呼称
ほんのり暖かい体温と薄荷臭で目を覚ます。
この薄荷臭は、エルリネの匂いか。
目を開けて隣の彼女を見る。
――凄く近い。
姉さんも凄い近かったが、この娘も凄い近い。
寝息が頬に掛かる。
頬に掛かるが故に、薄荷の匂いも頬に当たる。
――村にいた森人の旦那さんが特殊な匂いを発してたが、こういう風にマーキングされていれば匂ってくるだろうなあ。
などと冷静に思考する。
姉さんと違ってガッチリ抱きついているわけじゃないから、解くのに特に苦労はない。
姉さん相手に培った、解きスキルでエルリネの拘束をスルッと抜ける。
猫のように伸びをして、生前に見様見真似でやっていたストレッチを行う。
旅するようになってから、ストレッチをやることにしていた。
そのお陰で、咄嗟に身体が動くようになった。
生前の幼少時、プールとか海とかで準備体操とかしなかったクチだけど、この世界ではバカにならない効果が目に見えた。
まず瞬発力が違う。
森のなかで『自動魔法』の「凍結の棺」を一旦解除し、迫り来る猫を相手に『魔力装填』の「落雷」で内部から焼く、朝飯するかされるかに於いて一方的に殴りかかって、焼くことが出来るのは素晴らしいメリットである。
ストレッチをしなかったときの防戦一方だったころは、非常に怖かった。
ほかにも、肉が多い生活なためタンパク質摂り過ぎて太る、もとい栄養バランス崩れて体型も崩れるかと思ったが、ストレッチでいつもは使わない筋肉を使うことによって、体型が今のところ崩れていない。
この世界だからなのか、腕と腹、背中、足の筋力が目に見えて上がった気がする。
特に腹がヤバい。
二つに割れてる。
たった三ヶ月でこれかよ。
異世界スゲー。
ひと通りストレッチをしてから、朝食確保のために檻から出る。
昨日、あれほどいた狼の大群は見えない。
ただ、激戦の跡はあるため夢ではないようだ。
主に俺が狼相手にブチ込んだ「爆縮」の跡だが。
――うん、相変わらずえげつない魔法だ。
地面が球状に凹むとか、どんな衝撃波だろう。
そんな衝撃波を出す魔法を対人にブチ込む俺も俺だが。
馬と御者とブタは狼が持っていったのかいなかった。
いや、いても食わないけどね。
オネーサマやあのブタが持っていた保存食がある筈なので、ほかの荷台を探す。
探してから二つ目の荷台で携行食らしき肉と水筒を見つけたので、檻へ向かう。
檻がある荷台に荷物を先に載せて、雲梯の要領で腕の力だけで登った。
生前の幼少時に雲梯などで「腕の力で登る」というのが出来なかったが、この世界での俺は指力と腕力で登れる。
別に『最終騎士』を起動しているわけではない。
やっぱり異世界だなーなどと思いながら、荷台の上に登ると既にエルリネは起きていたようだった。
寝起きのためか目尻に涙が溜まっている。
「おはよう、エルリネ」
「あ……、」
「ほら、携行食見つけたから食べておこう。
……本当は狼とかいればそいつを肉にして携行食は保存させておきたかったけど」
「はい、"ご主人様"」
「……うん?」
なんか変わった言い方をされた。
――"ご主人様"?
「なにか?」
「何故に"ご主人様"。昨日"あなた"って言ってたよね?」
「はい、"ご主人様"」
「なぜ、"あなた"から"ご主人様"に」と問うと。
「私の知識では親しい間柄での"あなた"は奥様が、旦那様にする呼称だと。
私は恐れ多くも奴隷なので、"あなた"は妥当ではありません」
「あー……じゃあ名前で呼んでほしいかな。
ほら、奴隷じゃなくてお互い人間だし、名前で呼んでくれると有り難い」
「……申し訳ございません、"ご主人様"のお名前存じません」
「……あっ」
自己紹介は出会いの基本なのに、それを怠った自分を殴りたい。
名前を上げておきながら、自分の名前を教えていない。
いや、自分のことで精一杯だったから、名前を教えていない。
そら、分からなかったら"ご主人様"って呼称になるわな。
彼女の都合を考えなかった。
やはり『魔王』か、と自己嫌悪。
「ごめん、教えてなかったね。
俺の名前は『ミリエトラル』。
村の親しい人は『ミル』と呼んでくれてるから、『ミル』と呼んで欲しい」
「ミル様ですか、宜しくお願い致します。"ご主人様"」
「……………………うん?」
あれ、名前を教えたよな。
それなのになんでまだ"ご主人様"?
「えーっと、まだ名前呼びして貰うのに、足りない部分ある?
もしかして、信用出来ないというか家族的ではなく、主従関係から始めましょうっていう話?」
「いえ、私を"ご主人様"は対等な存在としてくれましたが、この国は今変わっていますので、私と"ご主人様"のためにも、こう言うべきだと勝手ながら考えたので」
「……変わっている? どういうこと」
「私が生まれた頃には既に、魔族というものに偏見がありました。
私達、魔族の特徴が悪しきモノと認識され、『魔族は奴隷』という概念が生まれました」
「…………、」
「私達、『魔族』は死ぬと魔力素の塊になり、大地に融けます。
人族や、獣人族と違い死体を残しません。
人族、獣人族の二種に比べて、異質ですよね。
死体を残さないのは、悪しき魔法で出来た『人形』だからと。
『人形』は『人間』ではない。
だから、壊してもいい。
魔力を与えれば治るなら、どうせなら苦痛を与えてやろう、と」
「…………、」
「封印という魔法がありました。
それは元々森人種などの魔法に特化した枝族が、自分の子孫の繁栄のために編み出した魔法です。
その魔法は……」
エルリネは言葉を一旦切る。
――――生まれるべき魔法ではありませんでした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
元から茶化す気は無い。
だが、この空気は余りにも異質。
彼女から怒りという感情の魔力を感じる。
「……なぜ」と辛うじて声をひねり出す。
「この封印魔法は、私達魔族に掛けた上でその魔族が死ねば、その部位が魔石として残ります。
本来の使い方であれば、子孫の繁栄のためでしかなかったのです」
「……まて、まさか」
「はい、『死体が残らないなら封印魔法を掛けることにしよう』。
そうすれば、国が戦争で負けて死にかかっても魔族で出来た魔石を売ればどうにかなると。
それが私が生まれる前のこの国で起きたことです。
この国は幸い勝ちました。
勝つ以上に魔族もだいぶ死に、そのほぼ全員が魔石になったと聞いています。
国を守った魔族の兵士や騎士も、喜んで封印魔法を受けたと聞きます。
故郷に置いてきた妻や子どもたちの明日のために、魔石になったらそれを売るようにと。
この国はそれで立て直し、国の王様は『そんな魔族の魔石ありきで考えてはいけない』、『魔族は我らの国を守ってくれた、勇者である。隣人である。友人である。家族である』。
ですが、その王様のお願いは聞き入られず、私腹を肥やそうとする貴族が増え、『魔族はみな奴隷』であると、『奴隷でなければ、捕まえて魔石化』。
見目麗しい奴隷であれば、金を渡して交換。
私の前々回のご主人様は、領地間のいざこざに負けて賠償金が払えないということで、私が売られました。
……ご主人様に助けて貰えなかったら、きっと私は弄ばれてから魔石にされていたと思います」
「…………、」
「ごめんなさい。朝食のときにこんな話をしてしまって」
俺は頭を振って、エルリネの肩を抱く。
「だから、"奴隷"でいたいのか」
「はい」
「そうか」
「"ご主人様"の好意は嬉しいです。ですが、モノのように扱われたくないです。
魔石になりたくないのです。死にたくないのです」
「そうか。そうだったのか」
俺より身体の大きい彼女は昨日と同じぐらいに震えていた。
その震え方は、一度捨てられたことがある子犬のような震え方だった。
「わかった。それなら"ご主人様"と呼んでいい
ただ、いつの日かは名前で呼んで欲しい」
「はい、"ご主人様"」




