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17.殺傷行為

 男は、こちらを向きながら百面相をしている。

 なんとなくわかるのは、俺にキレていること。黒川に対して劣情を催していること。

 俺にキレている理由はわからない。

 ショベルをすぐに振り回せるように手に軽く力を込める。邪魔なので、黒川を後方に押した。多少の抵抗と共に、黒川が数歩下がる。

 男の視線は俺に集中する。

 男の目に力が入る。怒りではなく、憎しみ。そんなレベルの表情だ。


「お前さぁ、コースケを殺した奴だろ」

 男が告げてきた。

 コースケとやらに覚えはない。記憶にございません。


「知らねぇよ。誰だそいつ」

 そう答える。あまり刺激したくないが、相手の勘違いでもない限り、もはや襲い掛かってくることは目に見えている。


「お前、あのデカい車運転してた奴だろ。コースケをひき殺したのも同じ車だったんだよ」


 コースケとやらが誰なのか、思い当る人間は居た。前に暴動の中、火炎瓶を持って車の前に飛び出してきた奴だ。


「ついでに言えば、バンパーが凹んだ車をここの駐車場で見つけたぜ。お前、あの車運転してた奴だろ」


 相手は俺が犯人だと確信している様子だ。そしてそれは当たっている。

 ナイフを持った男と殺し合いが始まるのは、避けられそうにない。

 もう一度手に力を込める。

 ここであいつが飛び出してきたのだとか、言い訳らしきことを言うのは逆効果だと考えた。


「俺がそうだとしたら、どうする」

「殺す」

「で?」

「後ろにいる女、可愛いよなぁ。俺さぁ、すんげぇ溜まってんのよ」


 背後で黒川が身を竦ませたのがわかる。

 逃げろと言って、逃げられるかどうか怪しい。

 黒川を差し出して、俺はこの場を切り抜けるという案が一瞬浮かぶ。畜生すぎるのでやめておく。


「お前はそのコースケとやらの友達か?」

「そーだな。親友だよ。ここまで二人で戦ってきた。俺とあいつの二人でだ。

 ……だから、仇は取らなきゃおさまらねぇよ!」


 男はそう叫ぶと、低い姿勢で距離を詰めてきた。ナイフを腰だめに抱えている。

 俺の腹部に、そのままナイフを刺す気だろう。

 背後で黒川が何か叫んでいるが、聞こえない。


 俺は用意していたようにショベルを横なぎにフルスイングした。

 頭部を狙ったつもりだったが、相手は低い姿勢を維持しながら、それを肩で受けた。

 止められた。

 そう思考した瞬間に、ナイフの刃に光が反射するのが見える。

 とっさに、ショベルの柄を手元に引っ張り、相手の顔にぶち当てる。そのまま、自分の体の腹部付近を下半身と一緒に大きく横にずらす。


 男は刃を俺に刺ささずに、横なぎに振るった。


 左腕の上腕に刃がかすめる。

 相手は無理に刃を振るったせいか、体勢を崩した。

 痛みを感じる前に、ショベルを振り上げ、相手の顔に向かって思いっきり振り下ろした。

 ナイフを持つ手でガードされたが、男はナイフを手から離し、右ひざをついた。

 もう一度ショベルを相手の頭に叩き付けた。

 もう一度。

 ショベルを振り上げたところで、顔が血まみれになった男が俺の腰にタックルしてきた。男は体に力があまり入っていないのか、とっさにあげた膝が 相手の顔に当たった。


 男は崩れ落ちた。

 その頭に向かって、もう一度、ショベルを叩きつけた。


…………


 あっという間のことだった。

 左腕からは血が流れている。

 結構深く切ったらしく、左腕に上手く力が入らない。ついでに痛い。


 男は動かなくなっていた。

 最初にショベルの柄を顔にぶち当てた時に、顔面からかなりの血を流していた。それ以降は目がよく見えていなかったのだろう。


 息が荒い。整えるのに時間がかかる。

 ショベルを持ったまま、動けない。

 自分は殺し合いをしたのか、なんだかよくわからない。生き残ったのは確かであるみたいだが。


 気付くと、黒川が俺に声をかけてきた。


「白沼さん、血が……」


 その声で正気に戻る。腕の切り傷は深い。

 自動車学校かどこかで習った止血をする。布を患部に押し当て、巻きつける。

 手が震えている。うまく布を巻くことができない。


 ようやく布を巻きつけたところで背後を見ると、黒川は地面にへたり込んでいた。動けないのだろう。俺も足が動かない。地面に縫い付けられてるみ たいだ。


 数回深呼吸して息を整えると、足も徐々に動き出した。

 ゆっくりと男に近寄る。近くに落ちていたナイフを蹴り飛ばす。

 男は完全に意識を失っているようだ。

 男の手足を縛りたいが、近寄れないし縄を上手く結べばい気がする。


 しばらく逡巡していると、男がうめき声を上げながら、意識を取り戻した。

 ショベルをもう一度持つ。


 男はしばらくうめき声を上げると、地面に横たわりながら俺の方を見てきた。そして唐突に笑い声をあげた。

 気でも狂ったか、頭を叩きすぎたか。

 笑い声がひと段落すると、男は俺に告げてきた。


「……俺さぁ、蟻の毒に感染してんのよぉ……」

 俺の腰付近に目を向けている。


「俺も死ぬけどよぉ、お前も死ぬな。ははは」


 自分の腰に目をやると、服が少し乱れていた。今気づいたが、腰の後ろあたりの皮膚を誰かに素手で触られた感触が残っている。


 何の感情もわかない。俺には毒はきかないから、当たり前か。


 男はもう一度笑い声をあげると、少しだけ痛みに呻きをあげて、沈黙した。


 近づいてショベルで少し叩いてみる。

 一切動かない。体がビクリとするくらいだ。

 テントの中にあった縄で、男の手足を縛る。顔面にも布を巻いておいた。

 もう手足は震えていなかった。


 一段落して背後を見ると、黒川が俺を見ていた。

 その表情は、悲しいのか、つらいのか、嘆いているのか、よくわからないような沈痛な表情。


「白沼さんが……死んじゃう……?」


 黒川は俺の耐性について知らない。


「そんな……そんなの……」


 黒川が震えながら、言葉を発する。歯がカチカチと震えている。

 立つことができないのか、俺に向かって膝を擦りながら這ってくる。


「うそ……うそだよね……」


 俺にたどり着き、俺のズボンを掴んできた。

 黒川の手が俺の皮膚に触れる前に、引きはがす。


「落ち着け」

「白沼さんが……死んじゃう……いやだよぉ……」


 涙まで流し始めた。なんと伝えればいいのかわからない。

 耐性については、隠したい。

 しかし、隠し通すことはできそうもない。少なくとも、キャンプ場に居続けるには話さないといけない。

 蟻の毒云々は男の嘘、という線は難しい。

 黒川が男の笑い声を聞いている。あの狂気が嘘なんて考えられない。


 (黒川だけには……話して、口止めする。)


 これが一番いい気がする。

 黒川は俺に対してなぜか従順な姿勢をとる。

 生き残るための狡猾なすり寄りなのかもしれないが、それは耐性について話しても変わらないと思う。

 ……すり寄りではない気も、しないでもない。

 黒川の爺さん云々など、恩もそれなりに売っている。


 蟻を使って黒川を殺すことは……できない。 

 情が移ってしまっているし、症状が出るまで監禁でもしないといけない。そうすると、桑水流とエリシュカも捜索を始めるだろう。

 黒川だけに伝えとけば、俺の不審で無防備な行動もフォローを期待できるかもしれない。

 ちらりと黒川の表情を見る。

 こいつにここまで悲しそうな表情をさせているのも、なんか嫌な感じだ。


 (仕方ない、か。)


 決めた。なんと伝えればいいのか微妙だが、言うしかない。


「黒川」

「なんで、なんでそんな冷静なの……?」

「落ち着いて話を聞け」

「無理だよぉ……」


 グズグズしている黒川に話したとして、理解が得られるか疑問に思う。

 なんとか伝えるしかない。


「聞けよ。俺は大丈夫だ。死なない」

「そんなこと言ったってぇ……」

「話聞けって」


 どう話していいのかわからない。どうすべきか。

 先に、適当に軽薄な言葉を吐いて安心させるべきか。


「俺が、お前を残して死ぬわけないだろ」


 相変わらず感情が全くこもっていないセリフだ。言葉選びを少し間違えた気もする。


「……ほんと?」

 黒川が上目遣いで見てくる。


「ほんとだって。理由もある。話すから落ち着け」

「…………うん」


 黒川が鼻をかみながら落ち着こうとしている。心なしか、顔が赤い。

 言葉選びは間違いではなかったみたいだ。


「まだ誰にも言ってなかったんだが……」

「うん」

「俺には蟻の毒への耐性がある」

「え?」


 単刀直入に告げた。

 秘密の共有、相手の秘密を知ることで、人は安心感を覚えると聞いたことがある。効果があるのかは知らないが。


「この騒動が始まって以降、俺は何度も蟻の毒に触れている。しかしまだ生きている」

「そんなことって……」

「信じられないだろうが、本当だ。俺もいろいろ試した。例えばだな……」


 いくつか、自分の実験について話す。

 親子については話さなかった。

 ただ、俺の体に触れると感染するとは言っておいた。そういえばあの親子の経過を見ないといけないことを思い出す。


「……ということだ。まぁ、今回も俺は死ぬことはないだろうな」

「でも……確実じゃ、ないんだよね……?」


 黒川はまだ心配そうだ。医者に行けとか言いかねない。言われても絶対行かないが。

 本当に信頼できる医者で、感染症の知識もある奴なんていない。

 少しでも信頼できない奴だったら、俺自身どういう目に合うかわかったもんじゃない。


「大丈夫だって言ってるだろ」

「そうだけど……」

「……あと、このこと、絶対に誰にも言うな」

「どうして?」

「……言ったら、俺は誰にも見つからない場所で一人で暮らす」

「……」


 理由は推測できるだろう。

 ただ黒川には、理由よりもその結果の方が大事だったようだ。


「わかったよ。絶対誰にも言わない」

「エリシュカと桑水流にもだ」

「うん」


 (本当にわかってんのかこいつ……)

 そうは思うが、これ以上言っても逆効果かもしれない。

 ひとまず、この話題は終わらせる。


 次だ。

 この男をどうにかしなければならない。

 これから長時間の睡眠に陥ると思われるが、危険な男だ。

 念には念を入れてどこかで動けないようにしておきたい。

 殺すのはやめておく。起きたら、聞きたいことがある。


「とりあえず、この男をどこかに監禁する」

「うん。わかった」


 さっそく行動に移す。 

 黒川は流石に精神的に不安定だろうから、傍から離れないように言う。

 男を縛る場所は、テント群近くにある現在使っていない小さな物置にした。

 乱暴に男を引きづり、物置に入れる。

 物置内部の複数のネジ穴にを利用し、男が身動きできないように縛る。

 声を出せないように、口にはガムテープを張り付け、猿轡のように縄で固定する。

 物置のドアを閉め、鍵をかける。


 次に考えたことは、エリシュカと桑水流のことだ。

 男は単独行動しているような言動をしていたが、実際のところは不明だ。

 複数犯だったらまずい。


 その可能性を思いついた途端、焦燥感にかられる。


「黒川、急いで管理所に戻る」

「え、あ、うん」


 理由は告げずに、簡潔に伝える。黒川は何故急いでいるかわかっていない様子だ。

 黒川を引き連れて急いで管理所に移動する。

 途中でショベルを回収する。

 今回わかったことは、ショベルは格闘で非常に使えるということだ。

 サイズや重さ、取り回しのよさがいい。

 流石に銃には勝てないが、もしかしたら格闘で最強の武器と言われる丸太にも勝てるかもしれない。流石に無理か。丸太は万能だからな。


 管理所にはすぐに着いた。

 外から見た限り、異常は見られない。

 あの男はどうやってここまで来たのだろうか。

 見覚えのない車は周囲にはない。

 歩いてきた可能性が高い。蟻の毒にやられたのも今日だろうし、服は汚れていた。今日山を下りた時からつけられたとして、時間もちょうどいいぐら いだ。


 管理所に入る。

 すぐにエリシュカと桑水流が出迎えてきた。

 血に汚れた俺と、気分の悪そうな顔色の黒川を見て、二人ともギョッとした表情に変わる。


「道具の準備は終わったのですか? 随分時間が………え?」

「な、なんじゃ、どうしたんじゃ二人とも!」


「刃物を持った男に襲われた。そいつは片付けたが、他にもいるかもしれない。今日は仮眠室から出るな」


 簡潔に説明する。

 と、桑水流が俺の怪我に気付いた。


「白沼さん、血が……処置しないと……」


 そう言うと、俺に近寄り腕の状態を確かめようとしてきた。

 腕に触る前に、距離をとる。

 感染した血がどの程度危険なのかわからない。


「え……」


 桑水流が少し驚いた表情をし、距離をとられたことに対してか、何故か悲しそうな表情をした。

 ようわからないが、心配はしてくれているのだろう。


「怪我は大丈夫だ。応急処置もした。ありがとうな」


 こういう時は素直に礼を言って誤魔化す。

 桑水流は俺の表情を見て、わかりましたとだけ言った。


「刃物って……なんでじゃ!?」

「そいつは、俺への私怨だと言っていた。心当たりもあるし、間違いないと思う。複数犯の可能性も低いとは思う」

「私怨じゃと……?」

「それについてはどうでもいい。ともかく可能性は低いが、複数犯だった時に備えておく。出入り口の鍵を全部閉めろ。今日は仮眠室から出るな。以 上だ」

「わかったのじゃ……」


 3人が頷く。

 一応武器になるかわからないが、仮眠室にもショベルを一つ置いておく。

 3人が心配そうに俺を見ながら仮眠室に入るのを確認し、全ての入り口を

チェックする。


 居場所として、俺は出入り口を固める。

 ショベルを持って、耳を澄ます。

 一番大きい音は、自分の心臓の音。

 自分が未だにやや興奮しているのがわかる。

 恐怖心とまではいかないが、ここで安眠できるほど神経も太くない。


  (今日は、寝られないな……)


 そう思いつつ、ソファーに座り込んだ。

 心臓の音以外で聞こえるのは、草木のざわめきに、虫たちの鳴き声。

 違和感は何一つない。

 窓の隙間からも、異常は見られない。

 わずかな違和感にも注意をはれるように、神経を尖らせる。



 結局、そのままの体勢で夜を明かした。

 夜通し、何一つ異常なことは起こらなかった。

 俺の警戒は、杞憂であったようだ。

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