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19.浸食汚染

 黒川と桑水流の水浴びの感想は、久しぶりで物凄く気持ちが良かった、だった。なんとも味気のない感想だ。

 物置の感想は、とりあえず覗かれる心配がなくてうれしいが、天井を外したため雨の日が不安、ということだった。あとシャンプーとかが欲しいとか 言っていた。

 覗きなんていないと思うが、外で裸になるのは嫌だったというのが桑水流の弁だ。今まではジャージの上から水を浴びていたらしい。少なくとも外か ら見えないところで水が浴びれてうれしいみたいだ。

 いるんだよな、覗き。


 その覗き魔は二人の水浴びが終わった後、1時間くらいして帰ってきた。

 蝶を追いかけていたらしい。


 エリシュカの事は置いておいて、シャンプーなどは街に行けばまだまだ手に入ると思う。次に物資を探しに行くとき、ついでに持ってこようと思う。


 警戒していた暴動の侵入もない。

 食料が少ないが、畑もあることで少なくとも飢えて死ぬような未来は見えなくなってきた。


 だから、忘れていた。

 蟻の毒が、どうして全人類を恐怖に陥れたのかを。


…………


 3人目であるエリシュカの水浴びも終わり、エリシュカを少し叱った後、食事の用意をする。

 今日は俺がサボっていたこともあり、缶詰と以前作った魚の干物だ。

 管理所のロビーで4人で食事をする。

 少しだけ陰の見えていた桑水流も元気を取り戻してきている。少なくとも、泣くようなことない。我慢をしているのだろうが。


 食事が終わり、外も暗いのであとは寝るだけだ。

 最近は大体8時頃には室内から出なくなっている。

 ロビーで本を読んでいると、黒川が話しかけてきた。


「白沼さん、明日は何するの?」

「とりあえず釣りじゃないか。農作業できる奴はそれでもいい。俺はあまり動きたくないから釣りだ」


 そう答えながら、未だ痛みの治まらない腕を掲げてみせる。

 止血はしているのだが、包帯には少しだけ血がにじんでいる。


「そうだよね。私も一緒に行くよ! 怪我人の介護をしてあげましょう!」


 芝居がかった口調だ。黒川は笑顔でその細い腕をまくって見せた。

 まったく頼りになるようには見えないが、相変わらずやる気満々だ。


「どっちでもいい。桑水流が大変そうならそっちにしとけ」

「……」


 黒川が少しだけ黙り込む。俺の答えについて何か思うところがあったという表情だ。

 同時に笑顔も曇りを見せる。


「白沼さん、桑水流さんのこと心配……?」

「……なんだよ?」


 黒川が言いづらそうにしている。

 心配と言えば心配だ。親の事もある。ついでに言えば大事な戦力だ。

 エリシュカがあてにならなさすぎて、桑水流が頼もしく見えてしまう。可愛い女がブスを連れて自分を引き立たせるのと一緒だ。

 いや、エリシュカをそこまでこき下ろすつもりはないが。


「私は……」

「……だから、何だよ。はっきり言え。」


 要領を得ない。

 目の前で煮え切らない態度をとられるのは嫌いだ。少しイライラしてくる。


「えと……なんでもない!」

「はぁ?」

「私、外の道具を片付けてくるね!」


 そう言って黒川が外に飛び出していった。

 農作業に使用した道具を片付けるのだろう。夜露に濡れても困るからそれはわかる。

 その前の、煮え切らない態度は少し気になる。


 考えても仕方ないので、黒川の事は忘れて本を開き直す。

 釣りの本だ。釣り以外にも、何故かウナギの獲り方なんかも書いてある。ウナギは水が綺麗な川に居ると聞く。

 だとしたら、この辺りの川にはいないかもしれない。

 しかしウナギは食べたい。

 獲ったら俺一人で食べるが。


 などと考えていたら、外から大きな音がした。

 何かをひっくり返したような音と、黒川のかわいい悲鳴が聞こえる。

 外に出ると、暗闇の中黒川が地面にうずくまっていた。


「どうした」

「いったーい! 転んだー!」


 痛いとか言う割には元気に声を上げるものだ。

 周囲は暗闇。この暗さの中で作業をしていて、こうならない方がおかしい。


「ライトくらいつけろよ」

「忘れたんだよー! いけると思ったんだけどなー」


 黒川は痛いよー、などと言いながら起き上る。

 そのままライトを持った俺に近づいてくる。


「うえー。口の中に土がー」

「アホか……」


 黒川がペッと口から土を吐き出す。

 黒川の顔にライトを照らす。


「柔らかい畑の上でよかったよー」

「……」


「あ、でもせっかく植えたとことか潰しちゃったかも!」

「……」


「芽が出てないからまだ大丈夫かなー?」

「……」


「明日ちゃんと確認して植え直さなきゃだー」

「……」


「ん? どーしたの?」

「……」


「ねぇ」

「……」


 黒川の首根っこをつかみ、自分の近くに引っ張り込んでその顔に至近距離からライトを照らす。


「きゃ! もう! なんだよー!」

「……」

「……なんだよー?」


 黒川の顔に、その可愛い頬に、緑色の液体が付着していた。

 間違っても、その辺の草の緑ではない。

 ドス黒い、緑。


「蟻の……毒……」

「えっ?」

「蟻の、毒が、ついてる」

「……どこに?」

「お前の頬に、だ」


 黒川の頬を手で拭う。

 黒川に見えるように広げた手に付着していたのは、緑色の液体と、潰れた小さな蟻。


「え?」


 黒川が、感染した。


…………


 時刻は7時。

 事態を理解し切れていない黒川を、ログハウスまで引っ張ってきた。

 久しぶりに鍵をあけ、中に入る。室内は綺麗なままだ。明かりをつけると、意外なことに電気は生きていた。

 黒川をソファーに座らせる。呆然として動かない黒川を横目に、すぐに戻ると伝えて近くの小川に水を汲みに行く。

 歩きながら、思考する。


 黒川は感染した。蟻の毒の致死率は、100%。これはメディアの生きている頃の、政府の公式発表であり、世界中の政府の共通認識であった。

 唯一の例外は俺。ただ、原因も何も心当たりのない現状、俺以外に対しては大きな意味はない。


 黒川は、死ぬ。

 恐らく今日寝たとして、明日起床することはない。

 それから一週間睡眠を続け、起きたと思ったら高熱や斑点が現れ、死に至る。

 すぐに死ぬと言われるより、なまじ時間があるためか、怖い。

 寝たら起きないという理由で、睡眠が恐怖になる。

 黒川とまともに言葉を交わすのは、これで最後かもしれない。


 山の中で生活するなら、蟻との接触は必然的に増えてしまう。

 そのことを痛感する。

 俺は、なまじ俺が蟻に接触しても問題ないから、蟻への警戒を強く促してこなかったのかもしれない。その結果がこれだ。


 水を汲んで戻ると、黒川は先ほどの体勢のまま、身動きしていなかった。

 ただ、戻ってきた俺を見つめて、言った。


「私、死ぬの……かな」


 黒川の瞳が揺れているのがわかる。否定してほしい、というわけでもないだろう。これはただの確認だ。

 黒川に水を渡しながら、答える。


「そうだな。明日は、起きないだろうな」

「そっか。そうなんだ」


 黒川は俯いてしまう。未だに理解が追いついていない。理解しようとしているのに、体には少しの不調もなく、体の五感が正反対の回答を出してくる のだろう。

 寝るまで、体は健康そのものなのだから。


「桑水流とエリシュカ、連れてくるか?」 

「……いや、いいよ。私だって理解できてないんだもん。みんなから声をかけられたら、どうかなっちゃうよ」

「そーか」

「それに、みんなが私から離れちゃうのは、見たくないよ……」


 感染者には、近づかない。

 もし桑水流とエリシュカがここに来たとして、黒川には近寄らないだろうし、俺が近寄らせない。


「それなら、白沼さんに、離れて欲しくないんだ」

「……そーか」


 今この時、俺だけが、黒川に未だ触れることのできる唯一の人間だ。


 会話が途切れる。

 黒川が、俺に傍にいて欲しいと考えているのはわかった。

 黒川の隣に座る。


「お爺ちゃんが……」

「ん」

「お爺ちゃんが死んだ時、いつ死んでもいいやって思ってたんだ」

「そーか」


 俺に会う、前の日だ。

 俺が初めて黒川にあった時、こいつは普通だった。肉親が死んだあととは全く思っていなかった。状況的に推測はできたが、悲しんでいる様子はな かった気がする。

 自分の繋がりみたいなものがなくなり、諦観に溢れて自暴自棄、いや開き直っていたのかもしれない。頭の中から無理矢理悲しみを消していたのかも しれない。


「でも、白沼さんに会って……」

「……」

「楽しいなって、思ったの。もっと仲よくなりたいなって、思ったの」

「そーか」


 黒川はその目から、静かに涙を溢れさせた。

 ポタリ、ポタリと黒川のズボンにしみを作っていく。


「こんなことになるなら、あの時……」

「そんな話、聞いてても面白くもねーよ」

「え?」


 黒川がその先を言うのを止めたかった。

 それに、実際人が悲しみを感じていることをどれだけ伝えられても、俺には何も残らない。面白くないと思った。


「もっと聞いてて楽しい話しろ」

「……」


 流石の黒川も絶句している。

 死に直面して、話をまともに聞いてもらえない。

 飲み会で言われたら一番困るようなフリをされる。

 もはやなんと言えばいいかわからないのだろう。


「楽しい話……?」

「そーだよ。楽しくなくてもいい。最後にこれ喰って死にたいとか、ねーのか?」

「……」

「どーせなら、やりたいことやって死んだ方がいいだろ。」


 これは、俺が死に直面した時にやったこと。

 その時、俺は泣かなかったし、つらいとも思わなかった。

 そんな感じで死んだ方が、いいと思う。


「なんかねーのかよ」

「……いきなり、言われても……」

「まぁ考えとけよ。ウナギくらいなら頑張って獲ってきてやらんでもない」


 ペットボトルを使えば獲れると本には書いていた。

 まぁ無理だろうが、頑張ってはやる。獲れても俺が食べるかもしれないが。


 黒川が黙り込んでしまったので、部屋の中を見渡す。

 以前置いていた飴玉の袋を見つけた。熱中症の予防で買ったが、ここに忘れていたのだろう。


 飴玉(ハッカの方)を黒川に渡し、俺はタバコを吸うことにした。

 室内だろうが、別にいいだろう。火を点けて、煙を吸い込み、吐き出す。


 ふと黒川を見ると、俺の方をじっと見つめていた。

 なんとなく見覚えのある、状況。


「部屋の中でタバコ吸っちゃあ、ダメだよ」


 そう言われた。

 思い返せば、最初の頃は黒川は金髪ギャルだと思っていたが、意外に真面目なのである。

 金髪なのは、可愛いからとか不良だからとか、そんな理由ではない気がした。


「そ-いや、なんで金髪なんだ?」


 単刀直入に聞いてみる。


「えと、これはね、私、小さい頃に白髪ができちゃったの」

「へー。不倫した両親のせいとかか?」

「多分、そう。でね、お爺ちゃんが、白髪染めだって買ってきたのをつけたら、こうなったの」

「なんじゃそりゃ」


 ボケた爺さんに無理やり金髪にされたとか、虐待と言ってもいいのではないか。


「女の子なら、こっちの方がいいだろって。似合うって言われたから、ずっと金色に染めてるんだ」

「ふーん」

「自分で聞いといて興味なさそーな返事だね……」

「そーでもないな。爺さんの言う通りだ」

「何が?」

「似合ってるよ。それ」

「え?」

「ギャルっぽくないのに、金髪。可愛いし面白い」

「……」


 黒川が、真っ赤になる。

 こいつは、世辞でも俺に褒められると嬉しそうにする。

 笑ってほしくて言ったつもりだったが、顔を赤くして俯いてしまった。 


「……最後にしたいこと」

「ん?」

「最後にしたいこと、あるよ」

「なんだ。蒲焼か?」

「違うよ。こっちに来て」


 そう言うと、黒川は俺の手を引っ張り、ログハウスの部屋を回る。

 もうお互いに、手袋などはつけていない。生身の人間に、久しぶりに触れた気がする。

 3つ目の部屋で、黒川は俺を引いて中に入った。

 普通の部屋だ。大き目のデスクと、ベッドがある。


「あたしね」

「なんだよ」

「最後に、ね」 

「ああ」

「………………」


 黒川が、俺とベッドを見比べた後、沈黙した。

 その顔は赤く、何かを言おうとするが、声にはでない様子だ。


 なんとなく理解する。黒川が何をしたいか、何をしてほしいか。

 思えば、黒川も一緒なんだろう。この騒動が始まってから人の肌に触れる事なんて、なかったはずだ。


 黒川が意を決したように、息を吸い込んだ。


「私を―」

「俺さぁ」


 その言葉を、遮る。これ以上は聞く気がしない。

 黒川は俺のことが好きなのだとか言いたいのかもしれない。しかし、それは俺にとって最悪に近く気持ちの悪い感情だった。

 それを言わせてしまったら、俺はこいつから遠ざかると確信できるほどに。


 俺の中で、後悔が残らないように。

 それで、黒川が満たされるような言葉。


 ちょっと考えても思いつかないから、面倒になって適当に口を開いた。


「お前の体、エロいなぁって思ってたんだよな」

「え?」

「死ぬ前に、一回やらせろよ」

「…………え?」


 返事は、聞かなかった。

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