24.単純明快
車内で言葉を発するのは、ほとんどが桑水流だけだ。
俺は元から口数の多い方ではない。だが、それなりに桑水流に対して言葉を発している。
エリシュカに比べたら、だ。
エリシュカが、あれからほとんど言葉を発さなくなってしまった。
曖昧な返事は返すものの、あれから感情がこもった言葉を聞いていない。
見るからに小さく、ひ弱な女性になり下がっていた。俺の知っている愛嬌全開のエリシュカはどこかへ旅立ってしまったみたいだ。
桑水流一人が気を使って空回りをしている。
今現在、俺たちは母親の様子を見るために桑水流の家へ向かっている。
雰囲気は最悪だ。
エリシュカは、眠る桑水流の母親を見てさらに元気をなくすのではないだろうか。
母親にお世話になったとか言っていたはずだ。身近な人の動かぬ姿は堪えるはず。
桑水流にこの空回りを続けさせたら、精神的にまずくなるような気がする。
向いていない。長続きしないだろう。
どうにかしなければならない。
もう十分わかっている。
俺は3人を見捨てることなどできない。
それでも頼られるのは嫌だなんて、本当に天邪鬼だ。桑水流の言うとおりだ。
念のため途中で一度、適当に乗り捨ててあった黒のワゴンに乗り換え、桑水流の家に向かった。
暴動が通ってから既に5日。
俺の予想では、第2,3陣もすぐに来るだろう。
しかし、街には全く人の気配が感じられなくなっていた。
ただの一人の姿も、見ることはできなかった。
もしかしたら既に北では人の受け入れ態勢が整っていて、俺たちはそれに乗り遅れているだけなのかもしれない。
俺と黒川は既に感染している。受け入れられるとは考えられない。
ワクチンができたということもないだろう。ワクチンができたら数さえ揃えば街に来て配布を始めるはずだ。街に人が戻ってくるはずだ。
しかしラジオ、テレビその他は完全に沈黙している。
それに、受け入れ態勢が整っていることを知った人間が、銃をぶっ放して火炎瓶を投げるはずもない。
ふと桑水流とエリシュカを見てみる。
もし北の受け入れ態勢が整ったら、こいつらはどうにかしてやりたい。
ガソリンさえあれば近くまで送ってやってもいい。
対価はとにかくうまいものを渡してくれたらいい。最近うまい物がとにかく食べたくてたまらない。カニとフグ、ウナギあたりがいい。よだれがでてきた。
その時もし黒川が生きていたら、俺と一緒にいてもらうしかない。事情は話せるし問題ないはずだ。
考え事をしていると、途切れがちだった会話は、いつの間にか完全に途切れてしまっていた。
バックミラー越しに見ると、桑水流は後部座席で以前と同じように頭を下げて俯いてしまっている。
その隣のエリシュカは頭を下げて全く動かない。
「そろそろ着くぞ」
その一言で、桑水流が顔を上げる。言葉の内容よりも、俺が言葉を発したことに反応した感じだ。
その反応に、申し訳なさを少しだけ感じる。
桑水流は懸命に空気を明るくしようとしていたのだ。今から行くのは、死が確定した自分の親の眠る場所だと言うのに。
自然と、言葉が漏れてしまう。
「桑水流」
「はいっ。なんでしょうか?」
多少、勇み足な返事だ。
何を言おうかと考えるが、頭が言葉を思いつかないままに口が動いてしまう。
「ほんといい子だな、お前」
「へっ」
俺の口から勝手に出てきた言葉は、なかなかに意味不明だった。俺がこれを言われたら逆の意味に聞こえてキレるだろう。
そして桑水流の口から出てきた言葉も、変な空気の抜けたような返事だ。
桑水流の顔を見てみると、何を言われたのか理解していないような表情をしている。
エリシュカは相変わらず動かない。
桑水流の反応より、エリシュカが全く反応しないことが気になった。
俺の中にあった桑水流に対する感情は、跡形もなく霧散してしまった。
そうこうしていると、件の家の前に着いた。
「着いたぞ。降りろ」
そう言うと、桑水流は普通に降りてくる。
エリシュカが動かない。桑水流が動かないエリシュカの腕を軽く引っ張る。
エリシュカが、その腕を払い飛ばした。
その光景は現実的ではなく、ひどく空想的で、まるで異世界に来てしまったかのような。
視覚的には一瞬でも、感覚的にはスローモーションのようだ。
「い、行きたく、ないのじゃ……」
エリシュカは、涙を流していた。
目は涙を流したままこちらに向け、何かを請うように喋る。
事ここに至り、ようやくエリシュカのことを少し理解した。
こいつは多分、優しいのだ。臆病なのだ。
だからいつも振る舞いが明るいのかもしれない。現実から逃げるように、俺たちの作業からも逃げていたのかもしれない。
黒川の将来的な死を目にし、今から桑水流の母親の将来的な死を見る。
耐えられないとしても、おかしくはない。
昨晩それを言葉にしてしまったことで、限界を迎えてしまったのかもしれない。
「桑水流」
「……え、あ、はい」
桑水流はエリシュカに手を振り払われたことで、呆然としている。
いつも明るいエリシュカを見てきたからこそ、驚いていたのかもしれない。
「エリシュカは俺がどうにかする。お前は母親のとこに行ってろ」
「でも……いえ、わかりました」
桑水流は親友の状態を見つつも、肯定する。
もしかしたら街では俺の言うことを聞くというルールは継続中なのかもしれない。
今だったら桑水流になんだって命令できると考えると、なかなかに刺激的だ。
しかし、桑水流は俺を信頼しきったような目で見てきた。
エリシュカの事、任せます。
その目が、ものを言っている。
(とりあえず意味もなく、脱げよ、とか言いたくなる目だな。)
桑水流の信頼しきった目を心の中で完全に裏切りながら、行動では裏切らないことにする。結果がすべてだ。
桑水流はそのまま家の中に入っていった。
蟻への注意を促そうかと思ったが、既に耳にタコができているだろう。
エリシュカの方に向き直る。
ひどく、憔悴したような、感極まったような感じだ。
俺の中の保護欲と嗜虐心を刺激する。さすがにここで苛めるのは無理だ。苛めるのはまた今度だ。
「あいつの母親にはお世話になったのか?」
「たくさん……たくさん……」
言葉が続いていない。
桑水流より悲しんでいるのは何故だろうか。こいつの両親はもういないと言っていた。それが原因だろうか。
「喋らないと、わかんねーよ。お前、何をそんなに怖がってんだ」
「知ってる人が死ぬのなんて、見たくないのじゃ……」
「そんなの、誰だってそうだろ」
「わしもいつかああなるなんて、見たくないのじゃ……」
成程、と思う。
桑水流との差はここだ。
自分の将来を黒川と重ねてしまったのだろう。
「お前は毒でやられたくないってことだな」
「当然じゃ! 死にたいなんて思う人なんていないのじゃ!」
「じゃあさ、お前が毒で死なないとしたら、どうだ」
「どうって、何がじゃ……」
俺の毒の耐性を人に与えることができるとは決まっていない。
エリシュカに与えるかどうかも決まってはいない。
ただ、聞きたかった。
「毒で死なないとしたら今、何をするんだ?」
「……」
エリシュカは答えない。
答えは決まっていて、自分がそれを行動に移せないのが、自分の勝手だからだ。
もう少しで、エリシュカの心に触れるような気がする。服がなければ届くぐらいの距離だ。なければいいのに。
「何をするのか、言えよ。まさかうまい物食べたいとか言わないよな?」
「……ち、違うのじゃ」
「言えよ。何言ったって、失望したりはしねーよ」
まぁ正直、くだらないことを言ったら失望する。
うまい物も今は持っていない。
いや、ポケットの中に飴がある。
しかし参った。今はフルーツ味しかない。エリシュカにあげるべきハッカ味がない。
「……母上殿を」
「なんだよ」
「母上殿を、見守ってあげたいのじゃ!」
自分が今するべきことを単純化する。俺はよくやる。
エリシュカも、結果的に同じことをしたことになるのだろうか。
言葉は力になる。言霊という単語もある。
思い悩んだときに、本心を口に出せたことで、吹っ切れたのだろうか。
「わしは行くのじゃ!」
そう言ってエリシュカが立ち上がる。
絶望から立ち上がった主人公みたいだ。なんかかっこいいぞ、エリシュカ。
「白沼殿! ありがとうなのじゃ! 愛してるのじゃー!」
そう叫んでエリシュカは家の中に走って行った。
一瞬で立ち直ってしまったエリシュカの単純さに驚愕を覚える。
結局最後はいつもの騒がしいままだった。静かなエリシュカのままでよかったのかもしれない。
割と簡単に一件落着してしまった。俺のおかげだ。
それにしても、愛しているだとか言っていた。
たった2,3分で立ち直ってしまった意味不明な解決も、愛ゆえに、ということか。
まぁ冗談だと思うが。
話の流れで、超適当に話してたなんて言えないな。
……
なんとなく、彼女たちを3人にさせておきたかったので、俺は近くの家を漁ることにした。
最近気づいたが、家探しは楽しい。
勇者がよくやるのも頷ける。
人がいる家で家探しできるようになったら勇者にランクアップするのだろう。
俺はただの盗人なので、人がいる家ではとても家探しなんてできない。
以前家探ししていなかった家を少しまわり、ちょっとしたお菓子などの食料を手に入れた。
もはや、保存のきかない物は完全にダメになってしまっている。
米櫃に米がたくさん入った家があった。
狂喜して車に輸送する。虫とり剤も横の引き出しに入っていたので、あるだけ持っていく。もしかしたら蟻にも効くかもしれない。
輸送を終え桑水流の家に戻ると、二人はまだ母親の部屋にいた。
どこからか取り出した水とお菓子で宴会を開いていた。
寝ている母親も、横で騒がれると思い出が耳には残るかもしれない。いい案だと感心する。
「お、来たのじゃ。遅かったのじゃ」
「あ、白沼さん。おかえりなさいませっ」
桑水流のテンションが高い。
エリシュカが元気になって、母親を送り出せるように整理が付けられるようになったのだろうか。
酒はないかと見まわすが、生憎水しかない。
久しぶりに飲みたいもんだ。普段あまり好きじゃないとしても、時間が空くとそれを求めてしまうものみたいだ。
それから俺は、少しだけその宴会に参加し、キャンプ場に帰ると号令した。
二人とも、後ろ髪をひかれるような感じもなく、頷いた。
笑顔の女性が二人並んで頷くという光景は、なんとなく学生時代を思い出した。
二人に桑水流の家の家探しを指示する。
食料のありそうな一階からやれと伝える。
二人が出て行ったあと、部屋の中は俺と桑水流の母親だけになった。
遠くない場所から、二人の声が聞こえる。
しかし、この部屋は静かだ。宴会の後特有の寂しさだろうか、空気の温度が下がったように感じる。
実験は、俺の血を飲ませる事だ。
黒川がこの実験の如何でどうこうなることはないと思う。
しかし比較対象実験はわかりやすい。やらない手はない。
桑水流の母親は、割と美人だった。
昔は美人だった、と言う方が正しいだろうか。
包帯を捲り、強めに刺激を与える。
割と深い切り傷だからだろうか、すぐに出血を始めた。
桑水流の母親の口に腕を持っていく。
傷口に唇が触れた時、ゾワッとした。
やってはいけないことをした気がする。自分のプライドが、ポキリと折れた音が聞こえた。
少しの間体勢を維持し、それなりの量を飲ませた。
ついでに横に置いてあった水を飲ませた。
口移しではない。これは重要だ。二重の意味で。
唇に付着した血を軽くふき、簡単に後始末する。
ちょうど後始末を終えたあたりで、一階から声がかかる。
エリシュカの声はよく通る。
煩わしい声だと思っていたが、久しぶりに聞くと思うと悪いとは思えない。
すぐにまた煩わしくなるのだろうが。
一階に行くと、誇らしげに缶詰を掲げるエリシュカが目に入る。
煩わしいとは、思わない。
頑張っている女性の姿は、少し心を刺激するものがある。
立ち直る強さをみせたエリシュカは、いつもよりほんの少し可愛く見えた。ついでに胸も大きく見えた。
今日はほんの少しだけ、エリシュカのいい部分が見えたのかもしれない。
「缶詰か。いいもん見つけたな」
「うひょひょー。愛しの白沼殿に褒められてしまったのじゃ!」
流石にその笑い方は引く。
と、そこで横にいる桑水流が大きく反応する。
「愛しのって……エリシュカ、どうしたの?」
「ふははー」
「あんなに白沼さんは身体がいいだけの男だって言ってたのに……」
「は」
空気が凍った。
桑水流がやってしまったという表情をして、口を押える。
「身体?」
「……」
こいつらが、俺をどう見ているのかわからなくなった。
いや、覗きをされている時点で気付くべきだったのか。
「わ、私は違います! 信頼していますし、缶詰だって探し当てました!」
「……」
桑水流がまたやってしまったという表情をして、また口を押える。
つまり、缶詰を見つけたのも桑水流と言うことか。
いいと思ったら、すぐに評価を下げるようなことをする。これがエリシュカという人物なのだろう。
しかし、もうウザいなどとは、思わなくなっていた。
慌てているエリシュカの姿も、今日一番可愛いと思う。
でも当然メシ抜きだ。