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21.予測推測

 目が覚めたのは、早朝の6時頃だった。

 朝日は既に昇っている。少し寝すぎた気もする。変な体勢で寝たせいか、少しだけ体が痛い。

 体を起こし、傍に置いておいたコーヒーを口に含む。

 ついでに、タバコに火をつける。この家に来る人間はもういないだろうから、問題ない。


 顔を洗いたいが、その前に一度対象の家を見てから洗面所に向かおうと思う。


 そのまま何の気なしに、窓から外を見ると、その景色に驚いてタバコを取り落してしまう。


 例の親子が、以前眠っていた布団の上から姿を消していた。

 朝から早速、想定外の事態が発生してしまった。


 すぐにでもこの目で確認しに行きたいが、自重する。

 このまま突っ込んで行って、誰かと鉢合わせになったら目も当てられない。


 窓から、対象の家を隅々まで観察する。

 ほんの少しだけ窓を開け、何らかの音が聞こえないか耳を澄ます。

 得られた情報は何もなかった。


 観察だけでは、得られない情報もある。実際に家に入るべきだと考える。

 時計を見たら、未だ6時過ぎだ。

 常識など既にないようなものだが、朝早すぎる訪問は怪しすぎる。

 8時まで観察してから、家に行くことにした。


 しかし観察というが、何も変化のない家を見つめていても暇なだけだ。


 俺は、以前読んだ漫画の続きを発見し、狂喜してそれで暇をつぶすことにした。

 この世の中、どのような場合でも娯楽を忘れないことが重要だと思う。

 だから、そこに漫画があれば読むのだ。

 それがどんな状況でもだ。


…………


 8時まで観察したが、望む変化は何一つ見られなかった。

 心なしか重い気がする腰を上げ、観察場所の民家を出た。

 対象の家の周りをぐるりと回る。

 以前あった車はそのままだが、普通車が一台増えている。夫が帰ってきたのかもしれない。

 逆に言えば、人が中に居る可能性は高い。


 外を回っていたが、うまい具合に屋内を見ることができない。

 直接訪問するしかないかと思い始めたころに、突然リビング部分のカーテンが開かれた。

 内心驚きながらも、外には出さずに屋内が見える場所に移動し、スマホを取り出す。電源は落ちているが、とりあえず何かをしているフリをする。

 そのまま横目に、室内を見る。


 35歳くらいと思われる男が見える。

 その男の足元に、布団が一組見える。その膨らみから、誰かが中に入っていいるのが見て取れる。

 ……顔部分は見えない。しかし、少しだけ布団からはみ出した足が見えた。


 その足には、何か所も虫に刺されたかのような斑点がある。

 その体は、ただの少しも身動きをしない。死んでいるのだろう。

 大きさからして、あの母親かもしれない。

 俺は蟻の毒に侵され死んだ人を、火葬したことがある。

 だからわかる。蟻の毒で死んだ人間は、あんな感じなのだと。


 男の方は、顔に生気が見られない。目が死んでいる。

 突っ立ったまま、眠る女を見つめている。


 俺を経由しても蟻の毒で死ぬことがわかった。

 しかし娘の方が、見えない。もし娘も死んでるとしたら、わざわざ別々の場所に運ぶだろうか。


 少し希望が見えた。

 もし娘の方が生きていたのなら、俺から直接感染したものは耐性が付き、そこから感染したものは耐性がつかないと仮定できる。

 ……仮定と言う程の根拠もないが、状況証拠でストレートに考えるしかないのだ。

 もしそうだとしたら、黒川は助かる可能性があるのだ。

 見えない光明を無理やり手繰り寄せるように、思考する。


 しかし、現実はそこまで甘くない。

 男が、母親の眠る布団を持ち上げた。

 布団で見えなかっただけだ。

 母親の横には、俺と直接触れてしまった女の子が寝ていた。

 とてもじゃないが、生きているとは思えない顔と、皮膚。


 自然と表情が険しくなってしまう。

 ひとまず、これで現状俺に触れた人間の致死率は100%だ。

 いまだに、耐性持ちの人間は俺だけ。


 今から誰かを感染させて実験するのでは遅すぎる。

 そもそも耐性が判明した当初は、耐性を誰かに分け与えるような真似、できるとは思っていなかったのだ。

 それが黒川が感染したからと言って、その希望的観測にすがってしまうのは間違っていたのかもしれない。

 一番いい方法は、感染症に詳しい人間に俺を見てもらうことだ。

 しかしそれは、それだけは。


 (嫌だ。誰かに俺の体を弄繰り回されるくらいなら、死んだ方がマシだ)


 俺にとって、黒川より俺の体の方が大事なのだ。

 そこは譲るつもりはない。俺以外の誰が望んだとしても、逃げ切ってやるという想いすらある。

 頭を振ってくだらない考えを打ち消す。


 (今は、もう少し観察を続けるべきだ)


 もしかしたら、あの男が死ぬまでの症状の推移などを知っているかもしれない。

 最悪、男に聞くしかないかもしれないが。

 症状の推移に異常が見られれば、ヒントにはなるかもしれない。


 そこで、ふと思い出す。


 (そう言えばあの親子、もう一人娘がいなかったか……?)


 俺に触れた少女の姉の方だ。名前は……覚えていないが。

 そいつの姿が見えない。

 この程度のことを見逃してしまっていた自分に舌打ちをしつつ、室内を観察する。

 見える範囲にはいない。

 男の方も、妻と妹の方に布団をかけ直し、窓から見えない場所に移動してしまった。


 耳を澄ませると、トントンと男が2階に移動しているような音がする。

 家から少し離れて、2階のいくつかの部屋をそれぞれ観察できる場所に簡単に当たりを付ける。


 もう一度家の周囲を回ると、先程全て閉まっていたはずのカーテンが開いている部屋を見つけた。


 隣に建つマンションの3階付近からなら、なんとかその部屋の中を覗けそうだ。


 すぐさまマンションに移動する。オートロックと思われるドアは死んでいた。手動でドアを開き、中に入る。

 3階まで階段を昇り、わずかに息を切らしつつ廊下の端まで行き、そこから勢いのまま身を乗り出して目を凝らす。


 その部屋の中で、姉の方は、生きていた。

 確かに、胸が上下に動いていることがわかる。

 目は閉じているが、やや粗く息をしている。

 かさついた唇が、少しだけ動いている。


 そして、明らかに発症後と見られる斑点が顔中に見える。

 これは恐らく、長時間の睡眠から目覚め、死ぬまでの間のわずかな時間だ。

 発症は防げていなかった。

 一応、俺を経由して感染した貴重な観察対象として、これからの病状の推移を観察したい。


 マンションの端の部屋をノックする。

 返事はない。

 ドアノブを持つと、鍵はかかっていなかったのか、簡単に回ることに気付く。

 当然のように侵入する。

 中は人がいなくなってから久しいのか、ややゴミの臭いがきつい。

 しかし、人が死んだときのような嫌な臭いはない。

 ほんの少しだけ飛び交っているハエを無視しつつ、その部屋の窓から例の部屋を見つめる。


 正面に女の子が見える。観察場所は決まった。

 部屋のゴミを蹴り飛ばし、椅子を乱暴に引いて座り込む。

 あとは、観察するだけだ。

 暇潰しできそうなものは部屋の中には見えない。

 しかしなんとなく、暇潰しをして女の子から目を離そうとは思わなかった。


 それから俺はその部屋に夕方まで居座り、女の子を観察し続けた。


 夕方の5時頃、その女の子は息を引き取った。

 病状の推移に、特筆すべきことはなかった。


…………


 軽トラに乗り込み、ハンドルに頭を突っ伏して考える。

 今日の観察から言えることは、いくつかある。


 俺以外で、蟻の毒での致死率は未だ100%であること。

 俺に触れたからといって、その病床の状態に変化は見られないこと。

 黒川は、死ぬ可能性が未だに高いこと。


 これ以外は推測になるだろう。

 気になるのは、何故姉の方は死ぬタイミングがズレたのだろうかということ。

 人によって個人差があるのはわかる。しかし、母親と妹はおそらく昨日中には死んでいた。

 この一日以上の差異が、気になる。


 姉の方に、特筆すべきことはあっただろか。

 わからないが、起点が俺にあると考えると、以前侵入した時に何かがあったとしか考えられない。


 感染の順番は、妹の次に母と姉だ。どちらが先かは不明。

 母と姉が並列の関係であるため、感染の順番などは関係ないと判断する。

 その他、何かあったのだろうか。よく思い出せない。


 姉とその他の二人の違いでわかる事と言えば、年齢、体格などのどうでもいいことだ。参考になりそうなものは何一つない。

 あとは、唇がやたらカサついていたことしか思い浮かばない。


 ……カサついた唇。

 大体の場合、それは唇を舐めてしまう癖のある奴の特徴だ。


 いくつか、頭の中で繋がるものがあった。


 俺はあの姉の唇に触れたことを思い出す。

 意味もなく触れて、ついでに頬にも触れた気がする。

 触れた指は、人差し指だった気がする。


 自分の人差し指を見てみると、既に塞がった傷痕があった。

 あの娘に触る前に、俺は何をしていたか。


 母親が寝返りをしたことに驚き、その指をベッドで切っていた。

 血が出て、その指を舐めた。

 その指で、唇に触れた。

 姉は、癖で唇を舐めた。


 血や唾液というのは、人間にとって重要な成分を多分に含んでいる。

 全身に行き渡る血などはまさにそうであろう。


 それが、俺の中の耐性に関係ある可能性は、高い。


 俺の血か、唾液。

 それを摂取することで、一日の差異ができたとは考えられないだろうか。


 考えてみるが、矛盾はない。根拠もないが、少なくとも他のどの案よりも、試す価値があると思えた。


 血か唾液に効果があると仮定したとして、問題はある。

 どの程度の量がいいのか。

 どのタイミングで摂取するのがいいのか。


 このあたりは、考えても仕方ない。

 ただ、少なくとも、指針はできた。


 (黒川に、俺の血と唾液を飲ませる) 


 車のエンジンをかける。

 早い方が、いいのかもしれない。

 少しだけ気分が上向いた気もする。


 アクセルを踏み込む前に、少しだけ例の家の中に目をやった。

 いつの間にかリビングにいた例の夫と、目があった。死んだような目だ。


 (悪いな。でも助かった)


 聞かれたら殺されそうな程に無責任な言葉を軽く口にする。

 エンジンの音で聞こえはしないだろう。

 男は、すぐに俺から興味をなくしたように、妻と子の亡骸を見つめ始める。


 アクセルを踏み込む。

 最後に見た時その男は、その手に最愛に人の亡骸を抱きしめている姿だった。

 手袋など、着けていなかった。

 自分も感染して、死にたいのだろう。


 (あぁはなりたくないもんだな)


 最愛の家族の死だ。自分に最愛の人などいない。

 メリットは、別れを悲しむ必要がないこと。

 デメリットは、普段の寂しさに耐えられない人がいること。


 その姿を横目に、俺は既に暗くなってしまった道を急いだ。


 血か唾液。

 この方法でダメなら、できることはなかったってことだ。

 その時は素直に諦めて、せめて死にゆく黒川が幸せのまま逝けるように、あいつのお願いはなんでも聞いてやろうと思う。

 例えば、以前は衝動的にハッカ味の飴を渡してしまったから、今度こそフルーツ味の飴を渡してやろうと思う。


 桑水流とエリシュカのことも考えないといけない。

 完全に投げっぱなしで置いて来てしまったが、俺に怒っているかもしれない。

 いろいろ説明もしてやらないといけない。

 せめて、あいつらが同じような形で感染することのないように。

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