22.感情発露
キャンプ場についた頃には、時計の針は既に21時近くを指していた。
桑水流とエリシュカはもう寝ているかもしれない。
そう思いつつ駐車場に車を止めると、車の音を聞きつけたのか、桑水流が俺の方に小走りで近づいてきた。
車を降りて、桑水流が走るのを見る。
こけるなよと少しだけ思いながら。
エリシュカはいない。寝ているのだろうか。
俺の前で桑水流が停止する。少し距離が近い。
少し息を切らしている。やはり体力がないのだろう。
そして何故か、桑水流は俺を見て泣きそうな顔を作り出す。
そして俺の前で、息を一つ整える。
「黒川さんは今日、目を覚ましませんでした」
「だろうな」
「それと」
「なんだ」
「……帰ってこないのかと、思っていました」
そう言うと、桑水流は正面から俺の服の裾を指で掴んだ。
「……見捨てられたかと、思ってしまいました」
そう言うと、ポロポロと涙を流し始めた。
考えてみると、俺は桑水流達から見ると、蟻の脅威から逃げたように見えたのかもしれない。
桑水流は聡い。すぐにその可能性が脳裏にかすめたのだろう。
俺は桑水流とエリシュカをキャンプ場に連れてきた。
つらい出来事のあった桑水流を、保護した。
食料や、その生産に必要な物資を準備した。
その俺が突然逃げ出すとなると、恐怖しか残らないかもしれない。
さらに、生活が軌道に乗ってきそうな気配のあった中での事件だ。
余計につらいだろう。
桑水流とは、睡眠中である母親が起きたタイミングで、家に連れて行くという約束もしていた。
「悪かった」
「……いえ、こちらこそ、急に変なことを言ってしまって……」
「いや、正しいだろ。なんも説明してなかったしな」
女性を泣かせたら、それがどんな内容であれ男が悪いのだ。
だからこそ、もしくだらない嘘泣きだとしたら、その女の顔を殴ってもいいとも思う。
そして今、悪いのは俺だ。
「……この世界では、まだ子供の私たちだけでは生きてはいけません」
桑水流が急にそんなことを言い出す。
「私もエリシュカも、今は白沼さんに頼るしか、まともに生きる道がないんです……」
「……」
「図々しいことを言っていることは承知しています。でも……」
「……」
「せめて、私たちを見捨てるのなら、一言……」
「……もういい。わかった」
俺はこれまで、自分勝手に生きてきた。
結婚なんてしていなかったし、俺だけが生きていければよかった。
その生活は、最高に気楽だった。
今は、俺は彼女たちを保護してしまった。助けてしまった。
最初は打算で行動していた。
そして、彼女たちは俺を頼ってしまった。
それは当然のことだ。俺は毒を恐れず行動できる。一人で大体のことはできた。
非力な年下の女性が頼ってしまうのは、当然なのだ。
初めて、本気で彼女たちを煩わしく感じた。
俺は彼女たちを助けて行かないといけない。
俺の中のまともな思考がそう言っている。
彼女たちのことなど忘れて、適当にやりたいように生きればいい。
俺の中の俺らしい思考はそう言っている。
そのせめぎ合いの中で、自然と言葉は口から溢れ出た。
「俺を利用するのはいい。でも、頼るのやめろ」
「え……」
「俺がお前らを助けたのは、俺自身の打算の結果だ。そのうち面倒になって、一人でどこかに行くだろうな」
「打算……」
「そうだ。もっと頼りになる奴に助けを求めるか、北の安全圏にでも行く方がいいだうろな」
「……」
桑水流は俺の言葉をどうにか咀嚼して、何かを考えているようだ。
俺は俺で、なんとなくスッキリした気持ちになっていた。
「……どちらも、できません」
しかし、出てきたのは否定の言葉だった。
「……そうか。なら、自分で生きて行く術を身に付けることだな」
「確かに、私は白沼さんに甘えていたかもしれません。ただ、少し時間を下さい」
「時間?」
「すぐには、無理だと思います。もう少しだけ、私たちを助けてください……」
否定と言うより、保留。
確かに、俺が強引に引っ張ってきた以上、これはしょうがないと思う。
「それはわかった。俺にも責任はある。すぐにどっかに行く予定もないしな」
「そうですか……」
「それ以上は、やりたいようにやる。お前らもそうしろ」
そう言って、黒川の眠るログハウスに向け歩き出す。
背後の桑水流は、少しの間黙っていたが、俺の後ろについて歩いてきた。
「白沼さんは、独りになることが怖くないのですか?」
そんなことを聞いてくる。
「独りの方が楽だと思うことは多いな」
「……私達も、お邪魔だったのでしょうか……」
心なしか桑水流の声のトーンが落ちる。
「邪魔だとかは思わないな。桑水流は進んで農作業してたし、助かったっちゃあ助かったな」
「……」
「エリシュカは今のままだと愛嬌以外に評価できるところはないけどな」
話しながら歩く。
そう言えば、黒川のところに着くまでに桑水流にどこかに行ってほしい。
血や唾液を飲ませるところなんて見られたくない。
はたから見たら変態すぎてヤバイ。
と、そこで桑水流の歩みが止まる。
「私が……もっと手助けできれば、一緒に居てくれますか……?」
「は? まぁ俺が助かるなら問題ないな」
素直に答える。桑水流が働き者になるフラグだ。
ついでにエリシュカも働かせてくれ。
「……白沼さんは……」
「……なんだよ」
「天邪鬼さん、ですね」
桑水流が、少しの笑みと共に呟いた。
少し驚く。
ついでに少しイラついた。年下に言われて気持ちのいい言葉ではない。
「どういう意味だ」
「あ! い、いえ! そういう意味ではないです!」
少し口調にイラつきが出てしまう。
桑水流は慌てて両手を口に添えてまくしたてる。
「本当に、そういう意味ではなかったんです。お気に触りましたでしょうか……」
「いや。で、どーいう意味なんだ」
この慌てようから見て、本当に俺を馬鹿にしたとかではなさそうだ。
だからといって、意味はわからないままだ。
「あの、白沼さんは、私達にひどいことを言ったり、したりしていますよね?」
「あー、そうだな」
「でも、その後すぐに逆の意味で捉えられるようなことを言いますよね?」
「……?」
意味が分からない。
飴と鞭ってことか。
「そうするとひどいことも、全部意味が変わってしまうのです」
「わからん」
「なんと言いますか、優しい人だなと、思います」
桑水流はそういうと、恥ずかしそうに顔をふせた。
そう言われて、やっと意味がわかった。
つまり、俺が天邪鬼だからひどいことを言ったりするが、全部優しさの裏返しだって言いたいわけだ。
どうと言うことはない。
桑水流はダメな男にだまされるタイプだ。
ダメな彼氏に殴られて、その後甘い言葉を吐かれると弱いやつだ。
「お前……」
「で、ですから! 私ももっとお手伝い致します! 私にできる事でしたら、なんでも言って下さい!」
桑水流はそう言うと、顔を真っ赤にして管理所の方に駆けて行った。
取り残された俺は、桑水流の将来を心配すると共に、一人でログハウスに行けて好都合だと思った。
…………
途中の小川で空のペットボトルに水を補給する。
そしてログハウスまでやってきて気付いた。
鍵を持ってきていない。
今更管理所に行くのは面倒なので、ログハウスの周囲を軽く歩く。
すべてのドア、窓には鍵がかかっている。
つまり中には入れない。
とりあえず建物の横のベンチでタバコを吸いながら一休みする。
鍵は恐らく桑水流が持っているだろう。無理やり窓から侵入しようとは思わないし、桑水流のところに戻って鍵を借りないといけない。
「はぁ……」
「どうかしたのかや?」
振り向くと、エリシュカがログハウスの窓から顔を出していた。建物の中にいたのかよ。
「なんで鍵全部閉めてんだよ」
「怖い人が来るかもしれないじゃろ? 白沼殿なら入っていいのじゃ」
ふふん、と鼻を鳴らしながら言ってきた。
何様だこいつ。
とりあえずドアの方に行く。エリシュカも建物の中からドアの鍵を開けてくれた。
建物の中に入ると、なんとなく空気が冷たいような雰囲気がした。
エリシュカの方を見ると、なんとなくいつもより元気がない気がした。
「黒ちゃんは、本当に毒に侵されてたのじゃな……」
「ああ。今の様子はどんな感じだ」
「どうも何も、ずっと寝たまま動かないのじゃ」
「そーか」
「わしもいずれは、ああなってしまうのじゃろうか」
「……」
エリシュカの言葉に、なんとなく重みのようなものを感じる。
割といつも元気だったり、フラフラしているエリシュカだからこそ、真面目に感情を押し殺したような言葉を吐かれると返す言葉がなくなってしまう。
もし俺が、黒川の病状をどうにかすることができたとして、その時がきたらエリシュカや桑水流にも同じことをするのだろうか。
わからないと、思った。
「……少し、黒川の様子を見てくる。お前は管理所に戻って桑水流と一緒に居てろ」
「……わかったのじゃ」
「道中も、管理所でも、蟻には気を付けろよ」
「わかっておるのじゃ! ではわしは行ってくるのじゃー!」
最後だけエリシュカは少し大きく声を上げ、ドアの方へ向かった。
その背中を見つめながら、エリシュカも桑水流もいずれ感染するだろうことを想う。
どうにかしてやりたいとは思う。
いずれにせよ、まずは黒川に例の方法を試す必要がある。
黒川の部屋に向かう。
部屋に入ると、空気がとても冷たく感じる。
感染者のいる場所は、理由もなく冷たく感じる。人の死が迫る場所だからだろうか。
黒川は俺が出て行ったときとまったく同じような体勢で寝ていた。
桑水流もエリシュカも触ることができなかったのだろう。
見た目は、気持ちの良さそうに安眠している一人の美少女。
その中身は、死に至る病に侵され眠り続ける、まるでお姫様のような存在だ。
(血と唾液を飲ませる、か)
今更興奮するようなことはないが、その光景を見られでもしたら非常にまずい。覗き魔のエリシュカがどこからか見ているかもしれない。
一応窓のカーテンを閉め、ドアも内側から鍵をかける。
黒川をもう一度見つめる。
その唇を見つめる。
腕に巻いてある包帯を外す。傷痕のかさぶたを剥ぎ取り、何度か刺激を与える。
すぐに傷痕から血液が流れ出す。
この赤い液体が黒川の命を本当に救うのだろうか。
そんなことを考えながら流れ出す血液を見つめる。
半信半疑だ。実際、これはただの憶測での行動でしかない。しかし、やる以外に手はない。
黒川の唇を無理やり開き、その中へと腕を押し付ける。
上手く嚥下してくれるか不安だったが、黒川はあっさりとその喉に血液を取り込んだ。
途中から黒川は、腕の傷痕にしゃぶりつくように舌と唇を動かした。
少しの背徳感と共に、黒川がまだ生きていることをその腕に感じる。
血液だけでは凝固してしまい喉が詰まる可能性がある気がする。腕を黒川から引きはがし、ペットボトルに入れてある水を黒川の喉へと注ぐことにする。
そう言えば唾液も接種させる必要がある。
ちょうどいいのでペットボトルの水を口に含み、少しだけ喉に嚥下した後、咥内に残る液体を黒川の口に注ぎ込んだ。
当然だがマウストゥーマウスでだ。
人工呼吸みたいなもんだ。楽勝である。
黒川から顔は離し、一息つく。
黒川を実験体とは思いたくないが、結果的に実験体のような扱いをしている。
許してくれとは思わないが、とりあえずもし生き残ったら俺に感謝しろよと思った。
血液と唾液はどの程度の量が必要なのかがわからない。
接種の周期なども不明だ。
医学の知識などないので、とりあえずたくさん飲ませとけばいいだろうと判断する。
今日から一週間は、エリシュカと桑水流の目を盗んでここに通う。
それまでは特にすることなどない。
自分の中に存在するかもしれない抗体について、これ以上調べる方法を思いつかなかった。
そう言えば、桑水流の母親のところにも行く必要がある。
桑水流とエリシュカの去り際の表情を思い出し、少しだけ無駄に心労をかけてしまっていると思った。
だからと言って彼女たちのために何かをする気にもなれない。
せいぜい腹一杯にメシを食べられるように、食料調達を頑張るくらいだ。
なんとなく、黒川の胸を揉んでみる。
黒川は眉を少し顰め身じろぎする。反応があるのは面白い。イタズラの許可は本人に取ってあるしな。
「じゃ、行くわ」
満足したので、最後に眠り続ける黒川に向かって小さく呟き、部屋を出た。
部屋を出た時にはなんとなく、その部屋の空気を冷たいとは感じなくなっていた。




