『パイソ・フォルティーネ』
部屋に戻ってエルリネと俺はランニングしてかいた汗を、濡らした茶巾で拭いた。
胸、脇、背中、首の順番だ。
火照った身体に冷たい水は中々クるが、その冷たさがやみつきになるといって、エルリネとの二人旅時代からやっていることだ。
ちなみにエルリネはなんだかんだといって、自分で温水を作ってから身体を拭き始める。
ほんの一度だけ温水を作って身体を拭いているところで、冷水ぶっかけたら本気で怒られた。
毒キノコを食ったときよりも怖かった。
彼女に隠れてキノコを食ったりはしたし、今後も食おうとか考えてるけども、彼女に冷水だけは絶対にやらないことは心に決めた。
本当に怖かった。
本物の魔王を見た気がした。
なんて考えている横で、彼女が脱ぎ始めた。
抑えるものがないので、服を脱げばそれはぶるんと舞う『ソレ』。
自室に急いで戻ったのは言うまでもない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
汗を拭いてからは、みんなを起こしていつもの外行き用の服装に着替えて、財布を持つ。
休養日とはいえ、食堂は開いているので食堂で朝食を食べたら、街へ繰り出す予定だ。
いつものようにパイソを右手で掬うように持って定位置に入れようとしたところで、イヤイヤされながら手の平にしがみつかれた。
何事かと思って見ていれば、腕をそのままよじ登り、肩から左首元へ移動してきた。
爪でひっついているわけではなく、どうやら不思議な粘着ハンドでしがみついているようで左首元と肩が重いが、特に痛みはない。
トカゲというよりイモリハンドのようだとちょっと思うが彼には言えないところだ。
アルマジロトカゲらしくトゲトゲの鱗鎧が首と頬に刺さって痛いが、彼がアクティブになったのだからそれに喜ぶ……ことは普通に無理だった。
……いや、普通に痛い。
「ごめん、パイソ。痛いんだ、特に首が」
そう、首にブッスリと鱗が刺さっている。
更に首の後に彼の尻尾が巻かれているが、当然この尻尾にも鋭い鱗があるので当然刺さる。
つまり、とっても痛い。
ちらと、彼を見やれば口を開けたトカゲがいた。
位置的にもどうやら俺の耳たぶをかじろうとしたらしい。
とんだ肉食動物がいたもんだ。
どうしてくれようか。
非難がましい目で、じっと見てやれば顔を逸らした。
流石異世界産の小動物。
人間の感情が分かるようだ。
「そこのトカゲ。今、俺の耳たぶをかじろうとしただろ」
顔をぷいっとそむけるトカゲくん。
そんなことありませんよ~と言いたげな顔である。
「ほほう、そんな顔をするんだ……」
そっぽを向きながらも、ちらちらと目だけはこっちを視るこのトカゲ。
「パイソくんはどうやら、俺のことをかじったり鱗でわざわざ刺そうとしたりするし。
どうやら、野生に帰りたいようだねぇ」
と、呟けば。
ぐるん、と効果音が鳴りそうなほどに、こっちを見るトカゲくん。
「あぁ、パイソくんじゃないね。ウチの子じゃなくなるし、ただのトカゲくん。
いや、トカゲかな?」
流石異世界、というべきか。
トカゲが鳴いている。
きゅうきゅう、と。
「ツペェアの魚汁を使ったソースに漬け込んで、串に刺して焼いて食っちゃおうかな」
きゅうきゅうきゅうきゅう、と鳴きながら、今度は鱗鎧を寝かせて、不思議ハンドで首に抱きついて身体全体を擦りつけてきた。
ざりざりと皮膚が削られるような感覚。
彼なりの親愛表現だろうか。
とにかく、きゅうきゅうと鳴きながらしがみつく小動物。
引き剥がそうとしても、ぎゅうっと掴む彼。
「こら、離しなさい」とトカゲに言っても離さない。
それどころか、目に見えてでっかくなり始めた。
流石、異世界だ。
生き物をコレクションとして揃える某ゲームばりに、いきなり成長し始めた。
「お前、食われるためにでっかくなるんか」
きゅう、きゅううううと鳴くトカゲ。
ズシッと来る左肩。
先ほどまで十センチメートル程度のトカゲが、三十センチメートル超のデカさになった。
「おぅふ、これじゃ木串での串……焼きは無理……だ、な。鉄串かな?!」と言いながら、まだまだデカくなるトカゲ。
「食いでがありそう……な、でっけー、"タンパク……質"や……な!」
軽口を叩くのも限界なほどにでかくなる恒温爬虫類。
でっかくなって抱きつく力はとても強くなっても離れない、彼ことトカゲくん。
鳴き声は相変わらずきゅうきゅうと可愛いが、殺人的な握力というべきか。
抱擁力というべきか。
首が締まっている。
即座に『世界』を起動させる。
「ぐっ……『世界』、隔絶じ、ろ。俺と、ゴイヅを……」
――『世界』起動します。
俺を中心に『世界』が構築される。
半球状の世界だ。
「きゅうううう!」
トカゲの抱擁を強引に引き剥がした結果、自身の身体に残るのは、漸く行えた呼吸と今までにないぐらいに死にかけた体験。
「きゅうううう! きゅうきゅう」という悲しげな声に釣られて、トカゲに目を向ければ。
「でっか……!」
そう、デカかった。
約百七十センチメートルの巨体。
デカいってもんじゃない。
尻尾もアルマジロトカゲらしい柊のような鋭い鱗に覆われており、且つ尻尾がまず太くひと目で強靭と思える代物。
針葉樹のような身体鱗だけでなく、ところどころに松のような鋭いトゲがあり、明らかによくないモノを思わせぶりの液体が滴り落ちる。
手のひらサイズの小さなトカゲが。
「こんなにでっかくなってまぁ…………、」
どうみても魔獣です、本当にありがとうございました。
……こんなものを森の中で見かけたら、死を覚悟するわ……。
と言い切れるほどにまで、凶悪な姿形をしている。
前述した通りに鋭い外向けの鱗と、間々から生えている鋭い針のような鱗から焦げ付くような匂いを感じさせる。
もちろん尻尾にもその針状鱗もあるし、そもそもとして柊鱗が凶悪な形状をしている。
勢い付けて振られれば、釘バットで殴られたように皮膚が切り裂かれ、肉が抉られそうだ。
魔獣というより恐竜に近いかもしれない。
「きゅうううううう」
凶悪な姿形をしている割には、鳴き声は小動物のときと変わらず。
それでも。
「いや、流石に殺されかければねぇ。悪いけど、君は……」とパイソを殺すことにしようとしたところで、「きゅうううううううう」一際強く鳴いたトカゲ。
鳴き声から現象が発生し、驚く。
当然「はァ?!」と驚くにも理由はある。
「なっ……、パイソに『最終騎士』が起動しただと!」
しかし驚こうが唖然としようが、『最終騎士』が起動したことは。
「事実は、事実か!」
ならば、と決断することは。
「『最終騎士』ごと潰す! 『十全の理』、起ど――」
「きゅうきゅうきゅう!」
対してパイソは、鳴きながら首を振る。
その姿は命乞いか、それとも。
否、それでも……。
だが。
「きゅう」
一言だけ彼が述べて立ち上がり、「きゅ」と啼いて。
…………。
抱きついてきた。
今度は弱く。
それでもしっかりと。
毒々しく立った針のような鱗も柊のような鱗の陰に隠れ、柊状の鱗も重なりあうように伏せられ。
そして、彼は。