朝日
生き難いこんな世界。
私達が何をしたの。
古代の歌詞の碑文:啜り啼く黒い海の呼び声-エレイシア・フローレス-
◇◆◇◆◇◆
バルコニーの扉の隙間から差し込む柔らかい朝日に、ちょっと寒めの風を感じた俺は目が覚めた。
うん、気持ちのいい朝だ。
……自称『妻』のセシルが背中に張り付いていなければの注釈がつくが。
背中が彼女からの寝汗と、首筋が彼女の寝涎でベトベトする。
別に抱きつかれているわけではないので、起き上がろうとするのは簡単だ。
だが、もう少しこうしていたい。
セシルのことはともかく寝台の上で起きるなど、久しぶりだからだ。
いつもは固い地面の上で寝泊まりしていた。
生前であれば枕がなくても、毛布があれば寝れた。
その癖が抜けきっていなかったようで、実は旅している間いつも寝不足だった。
そんななか、エルリネという旅の相方が出来て彼女が、まあ言い方悪いが毛布代わりになってくれて俺は寝れるようになった。
だから、生活面について彼女がいなければ困る、と言い切ったのはこういう理由だった。
安眠、話し相手そして理解してくれる人だ。
そんな理解してくれる人、彼女が隣の寝台で寝返りを打った。
超幸せそうな顔だ。
むにゃむにゃと寝言を言っている。
珍しく彼女の薄荷の匂いがしないが、それでもこの幸せそうな顔は眼福だ。
結構無理をさせていた旅だったと思う。
今後も彼女に無理をさせてしまうかもしれないが、この寝顔は守っていきたいと思った。
軽く開いていたバルコニーへの扉を開ける。
寒めの風が部屋の中を埋めようしていたので、バルコニーへ出て直ぐ閉める。
"女神"たちの微睡みを邪魔してはいけない。
そとの空気が眠いと言っている頭を覚醒させる。
朝日に照らされる貴族街と一般街も綺麗だ。
一般街の各家庭からなのだろう、もくもくと白い煙が煙突から流れていく。
朝食の支度をしているのだろう。
パンを焼いているのか、スープを煮ているのか。
故郷の村を思い出す。
眠い目を擦りながら、姉さんと共に朝食を食べたあの日。
「おはよう、ミル」とにっこりと朝日のように微笑う母さん。
朝食を待ちきれないとばかりに、涎がだらだら出ている姉さん。
恋しいと思う気持ちはある。
でも、二度とあの空間には戻れない。
戻れなくなってしまった。
全部、俺の所為だ。
俺がやり過ぎたのが、原因ではない。
俺が"作者"として、彼女らに人生の谷という設定を与えてしまった。
人生の谷という設定を与えなければ、母さんは未だに微笑っていて、姉さんは相変わらず弟に男を見出していて、幼馴染は生活魔法が使える人だったのだろう。
傍にはエルリネがいる。
まあ追加で不本意ながらセシルもいる。
それでもあの幸せだったあの日常は、涙がでるほどに恋しい。
エルリネやセシルには、見せられない涙が出る。
生前の世界でいう、鳩のような鳥っぽいものが群れて空を舞っている。
◇◆◇◆◇◆
ひと通り声を上げずに泣き、涙に濡れた頬と目が寒さで痛いと感じた。
息を吐くと白い。
肌寒くなってきたので、バルコニーから戻ることにする。
礼服とかマリンルックではなくて、部屋着みたいなのが欲しいところ。
そんなことを考えながら、扉を向けば……。
セシルが寝間着姿で扉に背中から体重を預け、塞ぐように立っていた。
さっきの寒めの隙間風で起こしたのかもしれない。
「すまない、セシル。起こしてしまった」と言うと、セシルはゆっくりと首を横に振った。
気にしていないという意味か、それとも。
「なんで……、泣いていたのですか?」
「いや、泣いてなんかいないよ」
「嘘」
「嘘なんかじゃ――」
「なら、なぜ目が赤くて涙の跡があるのですか」
「……あくびだよ」
「嘘で――」
「嘘なんかじゃない。……、セシルは気にしなくていいんだ。
そう、――気にしなくていいんだ」
そういって俺は彼女を扉から押しやり、部屋の中へ入った。
ぼそっとセシルから何かを言われた……、気がしたのでちらっとセシルを見やれば、なにか思いつめているような顔だった。
彼女に冷たくしてしまったかもしれない、反省しよう。
◇◆◇◆◇◆
さて気持ちを切り替えて、洋服棚を漁ってみると見事に礼服とかああいう感じの服しかない。
部屋着となりそうなラフなものがないのだ。
他にも棚っぽいものの中を探しても、エルリネ用の部屋着はあれど、肝心の俺のものがない。
ほんの先ほどまで思い詰めた顔つきだったセシルが、昨日のような『妻』としての顔つきになって、「何を探していらっしゃるのですか?」と聞いてきた。
「俺の部屋着を探しているんだ」と聞いてみれば、「無いですよ?」と首を傾げられた。
曰く、この国での貴族の男子は基本礼服……というか軍服というかそういう系の格好らしい。
じゃあこの服装は? と聞いてみれば寝間着だそうだ。
……なるほど。
しかしあのようなしっかりとした格好で、一般街などをあるけば即スリや暴漢に囲まれるような気がすると言ってみれば、それ対策が『護衛』なのだという。
…………なるほど。
なおこの街でビシッとした格好をするのは、当然のことだという。
何故か。それは男子であればその貴族の跡取りだ。
跡取りが変な格好をしていれば「あそこの貴族は駄目だ」と思われてしまう。
だから、街を歩くのにラフな格好で出歩くことは許されないのだという。
また、うっかりラフな格好で街に繰り出さないように、家の中でもキッチリとした格好しかさせない。
………………な、なるほど?
だが、俺は貴族ではない。
別にいいんじゃね? と思ったが、それでも周囲は貴族という色眼鏡で見る。
寧ろ『護衛』という職業は護衛対象からの特別な口添えが無い限り、私設騎士団のなかの「貴族」級が請けるのだという。
俺は"特別な口添え"があって『護衛』を引き受けた身だが、周囲はそんなことは知らない。
よって、ビシッと決めさせられるという。
――めんどくせぇ。
だが一応、理屈は分かった。
つまりは、私事でもスーツ、学生服でいろってことだ。
ということで、ということで適当な服を選ぶ。
生前に着ていたリクルートスーツみたいなのがあったので、これにする。
セシルからは特に何も言われないので、間違いではないようだ。
セシルの両手がウズウズとそして指がわきわきと動いていたが、普通にさっさと着替える。
着替え終わったころには、セシルは床に手をついてがっくりと項垂れていた。
セシルどうした? とわざとらしく聞いてみれば、すぐに居住まいを正したセシルが「いえ、なんでもありません」と応えた。
悪いことをした。
次がもしあって忘れなければ、やってもらうことにしよう。
◇◆◇◆◇◆
俺が着替え終わって、何故かこの部屋にあったセシルも着替え終わったところで、漸くエルリネが起きた。
起きて早々、欠伸を一発。
目尻に涙が溜まっている。
相当眠いのだろう、とろ~んとした目つきながらも目をくしくしと擦りながら「おはようございまふ」と珍しく迂闊な挨拶をする。
そこそこ長い付き合いだが、初めて見た光景だった。
眼福なり。
セシルに「エルリネの着替えを手伝ってあげて」と言う前に、手伝いに行く彼女は非常に気が利く娘だ。
正直、俺の『妻』になるには勿体無いと思う。
と、その時に気づく違和感。
言い様のない感覚。
不安ながらも口に出す。
それは。
「「自動起動」でセットした魔法が発動している?」
魔力の全体容量を一万という数字だとして、「凍結の棺」の魔力消費量は一とかそんなものだ。
微々たる量が減ったものだが、それでも減少したのは事実。
つまり、この部屋に誰か入って"凍死"、いや"氷の像"にされた奴がいる。
しかし、部屋のなかを見ても犠牲者はいない。
メイドさんらの家政婦が引っかかったのかと思ったが、それはない。
おっさんに「メイドさんらは部屋に入れないでくれ」と頼んである。
それを聞かなかった家政婦がいたかもしれないが、それは考えにくかった。
もし、家政婦であれば死体がどこにもないのが、不思議だ。
予想だがあの会場にいた、私設騎士団の暗殺者部隊っぽいのが犠牲になったのではないかとアタリは付けておく。
もし、そうだとしたら早速『護衛』の仕事は出来たようだ。
そしてその暗殺部隊は、どこの差金か。
おっさんの差金ならば、もう来ないはずだ。
なにせ、寝ている間の鉄壁さは見せた。
だがそうでなければ、例えばセシルの兄姉が嫉妬か何かでちょっかいを掛けてくる可能性がある。
そうなれば執拗にいちいち突っかかってくる可能性がある。
今日あるであろう、盗賊の親分処刑にエグさを際立てた処刑をするべきか。
それとも、戦闘をふっかけるのが馬鹿らしくなるぐらいに圧倒的火力を示すか。
前者はセシルはもちろん、エルリネにもキツい筈だ。
なにせ供犠台が出る魔法陣だ。
ギロチンの刃が時計の振り子のように揺れながら、擦り斬ったあの供犠台が出現る魔法陣。
魔法陣なだけに超高出力。
あのときの供犠台は、あくまで生贄を捧げる本来の意味の供犠台。
今回のは処刑目的の供犠台。
エグいことが出来ることを見せつけて、厄介な種を持ち込ませないための生贄。
後者はいわゆるやり過ぎではなくても、他の貴族に目を付けられる可能性がある。
そうではなくてもキュリア家に『魔王』を擁していると思われたら、他の貴族から詰問を受けるだろう。
それは避けたい。
俺とエルリネにとってパトロンを得たのだ。
みすみす自分の所為でパトロンを失いたくはない。
なので、出来る限り高火力については、セシルとおっさんだけにしか見せたくはない。
悩む。
だが、力を見せないと面倒くさいことになる。
なんてことを沈思黙考している内に、エルリネは着替え終わっていたようだ。
女性陣二人に「凍結の棺」を使用したことは言わずに、朝食を食べに食堂に向かうとしようか。




