10.長期借入
今の時間は4時ごろであろうか。
俺と黒川はたき火を準備し、適当な金属の棒を魚に刺して焼いている。
下準備はしてある。
石で土台を作り、たき火から少し距離を置いて下準備をした魚を置く。
ドラマであるような、土に刺して立てかける方法は不安定でやめておいた。
30分程度、中に火が通り、外側が焦げないような状態にして待つ。
魚は蟻の毒で汚染されている可能性がある。
蟻の毒は温度差によって分解される。
一度空気に触れるとすぐに効力をなくす。
火にかけると無害になる。
人の体温では、その活動が活発になる。
つまり、塩焼きなら安全ということだ。刺身は怖いが。
二人でたき火を見守る。
黒川もじっと火を見つめながら、ベンチに座っている。
「ここに住むってんなら、暗くなる前に準備とかしなくていいのか?」
「…………」
黒川は答えない。
釣りが終わって、現実問題を思い出して考え事でもしているのか。
仕方なく、アウトドア関係の本を読む。
知識ばっかりで頭でっかちになるのも問題だが、そもそもの知識がないと話にならない。
黒川はその間、ずっと火を見つめていた。
30分程度経ったので、魚の状態を確認する。
これまたいい焼き加減だ。中にしっかりと火が通っている。
外側が少し焦げているが、まぁこのくらいはご愛嬌だ。
「できた」
「ホント?」
先ほどまで無反応だった黒川が反応する。
こいつ腹が減っていたのか? 俺なんか朝から口にしたのは水とタバコだけだってのに。
少しむかついたので、先んじて魚にかぶりつく。
血と内臓は簡単に抜いてあるし、鱗までとった。貴重な塩まで振りかけてある。
今日はよく動いて疲れていたこともあり、なかなかの味だと感じた。
「うん、いけるな」
「あ、ズルい!」
そう言うと黒川も魚に飛びつく。
ズルくない。道具を準備したのは俺。つまり、俺が先に食べる権利を持つ。
黒川も表面に蟻がいないことを確認して、魚を口にする。
「おいしっ」
無言でうなずいて答えてやる。
うん。いい笑顔だ。
さっきみたいに人は無視せず、ずっとその表情をしてるといい。
そのあとは、二人して無言で魚を食べた。
無言になるのはカニ原理のせいだろう。
カニを食べると無言になるってやつだ。
大した時間もかけず、6匹全て食べ終わる。
魚が小さかったからか、全部食べきった。
「あー、……おいしかったねぇ」
「そーだな」
黒川は恍惚の表情を浮かべている。
口の端に塩の塊がついている。
ここにきてまさかの可愛いアピールか? 死ねよ。
一瞬そんなことが頭をよぎる。
自分は女の露骨な可愛いアピールが死ぬほど嫌いなので、そんなことを考えてしまう。
この場合はナチュラルに塩がついているのだろう。
ただ、俺がとってやるほどの仲でもないので、指摘してやる。
自分の口の横を指差しながら言う。
「口。ついてる」
「ん? あ」
黒川は「あははー」とか言いながら、指でふき取り、その指をなめた。
その光景を特に何も考えることなく、眺めた。
じっと見ていると、黒川は迷惑なのか、恥ずかしそうな表情を作った。
「あんま見ないでよ……。まさか、まだ顔になんかついてる?」
「ない」
きっぱり答えてみる。
黒川は「あ、そう」とか言いながら立ち上がり、川に水を飲みに行った。
その後ろ姿を見ながら、まだ食べたりないなと考える。
3時間程度の初心者の釣りでは満腹にはならない。
釣り以外で、食料はどのようにして手に入れようか。
幸い、食べられる木の実や植物の種類と写真が載ってある本は持ってきている。
それ以外となると、動物を捕獲するか、畑でも作るか。
山には、猪がいると看板には書いてあった。
猪は案外おいしいと聞く。捕まえさえすれば、なんとでもなるだろう。
しかし、捕まえるのは骨が折れそうだ。
虫は貴重なタンパク源だ。
しかし絶対に食べない。死んでも食べたくない。
畑は、時間がかかる。
イモとかなら簡単そうだ。
実際に畑作をやったことがないので、甘い考えなのだろうが。
このキャンプ場の管理所付近には、小さな畑がある。
おそらく管理所の人が、暇だからと作っていたのだろう。今も何かが収穫できそうだ。よく見てないからわからないが。
それでも、畑の面積からして数多くは収穫できないだろう。
(今後、腹いっぱいに食べられる機会は少なくなるかもな)
そこまで考えたところで、黒川が川から帰ってきた。
先ほど無視されたので、これからのことについて俺からは何も言わない。
無言で適当な考え事をする。
考え事をしている俺を見て、黒川も何も言わずにベンチに座り、黙り込んだ。
……………
ただ、無為に時間は流れる。
静かなのは嫌いじゃない。山から聴こえる鳥のさえずりとかを耳にしながら考える。
そういえば、動物が蟻の毒で死んだとかの話は聞かない。
鶏とか、飼うのもいいかもしれない。ただ鶏がここにはいない。
あのピーピー鳴いてる鳥、食ったら案外うまいかも。
……雀とか、食ってみようかな。
そうやって時間を潰して、先に沈黙に飽きたのは俺の方。
考えることはそんなになかった。
「そろそろ自宅に帰る」
そう言って立ち上がる。
黒川は俯きながら、じっとジーパンの布を握りしめている。
何も返事は返ってこないので、小さくため息をつき、歩き出す。
とりあえず、管理所の畑を少し見てから、車で帰ろうと思う。
あの親子の件で、俺が指名手配されていることもないだろう。
20メートルほど歩いたところで、背後から声が聞こえた。
「あのっ!」
振り向くと、黒川が先ほどの場所で立ち上がっていた。
何を言われるのだろうか。
多分、ろくな事じゃない。
「今日は、ありがとうございました!」
意外にも、頭を下げてお礼を言ってきた。
礼儀正しいギャルか。
なんのお礼かよくわからなかった。釣りか? 釣りなら俺がしたいと言ったのが始まりだったはずなんだが。
「白沼さん……。本気でここに住むつもりだったんですよね?」
敬語だ。
……まぁ、釣竿とか置いてたし、そのくらいは予想できるだろう。
「そうだな。そのつもりだった。」
「だったら! あの………」
「断る」
「……」
先に言っておいた。
もし器具を使わせて欲しいとかなら、断らない。ただ、その場合は俺が断っても勝手に使えばいい。
おそらく、別で俺に何かしらの援助を求めてきている。
消耗品か
人手か
知識か。
「今日は釣りに来ただけだ」
そう言っておいた。
それでも、彼女は続ける。
「……だったら! あの!」
「……」
「あの……」
「……」
黒川は何かを考えているようだった。
彼女ひとりではここで生きて行く事は難しい。
しかし俺がいたとして、蟻をどうにかすることなんてできない。
女一人では心細いのもあるだろう。
しかし今日初めて会った俺を頼るのも間違っている。
今日一日共に行動していたが、だからといって信用はしていないだろう。
彼女の妥協案は。
「……だったら、明日も、一緒に釣りをしませんか?」
「……」
「今日と同じ、あの川で……」
「……」
住むところの準備を手伝え、とかではなかった。
(釣りかぁ)
彼女の提案。
あんまり予想していなかった提案だった。
ただなんとなく。
内容は普通だが、なんとなく響きが良かった。だから。
(釣りくらいなら、いっか。暇だし。)
軽く決めた。難しく考える必要もなさそうだ。
「わかった」
「ホントですか!」
「あぁ、明日の10時頃にまた来る。どーせ暇だしな」
彼女は、あからさまに安堵したような表情を見せ、俺に近寄ってきた。
彼女の笑顔が、少し眩しい。
その眩しさに、俺は少し目を伏せてしまう。
それをごまかすように、言った。
「お前も、暗くなる前に管理所に戻れ」
「あ、……そーだね……」
彼女の貴重な敬語の時間はは終了したみたいだ。
「寝るとこ、どーすんだ?」
「え、管理所だよ?」
「あそこマジで蟻だらけだって。」
「あー、そっか。」
本当に何も考えていなかったのか。
「部屋の中で焚くタイプの虫よけ、貸してやる」
「ホント?」
「効果がどのくらい続くかわからんし、効果範囲も狭いだろうけどな」
「その手があったか……!」
「あとは自分で何とかしろよ」
「もちろん!」
「どちらにせよ、管理所から出たり、山の中に入るのは最小限にしとけ」
なんとなく、無駄に世話をやいている。
俺が甘いのか。
彼女の策略か。
もし策略だったらすごいな。敵わない。まさに女の武器か。
それから、一緒に管理所の方へ歩く。
俺は車で家に帰るために。
彼女は管理所で寝る準備をするために。
俺たちの距離は、朝方よりも近い。
一日でだいぶ打ち解けたもんだ、
おそらく、彼女の性格によるものだろう。
女はやっぱり愛嬌が大切なんだな。
車のところには、すぐに到着した。
車の中から、蟻の駆除剤を取り出して黒川に渡す。
「じゃあ、明日の10時ごろにまた来る」
もう一度そう伝えて、車に乗り込みエンジンをつける。
「約束だよ!」
黒川が笑顔で、手を振りながら叫んだ。
片手を軽く挙げ返答し、俺は車を発進させた。
…………
俺はそのまま車を運転し、山のふもとにあるコンビニエンスストアの駐車場で、いったんエンジンを停止させた。
ここに用はない。このコンビニは閉まっている。
しかし俺は車を発進させなかった。
ハンドルに両手をかけ、顔を伏せる。
彼女は。
昨日からあの管理所で寝ていた。少しでも肌を露出させてしまった格好で。
あの恰好で歩いて山に登ったと聞いた。
彼女は、明日起きてこないかもしれない。
今日大丈夫だったとして、明日は、明後日は。
すぐに感染するのはわかりきっている。
俺も、先程まではそれを望んでいた。
しかし、彼女の笑顔が目に焼き付いて離れない。
あの親子と何が違うのか。
一緒だろう。
第一、彼女が管理所に住むと決めた以上、俺がどうしたところで遅かれ早かれ死ぬだろう。
(情が、移ったってやつか)
今日一日で、だ。
彼女、やっぱり人とすぐ仲良くなる才能でもあるのか?
(帰りに、適当に安全そうな服や靴を見繕って買っとくか)
そう、これで終わり。
あとはただの釣り友達。
それでいだろう。
俺にどうすることもできやしない。
(帰るか……)
そう自分を納得させ、車を発進させる。
帰る途中、畑を見ることを忘れていたことを思い出した。
明日でもいいだろう。
帰りの途中にあるセルフのガソリンスタンドに、まだガソリンが残っていたことだけを嬉しく思った。