18.肯定歩合
夜が明ける。
朝日の光は地平線の先から窓を通り、その室内をカーテンの色へと染め上げる。
今日は一分たりとも睡眠はとっていない。その目に、朝日は眩しすぎる。
目を細めながら、窓へと視線を移す。
結局、誰一人として管理所に近づく者はいなかった。
太陽が昇ってから、来るかもしれない。
猜疑心は尽きない。
しかし、夜を安全に越すことができたことには、少しの安堵を覚えた。
周囲に気を配りながら、管理所から出る。
徹夜をしているので、そろそろ注意散漫になりそうだ。
すぐ横の小川へ行き、そのフラついた頭に早朝の冷水をぶっかける。
普段なら気持ちの良いはずの水も、徹夜明けの頭には響くだけ響いて爽快さなどは残すこともない。
3人が起きるまで、少なくともあと2時間はある。
それまで起きているのはきつい。
管理所の前のベンチに座り、シャベルを片手に本を開く。
朝方ではもう襲撃者は来ないだろうし、集中力散漫なので本を読んでいても構わない。
1時間もすると、まず桑水流が起きてきた。
管理所の窓から外にいる俺を確認すると、ドアを開けて寄ってきた。
「おはようございます」
「……あぁ、おはよう」
目がショボショボする。
朝日に照らされた桑水流の黒く長い髪がやたらと綺麗に見える。
よくよく見ると、桑水流は美人だ。
身長も高いし、目鼻も整っている。髪は女らしく艶がある。ついでに胸がでかい。
普段は感情を表に出さないのだろうが、俺と会ってからは泣いてるとこをよく見るし、落ち込んでるとこも見る。
喜怒哀楽が表情に見えた方がいいと思う。
「朝、早いんですね」
「早いっつーか、寝てない」
「それは……見張りをしていたということですか?」
「そーだな」
「……すみません。私たちは何も考えずに寝ていました」
桑水流が申し訳なさそうに目を伏せる。
綺麗に朝風に靡く髪を見れたから、別にいいかと思う。
こんなことを考えてしまうのが、徹夜の弊害であろう。
「構わねーよ。朝から泣いていない桑水流が見れたしな」
「それは……言わないでください」
変なことを口走る。
徹夜の弊害の二つ目として、寝るまでは変に饒舌になることがある。
まさに今その状態なのだろう。
対する桑水流は、少し顔を赤くしながら怒ったように眉を顰める。
「残りの二人が起きたら、寝るさ。さっさと顔を洗って来い」
「今日はなんだか意地悪なんですね」
「徹夜明けだからな。管理所から遠くには行くなよ」
桑水流は、はいとだけ答えて小川の方へ向かった。
暇になったのでもう一度閉じた本を広げる。
内容が頭に入ってこない。
眠くて仕方がない。そろそろ限界になってきた。
目を閉じては広げ、頭を傾けては慌てて正す。
「あの……眠たいの……でしょうか?」
「?」
目を広げると桑水流の顔が大きめに映る。
これほど接近されても気付かないようでは、もはや見張りの意味はない。
そう自分に言い訳をし、寝ようかと思いだす。
「私が見ていますから、休んでくださいな」
何故か笑顔になっている桑水流にそう言われた。
寝顔を見られた。みっともない顔になっていたのかと思うが、すぐにどうでもよくなる。
「……そーだな。お言葉に甘えることにする。その前に、一応あいつらを起こしとく」
「一緒に行きましょう」
「あぁ。今日は管理所から離れずに農作業だ。何か異常があったらすぐに起こせ。もしくは大声をあげろ。あとは……なんだったか。当然蟻には気を 付けろよ」
「心配性なんですね」
面白いことなどなかったと思うが、桑水流が小さく控えめな笑い声をあげる。
仮眠室に入ろうとすると、桑水流に静止させられた。
「女性が寝ているところに、普通に入ろうとしないでください」
「は?」
桑水流は少しだけ片方の頬を膨らまして、そんなことを言ってきた。
一瞬どうでもいいだろと思うが、若い女性からしたら当然のことだ。
「あー、起こしてきてくれ」
「承知致しました」
少しだけ芝居がかったような口調で言われた。
俺は部屋の中が見れないところで待機。桑水流が部屋の中に入っていく。
桑水流が部屋の中で何か言っているのが聞こえる。
すぐに3人が部屋から出てきた。
起き抜けの二人は、待機していた俺に気付き、朝の挨拶を交わす。
「あ、おはよう!」
「おはよーなのじゃー」
「あぁ」
もはや一秒たりとも起きていたくない。
部屋のドア付近まで行くと、布団が見えた。天国に見える。早くあそこに行かなければ。
体が勝手に動き、3人の横を通り抜けベッドへとダイブした。
後ろで何かを言っているのが聞こえるが、眠りを妨げる程ではない。
久しぶりの布団の感触と、何故か女性特有の香りに包まれた空間に満足し、俺は意識を手放した。
…………
次に起きた時、時刻は12時近くだった。
学生時代に徹夜した時は、15時までとか普通に寝ていた。
今は毎日が規則正しい生活なので、一回の徹夜程度では習慣がそれほど変わらないのであろう。
布団から上半身をだし、少しの間ボーっとする。
外からは、エリシュカの騒いでいるような声が聞こえる。
危険がせまった叫びと言うよりは、ただ騒いでいるだけなのであろう。
強烈な魔力を持つ布団から抜け出し、管理所の外に出る。
すぐ近くの小さな畑では、3人が土と格闘していた。
すぐにエリシュカが俺に気付いた。
恐らく全く農作業に集中していなかったからだ。
「お、起きたのかやー」
「あぁ、おはよう。何か変わったことはなかったか」
「ないのじゃー。午前中は土と睨めっこだけなのじゃー」
「そーか」
朝からテンションが高いなと思うが、朝ではないことを思い出す。
黒川と桑水流が作業を中止して近づいて来ようとするのを手で制止する。
口頭で挨拶だけを交わし、川に顔を洗いに行く。
顔を洗って、起き抜けのタバコを吸う。
途中でエリシュカがこちらを見に来た。恐らく俺が水浴びをしていると思ったのだろう。水浴びを覗けないので残念そうな顔をしていた。ここまで表情に出ていると逆に不便なのだと感じる。
畑に戻ると、桑水流がちょうど休憩なのか、水を飲んでいた。
「休憩か?」
「はい。畑の方は元々整備されていたので、開いている場所を耕して肥料をまいて、いくつか種を植えさせてもらいました」
「俺の許可なんていらないから、思う通りにやってくれ」
完全に初心者の俺が口を出す意味もない。
桑水流がそれなりに知っているのなら、桑水流主導でやるべきだ。
「それはそうと……朝の事なのですが……」
「なんかあったか?」
「その……女性の寝ていた場所にすぐに入ってしまうのは……どうかと」
心なしか顔を赤くした桑水流が言ってきた。
ということは今日は桑水流がベッドで寝ていたのだろうか。
聞いてみる。
「今日は桑水流がベッドで寝てたのか?」
「聞かないでください……!」
当たりみたいだ。これ以上からかうと本気で怒ってしまいそうなので、ここまでにしておく。
「今日はベッドで眠たかったんだよ。悪かったな」
「いえ……謝られてしまうと恐縮なのですが……」
「じゃ、ここまでだな。俺はこれから日曜大工みたいなことをしようと思う。農作業、頑張れよ」
桑水流の返事を聞き、管理所の裏手に移動する。
食料の事はこれ以上の作業は難しい。釣りと農作業以外で整備できそうなものがないのだ。
ということで、今日は水浴びできそうな場所を作ることにする。とは言っても、木を切って~なんてことは無理だ。
管理所の横には焚火用の木が大量にストックされているが、焚火用の木も作り方があって作るのも楽ではない。
木がないし、ネジなどの道具もない。
ということで、小さな物置を簡易的な水浴び場とすることにした。
管理所横の雑誌や新聞、段ボールが大量に置いてある物置がある。
中の棚などを取り外す。天上も外れるみたいなので、外す。
地面に固定されている部分のネジを外す。
セメントも何もないので、アンカーは建物周辺に置いてあったコンクリートブロックで代用する。
設置予定場所である小川の目の前にブロックを置く。少しだけ土に埋まるように設置した。
物置を移動させたいが、重そうだ。大きさからして、一人で持つのは厳しそうだ。
ちょうどいいところに、何故か暇そうにふらついているエリシュカを発見した。
「エリシュカ」
「お? 白沼殿ー。何をしておるんじゃ?」
「手伝え」
そう言えば、エリシュカの俺の呼び方は白沼殿らしい。やや気持ち悪いが、それ以上に気持ち悪い呼び方になる可能性が高いので放置している。
ぶーぶー文句を言いながら、エリシュカも手伝いを了承した。
物置を、二人で持ち上げる。
「重いのじゃ! 重いのじゃ! 無理じゃー!」
軽い方を持ちながら文句を言うエリシュカを無視し、小川の方に持っていく。
位置を細かく調整しながら、物置をブロックの上に置いた。
「ふー。案外重かったな」
「重すぎじゃ! うわーん、白沼殿がわしを苛めるのじゃー!」
手が動きません、みたいなジェスチャーをしながらエリシュカは逃げて行った。あいつは文句が多いから今度は他の二人に手伝わせようと思う。
もともとアンカーに取り付けてあったフックをコンクリートブロックに取り付ける。位置調整をしながらネジを巻き、止める。
取り外していた棚や天井を物置の横に置く。棚は一番上だけを取り付ける。天井は、中の温度がすごくなりそうなのでとりあえず外したままだ。
物置の目の前の小川から水を汲み、物置の内部にぶっかける。何度か繰り返し、中の汚れを落とす。
ついでに目の前の小川に、バケツを固定できるような棒を設置する。
「はい終わり」
ものすごいやっつけ工事だ。物置を移動しただけだ。
一応は、物置の中で服を脱ぎ、一番上の棚に服を置き、目の前の小川から水を汲み水浴びができる。
女性陣がなんと言うか知らないが、これで水浴びできるのだから我慢しろと思う。
そのうち、ドラム缶風呂を作ろうとは思う。
何より自分があったかい風呂に入るのが好きだからだ。
とりあえず、自分が水浴びをすることにした。実験は必要だ。
管理所に行きタオルを持ってくる。
ちなみに洗濯は桑水流と黒川が川で簡単にすることにしたらしい。洗剤がないから水洗いだけだ。エリシュカはやらないらしい。
物置に入り、服を脱ぐ。水を汲んで頭から浴びる。
左手の傷は塞がっていない。消毒はしてある。左手にはあまり水がかからないように調整する。
床に水があたる音が煩いが、それ以外は問題ない。中が少しだけ暑いが。
服を着て物置の中を簡単に水で洗い、満足したので畑に行く。
なんとなく、今日は何もやる気がしない。
畑に行くと、桑水流が指示を出しながら作業をしている。
黒川がその横を衛星のように飛び回り、作業をしている。
手伝う気が起きない。エリシュカはどこに行ったんだろうか。単独行動はするなと一度真面目に怒るか。
作業をする黒川と桑水流を眺めながらタバコを吸う。
左手をかばいながらの作業はかなりやり辛かった。療養期間だ。
黒川は相変わらず麦わら帽子をかぶりながらお婆ちゃんスタイルでがんばっている。若い肌に汗の煌めきが眩しい。ついでに後ろでまとめてある金髪 も眩しい。
桑水流は俺のあげた野球帽をかぶっている。お婆ちゃんスタイルは共通だ。長い黒髪を後ろでまとめている。お団子じゃないが髪の毛の塊を作っている。お団子じゃないのならなんと言うのだろうか。
桑水流は普段運動をあまりしていないのか、体力的にキツそうだ。汗の量がすごい。髪の毛から汗がしたたり落ちているし、ブラが透けている。しか し手伝う気が起きない。
目の保養だと割り切り、ボケっとする。
ここ数日、随分と行動した記憶がある。
環境もだいぶ変わった。
食料事情的には芳しくないが、自分以外の3人をあまり煩わしくは感じてはいなかった。
自分以外にも積極的に作業する人間がいると楽だ。
会話するのもそこまで嫌だとは感じなかった。
作業がひと段落したら、とりあえず水浴びをさせて感想を聞こうと思う。
汗があんなに出ているのなら、場所はどうであれ水浴びは気持ちいいだろう。
彼女たちが嬉しいと感じるのであれば、そのくらいの労力などは構わない。
そう思い始めていた。
我ながら、環境に流されているとは思う。
しかし、黒川と桑水流の笑顔は、俺をしてそこまで考えさせるだけの魔力があった。
エリシュカも小さくて可愛くて愛嬌がある。ただやる気が感じられない。
全く、女っていうのは得だと思う。
あの愛嬌の前には、男は大抵のことなら聞き入れてしまうだろうから。
自分の中に、黒川と桑水流の二人が、確かに入り込んできていた。
エリシュカは馬鹿だから別だが。




