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ウェリエの聖域:滅びゆく魔族たちの王  作者: 加賀良 景
第1章-準備-
49/503

婚約 ★


 漸く、自宅に着いた。

「この家も今日で最後か」

 万感の想いを込めて、そう呟く。


 母さんと共に寝た部屋。

 姉さんと抱き合って寝た寝室。


 母さんの子守唄と揺り椅子の揺れで眠った庭。

 姉さんとチャンバラした庭。


 食事している俺を幸せそうに眺める姉さんがいた食堂。

 その様子を見ていた母さん。


 おかしいな、なんで俺は。


――こんなに涙が流れるのだろう。


 今生(こんじょう)の別れではないのに、九年後に会えるのに。

 なんでこんなに涙が出るのかな。

 今の六歳という人生より三年も長い期間を離れるだけなのに。


 この家には(バッグ)などない。

 だから、用意してもそれを持ち運ぶことは出来ない。

 

 物入れ(ポケット)が多い服に着替える。

 母さんが、俺に作ってくれた一張羅(いっちょうら)


 いつでも旅に出れるようにと、毎年作ってくれた一張羅。

 俺の身体が大きくなったら、必然と捨てることになってしまう、一張羅。

 それを涙で視界が歪んでいる目で見る。


 面と向かってはもう言えない。

 でも、置いていく荷物と母さんの寝台と父さんの鎧、それぞれに別れを告げる。


「父さん、母さん行ってきます」



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 両親の部屋から出た俺を待っていたのは、メティアだった。

 メティアは、「私も付いていく」と言って、着の身着のままで俺の手を取り、両の手のひらで包み込むようにして握った。

「一緒に行きたい」

 正直、とても有り難い申し出だった。


 二人であれば、どんなこともきっとやり遂げられる。

 俺にとって彼女のことは、幼馴染以上だと思っている。

 きっと彼女もそうだろう。

 そうでなければ、ここに来ない。

 それでも、俺の理性(てんし)が彼女を連れていくことを拒む。


 六歳同士の旅だ。

 もしかしたら死ぬかもしれない。

 今度こそ、 助けることは出来ないかもしれない。

 そんな未来が不明瞭な旅に、好きな彼女を連れていくなんて出来ない。

 

 俺の中の感情(あくま)は連れてけという。

 一人は寂しい。

 二人であれば、悲しみで押し潰されないかもしれない。

 それにもしかしたら恋愛小説のような旅になるかもしれない。

 彼女を基点にハーレムが出来るかもしれない。


 でも、彼女の親御さんはどう思う。

 急にいなくなった。

 あの『魔王』が連れ去ったと思うかもしれない。


 もし、快く送り出したのだとしても、それは彼女が死んだりすることはないことを前提で話を進めている筈だ。

 だから、俺は、彼女の手のひらに包み込まれたのを(ほど)いて払った。


「ごめん、連れていけない」

 彼女の涙腺は崩壊しているようで、赤く上気(じょうき)した顔で見つめてきた。


「どうして」と問われた。

「メティア、君が魔法を使うことが出来ないからだ。

自衛魔法も使えない、君を守って明日も見えない旅なんて出来ない」


 これは偽らざる本音だった。

 彼女は魔法が使えない。

 魔法が使えていれば、一緒に旅したかもしれない。

 理性を押さえつけて、感情で連れて行くことを選んだかもしれない。


 でも、俺のなかの感情が言う。

 魔法が使えない彼女をどこまで守護(まも)れるか。

 高火力、高出力の魔法陣で、彼女ごと巻き込むかもしれない。

 そんなことは出来ないし、したくない。

 だから。


「だから、待っていて欲しい。

……この村で」

「え、」彼女は呆然とした顔で俺を見た。


 続けて次を話す。

「俺さ、姉さんと約束したんだ。

旅して、成人したらこの村に帰って一緒に成人のお祝いしようって」


「…………、」


「そのなんだ……えっと、ね。

ごめん、こういうことを言うのは、子どものその場限りの約束事で、心がこもっていないかもしれない。

でも俺はメティアのことが好きなんだ。好きな子のために痛い想いは出来る。

でも、好きな子が俺の不明瞭な未来に付き添わせることは、俺自身が許せない。

だから、成人のお祝いのときにさ。メティアを迎えに来るから。

それで、もしこの村にとって大罪人の俺を迎えてくれるなら。

俺と結婚して欲しい。

もちろん、俺の都合で縛るわけにもいかないから、メティアが好きな人がもしいたら、その人と結婚して欲しい」


「…………、」


「ええっと、その、なんだ。

次に会ったときに結婚して欲しい。

ってことだよ、うん」


 勢い余って本音を喋ってしまった。

 どこでこう思っていたか、分からない。

 それでも、これは本音なんだと言い切れる。


 ご都合主義的な本音だけど、いつかは分からないけど、それはとても大事なことだと思った。

 あの学校で隠れた暗がりのときのように、俺の腰にメティアが抱きついてきた。

 そして。


「……最低だね。ミルって」

「…………、」

「九年も待たせるの、気持ち変わっちゃうかもしれないんだよ。

ミルが変わらなくても、私が変わるかもしれない。その逆もあるかもしれない。

もしかしたら、ミルが死んじゃってそれを知らない私が、おばあちゃんになっても待つかもしれない。

それを強要させるんだね」


「…………、」

 ごめん、と次の句を告げる前に。


「いいよ、待つよ。

……今、私の感情は荒れ狂ってて、ミルと一緒にいたい、ミルと一緒に死にたいって泣き叫んでいる。

けれど、ミルが言った『魔法が使えない』という事実に、私の理性が感情を抑えてくれるから。

だから、お願い。完全に抑えるまでこのままでいさせて」



 といって、彼女(メティア)は俺の腰に抱きついたままずうっと泣いていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 彼女(メティア)が落ち着いた頃には、既に夕方になっていた。

 泣き腫らした目と赤い鼻で、いつもの可愛いくて澄ました彼女の顔が不細工になっていた。

 そんな状態にさせたのは、俺だ。


 彼女に申し訳ないと、思う気持ちしかない。

 泣き止んだ彼女が俺に最後とばかりに聞いてきた。

「前から気になっていたけど、ミルは魔族の血混じってる?」


 あの村長にも聞かれたことだ。

 彼女は事情を知っているはずなのに、何故それを聞くのか。

 だから、問い返した。


「何故?」

「……魔族は、魔法の扱いに長けている種族。

幼少時から魔法を使う思考を確保するために、思考回路がすぐに成熟するの。

私は魔族だから、思考回路が成熟して難しい思考が出来るけど、ミルは人族の筈なのに思考の仕方が魔族と変わらないなあと思って」

「……なるほど」


 つまり、俺の生前の記憶の存在を疑っているようだ。

 うん、まあ魔族のその思考の早熟という設定も驚いた。

 道理で俺と魔族が口喧嘩出来るわけだ。

 思考の早熟がなければ、語彙も増えないしな。

 その答えとして、「父さんと母さんは少なくとも人族」と、言っておいた。

 父さんと母さんのルーツが分からない以上、こういうしかほかはない。

 

 彼女に馬鹿正直に生前の話をしたら、どう思われるか分かったものじゃない。

 だから黙ってそう答えた。

 彼女(メティア)はそれを聞いて、納得してなさそうな反応を見せてから、俺に向き直った。


「それじゃあ、九年後の十五歳まで待ってるから

迎えに来てね」



「あぁ、メティア。


約束だ」



――必ず迎えにいく。



「9」話はこれで終わりになります。

次が1章のエピローグですね。

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