11.不渡処分
朝起きると、なんとなく体がだるい気がした。
昨日は少し店に寄ってから家に帰り、すぐに寝たはずだ。
彼女のことでも考えていたとか?
……あり得ない。
実際、家に帰ってからは考え事などたいしてしていない。
時計を見ると、なんとなく理由がわかった。
時計の針は、9時50分を指していた。
12時間近く寝ていた。ここのところどのご家庭も、節電で夜はすぐ寝る生活になっているのだ。
なんのことはない、ただ寝すぎてダルいだけである。
ただ、俺は完全に約束に遅刻していた。
…………
遅刻など、社会人になってからは初めてのことである。
しかし学生時代はよくやっていた。
よって焦ることなどない。ゆっくり準備することにする。
そもそも最近はほぼ毎日、好きな時間に起きて、好きな時間に寝るような生活をしていた。
だから仕方ないのだ。
スマンな黒川。
やや急いで車に乗り込む。
こういった場合、人は事故を起こしやすいと聞く。
ゆっくり安全運転で行く事にする。ついでにエコドライブだ。
そんなこんなで、キャンプ場の駐車場についたのは11時前だった。
車を降り、左右を見まわす。
特に変わったこともないので、管理所に向かう。
持ち物は、昨日買った黒川用の靴と服、朝飯用のパンだけだ。
管理所前に、黒川はいなかった。
建物の中に入る。
少し嫌な予感がし、早歩きで仮眠室へと向かう。
なんとなく、殺虫剤を使用したような臭いがする。
仮眠室には誰もいなかった。
布団は誰かが寝ていた形跡があり、少し安心する。
ホッとしたところで、仮眠室からでようと後ろを見たら、ドアのところに黒川が立っていた。
びっくりした。
「うお」
「……」
「びっくりさせんなよ。マジで驚いたわ」
「……」
黒川は言葉を発しない。何やら怒っている様子。当たり前だが。
ここは適当にごまかす。
「おはよう。どしたん? なんか怒ってる?」
「…………おそようございます」
ご機嫌斜めな表情で、思いっきり皮肉を言われた。
俺が悪い。しかし誤魔化す。
「あれ、今日11時に管理所前だったよな?」
「……」
今度は物凄く苦いものを食べたような表情で俺を見てきた。
苦虫でも食べたのだろう。
ダメだ。これは誤魔化し通せない。
「起きたら10時くらいだった」
「はい」
「急いできたんだけどな」
「えぇ」
思った以上に怒っている。そんなに釣りが楽しみだったか?
だとしたら、新しい釣り道具でも買ってきた方がよかったか。
と、ここで昨日買った服を思い出した。
「これ」
買った袋のまま黒川に渡す。
服の方はサイズは適当。余裕のある服を選んだ。
というよりただのジャージだ。これならサイズとかあんまり関係ないだろう。
靴のサイズも適当だ。
「なにこれ」
「服とか、買っといた。やるよ」
「え! ホント?」
黒川はやたら嬉しそうに袋を受け取った。
いきなり言葉のトーンが変わった。
これで誤魔化せたか。
「靴とかジャージとかだぞ? サイズも適当だ」
「服、少なくて困ってたの!」
「ならよかったよ」
「ありがとっ!」
黒川は袋を開け、中を漁りだす。
服を取り出し、自分の肩に合わせてサイズを確認している。
大き目のものを買っておいたので、サイズにも満足している様子だ。
俺もうまく誤魔化せて満足だ。
黒川は服をたたみ、袋に入れ直して、俺に向き直った。
「でも、遅刻だよね?」
「悪かった」
誤魔化せていなかった。もはや謝るしかなかった。
…………
今日も例の川で釣りをする。
先ほどまで怒っていた(ポーズだけかもしれないが)黒川は、うって変わって楽しそうに針にエサを付けている。
婆さんスタイルはいいとは思えないが、相変わらず麦わら帽子は似合っている。
俺は今日は昨日とは違う釣り方を試してみた。
流し毛ばり釣りという方法だ。川の流れはゆっくりだが、針がたくさんついている分、いける気がしたのだ。
この方法だと、数時間粘ったが結果はボウズだった。
途中から昨日の基本の釣り方にしたら少しだけ釣れた。
結局こういう時は基本が一番、王道が一番なのである。
まぁ一応いろいろ試してみようとは思う。
俺がいろいろ釣り方を変えて楽しんでいる頃、黒川は同じ釣り方で粘っていた。
途中で「飽きた!」と言って水辺でカニを捕まえだした時はどう声をかけていいかわからなかった。
蟻には注意するように言っておいたが。
12時前から4時間近く釣りをし、昨日より多い8匹が釣れた。
相変わらずよく釣れる。
この川の魚は警戒心ゼロみたいだ。
黒川は、意外なことに料理ができるみたいだ。
サバイバルのような塩焼きの準備なんかはできないが、それは別ジャンルである。
今日は6匹を塩焼きで食べる。
黒川は残った2匹を干物にして後日食べようと提案してきた。
さらに明日は煮物に挑戦したいとも言ってきた。
不安にさせないように、はっきりと承諾しておいた。
黒川は基本的に元気である。
しかし、黒川が「明日」という提案をする時、隠そうとしていたが、不安という感情が表情に出ていた。
「明日も来てくれるよね?」
言葉には出していないが、そういった意図、感情が伝わってくる。
「明日は煮物にして食べようね」
「干物ができたら食べようね」
「今度は……」
「土日は……」
「…………」
……やはり、どう考えても黒川は孤独な生活に向いていなかった。
女子高生が一人、山の中で夜を越す。
突然サバイバルを始め、1人で食べ物を調達し、調理し、食べる。
どう考えても、無理があった。
昨日もまともに寝つけたかどうか、怪しいところだ。
それが表に出てきていないのは、若いからか、黒川の性格か。
黒川が食事の後片付けをしている時、俺は後ろでタバコを吸いながらその様子を見ていた。
塩焼きの調理は俺がしたので、片付けは黒川の役割だった。
黒川は俺が後ろにいることに気付いているのか、片付けをやたらとゆっくりとしている。せかす気などない。
ただその行動の理由は透けて見える。
だからこそ、早い内に聞いておかなければならない。
「黒川」
「ん? なに?」
黒川が振り返り、答える。
「なんで街に戻りたくないか、聞かせろ」
「えっ……」
「聞かせろ」
真面目な表情をして、聞く。
黒川は見るからに戸惑っている。
「聞かせてくれるなら、俺にできる事なら手伝ってやる」
これは、本心ではない。
ただ聞き出すには必要な言葉だろうから、言った。
本当は、聞いてから考えるつもりだ。
本当に面倒そうだったら、嘘になるだけの言葉だ。
ただ、黒川は俺の真剣な表情を見て、諦めたのか、安心したのかわからないような表情で、聞かれたことを答えた。
…………
人の不幸話を聞くのは苦痛だ。
面倒なことこの上ないし、話しながら自己陶酔に浸り始める奴もいる。
俺はよく我慢して、黒川の話を聞いたと思う。
無駄に話が長かったので要約すると、以下のような感じだ。
・両親は不倫して出て行って、どこにいるかわからない。死んでてもおかしくはない。
・自分を育ててくれたお爺ちゃんは、蟻の毒で死んだ。死ぬ最期を看取った。それが俺と会う前の日のこと。
・友達は、ほとんど死んでいる。
・街に居たくないのは、自分が孤独だと痛感してしまうから。
・この街から遠くに行きたくないのは、この街に思い出があり、それ以外は何もないから。
内容については、大した話ではない。
このご時世、よくある話だ。孤独な人間ってのは、たくさんいる。
……本人からしたら、そのご時世ってやつこそどうでもいいのだろうが。
周りの環境がどうであろうと、悲しいものは悲しいのだ。
「自分だけじゃない。だから我慢しろ。」なんて言葉は口が裂けても言えない。
人は、親が死ぬだけで悲しむ。
それは、全人類共通のことなのに。
「当たり前のこと」だから悲しむなとは、俺には言えない。
ただ、俺がこの話を聞きながら思ったのは、内容についてではない。
ただ、黒川が話している間、感情を押し殺した表情をしていた。
それが少し、嫌だった。
だから、俺は。
胸を貸して泣いてもらうような関係でもない。
頭を撫でて安心させるような存在でもない。
だから、黙って話を最後まで聞いてやった。
黒川の顔が泣き顔に変わるのを、黙ってみててやった。
黙ってそこに立ちすくんでいた。
俺にできる事は少なかった。
…………
黒川が落ち着いた頃には、あたりは真っ暗になっていた。
ゆっくりと管理所に向かって歩を進めながら、話す。
「その爺ちゃんの墓は作ったのか?」
「作って……ない」
「じゃあ遺体はそのままなんだな」
「…………うん」
黒川は、自分のしたことを後悔しているような口調だ。
お爺ちゃん、この暑さならもしかして腐り始めてんじゃないのか。
まぁ、女子高生に1人で最愛の人の遺体の処理をさせるも酷な話だ。
「別に、爺ちゃんもそんなことで孫を叱ったりしねーだろ。落ち着いたんだから、明日墓を作ってやればいい」
「…………うん」
また泣きそうな上ずった声をあげる。
泣くのはもう勘弁してほしい。
「だから……泣くなって……。墓作ってやるの、手伝ってやるから」
「……………………うん」
黒川は、一度泣いたらまとも喋られなくなった様子だ。
「うん」としか言わない。
そうこうしていると、いつの間にか管理所に到着していた。
「明日10時にまた来る」
「……」
「明日は遅れねーよ」
「……」
黒川は俯いて動かない。
一人にしとくのもアレだが、俺もそろそろ帰らないといけない。
早く帰らないと寝坊するし、夜の山道はスピードを出したくないのだ。
「じゃ、俺は行くぜ。明日またここでな」
「……」
黒川は何も言わない。
俺は小さくため息をつき、踵を返し車に向かって歩き始めた。、
と、すぐに背中に何かの反動が伝わる。
黒川が、俺の服を握りしめていた。
服の背中部分を。親指と人差し指で。泣きそうな顔で。
少し服を引っ張ってみると、彼女はすぐに服から手を放してしまった。
しかしすぐにまた慌てたように服を握りしめ始めた。
今度は両手全部を使って。
(どうすりゃいいんだよ)
心の中でつぶやく。
しかし、黒川からは手を放す気配など感じられない。
黒川の泣きそうな、いや既に涙が流れた跡のあるその顔を見て、俺には無理やり彼女を引きはがすことなどできなかった。
俺は黒川に甘くなっていた。
情は移っていた。完全に。
結局、俺はもう一度殺虫剤を焚いた仮眠室のソファーで寝ることになった。
黒川は俺がソファーで横になるのを確認すると、すぐにベッドの布団の中で寝入ってしまった。
仕返しとばかりにたまたま目に入った油性ペンを持って彼女の寝顔を見てみたが、顔にイタズラする気など起きなかった。
彼女の寝顔は、ただの普通の女子高生のそれであり、安心したようで、幼気で、沈痛そうで。
それでいて綺麗だった。
前日に彼女を一人管理所に置いてきたのを、後悔した。
彼女を待たせ、何の気なく遅刻したことを、後悔した。
俺は、力もある、金もある、大人の男だっていうのに。
でも少しエロいと思った。




