無事 ★
私が目を開けたとき、学校の建物は建物の体をなしておらず、あるのは半球状態の大きな穴と大地が捲り上がったとしか見えない跡。
辺り一面に漂うのは、見たことがないような死。
近くの森は全て消えている。
燃えているとか、枯れ木になったとかではなく……森があったところを見れば地平線が見える。
それほどのものが、今ここに起きた。
痛いほどにまで感じた痛痒感はなく、あるのは気だるさ。
そして漸く立ち上がれることに気付き、弟に駆け寄った。
あの邪魔な箱は既にいない。
いないのであれば、弟の隣は私だ。
「ミル、ミルぅ」
一見、目をつぶって安らかな表情をしているので……と、思ったけども、良かった。
寝息と胸が上下している。
――良かった。ほんとうに。
ミルが生きている。
化け物にならずに、いまここにいる。
――よかった、お母さんから昔聞いた『魔王』にならなくてよかった。
弟の身体を胸元に寄せてぎゅうっと抱いた。
「ごめんね、ごめんねミル。私が騎士なはずなのに弱くて、魔法使いのミルに無理をさせて、ごめんね」
視界が歪む。
でも、弱かった私が弟を守るだなんて言って、弟をこわして。
「ごめんね、ごめんね」
声はあげられない。今の想いをぶつけるような声は出せない。
でも、私は。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ミルが起きた。
「んっ、ね、姉さん……?」
ミルが誰何するので、どうやら怪物になったわけではないようだ。
「ねえねえだよ、ミル」
「あははは、姉さん……か」
ミルの右手が私の頬を撫でてくれる。
とても優しくて、とてもとても。
私のような弱い私には勿体無いと思った。
「大丈夫……無事?」
無事なんかじゃない。
私のこころは、ミル……あなたがこわれて怪物になってしまうと思うだけで、こころがこわれそうだよ。
自分を自分の手で殺したい。
でも、「うん、大丈夫だよ。私は」
「そっか……っと」
ミルが起き上がろうと力を入れているようだ。
でも、私が押さえている。
「姉さん、押さえないで。立てない」
「ううん、だめ」
弟のお願いを却下する。
立ち上がったら、私の手が届かないところに行ってしまう、だから「駄目」
「ええっ、じゃあせめてちょっと身体離して、苦しい……うぶっ」
私は弱い。ミルをここで手放してしまったら、きっと誰かの私じゃない女の人のものになってしまう。
だから今ですら離したくない。
けれど、それは。
私の想いだけで弟の人生は壊せない。
「だめ、ミルだめ」
もう既に出しきったと思ったのに……また溢れてきた。
「いやだ、いやだよう」
弟に言っても仕方がないのに。
弟が優しく私を撫でてくれる。
この優しさを手放したくない。
――いやだ、いやだ。
私の弟を誰かに渡すなんてやだ。
「姉さん、泣いていいんだよ。ほら、ね。一緒に泣くから」
ミル、私ね。女の体型してきたけど、あなたよりも私は歳上だから力が強いんだよ。
私が泣いたら、ミルが泣けないじゃないか。
寄りかかる柱がなければ、泣けないじゃないか。
弟を守るのが姉で、寄りかかる弟を支えるのも姉じゃないか。
なんで、それなのに……、
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私が落ち着いたときには、既にミルも落ち着いていたようだ。
私の手から既に離れて立ち上がっている。
ミルの左手はこわれてしまっている。
素人目の私でも分かる。
いくら回復術があっても、もう剣は握れない。
そのことに私は哀しみを覚える。
お父さんが言っていた、
――剣を扱う魔法使いは、もうなれないんだ。
と。
「っと、落ち着いたし。母さんとメティアの様子を見に行こう。特にメティアが気になる」
メティア、メティアか。
私の弟のことが好きな……魔族。
弟と結婚できる羨ましい女。
行かせたくない……と思うのは、いわゆる嫉妬というものだろうか。
「ん、姉さん。立てない……? 立てないならちょっとだけここに――」
「立てる」
姉を置いてまで、メティアの様子を見に行く。
羨ましいとかではない。
私よりもメティアのことが大事だと思っているんだ。
だから立って、ミルの服の裾を掴む。
さっきの大人の男がいたらと思うと怖くて怖くて……でも、ミルから離れてしまう方がもっと怖い。
だから。
「じゃあ一緒にメティアと母さんの様子を見にいこうか」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
先生たちが集まる控室に弟だけが入る。
壁の欠片などが散乱していて、裸足の私は危険だということで。
私にとって危険なことは、弟から離れることなのに。
お母さんの様子は覚えていない。
ただ、友だちの身体が壊れていくなかで、お母さんの身体はもっともっと、壊されて。
耳が引き千切られて、あの私の目からみても綺麗だと思う唇が削ぎ――、
――ううん、だめ。思い出したら。
ミルが部屋から出てきた。
とても青い顔をしている。
やっぱり、あのときに起きていたことは……。
ミルが無言だ。
「ミル……」
絞り声をあげても、ミルは反応しないで、ただ目から涙が出ている。
「母さんの潜在属性はなんだろう……」
「ミル……」
「あんまりだよ……、こんなの」
ミルは私と一緒に泣いてくれたのに、また今度は大声で。
「あんまりだろ……! こんなの……、なんだよ! これは!
母さんが何をしたっていうんだ……!」
もう言葉は出せない。
言葉は掛けられない。
また二人で泣いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メティアを迎えに行ったとき、人の気を知れずにメティアは寝ていた。
羨ましいとかもう抜きで、とても許せないと思うこころの感情が吹き荒れた。
――こんなにも、私たちの家族が酷いのに。
コイツは。
それなのに弟は、コイツを優しく起こそうとする。
許せない。
私の弟は少なくともコイツのものではない。
弟が揺り動かしても、起きる気配がない。
――許せない、早く起きろ。
ミルから「あっち向いてて」と言われたが「なんで」と返した。
……ああ、そっか。
ミルの好きな人は、私なんかじゃなくてメティアなんだっけ。
だから、こんなにも優しいんだ。
私が一番好きなのに。
コイツが私の一番を盗る。
好きだけど……もう、いいや。
ミルはもう、私の手から離れてしまった。
だから「大丈夫だよ、私」この言葉は自分を誤魔化すのに苦労する。
好きだからこそ、手放したくないのに。
ミルのことを思えば、手放すしかない。
「メティアさんと口づけしたいんでしょ」
ちょっとだけ、そうちょっとだけ厭味っぽく言う。
「大丈夫……だよ。ねえねえはミルのことが大好きだけど、ミルのことは……邪魔しないから」
自分の嗚咽が聞こえる。
ああ、やっぱり自分のことは誤魔化せないようだ。
――ごめん、ごめんね。私。自分が弱かったばっかりに――。
すると、私は唇が塞がれた。
私は、どうやら……。
――ああ、これが。
これが、ミルのくちびるなんだ……。
私の舌が彼の舌が重ね合わされ、ぞりぞりと削がれるような感触。
とても長いと思えた時間だったが、いつのまにか唇が離れて私と彼の唇の間に涎の糸が、橋のように。
――ずるい。ミルはずるい。
――諦めようと思ったときに、こんなのはずるい。
思わずへたり込んでしまう。
もう、誤魔化しきれない。
諦められない。
――もう、だめ。
そのとき、椅子が派手に動くときの音がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どうやらミルはメティアを抱き抱えようとしたとき、左腕を酷使してしまったようだった。
だったら治せばいいのに、とは思うものの、お母さんの傷のことを考えて、わざとやっていないようだった。
そして今、ミルに膝枕をしている。
左腕の鈍痛と疼痛がひくまで、ちょっとだけ寝かせて欲しいとのことだった。
ミルの寝顔は男らしい顔だ。
今日の朝までは弟って顔だったけど、今はもう男って顔だ。
その男の頭を撫で続ける。
お母さんがお父さんに対してやっていたこれ。
膝に載っている人が、こんなにも愛しく思えるなんて。
そんな中、ミルと目があう。
「起きた?」と聞いてみれば、「起きていない」と返された。
顔の頬の赤さから照れているのだろう。
とてつもなく、愛しく思えてきて、先ほどのようにくちびるを塞いでやって、今度は私の舌で遊ぶ。
私と向かいの猫が、ムスっと見ている。
――私と彼のスキンシップだから、ね。
目で話す。
口を離して、わざとらしくミルに「だめだよ、ミル。メティアさんが嫉妬しちゃうよ」と言いながら、寝ている背中に腕を支えに起き上がらせる。
対するメティアは相変わらずの顔だ。
その顔に私はちょっとだけ、胸がすいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メティアと合流したので、お母さんの事情を説明しながら保養室へ向かうことにした。
それは弟からの提案で、お母さんの姿はとても見せられない。だから、保養室においてある布で包めて帰ろうってことになった。
メティアはとても神妙そうな面持ちで聞いていて、最後に「ごめん」と謝ってきた。
「なにが?」と問い返せば、「そんなときに寝てて、その」と、とても泣きそう。
いや、既に泣き顔のメティアだ。
彼女が恋敵だからだろうか、謝っても許してやらないと思ってしまった、私はここまで嫉妬するものなのか。
「……まぁ、メティアは知らなかったからね。眠くなることは生理現象だし、一人でずっと起きてろ。というのも中々無理な話だし」
とは、ミルの助け舟だ。
ミルの助け舟に、沈痛そうな面持ちから幾分か明るくなったメティアが羨ましい。
保養室の包める程の布を剥ぎ取り、抱える。
「私が持つ」とメティアと私がほぼ同時に訴えるも、ミルが「二人共疲れているだろうから、俺が持つよ」と棄却された。
私よりもとても疲れているのはミルなのに。
ミルの左手が折れて、血が滴って激痛な筈なのに。
まったく左腕を動かさずに、ぶらーんとさせているのに。
それなのに、なんでこうまで。
悶々と炎のような嫉妬が、私を包む感覚がある。
――いやだ、いやだ、こんな私がいやだ。
――こんなに私は嫉妬深かったのか。
どう言い繕っても。
どんなに『いやだ』と言っても。
ミルを見ると身体が疼く。
ズキズキではなく、ずくずくとした疼痛がお腹の奥から響く。
控室に着いてミルだけ先に入った。
どうやら、ミルだけが出来るあの温かい感覚にしてくれる回復術を使ってから、布を被せて抱えるようだ。
先ほどのような攻撃的な魔力ではなく、外で温かい時間のようなものが頭のなかに流れ込んできた。
この感覚はあの、回復術だ。
しばらく経ってミルから「入ってきて」と促されて入ったときには、既にお母さんは包められていた。
片腕しか使えない筈なのに。
とても難しかったはずなのに。
一人でやってしまうミル。
あとは抱えるだけ。
で、あれば。
もうミルは無理だ。
右手だけで持てる訳がない。
ましてや、重心が不安定なお母さんだ。
ただでさえ不安定なものを、私より小さな身体の弟で右手しか使えないのであれば、こればかりは私が……。
でも。
ミルの身体に先ほどのきらきらと輝く箱が現れたときのような、感覚が私を襲う。
ピリピリとした感覚と、ドキドキと鼓動を早くさせて焦らせるような感覚。
そしてミルの足腰と肩、両腕の関節に緑色の模様が描かれた平面状の何かが現れた。
先ほどと違って頭のなかに声は出てこない。
だから、何が起きているか分からないけれど。
でも、不思議と何故か安心できた。
ミルは先ほどまでぶらーんとさせていた左腕を、曲げられるようになっていて、更に何らかの魔法を掛けた……ようだ。
というのも、ミルの左手に感じたことのない魔力が集まった気がしたのだ。
事実、その後はミルがお母さんをおんぶした。
私が一番体型的に合うと、言っても「いいよ。いいよ」の二言で終わってしまう。
そんなに私は情けないのだろうか。
少しでも姉として、お姉ちゃんとして見て欲しい。
私はいつでもミルの『ねえねえ』なのに。
私よりも小さいのに。
私よりも怪我しているのに。
私よりも……。
もう、なんだろう。
分からない。
嫉妬なのか。
それともなんなのか。
ミルから「後ろから支えて欲しい、ちょっとだけ危ない」と要請を受けた。
もちろん、私は直ぐに動いた。
そのミルの要請は、ちょっとだけぐずぐずになった、私の心を癒してくれた……ような気がした。
お母さんを抱えて向かう先は、私たちとメティアの家ではなく。
村長さんの家に向かうことになった。
村長さんはこわいひとだと聞いているけれど、どんな人だろうか。
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