うう……」
桑水流は怒ると言うより、泣きそうな顔になっていた。
これは申し訳なくなる。エリシュカも無駄に言い訳を口から飛ばしまくっていた。
これでエリシュカが桑水流より年上とは思いたくない。
恋愛臭い話より、こんな馬鹿みたいな話を聞いている方がずっといいと思う。
さっきまでのエリシュカより、ずっと面白い。
こんな感じに飽きさせてくれないのなら、いつか、どうなのだろうか。
黒川と桑水流の俺に向ける視線にも、まさか肯定する日がくるのだろうか。
「知ってた」
「え?」
「エリシュカが言わなくても、知ってたからな」
「……そそそ、そうですか」
フォローのような形で話に入ったが、エリシュカがあからさまにホッとしていた。
桑水流はまたも挙動不審になっていた。
俺の腕にはまだ歯形が残っている。その痛みが今になって響いたような気がした。
場の雰囲気は前より持ち直していた。
少なくとも3人の表情には既にあの恋愛で本気な目をしている一歩距離を置きたい感じはなくなっていた。
彼女たちが納得したならそれでいい。俺からすることはもうない、ということでいいのだろう。
ようやくこの恋愛談義にも一区切りついたと思うとホッとする。
性に合っていないことを延々と考えるのも疲れるのだ。
さて、と自分の気持ちに一区切りつける。
仕事が一つ片付くと気持ちは自然に上向きになる。それでもやることは山積みだ。
エリシュカが感染しなかったこと、北のこと、生活基盤のこと、未だ対応できなくても全ておろそかにはできない。
何から始めようかと迷う。
そう考えていると、足元から鳴き声が聞こえた。
先程の猫が自分に興味を持ってくれと言いたげに、自分を主張していた。
そうだったなと思い出す。まず最初に、こいつの処遇から決めないといけない。