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29.誤解暴走

 自分で思ったより、早く起きてしまった。


 今日は黒川の生死が確定する日。

 今までの前例では、今日の朝から患者は発症してその日のうちに息を引き取る。


 今日を凌げれば、恐らく当面の心配は必要ないだろう。ただ、根本的な解決になっているかはわからない。俺がずっと一緒にいることに耐えられるかもわからない。

 それでも、無意識に早起きしてしまう程に大事な日であった。


 黒川の部屋に向かう。

 昨日は俺と黒川だけログハウスで寝た。別々の部屋だ。

 残りの二人は管理所の仮眠室だ。あそこが一番寝る時に安心できる。


 黒川の部屋の前に立つ。

 どうか、黒川の体温が上昇していないことを願う。神頼みなんて、今更馬鹿馬鹿しくてたまらないが。

 自分の手のひらに、汗をかいているのが自分でもわかる。


 覚悟を決めて部屋に入ると、何と言うか、黒川は既に起きていた。

 目的不明の、準備運動みたいな体操をしていた。


「あ、おはよー」

「……」


 一瞬でわかった。

 こいつ多分今日発症しない。


……


 念のため、黒川の体温を測る。

 例のレーザー体温計は持ってきていないので、脇に締めて測るタイプだ。

 服を軽くはだけさせて測っているが、最近黒川の動作がいちいちエロい。

 狙ってやっているのならすごいと思う。


 軽快な音と共に、体温計が測定終了の合図を送る。

 なんとなく結果はわかっているが、一応黒川には大事な測定結果のはずだ。緊張して見るふりをする。


 36.3度、平熱だ。


「やった! すごい!」


 黒川は物凄いはしゃいでいる。

 たちまちは死なない上に、俺とずっと一緒にいられることが確定したのだ。当然かもしれない。

 俺の事好きじゃなくなったらどうする気なんだろうか。どうせ一過性の感情だろうし。

 というか、今更自分の将来に不安を覚えてきた。


 そうこうしていると、桑水流とエリシュカが部屋に入ってきた。

 物凄い陰鬱な表情でだ。

 母親の例と同じなら、黒川が起きた時は既に高熱で虫の息だ。当然だろう。


「あ、おはよー」

「……!?」


 黒川の挨拶で、二人の陰鬱な表情が驚愕に変わる。

 本人たちは意味不明なのだろうが、傍から見ているとなかなか面白かった。


「え? えと、おはようございます」

「んお!? ま、まだ元気なのかや!?」


 桑水流は挨拶をされたので慌てながら礼儀正しく挨拶を返す。

 エリシュカはただただビックリしている。

 性格が出ているなと思う。


「ど、どうしてですか? まだ体調はなんともないのですか?」


 桑水流が一拍遅れて病状について聞いてくる。


「熱を測ったが、平熱だったな」

「……まだ、発症していないということでしょうか?」

「知らん」


 本当にわからないので即答する。

 黒川以外の3人が状況を理解し切れずに、ボケッと突っ立っていた。

 俺もここまで元気だとは思っていなかったので、多少混乱していた。


 しかし当の本人にはそんな空気は関係なかったみたいだ。


「私は大丈夫だよ! 今日も一日、頑張ろー!」


 一人だけテンションが高くて、なんとなくウザいと思った。


 ……もしかしたら、俺のことを信用しきっているからこその態度なのかもしれない。

 そう思うと、ウザいとは思えないのが不思議なもんだ。



 結局、その日のうちに黒川は発症しなかった。

 発症しなかったと言うより、いつも以上に元気だった。

 俺自身もっと安心するはずの場面だったが、安心するほどの暇もなかった。

 血液補給も元気に行っていた。

 俺はそのうち貧血で倒れるかもしれない。


 桑水流は終始混乱しているみたいだった。どうして? と連呼していた。


 しかし、エリシュカは違った。


 俺が思っていることとは、全く別の事を考えていた。

 柔軟な思考だと、そういう考えが思い浮かぶのかとびっくりするほど。

 聡いのか馬鹿なのかわからないようなことを考えていた。


……


 その日の夜。

 俺はログハウスで一人で寝ていた。


 黒川は既にエリシュカと桑水流に接触できない。

 それでも女同士の友情なのだろうか、今日は管理所で三人一緒に寝ると言っていた。

 死んでも接触するなとは伝えておいた。


 俺は何かの物音か、誰かの気配を感じて眠りから覚めた。

 時刻は午前1時を回ったあたりだろうか。

 ナイフの男に襲われて以来、眠りが多少浅くなっていた。たっぷり寝ているので寝不足と言うことはなかったが、神経は機敏になっていた。


「誰かいんのか」


 ベッドの横に置いていたショベルを持つ。

 部屋の外で誰かがゴソゴソと何かをしている音が聞こえる。

 誰かが侵入しているとしたら、すぐにでも管理所に向かうべきだ。手に力が入ってしまう。

 そう考えていると、突然部屋のドアが開いた。


 身構えるが、その人物を見て体の力が抜ける。


 入ってきたのは、エリシュカだった。

 服が月明かりに照らされ、透けている。そういうタイプの服なのだろう。

 シースルードレスというやつだろうか。ベビードールだろうか。よくわからない。

 幻想的と言えばそうなのだが、エキゾチックかと言えば違うような気がする。

 エロい服のはずが、エロく見えない。なんでこんな服を持っているのだろうかと思う。


「奇跡的にまな板」

「な……! 誰がまな板じゃ!」


 思ったことをそのまま口に出してしまう。

 エリシュカは流石に恥ずかしいのだろう。顔を真っ赤にして俺に抗議の声をあげる。

 それ以上に、何故エリシュカが透けた服を着て俺の寝ている部屋に入ってくるのだろうか。


「どうしたんだ。いきなり」

「す、少しお願いがあるのじゃ」


 そう言ってエリシュカは俺のすぐそばに座る。その距離は数センチ。

 身長差もあってか、エリシュカはすぐそばで俺を見上げる。

 いろいろ見えて困る。


「……」

「……」


 お願いがあると言っているので待ってみるが、エリシュカは一向に喋りだそうとしない。

 状況が状況だけに、俺からかける言葉もない。


「……わ、私を抱いてほしいのじゃ」


 ようやく声を上げたと思ったら、変なことを言い出した。

 顔は真っ赤だが、表情はいたって真面目だ。

 その雰囲気は、俺が好きだからとか、そういう感じではない気がした。


 エロい雰囲気かと思ったが、違うような気がした。

 もっと真面目な内容な気がした。


 エリシュカと肌が触れてしまわぬよう、ほんの少しだけ距離をとる。

 そして、エリシュカが緊張してしまわぬよう、できるだけ優しく声をかけた。


「どういう意味だ」

「そ、それはの……」


 思っていたより尖った声になってしまった。

 エリシュカはポツリ、ポツリと説明を始めた。


 簡単に言うと、黒川が無事だったことについてだ。

 何故、黒川は無事だったのか。

 それは毒が効かない俺によるものだと考えた。

 俺が黒川に何かをして、黒川は元気になった。


 よくよく考えてみると、俺はあからさまに黒川の部屋に一人で通っていた。

 その考えに至るのは、道理だと思えた。

 恐らく桑水流も、今は混乱しているだけで、いずれはこの考えに至るだろう。

 エリシュカでも、というのは可哀そうだが、桑水流はこういうことにすぐに気が回る。


 いや、でもおかしい。何故抱かれに来た。

 聞かないとわからないだろう。


「それで、なんで抱かれたいとか言い出してんだ」

「そ、それはの……」


 エリシュカが気まずそうな表情をする。

 ひとまず、洗ってからまだ着ていない上着を取り出し、エリシュカに羽織らせる。

 抱く気はないし、見る気もない。

 そう言えば覗きをされている時にいつか裸に剥いてやると思っていたが、こんなところで達成してしまった。


「………と思ったからじゃ」

「ん? 聞こえん」

「こういう行為をしたからと思ったからじゃ!」


 エリシュカが叫ぶ。

 俺はその声の大きさと内容に驚愕する。


 つまりは、黒川は俺とそういうことをしたから毒が効かなくなったと思ったということだろう。

 血液ではなく、精液。

 エリシュカの脳内はそういう結論を下したみたいだ。


 こいつは天才なのだろうか。いや、答えが遠くはないのだが。それでも。

 引くと同時に、あまりの馬鹿さに声が出なくなる。

 こんな考えが女性にあっていいのだろうか。

 もはやエリシュカに畏怖すら感じる。

 こういうのを予想の斜め上というのだろう。

 確かに、こいつが感染や死をとにかく恐れていることは知っているのだけれども。


 俺がドン引きしていることに気付いたのか、エリシュカは顔を真っ赤にして泣きそうな顔になる。

 確かに俺がドン引きしているせいで泣きそうになっているのだろう。

 でもこれは相手が女性であってもドン引きしてもいいと思う。


「違うのかや……?」

「悪いが、全く違う」


 エリシュカはこの世が終わってしまったような表情になる。

 それもそうだ。

 自分の勘違いで裸を見せてしまったなんて、目も当てられない。


 しかしエリシュカは割とすぐに持ち直した。

 もともと、ただの推測でここに来ていたのだろう。


「じゃが、それは関係なくどうせ抱いてはくれんのじゃろ?」

「そーだな」

「やはりまな板じゃダメなのじゃ……」


 今度は先ほどとは違う理由で落ち込みだす。

 なんとも面倒なやつだ。

 身体的特徴にコンプレックスでも持っているのだろうか。それとも俺の口から洩れた発言のせいだろうか。

 どちらにせよ、軽く励ましてさっさと帰ってもらうのが一番だ。

 時間が時間だけに、眠い。


「まな板が悪いとは言ってねーよ」

「嘘じゃ……きっとまな板じゃ楽しくないのじゃ……」

「……お前はまな板のスゴさを全然分かっていない」


 眠たくなってきた。

 自分の喋りが適当になってきたのがわかる。


「スゴさ?」

「そーだよ。説明するのは難しいが……」

「よくわからんのじゃが、自信を持っていいのじゃろか?」


 エリシュカが身を乗り出して聞いてきた。

 帰ってもらうのなら、ここで畳み掛けるしかない。


「自信持てよ。すげーよ、それ」

「……」

「ただ今日はもう眠いんだよ。お前も帰って寝ろ」


 エリシュカが立ち上がる。

 その目は、爛々と輝いていた。

 その顔は、嬉しいのを懸命に堪えているようにピクピクしている。


「しょ、しょうがないのじゃ。今日はここまでにしといてやるのじゃ」


 そう言うと、エリシュカはその表情のまま部屋を出て行った。

 その頬がヒクヒクしているのが背後から見える。


 部屋を出て行ったエリシュカは、ドアの外でゴソゴソした後、ログハウスを出た。

 うおー! とか叫びながら走っていく音が聞こえる。

 それほど嬉しかったのだろうか。

 走ってこけるなよと思いながら、布団に入る。


 そう言えば、黒川がまだ生きている理由の話が有耶無耶になってしまっていた。

 都合がいいので、そのままでいいだろう。

 どうせ説明するなら、桑水流も一緒の時の方が一石二鳥だ。


 しかし、桑水流に説明するのは気が引ける。

 何故、母親に同じことをしなかったのかと、聞かれそうだから。

 何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう。


 俺の血液は、どう頑張っても多くの人を救える程の量には足りない。

 正直なところ、どうでもいい奴らを助ける気もない。

 桑水流とエリシュカはどうにかしてやりたいと思う。

 でもその母親までどうにかしたいとは、思えなかった。


 俺の血液を毎日吸われるのだ。その対象が一人であってもキツイと思う。

 自分のことを冷たい人間とは、思わなかった。


 考え事をしていると、夜は更けていく。

 布団の中に深く潜り込み、思考を中断し眠ることにした。


 すまんな、嘘だ。


 見えなくなったエリシュカにそう呟きながら。

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