三日目 -窓の月-
夕闇が降りて、篝火が焚かれたころには、セシル、クオセリス、エレイシアは疲れて大衆食堂の中の窓が見える席でぐったりし、俺とエルリネはピンピンして窓から外を見ていた。
エレイシアはともかく、彼女らは一日中歩きまわるということは、多分したことがない。
だから疲れてぐったりして、中には舟を漕いでいるのだろう。
エレイシアはエレイシアでさっきまで普通に起きていたが、セシルとクオセリスの眠気に当てられて夢現だ。
外で人がわいわいと蠢いている。
酒を酌み交わし、中には酒瓶抱えてごろ寝し、中には殴り掴み合いの喧嘩をしている。
正に「人がゴミのようだ」とは名台詞なところ。
「ご主人様」
「うん?」
エルリネから呼ばれた。
「また、来たいですね。ツペェアのお祭り」
「そうだね、エルリネはお祭りは初めて?」
「いえ、ですが幼いときに見たっきりです」
「そか、覚えてる限りでいいけど、どこか比較対象はある?」
「そうですね、森のなかだったので、火はなかったです。
あとは屋台というものは無かったです」
「へぇ、どういうものだったの。いやエルリネの故郷のお祭りは何を祀ってるの?」
「はい、『杜に響く大智の言葉-ケフ-』っていう森人種の女神です」
「…………、え」
「故郷では、ケフさまに赤子を祝福してもらって、育てるのです。
私も祝福して貰いましたが、折角の名前を捨てて『魔石』と名前を付けられ、ご主人様に『エルリネ・ティーア』と付けて頂きました」
エルリネが何かを言っていたが、それよりもエルリネが言っていた『ケフ』という単語は「黒歴史ノート」の最古参の一つの名前で、設定と二つ名まで同じだった。
森人系の女神で、初出はウェリエと主人公が刺し違える物語において、ウェリエが慕う女神。
ケフは子宝・安産・子育ての女神。
「人族の方がよく子守唄で歌う『誰が嫌おうともわたしは貴方の味方だから』という歌ですけど、あれはケフさまのお言葉ですよ」
子供を信じる歌、生まれてきてありがとう、とか子育ての女神らしい歌じゃないか。
良かった、この世界には俺の作った世界観が反映されている。
そしてそれが彼女たちの心の支えになりうるものであれば、"作者"として、これほど嬉しいことはない。
良かった、俺の作品の読者がこの世界の住人だということが分かって。
自分とその周辺だけに物語を押し付けているだけでなくて、本当に……。
「良かった」
「……ん? 何がですか、ご主人様」
「ん、なんでもないよ。
いや、エルリネと会えて本当に良かった。そう思っただけだよ」
「はい、私もご主人様に出会えてとても幸せです」
そう呟いたエルリネの顔は赤みがかり、相変わらず笹穂の耳がピコピコと上下に揺れていた。
顔は暗いながらも花のように咲き乱れたような笑顔で、思わず。
「はははっ、エルリネはやっぱり笑顔が一番似合うな」
「そう、ですか?」
「うん、そうそう」
またにこやかに笑う彼女の前に手を出して顎から、耳の後ろをカリカリと掻く。
そのときのエルリネの顔が、「ちょっとやめて」と赤くなってちょっと逃げようとするが、構わず耳の後ろを掻く。
お洒落用の服を口で噛み、「んっ」と心地よさを我慢しているのか、その姿はなかなかエロチックだ。
思わず、イケナイことをしているように思えるが、こっちは掻いているだけである。
……森人系のテンプレートに違わず、耳が弱点だったりするのだろうか。
今度舐めてみようか。
掻きながら、「さて、エルリネには」と声を掛ける。
相変わらず、エロチックに悶えているが、ご都合よろしいことに周辺に人はいない。
だからそのまま続ける。
「エルリネは最近頑張っているからね。
だから、まぁなんだ状況には合わないけどこれをあげる」
「なに、をでっ……ウ……ン、すか」
これ以上はピンクな空間になりそうなので、耳から手を離し代わりに彼女の手を握る。
「俺の魔法陣の内の一つ、『闇夜の影渡』だ。
きっと多分、エルリネ向けだろうから使ってやって欲しい」
「……え?」
「こいつの効果は多分見たことがあるとおりに、術者を視力的にも魔力的にも隠蔽するものだ。
エルリネなら使いこなせるだろう。
ささっ、ほ……ら……」
エルリネの『精神の願望』に触れようと、本人を見ると目尻に水が溜まっていた。
思わずぎょっとして見ていれば、エルリネが自身の気持ちについて回答してくれた。
「すみません、嬉しくて……つい、出てしまって……」
うっえぐっと鼻を啜る音。
「直ぐ止めますから」
「いや、いいよ。止めなくて。別に見苦しいものではないし、そうやって嬉しく思ってくれるならあげた甲斐があるものだよ」
「そう、ですか」
「うん、そうそう」
安心させるように笑ってあげる。
「ほら、エルリネも一緒に『にこー』」
「に、にこー」
「うんうん、それでよし」
にこーと笑ってから、泣き顔を見せないように頭を垂らして嗚咽を響かせるエルリネ。
その丸めた背中を押して俺の小さな胸元に押し当てて、ぽんぽんと背中を叩き、擦る。
「ご主人様、お見苦しいところを」
「いいって、いいって」
「このように下賜されることは、初めてで。
いえ、このように我が主の大事な大事なものを下賜されるのが、本当に……」
「いいんだって、そんなに気にしなくたって」
「名前だけでも十分なのに、エリーやセシルさん、セリスさん達に構っているだけで、私は幸せでしたのに」
扱いが割りと雑かもしれないけど、
「俺はエルリネのことが大事だよ。
だってさ、あの初めて会った檻の中でも約束したでしょ。
俺とエルリネはお互い『理解者』だって。
もし仲違いがあっても、絶対に離れない。
俺とエルリネは共に歩み続けると、そう誓ったじゃないか」
「そうですね。
私も大事にされていると思っています」
「でしょ。じゃなかったら今頃邪険に扱っているよ」
「はい」
「エルリネは、さ。
他の子と比べてお姉さんって感じがするから、どう扱っていいのかわからないんだよね」
「ええっとそれは、どういう……?」
「俺はまだ八歳で、他の子もそれぐらいなのに対してエルリネは成人しているでしょ。
他の子みたいに撫でていいのかなーとか色々、あるんですよ。
ほら、子供扱いしないで、とか」
「ああー、でも私は。
ご主人様が私にやって頂くことがあるのであれば、気にしませんし出来ることなら、エリーのように甘えていたいです」
「……ほう」
「ご主人様の体格がしっかりしたら、ずうっと甘えさせて下さい。それまでエリーやセリスさん達に譲ります」
「……ほほう」
「……なんですか、ご主人様」
「いや、可愛いなあと思って、ね」
「…………、」
「……なんだよ」
エルリネはじっと俺を見つめてきた。
「……ご主人様は」
「ん、」
「いえ、なんでもないです」
「なんだよ、言えよ」
「ヤです」
「……、」
「さて『闇夜の影渡』の使い方教えてください」
思わず、溜息を一つ。
「……逃げたな。まぁいいや」
こうしてエルリネと共に狭い窓から暗くも、篝火で明るい夜空の星を見上げ、あの岩山で見た双子の月を見た。
あのときの双子の月は変わらず綺麗で、今の俺とエルリネの位置はまさに双子月のように隣り合っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さて、説明も雑談もひと通り終わったし、明日も早いし帰ろっか。エルリネ」
「そうですね、その前に皆さんを起こさなければいけませんが」
「中々に難しい依頼だな。身体が大きければエレイシアとクオセリスは抱えられたんだが」
「あははは、そのときは私を抱えて下さい、ご主人様」
寝ていたセシル、クオセリス、エレイシアを起こしたとき、当然のことながらぶう垂れたのは内緒である。