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42.愛情不安

 目が覚めると、目の前には美女のキス顔がドアップだった。

 ということはなく、可愛い女のキレ顔がドアップだった。

 理由はわからないが、黒川が俺のことを思いっきり睨んでいた。


 自分は何故か小川の横の草むらで寝てしまっていたらしい。土の上で寝たせいか、少しだけ体が重い。

 昨日の記憶がうすぼんやりと蘇ってくるが、寝起きの頭では上手く理解ができない。

 それより、目の前でキレ顔を晒している黒川への対処が先なのかもしれない。


「おはよう」

「……」


 寝転がったまま挨拶をしてみるが、黒川は無言で表情を歪ませることで答えた。

 どうやらいい朝とは言えないようだ。グッドモーニングとはとても言えない。


 状況が理解できないので、とりあえず起き抜けのタバコを吸おうと上着のポケットに手を伸ばすと、何やら柔らかいサラサラしたものに手が触れた。

 桑水流の髪だった。

 桑水流は俺を敷布団代わりにスヤスヤ寝ていた。体が重かった理由が判明した。

 同時に、昨夜何があったかを鮮明に思い出してきた。

 というか、傍から見たら俺が桑水流の髪を撫でたみたいになっている。


「……なんで」

「ん?」


 黒川は明らかに怒っていた。

 般若のように表情を歪ませているが、その表情は可愛くないとでも言えばさらに怒らせてしまいそうだ。


「なんで! 桑水流さんと一緒に寝てるの!」

「……」


 黒川は胸に溜まった鬱憤を発散するように叫んだ。

 理由は、なんだったか。

 俺は草むらで力尽きて寝た。桑水流は何故か俺にくっついたまま寝た。

 つまり一緒に寝ている理由を俺に聞かれてもわからないのだ。桑水流に聞いてもらわないと意味はない。


「綾乃、起きろ。黒川がなんか聞きたいらしいぞ」

「……?」


 ゆさゆさと桑水流の肩をゆする。

 桑水流はすぐに薄目を開けて俺の方をボンヤリと見てきた。

 寝起きなのでうまく思考が回らないが、とりあえず俺は顔でも洗いに行こうかと桑水流を横にずらして起き上った。


 そのまま軽く体を伸ばす。

 早朝の山の空気を胸一杯に吸うと気持ちがいい。

 早朝の方が大気中の二酸化炭素が多いらしいが、つまりは二酸化炭素の方がおいしいということだろうか。

 そのまま小川の方に向かおうとするが、待ったがかかった。


「私が聞きたいのは、白沼さんになんだけど……?」


 その場に黒川の怒気をはらんだ声がこだまする。

 寝ぼけた頭では黒川が何に怒っているか全くわからなかった。

 朝は顔を洗ってトイレに行って、タバコを吸わないと力が入らないのだ。


 さらに管理所の方から、騒ぎを聞きつけたエリシュカが走ってきた。

 完全なる野次馬的思考が表情に溢れていた。


「なんじゃー? なんじゃなんじゃー?」


 黒川とは対照的なお気楽な声がその場に響く。

 なんとなくエリシュカはいつも通りなので安心した。

 桑水流は未だに覚醒しきっていないのか、地面に手をついてこちらをボケッと眺めていた。


「聞きたいって、何をだ?」

「なんで、桑水流さんと、寝てるの?」


 黒川の話し方は単語の一つ一つに力が入っていた、

 そこはかとなくプレッシャーを感じ、その危機感からかようやく頭が覚醒してきた。


 恐らく黒川は、俺が黒川の気持ちに答える気がないと言っているのに、何故桑水流とは仲良さそうに寝ていたかについて怒っているのだろう。

 言いたいことはわかる。

 しかしやはり、黒川には多少の勘違いがあり、俺も特に悪くはないので返答に困る。


 何より、恋愛だなんだの修羅場というのが心から面倒だと感じた。

 当事者の俺が言うのもなんだが、余所でやってくれと思う。


「なんじゃ!? 桑ちゃんは白沼殿と寝たのかや!?」


 エリシュカまで話に入ってきた。話はさらにややこしくなってしまった。

 しかもその表現がひどい。悪意があるとしか思えない。

 桑水流は未だ覚醒していないような表情で、その言葉に返答した。


「……? はい、つい寝てしまいました」

「!?」

「……あ、口の中にまだ、白沼さんの感触が……」


 桑水流は口を押えて気分の悪そうな表情で変なことを言い出した。

 俺はそれが吐かせた時の感触であるのは知っているが、その表現がひどすぎる。

 黒川とエリシュカがあまりの驚きに口を広げて固まってしまっていた。


 誤解が誤解を呼び、その場の温度は下がっていった。

 なんとなくこの嫌な空気に長く浸りたくはない。


「……とりあえず、俺は少しトイレに行ってくる」


 俺は朝起きるとトイレに行きたくて仕方がないのだ。

 流石に起き抜けのトイレを断ることはできなかったのであろう。

 黒川とエリシュカは無言でコクリと頷いた。

 早く戻ってこいという無言のプレッシャーを感じた。


 俺はそのまま管理所の方ではなく、ログハウスの方に歩いて行った。

 3人が見えない場所まで来ると、少し溜息を吐いて小川で顔を洗って用を足し、ログハウスへと向かった。

 釣り道具を取りに行くためだ。

 俺は道具を持ち、そのまま釣り場へと向かった。


 つまるところ、俺は逃げた。

 面倒事は御免だった。


……


 釣りはいい。

 どんなに荒んだ心でも、落ち着いた雰囲気や小川のせせらぎですべてを綺麗に洗い流してくれる。

 ピヨピヨと飛び回る鳥や、草木のざわめきは平和というものを直接的に感じさせてくれる。


 俗世の穢れから離れたここはまるで桃源郷だ。

 仙人が真っ直ぐの裁縫用の針を垂らして釣りをしていたのもわかる。

 俺の場合は食料確保もしつつでまさに一手両得状態である。


 ワクチンのことや3人のことなど忘れて、俺は自然をエンジョイしていた。

 しかし天気の方はご機嫌悪い模様で、ポツリと雨が降ってきている。

 雨脚は強くなりそうにないが、小雨の中にいては風邪をひいてしまう。

 フードを深くかぶり、木の太い枝の下に移動する。場所は微妙だが、ここからでも釣りはできる。


 雨を川に跳ね返る音で感じながら釣り糸を垂らしていると、いつの間にか背後にエリシュカが佇んでいることに気付いた。

 特に何も話さず、木の下で俺の垂らした釣り糸を見つめている。


「……」

「……」


 雨の音だけが響く状況は、気まずいとは思わなかった。

 むしろ釣りに集中できるくらいに、エリシュカは釣り糸を眺めるだけだ。

 釣り糸に反応があり、俺は竿を上に向ける。リールを巻くと、少し小ぶりの魚が釣れた。


「……」

「……黒ちゃんは」


 魚から針を外していると、ようやくエリシュカが喋り始めた。


「黒ちゃんは、白沼殿のこと好きじゃぞ」

「……」


 いきなりだなと思う。

 そのことは、知っていた。

 例え一過性だろうと、俺の立場に関係なく、あいつは今は俺のことが好きだ。

 以前、黒川本人から聞いた。


「これを言ってしまうのは卑怯かもしれぬが」

「……」

「桑ちゃんも、白沼殿のこと好きじゃぞ」


 知らなかった。が、予想はしていた。

 ここ最近の彼女の雰囲気から、なんとなくは感じ取っていた。

 俺も不本意ながら口説くような言葉を吐いていた。


「どうするんじゃ?」

「……」


 これだから面倒なのだ。

 恋愛だの恋だの、このような状況ならその前にやることがあるだろうと思う。

 俺個人的な感情でも、真面目に取り合おうとは思えなかった。

 俺の今の立場で手を出すなんて、レイプとなんら変わりがないとすら思っていた。

 まあ以前黒川を抱いていたが、あれは本当に死ぬと思っていたから別だ。くだらない言い訳かもしれないが、本気でそう考えていた。


「今はもっと大事なことがあるだろ」

「ないのじゃ」

「……」

「女の子にとって、恋愛より大事なことなどないのじゃ」


 突然エリシュカが恋愛至上主義的な発言をしだした。

 本気で勘弁してほしい。価値観の相違は否定できない。

 何より、女性の口から何度も聞いたような言葉なだけに、それは女性にとっては割と本当のことだと思っていた。


 エリシュカの方を向くと、雨にずぶ濡れの状態で元気のなさそうに、それでいてしっかりとこちらを見て話していた。

 恋愛の話でそこまで真面目な顔をされると困る。

 食料を獲るときよりも真面目なのは、やはり男性と女性の価値観の違いだろうか。


「あとこれは言う気はなかったんじゃが」

「……」

「わしも、白沼殿のこと大好きじゃ」


 少しだけ驚く。以前言われた時は完全に冗談口調で言っていた。

 しかし振り返れば、俺に好意を寄せるような発言が多かったなと思う。


 しかし自分の時だけ「大」好きと言うのは卑怯ではないのだろうか。

 ついでに、俺は何故ここまでモテているのだろうか。

 普段の俺は流石にここまではモテないから、やはり血液や立場の違いでこうなっているのだろう。


 こんな思考をするあたり、やはり俺は真面目に取り合おうとは思えなかった。

 こんな状況で言われても、あまり嬉しくないものだ。


 ただ、エリシュカの表情を見ると俺の思考は軽く吹き飛んだ。

 顔は真面目なままだが、頬が赤みを帯びており、その大きな目は固く瞑られていた。


 当たり前だが、これは告白なのだ。

 俺の思っているような軽い話ではない。

 だからこそ真面目に取り合わないといけないのが面倒なのだ。


「お前らの気持ちに答えるつもりは、ない」

「!」


 あまり焦らしても引っ張っても逆効果だ。単刀直入に答えてやる。


「な、なんでなのじゃ」

「……」

「ま、まさか、死に別れた奥さんでもおるのかや……?」

「いねーよ」


 結婚なんてしているわけがなかった。

 会社員の時も遠い先のことだと思っていたし、この状況だとそんな未来は考えてすらいなかった。


「なら、なんでなのじゃ……」

「……」


 パッと答えられるような理由はなかった。

 立場の違いだのを言ってもうまく伝わらない気がした。


「理由もないのかや……?」


 泣きそうな表情は、やめてほしい。

 何か言わないといけない気になってしまう。

 出したくないような言葉が、口から出てしまう。


「偶々だろ」

「……?」

「偶々、俺がお前らを助けたからだろ」


 エリシュカは一瞬理解できないように不思議そうな表情をするが、すぐに俺の意味するものを察したのだろう、顔が赤らんだ。

 照れているからではないだろうから、怒っているのだろう。

 失言だったと思う。思っていても言うべきではなかった。


「違うのじゃ!」

「……」

「偶々なんかじゃないのじゃ! わしもみんなもこんな騒動がなかったら、いつか白沼殿と会って今みたいに好きになってたのじゃ!」

「それは……」

「地球が何遍回っても、わしは白沼殿のこと大好きなのじゃ!」


 エリシュカは割と大きな声で愛を叫んだ。木の上に停泊していた鳥が数羽逃げていく音が聞こえる。

 こんな騒動がなかったら、というくだりはあり得ないと思う。

 恐らく、俺は3人の誰とも会わない。偶然会ったとしても、一瞬交差するだけのすぐに忘れるような関係になっていただろう。

 ついでに、地球が何遍回ってもとか子供みたいな言い方だ。


 しかしエリシュカは言い切ってしまっていたので、俺の言い訳は通用しない。

 彼女の好きは、偶々でも一過性でもない本物のものであるらしい。


 以前の俺なら、ここで面倒になりどこかへ去っていただろう。

 しかし現状でそのようなことはできない。

 俺がどこかへ行くと2人死ぬかもしれないし、それ以上に俺は彼女たちのことを大切に想っていた。

 しかしそれが好きだとかの感情かと言われると、違うなと思う。

 胸を揉みまくった俺が言っても説得力はないのだが。


 結局選ぶのは保留案、時間稼ぎしかないのだ。

 理由がないと納得できないのなら、理由を探すしかない。

 ただ、何を言っても納得されないような気がした。どう言ったら収まるか、考える必要があった。


「少し時間がいる」

「……」

「すぐに回答したいような問題じゃない」

「……今日みたいにどこかへ行ったりはしないじゃろうな」


 これは耳が痛い。

 ただ、俺もこんな面倒な問題は早く片付けたかった。

 全てが丸く収まるとは思えないが、今の不安定な状況よりマシだろう。


「ああ、明日にでも言うさ」

「うむ」


 エリシュカが頷いているのを見て、失敗したと思った。

 早い方がいいと適当に明日とか言ったが、明日は早すぎる。

 しかし一度言った言葉は取り下げられる雰囲気ではなかった。


「じゃあ、一度管理所に戻るのじゃ。二人とも待っておるぞ」

「……」


 断れる感じではなかった。

 仕方なしに俺は小さくため息を吐いて、釣り道具の片付けを始めた。


 結局その日は、小さな魚が一匹釣れただけだった。

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