『雁字搦めの人形劇』 III
あたしの好きだったこの道は。
とうとう、セイカーとあたしと、神さまと六種類の鎧が立つだけになった。
あんなにもいた人間はみんな……、血肉の沼の中に沈んでいる。
肉食のあたしでさえ、食欲が全く沸かないほどで、且つ鼻が曲がりそうなほどの臭気。
いや死臭。
新鮮な肉の匂いではない、腐った肉の臭い。
腐りかけた肉が好きといえば……好きだけれど、目の前の肉は腐っている肉。
流石に腐った肉は食べたくない。
今のあたしは森色の鎧の肩にへばりつきながら、空に浮いている。
森色の鎧の肩に戻したけれど、森色の鎧は特に何もいわず、空っぽで空洞の顔を見ても、あたしを見ている気配はあれど、誹るかのような気配はない。
諦めもない。あるのは、あたしが落ちないように押さえてくれる大きな手。
「あ、あり、がと」
感謝の言葉を伝えても、答えはなくて、ウェリエ特有の魔力がちらつくばかり。
先ほどからウェリエしか感じない。
あたしはウェリエが嫌いなのに、ウェリエしかいない。
あの神さまもウェリエじゃないのに、ウェリエを感じる。
この森色の鎧も、ウェリエなんかじゃないのに、ウェリエだと思う。
この場所だけではないところから、色々な声が響く。
「偉大なる力と栄光の源」とか「天空から墜つ焼灼の槍」、「静かなる海の鎮魂歌」、「戦場の血陰る狂詩曲」に「狂薬王:幻覚症」なんて聞いたことがない魔法が聞こえる。
背中からは相変わらずの光の柱のようなものを振り回しているのと、それを割り砕いている白い雷光が踊っている。
見えないけれど、きっとあれはウェリエなんだろう。
あたしの感覚がそう告げている。
あの後、神さまとセイカーは何度も、あの光の柱と白い雷光の直撃を受けている。
その度に神さまは「痛い痛い」と笑いながら、言ってた。
セイカーの赤い血はもうなくて、あるのはただ黒い血。
それがドクドクと鼓動に合わせて、ひたすら池を作っている。
もう予備の人間なんていないのに、ただひたすら『成長』している。
その姿は人間の限界だ。
魔力で動く人魔族、獣魔族を一つに括った『魔族』。
対して血肉で動く、人族、獣人族。
その血肉を絶えなく成長させる、という能力。
セイカーのあの脅威的な回復速度も、鳴りを潜めて今ではゆっくりで、破裂と膨らむ身体も遅くなった。
足は成長する身体についていけなかったようで、血肉が破けて骨が折れたときに倒れ伏してからは、立ち上がる素振りもなくただ成長していく身体を芋虫のように蠢かせるだけ。
「くくくくく、異端者も災難だね。よりにもよって『精製された魔力』を持っていくとはねえ」
「…………、」
うごうごと蠢く芋虫。
「『精製された魔力』っていうのは、周辺を害するものでねえ。"フィルター"で濾すことが出来る……女じゃないと身体が壊れるんだよねえ」
「…………、」
「魔法とかその手のものは通常の魔力でも動くけど、私と兄、その他の連中のとかだと『精製された魔力』が必須でねえ」
「…………、」
「私の『力』を"奪取"したとしても、『精製された魔力』を使わないと動かないし、動いても違う"フォーマット"のものを無理くり使う訳だ。
どちらにせよ、死ぬねえ。って、聞いてるか異端者」
空に浮いていても、あたしの目と耳が近くにあるように見えるし聞こえる。
「ま、さっきも言ったけど。
『白の仔』は私の子だけど、私の『能力』を半分も出していないから、ちょっとだけやらせて貰ったんだよね。
で、気分はどう?」
「……………………――」
空から見ると遠くて見えない筈なのに、すぐ目の前にあるかのように見える。
セイカーの顔は崩れていて、綺麗に歯並びしていた筈なのに、今や見る影なく歯はボロボロながら残っていて、それも肉に辛うじて突き刺さっているだけのようなそんな並び。
「ん、なぁに?」聞こえないとばかりに、神さまが耳を傾ける姿。
「……ご、」
「ご?」
なぁに、聞こえない。とばかりにくすくすと微笑う神さま。
「ご都合展開か……よ。『精霊』……!」
ご都合、展開……?
「くくくくく、ご都合展開で何が悪いのかなあ?
むしろ、私からすれば"奪取"能力者がそれ言っちゃうの? って聞きたいなぁ」
え、えっと。
「生命力"奪取"とか、能力"奪取"とか、とてもご都合的じゃない?
だって自分の周りには、自分以下の強さ。
それでいて強力な能力がゴロゴロと転がっているとか、どこの物語の主人公くん?」
ねえねえ、
「他者の『ご都合展開』を、自身の『ご都合展開』で塗り潰す。
人はそれをし続ける、対して異端者は"否"と取るならば……、そうね。私の加護を与えてあげる。これぐらいだったら出来るからね」
「…………――――――」
「気になる? ふふふふ、折角だから教えてあげる。それはね、全ての『接続』を切ってあげるってこと」
つまり、
「異端者は異端者。私の加護を以ってして異端者に『言葉』は通らず『感情』も通らず『願い』も通らず。
『感触』もなく『味覚』もなく『嗅覚』もなく、最後に『音』もなく」
――『』
「あら、死んじゃった。三秒も保たないとかやる気あるの」
あんなにもあたしが頑張ったのに、この神さまはあたしが掛けた時間で通算六千回以上殺した上に、よく分からないことをしてセイカーに最期を与えた。
これが神さま……。
「まあ、兄さんだとそういうのを無視して切り裂くから、あっちのほうがよっぽどよね」」
うんうんと頷く神さま。
その背中に白い雷光が突き刺さる。
その雷光はウェリエの魔力で、あたしが受けたら死んでしまう程のもの。
「うぅむ、かなりというか超絶に痛い。流石、私の父と母。やり過ぎと叱る張り手が尋常じゃない」
痛がっている内容なのに、それを涼しい顔でにこにこと笑む神さま。
あたしには分からない世界だ。
ウェリエにいたずらしたとき、おねえちゃんにお尻叩かれたけれど、そのときはとても痛くて、とてもじゃないけど笑うことは出来なかった。
「さて、『白の仔』」
な、なんだろう。
もしかして、あたし。
もっと、
「警戒しないでいいから。どうせ、私の顕現なんてもうない」
…………え?
見れば、赤みがかった金色の髪と、黒い上着とそれに映えるように白い服、それと"ねくたい"とかいう黒くて短い紐をつけた、男みたいな格好の女の神さま。
そんな神さまの身体が、透けていく。
「私は『白の仔』に感謝している。兄さんと巡り合わせてくれたからね。だから、一回こっきりの奇跡。
何もしないで異端者に殺される信仰者というのもあった。だから、私の加護の使い方を教えた。
だから」
だ、だから?
「私は兄さんと一緒にいたい。兄さんと私は一つだから」
なんとなく、あたしの額と頭から背中にかけての毛皮を撫でられている感覚。
それも森色の鎧のような無骨な手ではなくて、それでいておねえちゃんやエルリネとは違う。
血肉通った……、ウェリエの手。
う、う……うん。
「なあんだ、素直じゃん」
き、気持ちいい。
触られ心地も感触も匂いも気持ちいい。
「『白の仔』、『雁字搦めの人形劇』は、『接続』の力を持つ。『人形機甲師団』は見ての通り」
あ、あたたかい……。
もっと、もっと撫でられていたい。
「『白の仔』、私には『加護』以上のことは出来ない。けれど、どうか生きて欲しい。
『白の仔』、いえ貴女なりの立ち位置でいいから、私の……作成者の行く末を――」
あぁ、気持ちいい。
お日さまの匂いと……、ウェリエの、
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気付いたときには神さまはいなくて、側には森色の鎧……『風帝』とかいうのと、燃えるような紅葉色の『炎帝』がいて。
でも、あたしは立ち上がることが出来ないままだった。




