34.情報伝達
桑水流を車に乗せ実家に移動する間、俺は症状を抑える方法について話していた。
しかしその中で、桑水流は母親のことについて質問してこなかった。
「母親のことについて、聞かないのか」
「……」
桑水流から見たら、俺は母親を見殺しにしたように映っていてもおかしくはない。
言い訳ならいくらでも思いつくが、それでも桑水流の口から何かしらの意見が聞きたかった。
「……白沼さんは母のことで、私に引け目を感じているのでしょうか」
「……引け目って言う程のものはないな」
そうは言ったが、正直そう捉えられてもしょうがないような感情は持っていた。
母親に悪いとは思っていない。あの時俺は、自分の血液の効果について充分理解していなかった。逆に、母親のおかげでいろいろ知ることができた。
母親には感謝している。
桑水流には、どうだろうか。
自分からわざわざ話を切り出したのだから、心の奥底では引け目を感じているということだろう。
「私は今まであまり理解していませんでしたが、私は母が発症した時の白沼さんの焦り、黒川さんが発症しなかった時の白沼さんの安心した顔を見ています」
「……」
「だから、仕方なかったのだと思っています」
「……そんなんでいいのかよ」
「白沼さんはさっき、母に頼まれたこともあって私を助けると言っていましたよね」
「……言ったっけか」
「母のことを覚えて下さるのなら、私から白沼さんに言うことはありませんよ」
吹っ切れたようにそんなことを言う桑水流は、なんとなく大きく見えた。
なんか、急に大人っぽくなったなと思った。
女が急に大人っぽくなった時は、大体恋愛だとかエロいことが原因だと相場が決まっている。
横山の下半身を見たことが桑水流の何かを変えてしまったのだろうか。
だとしたら桑水流には本当に申し訳ないことをした。
あんなもので大人の階段なんて上りたくなかっただろうに。
「ま、桑水流がそれでいいのならそれでいい」
「……」
この話はこれで終わりだとばかりに行ってみたが、桑水流が渋い顔をする。
何か話したりないことでもあったのだろうか。
「……あの、呼び方が」
「?」
「桑水流、と」
桑水流が不満そうな顔をしている。
病院から出たので恋人設定は終わったつもりだったが、苗字で呼ばれるのが好きではないのだろうか。
そう言えば、母親を亡くしてからは名前で呼ばれることもなくなっているのかもしれない。
そう考えると、下の名前で呼ぶのもいいかと思った。短いし。
「綾乃の方が良かったか」
「はい」
即答される。なら別にいいか。
「わかった。綾乃、二人への説明は自分でしろよ」
「はい!」
なかなか元気のいい返事だ。表情にも明るさがあって俺の目にいい。
陰鬱な表情なんてせずに、ずっとその表情をしていろと思う。
……
桑水流の実家に戻ると、心配していた二人が飛び出してきた。
黒川にはさっさと血を与える必要があるなと思い出す。一日一回が今のところの決定事項だ。
「桑ちゃん!」
「待て」
エリシュカが桑水流に飛びつこうとするのを止める。
エリシュカまで感染したら死ぬ。貧血で死ぬ。
こいつの感染だけは絶対に食い止めるスタンスで動く。
二人は少しだけ戸惑った風な表情を見せるが、すぐに桑水流の表情と傷痕についている包帯を見て安心した表情をする。
「大丈夫じゃったかー」
「よかったー」
なんというか、ここまで安心されると感染したことを言い難いのではないかと思う。
そう思って桑水流の方を見ると、二人に心配されたのが嬉しかったのか満面の笑みを浮かべていた。
ここまで表情が変わるとちょっと引く。
「お医者様に治療してもらったの。感染してしまいましたけど、もう大丈夫ですよ」
二人が固まる。感染って何? という面だ。
桑水流もいきなり全部を言った。言い難いなんてことはなかったみたいだ。
「……感染とな? 何にじゃ?」
「蟻の毒ですけど?」
桑水流が当然じゃない、みたいな感じで首をひねる。
当然二人はまた固まる。
黒川がこちらを見てきたので、軽く頷いて返してやる。
「綾乃は感染した。今日寝たら明日は起きないな。発症はどうにか抑えるつもりだ」
場が混乱しているようなので、助け舟を出してやる。
エリシュカにだけ俺が黒川の発症を抑えていることを隠すこともない。精液が特効薬だとか言っていたのでどうせ予想はしているはずだ。
思い出すと少し笑えてきた。清々しいほどの馬鹿発言だったと思う。
「もう桑水流さんには説明は……?」
腹筋をピクピクさせていると、黒川がこちらを見ながら言ってきた。
少し待ってくれと思うが、気合で笑いを抑える。
「してる。全部な。感染経路は俺だ。偶然な」
そう言うとエリシュカが睨んできた。
黒川は納得したような表情をしているが、表情は明るいとは言えない。
「まさか、エロいことをしたのかや……」
エリシュカの発言は無視でいい。
いちいち取り合うと面倒なのだ。エロいことをして感染させるとか鬼畜すぎるだろ。
「とりあえず、綾乃と黒川はこっちに来い。エリシュカは後で話がある」
そう言って二階の母親のいた部屋に移動する。
エリシュカには血の補給を見られたくない。見たらこいつまで吸い出しそうだ。
本当にこれ以上は嫌だった。貧血もあり得るし時間もかかる。
移動しようとしたが、黒川から待ったがかかった。
「なんで、桑水流さんの呼び方が変わってるの?」
眉間にしわを寄せ、そんなことを聞いてくる。
何やら不機嫌みたいだが、素直に答えておこう。
「そっちのが短いからな。機能的だ」
「じゃ、じゃあ、私も由紀って呼んでいいよ!」
「遠慮する」
「えー! なんでー!」
スパッと断った。
黒川は俺のことが好きだとか言っていた。調子に乗らせることはしない。
桑水流は別にそんな感情を持っていないだろうから、問題ないだろう。
「さっさと行くぞ。エリシュカ、一階で待ってろよ」
騒ぐ黒川を無視し、2階への階段を昇る。
エリシュカはその場で固まったまま動いていなかった。
口をへの字に曲げているのは、やはり仲間外れのようになっているのが嫌なのだろう。
階段を昇り、例の部屋に入る。二人も入ったことを確認し、扉の鍵を掛けた。
覗きがいるから鍵は必要だ。
「さて」
二人に向き直ると、黒川はいつも通りの様子だったが、桑水流が顔を赤くしてなにやら緊張しているようだった。
これから自分の命に関わることをするのだ。当然だろう。
外では一応長袖を着ていたので、乱暴に脱ぎ捨てる。暑くて仕方がなかったのだ。
そのまま桑水流の方を向き、体が強張っている様子を見ながら告げる。
「まずは綾乃だ。黒川はそこで待ってろ」
「りょーかい!」
「!?!?」
黒川はいつも通りに元気のいい返事だが、桑水流がなにやら驚いていた。
黒川が先にすると思っていたのだろうか。
「そう緊張するな。怖いもんじゃねーよ」
「え、えと、黒川さんが見ている中で?」
「別にいいだろ」
桑水流が狼狽している。黒川に見られるのが嫌なのだろうか。
確かに、他人の血を飲むところは人に見られたくないのかもしれない。
血を飲むことで、喉が痛くなることだってある。そう考えているのかもしれない。
「心配するな。痛くはない」
「……」
一歩程桑水流に近づくと、桑水流は観念したように下を向いた。
エリシュカも待っていることだし、さっさと片付けたい。
そう思っていると、桑水流がいきなり服を脱いだ。
ズボンは履いたままだが、上半身は下着だけになる。
「は?」
「うう……わ、わかりました。よろしくお願いします……」
何故服を脱いだのだろうか。目の保養にはなるが、理解が及ばない。
黒川の方を見ると、目を真ん丸に広げて桑水流の胸を見ていた。羨ましそうな顔で。
俺も見てみた。桑水流の胸を。羨ましそうな顔で。
「なにしてんだ」
「ふ、不束者ですが、宜しくお願いします……」
そこまで聞いてやっと理解した。
桑水流は恐らく、エリシュカから聞いたのだろう。
俺の何が黒川の発症を抑えているのかを。エリシュカが誤解していた内容を。
「違うからな」
「うう……恥ずかしいです…………え?」
「俺の血をお前に飲ませれば、発症を抑えられる」
「え? え?」
「精液じゃないからな」
そこまで言ったところで、桑水流の動きが止まる。
黒川はエリシュカの勘違いを知らないのだろう。「馬鹿かこいつは」みたいな面で桑水流を見ている。
少し胸を見ながら待っていると、桑水流は突然持っていた上着で前を隠し、部屋からすごいスピードで出て行った。
「……桑水流さんって……」
「エリシュカが嘘言ったんだよ」
フォローはしておいた。
階下から聞こえる桑水流の怒りの声は、なかなかの叫びだった。
エリシュカの抗弁が空しく聞こえる程に。
……
桑水流と黒川への血の補給は手早く済ませた。
慣れてきたので、すぐに終わるようになっていた。しかし最近貧血のような症状が多くなった気がする。
真面目な話、エリシュカには本当に感染してほしくない。
ちなみに桑水流は恥ずかしすぎる姿を見られたからか、開き直って血をぐいぐい飲んでいた。
涙目で恥ずかしそうに血を飲む桑水流の姿は、なかなかに扇情的だった。
二人はその場で待機させておいて、俺だけエリシュカの元へと向かう。
エリシュカに現状を伝える。
お前は他人に殺意を持たれていると伝えるのは、なかなか骨が折れそうだ。
エリシュカの元へ行くと、彼女は一人で座り込んで地面に「の」の字を書いていた。
「待たせたな」
「……」
エリシュカは完全にはぶてていた。
片方の頬を膨らませているので、近くに置いてあった箸で頬を突き刺す。
指で優しく突っついてきゃっきゃうふふするような仲でもない。
「痛いのじゃー!」
「うるせー」
静かだと思ったらこれだ。
さっさと本題に入ることにする。
「お前が悪魔って呼ばれてた理由、わかった」
「……あの中年デブのことかや?」
エリシュカもなかなか口が悪い。まぁ桑水流が怪我したんだ。怒って当たり前か。
あのオッサンも若く可愛い子にこんなこと言われてると知ったら悲しむだろう。
どうにかこの音声を切り取って聞かせてやりたいと思う。
「そいつだけじゃないな。お前が……」
「外人だから、じゃろ」
エリシュカに先に答えを言われた。
外国人ではなく外人と表現したところが、なんとなく生々しく感じる。
「知ってたのか」
「違うのじゃ。ただ、あんな感じに見られた経験があっただけなのじゃ」
エリシュカは名前からして日本の血が混ざっているようには思えない。
混ざっていたとしても薄いはずだ。
日本語が流暢なところを見ると、幼い頃から日本にいたのだろう。
だとしたら、差別的なイジメなどもあったのだろうか。
「両親はいないと言ったじゃろ?」
「……ああ」
「殺されたのじゃ。あんな奴らに」
思っていた以上に、重いことを聞かされた。
いつも明るいエリシュカには似合わない話と、表情だった。
「別に今はそこまで気にしてはおらぬ。桑ちゃんや白沼殿、黒ちゃんもおるしの」
「……それは、この暴動でか?」
「初期の頃にの。お前達が蟻を持ち込んだんだ、じゃと」
いつもよりほんの少しだけ感情を失ったような表情だった。
まだ目に光があるのは、桑水流一家などのおかげだろうか。
しかしその姿は、精液などと馬鹿を言っていたエリシュカとは、別人のようだった。
「馬鹿な奴らだな」
「……そうじゃな」
「そんな奴ら、死んだ方がいいな」
「……」
「殺してやろうか?」
「……」
エリシュカが少しだけ引いていた。
そうなることがわかっていながら、言葉を止めることができなかった。
桑水流を撃ち、エリシュカの両親を殺した奴らだ。
元から殺すとは決めていた。
エリシュカの両親を殺した人間と、例のオッサンは別人だろうが、関係なかった。丁度いい代わりにはなる。
そんな俺も言葉に肯定しないのは、エリシュカが優しい娘だからだ。
だからこそ、その優しさに甘えて狡く生きる奴らに対して、殺意を抱く。
「……いいのじゃ」
「なんでだよ」
「そんなことしたら、白沼殿が危ないのじゃ」
エリシュカの瞳が少しだけ揺れていた。
俺が思ったより激情を抱いているからだろう。
もしかしたら、この話をしたことを後悔しているかもしれない。
「どうせ、探し当ててどうにかしようとは思っていた。キャンプ場のこともある」
「……本気なのかや?」
「どーだろうな」
「……! ダメなのじゃ!」
エリシュカが叫ぶ。
俺が本気なのがわかったのだろう。俺の身を心配してくれているのかもしれない。
それでも、俺の意見は変わらない。
「どちらにせよ、明日くらいから、情報収集を始める」
「そんな……だめじゃ……!」
ちょうど人の居る場所も知ることができた。
横山は微妙だが、他の守衛に居た女なんかは多少の情報は持っているかもしれない。
「その間、あいつらのことは頼むな」
「儂はもういいのじゃ!」
「他の二人には言うなよ。変に心配かけたくないからな」
「儂が悪かったのじゃ! じゃから!」
「……はぁ……わかった」
思いのほかエリシュカの抵抗がすごい。
手をあげて俺の服を掴んでくる。
確かに、俺がいなくなることは黒川と桑水流の命に関わる。
両手を上げて降参のポーズをとる。
無意識のうちに体に入っていた力を抜いた。
「……ほんとかや?」
「あぁ。情報収集はするが、危険なことはしない」
「約束じゃぞ?」
「ああ」
エリシュカはようやく矛を収めるように手を離した。
俺のことを責めるような、それでいて少しだけ安心したような表情を見せる。
奴らを殺しに積極的に動くことは一時保留しよう。
ただそれでも。もし奴らの情報を得たとしたら。
(どうなるかは、わからないな)




