31.悪性腫瘍
先に言っておくと、猪を狙った銃弾はあっさりと外れた。スカッと擬音が出るくらいに。
(殺す) とか言ってかっこつけたせいだろうか。
銃を撃つと言うのは案外難しい。その後怒り狂った猪をショベルで仕留めるのに時間を食ってしまった。猪は強い。やはり信頼すべきはショベルなのかもしれない。
今は既に車に乗り込み、街へと移動中だ。
後部座席に怪我をした桑水流と唯一素手で触ることができるエリシュカを座らせ、様子を見させている。素人には出血を止めるぐらいしかできることはないだろうが。
出血がある程度止まった為か、桑水流は多少落ち着いてきている。それでも、息は荒く表情は硬い。
早い内に医者に診せなければと心が逸る。
医者はどこにいるのか。
普通に考えると病院だろうが、この状況ではどうだろうか。
最も考えられるのは、北の安全地域だ。しかし対象外。
次には、とにかく人が多くいるところだ。避難所のようなところがわかりやすいが、人から感染する恐怖がある現状、人が一か所に集まるだろうか。
例えば食料があるからと集まったとして、医者はそこに合流するだろうか。
個人的には、やはり総合病院が一番だ。
3階以上の建物は蟻の恐怖が薄れる。避難所としての機能もある。
何より医者が安心できる場所としては、器具もそろう病院が一番だろう。
あくまで勘でしかないが、ひとまず街の外縁部の総合病院に向かうことにする。
外れた時は別の場所に向かうだけだ。
「エリシュカ、黒川。街の中では頭を伏せてろ」
二人とも一瞬不思議そうな顔をするが、すぐに首を縦に振った。
こういう時は素直に言うことを聞いてくれるのが楽でいい。
しかし気になるのは。
あのオッサンがエリシュカのことを悪魔と言ったことだ。その前の意味深な発言も含めて、俺の知らないことが起こっているのかもしれない。
そもそも、先程エリシュカはあの3人を知らないと言っていた。
悪魔という単語について、心当たりもないと言っていた。
それが本当だとしたら、奴らのハッタリか。
それとも、社会的な噂や情報で何かが流れたか。これまではあまり社会と関わらない生活をしていた。ラジオなどで情報は逃さないようにしていたつもりだったが、やはり生きた情報がないのがきつい。
もしエリシュカが悪魔だとどこかのコミュニティで断定しているのなら、このままエリシュカを連れて行って医者と会うことができるだろうか。
オッサンは自分に正義があると言っていた。逆に言えば、エリシュカは奴らにとって悪なのだろう。
(仕方ない、か)
後部座席に座るエリシュカをバックミラー越しに見る。桑水流の腕を押え、心配そうに見つめている。
助手席に座る黒川を見る。目が合う。少し意味深に見つめる。
「エリシュカ」
「なんじゃ……」
「お前と黒川は、途中で置いていく」
そこまで言ったところで、二人が驚愕の表情を見せる。
黒川にもう一度目配せしてやる。
「お前らは桑水流の実家に居てもらう。その間一切の外出は禁止だ」
「何故じゃ! 桑ちゃんのことを考えたら……!」
「わかったか?」
有無を言わさず、肯定しろと言外に濁す。
黒川は俺の意図を汲み取ったのか、軽く頷いた。
「わかったよ」
黒川の言葉に、エリシュカは意味が分からないという様子だ。
意味はわからなくていい。もしかしたら、エリシュカにとってひどく都合の悪い意味であるかもしれない。
「エリシュカ、桑水流は俺がどうにかする。お前は黒川と一緒だ」
「……」
俺の有無を言わさない態度に、エリシュカも何かを感じ取っただろう。
それでも、桑水流のことが心配なのは目に見えてわかる。
俺の目を見て、最終的にエリシュカは折れた。
もしかしたら、悪魔という言葉が脳裏に焼き付いているのかもしれない。
俺の脳裏には、焼き付いている。奴らの表情と一緒に。殺意と共に。
……
一度桑水流の家に寄り、二人を降ろした。
渋い表情を見せるエリシュカは、俺に向けて桑水流を頼むとだけ伝えて家の中に入っていった。無理に我慢させてしまったかもしれない。
俺の目の前に黒川だけが残る。
「あいつが他の人間に接触しないように見張っといてくれ」
「うん。桑水流さんのこと、頼んだよ」
黒川の表情は優れない。それでもしっかりと頷いているところを見ると、俺の意図をある程度理解しているのだろう。
軽く頷き返してやり、助手席へと移動させた桑水流の腕を確認する。
鬱血が怖いので、少しだけ布を緩める。
「行ってくる」
アクセルを踏み込む。
視覚的に小さくなっていく黒川をバックミラー越しに見ていたが、あいつなら言ったことは守るだろうと目を離す。
医者を探すと同時に、生存者を見つけて話を聞く必要がでてきた。
話の内容によっては、エリシュカは人前に出すことができない。当然、相手が医者でもだ。
10分程度車を走らすと、一番近場の総合病院に着いた。
入口まで乗り付けるが、そのガラスが割れている事や、人気が全く感じられないことから、中には人がいないだろうと判断する。
さらに車を走らせる。
市民病院、市役所、学校、体育館。
人のいそうなところを思いつく所から見てみるが、そもそも人がいない。やはり群れでどこかに留まっている人間は少ないのだろうか。
そう考え始めたころに、ようやく国立の大学病院で人間を見つけることができた。
駐車場の入口付近に、車や門でバリケードのようなものを作っている。入口横の小さな建物に守衛のような人間も立っていた。
「誰だ!」
守衛の女が大声でこちらに呼びかけてくる。
さらに、敷地の奥の方に向けて「知らない奴が来た」と叫んでいる。
以前には暴動もあったことだし、警戒しているのはわかる。
「怪しい者じゃない! 怪我人がいる! ここに医者はいるか!?」
守衛の人間に聞こえるように大声で叫ぶ。
大声などあまり出さないので、なんとなく声が変な感じだ。
俺の呼びかけを聞くと、守衛の人間は建物から出てきた。
すぐにこちらに寄ってきて車内を見る。桑水流の様子を見ると少し苦い表情をする。
ちなみに拳銃は懐に隠してある。見られたら厄介だ。
「……医者ならいるけど……私だけじゃ判断できない」
こちらがあくまで医者目当てで病院に来たことを悟ったのか、女からは少しだけ険がとれる。
この状況では医者がいることを教えてくれただけでも僥倖だ。
「なら仲間と話してくれ。出血がひどい。急いでくれ」
軽く急かしたように言う。
可能な限り桑水流に意識を集中させた上で医者に会いたい。耐性のこともあり、俺の事は眼中に入れて欲しくなかった。
と、そこで別の人間が姿を現した。
「怪しい者というのは君達かね?」
今度は60才くらいの男だ。口調からしてこいつが医者なのかもしれない。
男の後ろには男が二人、女が四人。棒のような武器を持っていることから、こちらを警戒していることが見て取れる。
「そーだよ。医者がいるなら、こいつを診て欲しい」
助手席の桑水流を指差す。
桑水流に視線が集中する。医者らしき男は桑水流を見て軽く眉を顰める。
「確かに、これはすぐに診ないといかん」
「なら急いでくれ」
「……かまわん。しかしその前に、二つ質問がある」
男の声に合わせて、周りの人間達も軽く前に出てくる。
俺に、嘘を言うなとプレッシャーをかけてきているのだろうか。
「なんだよ」
「君とこの子は感染しておるかね?」
この質問は予想できた。当然の質問だろうと思う。
「していない。今日中という意味なら100%じゃないが、大丈夫だと思う」
「じゃろうな。次に……」
さっきの質問は、本命ではなかったのか。
周りの人間の視線が一気に強くなる。棒を持つ手に力が入っているのが見える。
「……君たちは、日本人かね?」
「……は?」
その質問は意外なものだった。
答えは簡単であるし、心の裡の読み合いも何もあったものではない。
それでも、相手の態度から重要な質問であるのは窺い知れる。
「……見りゃわかんだろ。日本人だよ」
「……じゃろうな。言葉も流暢、間違いないじゃろう」
周りからの視線が、一気に柔らかくなる。
一部の人間は未だ油断なく俺たちを観察しているが、その程度は許容範囲だ。
「質問は終わりか? なら早くこいつを……」
「わかっておる。相田君、彼らを案内してくれ」
相田と呼ばれた女が前に出てくる。車の前に立ち誘導しているようなしぐさをする。とりあえずこいつに着いていけばいいのか。
「儂は横山。ここの医者じゃ」
「……白沼だ。こいつの、綾乃の知り合いだ」
車を動かす前に、互いに軽く自己紹介をする。
桑水流の名前を呼んだのは、俺と桑水流が近しい関係であることを示唆するためだ。
「ほほう。彼女かの?」
「……そんなところだ」
くだらないことを聞いてきた。軽くアクセルを踏み込みながら適当に返す。
彼女と伝えた方が、後々説明も楽だろう。
……
病院の入り口に車で横付けし、車から降りると既にストレッチャーが用意されていた。担架に車輪がついた物だ。
意外にも周囲の人間は桑水流の輸送を手伝ってくれていた。もちろん全員ゴム手袋を装着している。
若い男が桑水流の体に触れそうになった時、少しムカついたので軽く睨みつける。
男はすごすごと手を引っ込めた。
こいつはセクハラ野郎だと断定した。桑水流には絶対に接触させないことにする。
よくよく考えると、桑水流は若くて綺麗で胸がデカい上に、今は動けない状況だ。
溜まっている男が手を出しかねない。ひとまず桑水流からは絶対に目を離さないと心に決めた。
一応彼氏設定なので問題もないだろう。
桑水流を診察室のようなところへ運び込むと、そこには白衣を着た横山が立っていた。
おそらく電気も死んでいるのでレントゲンなどもできないだろう。それでも、白衣姿の医者を見ると少し安心する。
「今から診察を開始する。相田君以外は外に居てくれ」
そう言うと、例の女以外はゾロゾロと外に出て行った。
相田は武器のような棒を持っている。用心棒みたいなもんだろう。
「それは俺もか?」
「……いや、君が彼氏なら仕方ないじゃろう」
そう言うと、横山は桑水流の腕を観察しだした。
彼氏設定が生きた。便利なものだ。
「綾乃は食料を狙った暴漢に銃で撃たれた」
そう説明すると、横山と相田は驚いた風な表情になる。街にいたら銃など珍しくもないと思っていたが。
「……弾が内部に残っておるようじゃな。これでは手術が必要じゃ」
そう言うと横山は相田にテキパキと指示を飛ばし始めた。
相田という女は看護婦なのかもしれない。
「儂は紛争地帯で医者をしていたこともあったからの。お手の物じゃ」
国境なきなんとかってやつなのだろうか。
しかし恐らく、既に手術で使うような無菌室のような部屋は使えないのだろう。
診察室のベッドで、桑水流の手術が始まった。
横山の言葉は、桑水流にかけたのか。
それとも、心配する俺にかけたのか。自分でも、桑水流のことで頭がいっぱいになっているのがわかる。
俺は見ている事しかできない。
呆然と突っ立ったまま、横山の手の動きを見つめる。
桑水流の表情は硬い。痛みに声を上げている。
どうにかその痛みを和らげてやりたいと思うが、手を握ることすらできない。
「座って、待っていてください」
相田が俺の横に椅子を持ってきた。
ありがたく座らせてもらう。案外、雰囲気は悪くない集団なのかもしれない。
もちらん油断はできない。
先ほどの質問の意図は、なんとなく頭に浮かんできてはいる。
頭を振って考えを打ち消す。今は桑水流のことが先決だ。
だからと言って、何もやることなどない。
しかし桑水流は俺にこれほど心配させてるのだ。
元気になったら代償として裸に剥いてやろうと心に誓う。
俺はそのまま数時間、椅子に座っているだけだった。
横山のやり切ったという笑顔と、少しだけ表情が柔らかく眠りについたように見える桑水流、そして一人で頷いている相田の姿を見て、手術に問題はなかったのだと安心した。
俺の安心した表情を見てニヤニヤと笑う横山を見て、少しイラッとする。
別に彼氏でもなんでもない。
そう思ったが、俺の態度は、傍から見たらただの彼氏そのものだった。