26.思考錯誤
人を埋葬すると言うのは、非常に体力を使う。
しかし、朝は陽が昇る前に目が覚めた。
今日は、桑水流の母親にとって重要な日。同時に、俺の血液の如何が問われる日だ。
さらに言うと、明日は黒川の目覚める可能性の高い日。
ここで、何かしらの結論を出しておきたい。
そう言えば、今日も埋葬とかするかもしれない。埋葬ばかりしてる気がする。
起き上って周りを見渡すと、すぐ横のベッドで黒川が寝ていた。
綺麗な金髪が少し乱れてしまっている。簡単に手櫛で整えてやる。
眠り姫は王子様のキスで目を覚ますと聞く。
俺は既にたくさんしているので、俺が王子様ではないことが証明された。知ってた。
もう長いこと声を聞いていないように思える。
以前は若い女性の声なんて全部同じように聞こえていたが、今は違う。人それぞれの生き方が、性格が現れているとすら感じるようになっていた。
今日は長いこと帰ってこれないかもしれない。
いつもの要領で、血を飲ませる。
黒川は俺の血を、いつも求めるように吸っている。やはり喉が渇くのだろうか。
と、そこで今日は何故か軽く甘噛みされてしまう。
傷口の痛覚が刺激される。軽く腕を引っ張ると、黒川は簡単に歯を離してしまう。
行って欲しくない。
そう思っているのだろうか。
などとこの状況で言いそうなセリフが思い浮かぶ。多分違う。
時計の針が朝の6時を指した。
もう行かないといけない。
着いた時には、母親は既に発症している可能性もある。そのことに少しだけ緊張を覚える。
最後に黒川の頬を軽く撫で、俺はログハウスを出た。
……
7時までにはあとまだもう少し。
そのぐらいの時間に桑水流の家に到着した。
家に入ると、既に起床していたであろう桑水流が迎えてくれる。
「おはようございます」
「ああ。昨日はなんもなかったか」
桑水流は少し緊張しているようだった。目線がいつもより強い気がするし、落ち着きのないように手を握りしめいている。
「白沼さんは、お母さんはどうなると思いますか」
俺の質問には答えず、質問で返してきた。
いつもの桑水流なら、こんなことはしないだろう。それほど母親のことが気になるのだろうか。
この様子なら、今はまだ病状は安定しているのだろう。
「今日発症すると思う。昨日大丈夫だった理由はわからないが、覚悟だけはしておけ」
そう答える。
桑水流に変な希望を持たせたくない。桑水流に覚悟のないまま死んでしまったら、桑水流の精神状態が心配だ。
「そう……ですよね。今日はずっと一緒にいることにします」
桑水流は俺の返事も聞かず、2階へと昇って行った。
俺がいないときに、母親に何を言われたのだろうか。少し気になるが、気にしても無駄だろう。
と、すぐにエリシュカがどこからか俺に近づいてきた。タイミングを見計らっていたのだろうか。
「おはようなのじゃ」
「ああ。お前は大丈夫か?」
桑水流が心配な状況だ。エリシュカも同じかと思い尋ねる。
しかしエリシュカはふんわりと笑顔を作り、大丈夫だと腕を捲って見せた。
「わしは大丈夫なのじゃ。母上殿と桑ちゃんが心配じゃがのう」
そう言って少し難しい顔をする。こいつも心配とか考え事とかするのか。
人間だもんな。
「それより」
「ん?」
「お風呂が焚けておるのじゃ。入らぬか?」
「はぁ?」
意味不明なことを言ってきた。
まず、お風呂が焚けているわけがない。電気はもう死んでいるし、水道だって死んでいる。
タイミングも意味不明だ。
まさかこのタイミングで覗きをすると言うのだろうか。
その俺の体への執着心、感嘆すら覚える。
「ふふー、嘘なのじゃ」
エリシュカがいきなりネタバラしをする。全く持って意味不明だ。
こいつは俺の裸が見たいのではなかったのだろうか。
「いきなりなんだよ」
「少し緊張しておるようじゃぞ。リラックスさせてやったのじゃ!」
そう言って胸を張る。ない胸を張る。
そう言えば、俺も少し手に力が入っていた。多少なりとも緊張していたようだ。
しかし、それをエリシュカに指摘されたのはムカついた。
「風呂、ないのかよ。お前と一緒に入りたかったんだけどな」
「にょ!?」
少しだけ悲しそうな顔をしてみる。
エリシュカがこれまた意味不明な返事をする。
何かの擬音だろうか。昔教育テレビでやっていた虫のストップモーションの番組を思い出す。あれは面白かった。はず。よく覚えていない。
「一緒に、じゃと……それはいいのじゃ……しかしそれではわしも服を……」
「……」
エリシュカが自分の世界に入ってしまっている。
本気で一緒に入るわけねーだろ。
「その話はもういいだろ。母親のとこに行くぞ」
「ぬ? おぉ、そうじゃったの」
すぐに異世界から帰ってきたエリシュカが軽く頷いてくる。
いい加減、こいつの口調にそろそろツッコミを入れるべきなのだろうか。
いったいどうやって日本語を覚えたのかを聞いてみれば謎は解けるかもしれない。しかし面倒なので今度にしようと思う。
部屋に入ると、母親はまだ寝ていた。
一日は持った。これはあの少女と同じだ。おそらくあの少女はここから症状が出たはずだ。
「桑水流、体温計」
「今……測っています……」
よく見ると桑水流は母親のおでこに向けて小さな機械から変なレーザーを当てていた。
何をしているのか全く分からなかったが、最新式の体温計がレーザーみたいなのを当てて測るのを思い出す。初めて見た。
すげえ……すげえよ。桑水流先生。
俺の適当な思考をよそに、桑水流は真面目に、真剣な表情で体温計を見つめている。
すぐに体温計から軽快な音が聞こえる。
起床前から続く、高熱。
恐らくあの母親にとって、命にも等しい数字だ。
「……」
桑水流は、体温計の表示を見たまま動かない。
これは、よくない方の予感がする。
その予感は的中し、桑水流は体温計を手から滑り落としてしまう。
「うそ……うそでしょ! お母さん!」
叫ぶ桑水流をよそに、体温計を拾い上げる。
39.5度と表示されていた。
使ったことのないタイプの体温計だ。自分に向けて試してみる。
体温計を額に向けて軽く前後に動かすと、すぐに軽快な音で測定完了を告げてくる。
36.5度。平熱だ。体温計は壊れていないだろう。つまり。
「起きてよ! お母さん!」
桑水流の母親は、発症した。
……
桑水流の叫びが聞こえたのか、母親はすぐに目を覚ました。
長時間の睡眠は既に消化してしまっている。当然だろう。
「あら……おはよう、みんな」
母親は、まるでいつもの日常を過ごしているかのように挨拶をする。
しかしその声色から、なんとなく無理をしているような印象を受ける。
この後くると思われる症状は、むくみ、嘔吐、斑点だ。
むくみというのはよくわからない。昨日だって長時間の睡眠から目覚めた後だからか、少しむくんでいるように見えた。普段を知らないから何とも言えない。
高熱がでた以上、嘔吐もすぐだろう。そのうち、斑点も現れる。
ここまでくると、俺の血液の影響も薄いと考えている。例の女の子も同じような感じだった。
このことは、少なからず俺に衝撃を与えていた。
脳内に駆け廻るのは、目の前の母親の事ではなく、黒川を救うことができないのかという敗北感と、それでもまだ何かあるはずだと諦めきれない感情。
まだ、発症後に血液を接種させるという手段が残っている。効果は不明だが。
母親の挨拶を無視し、一人部屋を出る。
一階においていたペットボトルの水をコップに移し、いつものように血液を入れる。
そろそろ貧血になりそうだが、大丈夫だと信じたい。貧血にはレバーとかほうれんそうがいいんだっけか。
コップを持ってあがり、部屋に入る。
桑水流が母親に呼びかけているが、母親は気分の悪そうな顔でよく聞こえていないみたいだ。
コップを差し出し、無理やり母親の口に持っていく。
軽く口を付けるが、すぐに口を離してしまう。口を押えて、吐きそうなしぐさをする。
「いいから飲め」
そう言って無理やり水を飲ませる。母親は少しつらそうだ。
桑水流とエリシュカが驚いている。一刻を争う事態だ。構っている暇はない。
状態をよく見ようとするが、母親の腕にすこしずつ斑点が浮かんできたのが目に見えてしまった。
息も荒くなってきた。
これ以上何かを飲ませても、嚥下することすら危うい。
俺に打てる手段は、ない。
理解した。
母親はもうすぐ死ぬ。
体に入っていた力が抜けたような感覚を覚える。
だから俺は、泣いている桑水流と慌てるエリシュカを残し、部屋を出た。
人の死ぬところを見ても、面白いことはない。
俺に伝える事は昨日伝えていたはずだ。
いや、その内容と約束すら、守れるかどうか怪しい。会わせる顔などなかった。
……
夜の6時を回ったところで、エリシュカが一人で一階に降りてきた。
表情は、浮かない。ひどい表情だ。
「死んじゃったのじゃ」
「そうか」
エリシュカの一言が、全てを物語っていた。
重い腰を上げ、エリシュカを見つめる。
ちょうどいい高さにある頭を撫でてやる。エリシュカは俺のその独りよがりな行動を受け入れてくれた。
本当は、手袋越しではない方がいいのだろうが、しょうがない。
「行くか」
そう言って、母親の居る部屋へと向かう。エリシュカが俺の後をのろのろとついてくる。
部屋の中に入ると、死んだ母親よりも、桑水流の表情が心にきた。
泣かずに、その悲しみを隠して耐えている。
必要のない強がりは、強さよりもその悲しさを際立たせる。
桑水流を慰める必要があったのかもしれないが、何も言葉は出てこなかった。
……
火葬に、埋葬。
以前やった時は俺と黒川の2人だったが、今は3人だ。
多少楽に作業させてもらった。俺以外の二人が頑張った。
俺はやる気が起きず、適当に手伝いながら考え事をしていた。
俺の行動に、手落ちはなかったか。
血液の量が少なかったという線はありえる。しかしよくわからない。例の女の子に接種させた量は少なかった。
飲ませるタイミングはどうだろうか。これまたよくわからない。
飲ませ方は、どうだっただろうか。
そう考えた時、ハッとした。
母親に血液を与えた時。
一度目は傷口から直接だった。これは効果があった。
二度目は水に血液を垂らした。効果がなかった。
毒は温度変化に弱いと聞く。だとしたら、抗体が温度変化に弱くても不思議ではないし、ましてや水に溶かして飲ませても意味がないのなんてわかりそうなものだ。
やはり頭が回っていなかった。
最近どうでもいいことで悩み過ぎかもしれない。
もう少し、楽に適当に生きているのが俺だったはずだ。
変に自分を奮い立たせて、それで思考が回らなければ意味がない。
なんとなく、体と頭が楽になったような気がする。
脳内で簡単にやることを整理し、周りを見回す。
今は、桑水流が元気になるように何かをすればいい。
そう考え、墓の前で佇む桑水流に声をかける。
こういう時は、何かを口にすると気分が落ち着くはずだ。
「飴があるんだが、食べるか? ハッカ味だ」
「……」
言った後に気付いた。
墓とハッカでギャグになっている。そのような意図はなかった。本当に。
図らずしも悲しむ桑水流に親父ギャグをかましてしまった。
冷や汗が流れる。フルーツ味と言えばよかったのに。
桑水流が俺の方を無表情で見てきた。
完全に無表情だ。桑水流でなくとも、一体誰が親父ギャグで元気になると言うのだ。
「今のは違う。マジで」
内心、焦る。取り繕うように言葉が出てしまう。
しかし桑水流は。
「……ふ、ふふふ、わかっていますよ」
「は?」
「元気づけようと、してくれたんですよね」
そう言って、桑水流の表情に色が戻る。
元気づけようとしたのは確かだが、こいつは俺が狙って親父ギャグを言ったと思っているのだろうか。そこは否定したい。
「違う、俺はな……」
「わかっています。ただ、悲しんでいる私に偶々声を掛けただけ、ですよね」
「……」
そう言えば、桑水流は俺が天邪鬼であることをよく知っている。
俺のことを理解した上で、俺が声をかけたことを偶々だと嘘をついたのだろう。
しかし、いろいろと少しずれている。
「だから、偶々近くにいた白沼さんに、偶々悲しんでいた私が少しだけ寄りかかっても、いい……ですよね」
そう言って桑水流は、俺の服の袖を軽く握る。
こいつは俺が皮膚と皮膚の接触をとにかく嫌っていることを知っている。
その上で、遠すぎない距離がこれなのであろう。
ダメだとは言わない。
「……うぅ」
桑水流は俺の胸に軽く額を付けると、小さく泣き声をあげだした。
泣き声は、小さい。無理に我慢しないでいいのにと思う。
既に暗くなった静かな街に、透き通るように桑水流の泣き声が響いていた。
元気づけようとしたが逆に泣かせてしまった。
しかしなんとなく、悪い方向に転がった感じはしなかった。
ただ、俺が親父ギャグを言う奴だと思われてしまった可能性があることが、心外だった。