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32.差別不安

 腕に厳重に包帯を巻かれた桑水流が目の前で寝ている。

 手術の後、俺たちには診察室とは別の個室を分け与えられていた。二人で一つの部屋だ。横山のニヤニヤ顔を思い出す。ムカつく。しかし俺たちを襲ったオッサンの表情とは違い、多少の親しみやすさはある表情だと思う。

 一晩をそこで明かしたが、当然桑水流には指一本触れていない。


 桑水流を眺めながら考え事をしていると、部屋に横山がやってきた。


「様子はどうじゃ」

「何も。見ての通り寝てるだけだ」


 横山は軽く頷くと桑水流の腕を触り、脈をとり始める。脈ってこの状況でとる意味あんのか。

 そうこうしていると、桑水流が目を覚ました。時刻は朝の8時だ。


「あ……おはようございます……」


 その顔は少し青い。

 腕の傷はひとまずは問題ないのだろうが、血液を失っているのだ。回復まで時間がかかるだろう。


「綾乃はどれくらいで回復するんだ?」

「……傷の方はもう包帯を巻くくらいじゃな。しかし一週間は安静じゃの」

「どれくらいなら動ける?」

「……激しい運動は、絶対にダメじゃな」


 正直なところ、この病院に長居はしたくなかった。桑水流の為ならそれがいいのだろうが、ここにいたら食料を分けてくれるといった甘い考えはまずいだろう。

 黒川とエリシュカも回収しに行きたい。


 しかし、キャンプ場に行くのは危険だ。

 例のオッサン共に他に仲間がいるとしたら、キャンプ場には戻れない。場所が割れているのはまずい


 具体的に、どこかへ行くという案がなかった。

 食料を自力で手に入れるならキャンプ場しかないのだが。

 悩んでいると、こちらの様子を察したのか横山が口を開いた。


「儂は診察室におる。何かあったら呼びに来るといい」


 そう言うと、部屋を出て行った。これ見よがしにニヤニヤしていた。

 桑水流を向くと、少しだけ申し訳なさそうな表情をしている。桑水流のせいではないので怒ることなどないが。


「気分はどうだ」

「……少し、頭がふらふらします。体も重い気がします……」


 銃で撃たれたからか、血が少ないからか、術後のためか。

 いずれにせよ、桑水流が自力でどこかへ移動するには少し時間がかかりそうだった。


「そうか……」

「あの……ごめんなさい……」


 桑水流が謝ってきた。その姿はひどく幼気だ。

 その不安を隠そうとしない様子を、責める気などなかった。


「別に……」

「……キャンプ場には、戻れないのでしょうか」

「すぐにはな」

「私……白沼さんの足を引っ張って……」

「黙れ」


 桑水流が黙り込む。俺にだって、いい案などなかった。

 それに、桑水流が自分を責めているのを見ていてイライラした。


「綾乃に責任なんかねーだろ。くだらんこと言ってる暇あったら、寝てろ」


 こいつにはさっさと動けるようになってもらう必要がある。

 それに、こいつは一人で無駄に悩む傾向にある気がした。眠ってもらうのが一番だ。

 命令するように軽く睨むと、桑水流は布団に顔半分を隠しながら、小さくわかりましたと呟いた。


 この部屋は鍵がかかる。桑水流は寝かせておいて、俺はここの人間から情報を手に入れることにする。

 部屋を出ようとすると、桑水流から小さく声がかかった。


「あの、綾乃、と言うのは……?」

「あー、アレだ」


 桑水流がわからないという表情をする。

 手術前に横山に言った言葉は、おそらく聞こえていなかったのだろう。

 とりあえず、恋人設定は伝えておくか。


「俺とお前は、恋人同士だ」

「え?」

「なら桑水流より、綾乃と呼んだ方がいいだろ」

「え? え?」

「そーいうことだから」


 そうとだけ伝えて、部屋を出て、鍵をかける。

 ひとまず横山と話すべきだ。そう考え、診察室に向かった。


……


 横山は診察室で本を読んでいた。

 俺の入室に気付き、パタリと本を閉じる。


「恋人さんの事なら、特に言うことはないぞ」

「別件だ」


 こいつは若者の恋愛とかが大好物なのだろうか。そればかり聞いてくる。

 こいいう奴は、若者からしたらひどくウザいと感じるタイプだ。もし親族にいたらと思うとげんなりする。


「これからのことだ。綾乃は安静にするって言ってただろ」

「……食料なら、難しいじゃろうな。ここにいる連中が承服するとは思えん」


 やはり、予想通り食料は難しいようだ。

 逆に言えば、あの場所だけは使ってもいいと言うことなのだろう。


「ここにいる連中は、元から病院にいた連中なのか?」

「……違うのぅ。いざと言うときのために、医者である儂を傍に置いておるだけじゃ」


 この医者がここのリーダーと思っていたが、違うみたいだ。だとしたら、この場所も思ったより危ういかもしれない。

 この医者も年配だ。あまり動く気もないのだろうと予想できる。


「もう一つ聞くが」

「なんじゃ」

「日本人か、って聞いただろ。あれはどういう意味だ」


 横山が渋い顔をする。

 理由は予想できた。しかし、直接人の口から聞きたかった。


「……ふむ。やはり知らんのか」


 微妙にためてくる。爺さんってのはこういう時に話が間延びする印象だ。


「予想はつくがな。で、なんなんだよ」

「……人種差別じゃな」


 横山は俺の急かす雰囲気を察したのか、単刀直入に言ってきた。

 内容は、予想できていた。


 俺たちを日本人かどうかを確かめていた。

 エリシュカが悪魔。

 さらに、昔どこかで読んだことがある。


 関東大震災の時、外国人が婦女暴行や暴動、井戸に毒を投げ込むというデマが広まったという話だ。大手のマスコミまで報道した過去もある。

 その話は半分本当で、半分嘘なのだろう。どっちでも構わないが。


 つまりは、今この国で何らかの似たような噂が広まっている。

 さらに言うと、蟻は外来種の可能性が高い。それを持ちこんだのは誰だという話だ。

 日本人は閉鎖的な気性のある民族だと聞いたこともある。


 実際に何か外国人による事件が起こったかどうかはわからないが、どちらにせよ今この国では攻撃対象というものが外国人になっているのだろう。

 このような状況だ。攻撃対象がいると一致団結しやすいのもわかる。


「それは、アジア系だけではないのか」

「儂も詳しいことは知らんが、外国人全てが対象じゃろうな」


 嫌な話を聞いてしまった。

 これからは、エリシュカは人に会わせることができない。

 場合によっては、俺がエリシュカを守るために行動をするような時がでてくるかもしれない。


「差別ってのは、どの程度だ」

「……殺す、監禁するというのは前に聞いたのう」


 恐らく、これだけストレートに聞いたのだ。横山も薄々気付いているかもしれない。

 俺の仲間に外国人がいるということに。


「最後に質問だ。あんたは、どうなんだ」

「……どう、とは?」

「あんたもレイシストかって意味だ」


 この場合では、レイシストというよりパラノイヤが正しいだろうか。

 ともかく、この質問次第では、横山をどうこうする必要がでてくるかもしれない。

 恩人である以上、可能ならば何もしたくはなかったが。


「儂はそんなことどうでもええ。儂の孫の嫁もアメリカ人じゃしの」


 軽く老人らしい笑い方をしながら横山は言い切った。

 目を見るが、とても嘘とは思えない。嘘であるならば、とっさに孫の話がでるとも思えない。

 一応は、信じることにする。

 しかしこの現状は、既に俺だけで対応可能とは思えない。

 酷かもしれないが、エリシュカ達にも伝える必要がある。


「そうか。色々知れて助かった」

「まだ他に何かあるのかのう? できれば、あの可愛い娘との赤裸々な話を聞きたいのじゃが」


 むほほと笑いながら横山が言ってきた。

 なんというか、素直に気持ち悪いと思えて清々しい。もしかしたら演技なのだろうか。

 しかしエロ爺というのは間違っていない気がする。


「あと、言ってなかったが、助かった。ありがとう」

「……ふん。最近のガキは礼儀知らずかと思いきや」


 横山にはこれ以上聞くことはない。

 とりあえず、綾乃のところに戻ることにした。


 部屋を出る直前、横山から声がかかった。


「いろいろ大変じゃろうが、頑張れよ、若者」

「……うるせー」

「次来るときはあの娘のカップ数を教えてくれい」


 無言でドアを閉めた。

 いい人なんだろうが、言ってることがくだらなさすぎる。

 しかし恩人なのは確かだ。

 横山に言うかどうかはともかくとして、とりあえず桑水流に聞いてみようと思った。


……


 例の部屋に戻ると、桑水流は小さく寝息を立てていた。

 そのベッドに軽く腰を掛け、思考する。


 これからどうするべきだろうか。

 とりあえず全員と合流して固まって行動したい。

 しかし、桑水流は動けない。ここの人間はエロい奴ばかりだと勝手に思っているので、桑水流を一人にはしたくなかった。


 次に、食料と拠点について。

 いずれキャンプ場には戻りたいとは思っているが、すぐには不可能だ。

 少なくとも、俺たちを襲った奴らをどうにかするまでは。

 そう言えば、あの連中を探す必要もある。


 食料は当てがない。

 俺一人でキャンプ場に作物の収穫に行くか、どこかの備蓄品を盗むか。


 あまりに先行きが不透明過ぎて、小さく悪態をついてしまう。


「……あの」


 気付くと、桑水流は起きていた。

 悪態も、聞かれていた。少し軽率だったと後悔する。また悩ませてしまうかもしれない。


「やはり私が……邪魔だったのですよね……」

「……いや」


 否定しようとするが、いい回答が思い浮かばない。

 この現状は非常に悪く、さらに悪態を聞かれた以上、素直に否定はできなかった。


 俺がうまく否定できていないのを見ると、桑水流はその目に涙を浮かばせた。

 桑水流のことは、俺のなかで印象はいい。

 やや精神的に不安定なところがあるが、真面目だし、精力的に動こうとする。


 だからこそ、どうにかしてやりたいのに、うまく言葉が出ない。

 頭の中には慰めのような言葉がいくつか駆け巡っているが、どれも効果的とは思えなった。

 胸の大きさを聞いて場を和ませるべきだろうか。


「……私に、できることはありませんか」


 桑水流が聞いてくる。

 動けない自分の現状を理解しているのだろう。

 それでも聞いてくると言うのは、かなり切羽詰っている証拠だ。


「私に、できることはありませんか……」

「……今は休め」

「そんなの! ……無理です……何かしないと、置いて行かれそうで、怖いんです」


 重ねられた二度目の質問に、つい答えてしまう。

 しかし涙ながらの主張は、ストレートに心に来るものがある。

 それでも、今は休めとしか言えない。

 胸の大きさなど聞ける雰囲気ではない。


「……今は、何もない」

「……」


 桑水流を安心させるにはどうしたらいいのだろうか。

 俺は既に桑水流を見捨てるつもりなどない。

 しかし、俺の心境の変化は自分でも驚くほど突然だった。理由すら俺にもわからないほどに。変化の結果を今でも受け止めきれていない程に。

 それを口で伝えても意味はない気がした。どう伝えても伝わらない気がした。


 俺が思い悩んでいたせいだろうか。

 桑水流に思い悩ませ過ぎたせいだろうか。

 今まで桑水流を、何か一つでも安心できる状況にしていなかったからだろうか。


 それでも、桑水流の動きは突然で、対応などできなかった。


 桑水流は、突然その腕を伸ばし、俺の顔に触れた。

 素手で。

 俺の素肌に。


 桑水流は、俺に触れたらどうなるかを知っているはずだ。

 動きが固まる。

 その腕を払いのけろと脳が命令してくる。

 涙の溢れる、決死の表情で、懸命に伸ばした腕を。

 もう一人の自分が、それは無駄だと言った。


 もう、遅いと。

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