家出
【ふンだ】
――勢い余って部屋から出てしまった。
という自覚はある。
けれど、声にでるのはおねえちゃんに対するムカつきと、あの人族もムカつくし、あの黒髪もムカつくという言葉だけ。
【ああ、もう】
おねえちゃんに対するあの発言にいたっては言い過ぎたかもしれない。
あたしは口だけ。
おねえちゃんはあの人族のもとにいれば、血なまぐさいことは今後起き得ないと判断して「ごしゅじんさま」と慕っているかもしれない。
あたしは力がない。
噛む力もない。おねえちゃんに比べて爪もない。
でも、それでもお母さんとお父さんを殺して辱めた人族は絶対に許さないし、許せない。
特にあの黒い髪のは食いちぎって噛みちぎってやる。
そう考えてもおねえちゃんより力がないあたしは、行動にうつせない。
おねえちゃんはあたしのことを第一に考えてくれる。
とてもうれしい。
だから……きっと。
人族の家族になってずっと一生を獣化で過ごす、ということも考えてたのかもしれない。
でも。
あたしの目からみてもちょっと抜けてるおねえちゃんだ。
どこかで、人族のみているところで人化してしまうだろう。
そうしたら、ものめずらしさで見世物にされてしまうかもしれない。
お母さんがいってた毛皮の敷物とかいうものにされてしまうかもしれない。
もしかしたら単純に売られてしまうかもしれない。
家族と言っていても『どれい』と『主人』というあいだがらでの家族かもしれない。
そんな不信感がどうしてもあの人族に対してある。
だから、おねえちゃんがあの人族に対して信用しているようだけど、その理由がわからない。
――でも、たしかに。
いいひとかもしれない。
いつもご飯くれるし、ちょっとふやけているご飯で見た目が「うわぁ」で、なまえも"いぬまんま"とか「なんのこと?」とか思っちゃうけど。
ふやけているから、あたしには難なくするりとお腹に入るし、必ず"これ"だからなにも考えないで食べれる。
お水も飲める。
ごわごわかぴかぴだった毛皮も、毎日櫛が通されていて何日かにいっかい、泡立つ石鹸で洗ってくれるから鼻が曲がるぐらいに臭うことはなくなった。
むしろ洗ってもらうと自分の身体がとても良い匂いがする。
こわいこわい動物とかに襲われそうって、怖い思いをしなくても寝れるし。
たまにあの人族の側で寝ると、お父さんが近くにいるような気がする。
それでも。
やっぱり、人族はにくい。
許せない。殺したい。この弱い牙で噛み付いて殺したい。
お母さんのあの悲鳴を思い出すだけで、ちょっとでも聞くだけでこころがざわめく。
だからやっぱり許せない。
人族のなかでとてもうれしいことをしてくれるけれど、でも人族だから許せない。
そしてあの人族の家族という、あの黒髪も人族でなくてもお母さんを辱めた黒髪だから許せない。
それにあたしとおねえちゃんが寝ているのに、叩き起こすところからして、ほんっとムカつく。
――みんな死んじゃえばいいのに。
人族も、あの黒髪も。
そしてあたしも。
みんな「死んじゃえばいい」というあたしも死んじゃえばいい。
少しでもおねえちゃんに対して不満を持ってしまった、あたしも死ねばいい。
おねえちゃんがあたしから離れたら、直ぐにあたしは死んでしまうのに。
それなのに。
おねえちゃんを貶した、あたしは死ねばいい。
――ああ、もう全てがきらいだ。
【きらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらい】
――ふくしゅうの爪を折ったおねえちゃんがきらい。あの人族もきらい。あのやかましい黒髪もきらい。そしてそんなことを思ってしまうあたし自身がきらい。
そんなことを考えて歩いていたところで、ふと脇をみたら。
――あ、『穴熊亭』……だっけ。
自然とおねえちゃんが慕うあの「ごしゅじんさま」がいるところに、足が向いてしまった。
――……………………。
何故か自然とここに来てしまった。
あたしはあの人族のことがきらいなのに。
あたしはきらいなのに。
――どうして、ここに来てしまったのだろう。
あたしは。
――…………………………。
いま「ごしゅじんさま」に遭ったら……どうしていいかわからなくなってしまう……だろう。
だから、あたしはその場から逃げ出すように走って、走って、走って。
………………。
…………。
……。
気づいたら街の出入り口についた。
――ここから一歩を踏み出せば、あたしは一人で生きることになるんだ。
あたしがいるとおねえちゃんに迷惑が掛かる。
おねえちゃんにだって人生がある。
あたしに付き合って不幸になる必要なんかない。
だから。
胸の奥がざわめくけれど。
ここから一歩を踏み出せば。
あたしとおねえちゃんは自由になるんだ。
だから。
右前足から先に、外の地を一歩踏みしめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
偉大な一歩を踏み出したとき、冒険者とかいう人族がちらちらとみてきた。
確かにあたしは今、獣化している。
あの人族がいなければ、あたしはただの獣。
おおかみとかいう存在だ。
だからあたしは更に走った。
ちらちらとみてくる視線から逃げるように走った。
あたしは今、怖い獣の姿だ。
下手したら狩られてしまうだから走った。
以前のあたしと違って毎日走っていたからか、とても身体が軽い。
風の音と風の感触が気持ちいい。
街と違って、土を踏みしめて足裏で土を掴む感触がある。
あたしの小さい爪が原っぱの土を突き刺し、ほじくり返すかのような感触もある。
鼻の先っちょに、あたしの背より高い草がびしびしと当たって痛痒い。
それでも、それすらも気持ちよくてあたしは、気の向くままに走れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
気の向くままに走ったところで、気づいたら目の前に森が広がっていた。
なんとなく、そうなんとなくだけど、
――ここは……。
見たことがある。
来たことがある。
【ここって】
――おねえちゃんと一緒に、あの人族に背負われて見た、
景色にみえた。
けれどたぶんおそらくきっとちがう。
あの人族はもっとちがう道だったはずだ。
だからきっとちがう。
だけどこの景色をみてると、
――おねえちゃんの匂いと隣にいた感触、まだ残ってる。
かのように感じる、今おねえちゃんはいないのに。
――あの人族に背負われてるときにお父さんに抱かれたときのように、心地よく揺られたけれど。
いまあたしは心地がわるくて、身体と胸のうちから気持ち悪いと感じる。
けれど。
――あんな人族と黒髪と……忘れたくないけれどおねえちゃんのことを忘れて……明日から
【頑張ろう】
そう思うことにした。




