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33.口頭弁論

 後悔していた。

 予想はしていなかったが、可能性はあったはずだ。

 肉体的にもダメージがあり、精神的にも不安定な桑水流に近づいて、こうなることを。


 桑水流は感染した。


 その事実を受け止めきれず、桑水流の腕と顔を見つめる。

 桑水流は俺に向けていた顔を伏せ、静かに泣き出した。その腕を俺の顔に伸ばしたまま。


 桑水流を責めようと一瞬右手が動こうとするが、その泣き顔を責めることなどできなかった。

 振り上げかけた右手はその行き場を失い、なんとなく桑水流の涙を拭うことで落ち着く。

 もはや桑水流に触れようが、関係なくなっていた。


 考えれば、生身で他人と接触できないと言うのは大きなストレスになり得るのだろう。

 俺は黒川と毎日朝に血液補給もあって接触している。

 桑水流はここ一か月近く、誰とも接触していないのだろう。


 桑水流の右手が俺の顔を撫でる。

 その感触を確かめるように、少しだけ指を動かしていた。

 くすぐったいとは思うが、それを振り払おうと言う気にはなれなかった。


「感染、したな」

「……はい。申し訳ありません」


 顔を伏せたまま桑水流が返事をする。

 今大事なのは、桑水流の不安を取り除くことだ。

 感染したことは既に起きてしまったこと。今更考えても仕方ない。


「馬鹿だな」

「……はい」


 俺自身、なんとなく力が抜けている。

 適当な言葉しか浮かびやしないし、頭であれこれ考えてもすぐに雲散霧消してしまう。


 何故桑水流は俺に触れたのだろうか。

 死にたかったという線は、薄い。俺が感染者をどうにかできることを知っているからだ。

 だとしたら、感染したかったか、単純に俺に触れたかったか。どちらにせよ理由という程のものは思いつかない。


「理由は」

「……よく、わかりません」


 桑水流自信もわからないときた。俺がどう考えてもわかるはずがない。

 理由を考えても仕方ないので、単純に混乱したからということにしておこう。

 混乱した原因は、俺の曖昧な態度だろう。


 俺の顔に触れる桑水流の手を掴む。

 桑水流の手に入っていた力は抜け、俺の手を支点にだらりと垂れさがる。


 あれこれ考えているのが、面倒になってきた。

 どうせいつか感染するとは思っていたし、それが早くなっただけだ。


「発症を抑える方法はある」

「……」

「それをすると、俺はお前の面倒を一生見る必要がある」

「……それは」


 桑水流の表情が暗くなる。

 俺がそういうのを面倒に思うというのを理解しているのだろう。

 そして、例え発症を抑えたとして、その代償に何かをさせるという風に考えているのだろう。


「綾乃はそれでいいのか」

「……え?」


 代償だといって、させることなどない。

 そもそも、代償を要求するには立場が違いすぎる。

 ちっぽけなプライドだが、こんな形で桑水流に何かをさせようとは思わなかった。


「白沼さんは、それでいいのですか?」

「……元より、こうするつもりだった」


 血を吸われるだけだ。痒くない蚊みたいなもんだ。

 それに、これで桑水流が精神的に安定するなら問題ないだろう。


「面倒では、ないのですか」

「どうせこうなるのは分かってたな」

「途中で見捨てたり、しませんか」

「馬鹿にすんなよ」

「……」

「一生面倒見てやる。母親にも頼まれたしな」


 半分やけっぱちになって吐き捨てた。

 俺はイエスマンになることに決めた。

 しかし俺のやけくその言葉は、桑水流にとっては重い言葉だったようだ。


「エ、エリシュカは……」

「あいつも同じだ」


 桑水流の心配事を一つ一つ、口頭で潰していく。

 俺だって、変なストレスは昔から嫌いだった。

 受験期や大学での勉強しなければならないといったストレスや、親が死んだ時の行政手続きなど。

 何かを常に心配事として抱えるのが大嫌いだった。


 だからこそ、桑水流も心配事がなくなれば、少しは元気になるかと思った。

 というか、エリシュカは黒川と桑水流が俺の血を吸うのを見たら、仲間外れだとか言って自分から感染しそうな気がする。勘弁してほしい。


「嘘じゃ、ないんですよね」

「全部本当だ」

「……」


 微妙に信じていない気がする。

 こういう時、女慣れしたイケメンならなんて言うのだろうか。

 それっぽいセリフを考えていると、思いつくものがあった。真似てみる。


「俺には綾乃が必要だ」

「え?」

「ずっと一緒にいてくれ」


 こんな感じなら信じるかと思って言った言葉だが、思っていたのと違う気がした。

 こんな臭いセリフ言うつもりはなかった。微妙に鳥肌が立つ。

 というかこれではまるでプロポーズだ。本当に間違えた。


 しかし桑水流には、少しは効果があったようだった。

 内心ヤバイと感じている俺を尻目に、桑水流は俺に盛大に抱き着いてきた。


「わ、私からも、お願いします……!」


 俺にはチャラ男の素質があるのかもしれない。

 適当なドラマか何かで見たセリフだが、案外言ってみるものだ。


「ずっと、ずっと一緒に居てください……!」


 真正面から抱き着き、俺の胸元に顔を押し付けてくる桑水流は、さっきの暗い表情よりは、大分マシになっている気がした。

 ドラマの続きだと、ここは俺が抱き返す場面なのだろう。


 しかし桑水流のストレートな感情はドラマだとかは関係なく、俺に抱き返させるような何かがあった。


 だから、俺も素直に桑水流を抱き締めてやることができた。

 これで、桑水流も安心できるだろうことで、俺も多少は安心できるだろうから。



 そのままの体勢で少しの間二人して抱き合っていた。

 しかしすぐになんとなく気恥ずかしくなり、この雰囲気を止めたいと思い始めた。俺と桑水流は恋人同士でもなんでもない。

 桑水流が安心したまま、この状況を終わらせる言葉。ないのか。

 そう言えばと、横山の言葉と抱き着いている桑水流の胸の感触を思い出し、言った。


「そういや綾乃は何カップなんだ」

「……え?」


 桑水流の動きが停止する。


 その後、ゆっくりとした動作で俺から離れ、無言で布団の中に戻っていった。

 そして布団で真っ赤になった自分の顔を半分隠し、俺の顔を軽く、可愛く睨みつけてきた。


 空気を読めていなかった。

 馬鹿な発言をした。

 そう考えている俺を尻目に、桑水流は恥ずかしそうに、小さな声で言った。


「……じ、Gです……」


 これなら横山の爺さんも文句はないだろう。

 妙な達成感と共に、俺は横山の喜ぶ顔を想像していた。

 しかしその喜ぶ顔がムカついたので、やはり横山には言わないことにしようか。


 真っ赤な顔を隠すように全身布団に隠れてしまった桑水流を見ながら、そんなことをボケッと考えていた。


……


 桑水流はこれから一週間の睡眠に入る。

 その間、拠点と食料がどうしても必要だった。

 さらに、時間を空けて一度は桑水流を横山に診せる必要があるだろう。


「綾乃、今からお前の家に戻る」

「……わかりました。一度、横山さんに挨拶したいのですが」


 一緒に、とは言っていなかったが桑水流は着いてくるつもりのようだ。

 こちらもそのつもりだが、俺から離れる気はないのだろう。

 そう言えば、綾乃という呼称が定着しつつある。短いしこっちの方がいいから問題ない。


「俺も横山には言う事がある。それと」

「はい?」

「今はどのくらい動けるんだ?」


 桑水流は自分の体を軽く眺める。

 見た感じ力があまり入っていない。寝かせといてやりたいが、あまり病院に長居はできない。桑水流はこれから眠ってしまう。バレたらどうなるかわかったもんじゃない。


「歩いたりはできるかなと……」


 自信なさ気に桑水流は答える。

 つまり、まともに歩けないということだろう。貧血で倒れられたらそっちの方が面倒だ。


「わかった。おぶって行く」

「え!?」


 当然の帰結だとは思ったが、桑水流には驚きの発言だったようだ。

 確かに俺は面倒なことが嫌いだが、これはしょうがないだろう。


「……私、重いですよ……」

「……はっ」


 くだらない理由だったので、鼻で笑ってやった。

 そりゃエリシュカよりは重いだろうよ。見ればわかる。

 でも女の重いってのは大体男性からしたらひどく馬鹿らしいことだ。男の方が重い。


「いいから乗れ」


 そう言ってベッドの脇に背を向けて屈みこんだ。

 少し間が空くが、待っていると桑水流がゆっくりと背中に乗ってきた。

 背中に何とも言えない感触が伝わる。

 正直胸が当たっているのだろうが、背中の感覚は鈍いので何も感じなかった。


「ホントに重いな」

「え!!」


 軽く冗談を言いつつ立ち上がる。実際そこまで重いとは感じなかった。

 このまま行こうと思ったが、目の前に見える桑水流の手が震えていた。


「冗談に決まってんだろ」

「……」


 若干桑水流の腕に首を絞められながら、移動を開始した。

 怒っていいところだと思うが、その抵抗もささやかなものだなと感じる。

 しかし少しでも俺にやり返したところを見ると、俺に逃げられるかもしれないという桑水流の考えが、既に消えかかっているのだろうと思う。

 常に俺に媚びるように動かれても厄介なので、これでいいと思った。



 そんなことを考えながら横山の部屋の扉をノックし、返事を聞かずに中に入った。


 先程の位置で横山は、下半身に何も着けていなかった。

 その横に相田がいた。服がはだけていた。

 そのままの体勢で固まっていた。


 咄嗟に桑水流に何も見えないように頭を動かし、そのまま扉の外までバックした。


「失礼」


 扉を閉める前に、言っておいた。礼儀は大事だ。

 突然桑水流が何も言わずに自分の顔を俺の背中に押し付ける感触があった。

 桑水流も見てしまったのだろう。爺の下半身とか諸々を。


 奴らも災難だったのだろうが、桑水流も災難だ。

 この場で悪いのは俺だけ。

 なんとなく、理不尽な気がした。


……


「そう言うことで、俺達はすぐにここを発つ」

「おお、そうか。渡せるものは何もないが、頑張れよ、若者」


 (お前の下半身も大概若者だけどな)


 口には出さない。先ほどの事故はなかったことになっていた。

 相田は、部屋の外で待っていると部屋から飛び出して行ってどこかへ消えた。

 桑水流は俺の背中で何も見やしないと目をつぶっている。


「できれば一週間後くらいにまた来る」

「……そうじゃな。毎日来てほしいところじゃが、仕方ないのう」


 そう言って横山は包帯の束と消毒液を渡してきた。

 有難い。やはりいい奴だ。上半身は。


「綾乃、言うことがあるんじゃなかったのか」

「……いろいろ、ありがとうございました」


 背中の桑水流に向けて言ってみると、桑水流は顔を隠したまま小さく呟いた。

 お礼を伝える時は顔を隠すなと言おうと思ったが、空気を読んでやめておいた。


「ふ、ふむ。こちらこそ、スマンことをした」


 横山が謝ってきた。少し笑える。

 悪いのは俺ではなく、鍵を掛けずに馬鹿なことをしていた横山だ。


「おいおい、ちゃんと敬語で謝れよ」

「……貴様に言われたくはないな」


 調子に乗って言ってみたが、俺も悪者の一味になっているらしい。

 横山は軽くため息をつくと、俺に向き直った。


「何かあったら、また来るといい」

「ああ、俺も助かった。返せるものはないが、俺に手伝えることなら聞く」

「……」


 横山が黙りながら意味深に桑水流を見た。

 大きさを教えてくれということだろう。

 相田で我慢しろやと思う。本当にこいつは下半身が若者だ。


「それじゃ、もう行く」

「……うむ」

「また頼む。代わりに、俺に頼むならGでもなんでもやっつけてやる」

「! う、うむ」


 最後に意味深に言葉を残し、部屋を出た。

 もちろんGとはゴキブリのことだ。

 それでも、その言葉の意図は横山には伝わっているだろう。

 自分なりに爺に慈悲を与えることができ、俺は一人で満足していた。

 桑水流はその言葉の意図を掴めず、その言葉通りに解釈しているはずだ。


「あの……」


 駐車場へ向け歩いていると、急に桑水流が口を開いた。Gの意味がバレたか?


「私も頑張ります。お力になれるように、なんでも」

「……そうか」

「なんでも言って下さい。私にできることなら、なんでも」


 バレてはいなかった。

 そう言えばこの言葉は、先程桑水流から聞いていた。感染する前に言った言葉だ。

 内容こそ同じだったが、その言葉から感じられる雰囲気は大きく変わっているように思えた。

 本当なら自発的に為になることをしてくれとは思う。


「そうだな……綾乃が寝ている間、発症を抑えるためにすることがある」

「はい」

「俺がお前の体に何をしようと、後から文句は言うなよ」

「もちろんです!」


 もちろん血液を飲ませる事についてだ。


「簡単に肯定するなよ。エロいこともいいのかよ」

「……」


 桑水流が黙り込んだ。己の軽率な発言を悔やんでいるのだろうか。


「……いいですよ」

「は?」

「赤ちゃんができるようなこと以外は、なんでも」


 なかなかすごいことを言うものだ。

 背中にいるので顔は見れないが、真っ赤になっているに違いない。

 しかし逆に、こう言われてしまっては何もできないなと思う。

 まぁ正直、別にエロいことをしたいとも思っていなかった。


「んなことしねーよ」

「……そうですか」


 桑水流が少しホッとしたように息を吐いた。

 黒川の例から考えると、胸くらいは触るかもなと思う。

 当然口には出さなかった。


 車に乗り込みながら見た桑水流の顔は、俺に全幅の信頼を置いているような表情だった。

 その表情は好きではないので、やはり無断で触ってやろうと心に決めた。

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