一日目朝 VIII
儀仗騎士らの顔が先ほどの死人のような青や土気色の顔色から、一転して赤く熱狂した顔色になった。
みなが抜剣した剣を頭上に掲げている。
先ほどオウネさんに俺のことを「平民」と進言していた騎士も喜色満面で歓声を上げていた。
よく分からないが、王族が婚姻を結ぶと、このように誰も彼もが喜ぶのだろうか。
……嫉妬する者が意外といそうなんだけど、な。
どんなに親しい仲でも、嫉妬は必ずするものだ。
いや俺だけかもしれないが、"生前"でイケメンの友人らが結婚する、子供が出来たとか聞いたときは、人並みに嫉妬したと思う。
それなのに、この場において誰一人嫌そうな顔をしておらず、みな心底嬉しそうだ。
いや、心のなかで考えているかもしれないが、少なくともこの場ではいなかった。
オウネさん、いやお義父さんというべきか。
お義父さんも「良かった、良かった」と両目から涙を流していながらも笑みを浮かべている。
セシルと同じぐらいの背丈の子ということはつまり、見た目通りの未成年どころかまだ年齢二桁に達していない可能性が高い。
それなのに、もう嫁に出したという認識らしい。
プロポーズしたとはいえ、まだ「婚約」でしかない。
更に言えば年齢一桁ということであれば、俺であれば"精通"、女性であれば"初経"がまだの筈である。
そんな相手に「孕んでくれ」なんていうプロポーズがあるか普通。
ちなみに"生前"の世界であれば遅かれ早かれ、平均して十二歳でそれらが始まる。
とはいえ、この世界は"生前"の世界とは違う異世界だから、そんな平均十二歳で始まるものとは思ってはいないが。
とにかく婚約ではなく結婚への昇華は十二歳頃となる。
十二歳といえば、セシルと俺とその奴隷組らで学園に在学中だ。
姫様はどうするのだろうか。
そういった学園に王族とか目立つ以外の何者でもない。
もし例え一緒に行くとしたら、ミリエトラルとして入学ではなくウェリエとして入学が必要になるだろう。
そうでなければ姫様が学園にいる理由が分からなくなる。
いや、学びに来たというという理由があるか。
どちらにせよ、聞くべきことだ。
だから、聞いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あ、あのー」
「何かな、『魔王』」
「俺と家人たちで学園行くんですけども、姫様はどうするんです?」
「もちろん、着いていきますよ」
と、姫様から注釈が。
そうか、やっぱり着いていくるのか。
「……お嫌ですか?」と睫毛を伏せて、ゆっくりと顔を背ける。
その仕草でお義父さんと、儀仗騎士からちょっとした怒りの気配を感じる。
……いや、そういうつもりはなんだが。
「いや、嫌じゃない。だが、凄い目立つぞ。
姫様が来るってことは理由付けに、俺は『魔王』で入学せざるを得ない。
ということは『ツペェアの宮廷魔術師の魔王』となる。
波瀾万丈の学園生活になることが約束される」
「構いません。王族に平穏という望みを託した旦那様。そして旦那様と共に歩みたいと想う私。
妨げるものなどはありません、旦那様の御心のままに」
なんだか「スゲー覚悟ありますよ、私」みたいなことを言われてるな。
「あと俺、生活魔法使えない。使えるのが色々規模が違う魔法群で、主に悪い意味でも目立つよ」
「構いません。旦那様の評価を私と家人の皆様が、正確に知っていればよいので」
あとで言った言わないの口喧嘩にならないように、意識のすり合わせをする必要があるものの、今のところ思い付かない。
あぁそういえば。
「俺は宮廷魔術師という役職を持っている。もしかしなくても、それ目当ての連中が来る可能性が高い。気苦労を――」
「構いません」
「じゃあ……もしも、例えばの話だ」
「はい」
「俺がザクリケルを捨てて、別の国へ行ったらどうする」
「もし、我が国が戦争などで滅んでしまったときであれば、共に歩みます。
私が最後の王族として、旦那様の子を孕めばその地が新たなザクリケルです。
もちろん、旦那様が私たちに託した望みが反故されたときも、我が国を捨てられるでしょう。
そのときは私の命を以って償います」
「……あー、」
「もし、旦那様が国を作るのであれば、それも構いません。
ついていきます。そして、その地にザクリケルの血が入るのです。
それ以上の喜びがありますでしょうか」
「『魔王』、何が嫌なのかね」と軽く怒りを滲ませた声音で、お義父さんの口から聞こえる。
別に。
「嫌じゃないですよ。寧ろ嬉しいです」
「では、何故そういったことを聞く」
「……嫌とかそういったものではないのです。
……ただ」
「ただ?」と、今度は姫様から話を進めさせられる。
「意識のすり合わせですよ。
例えば戦争が勃発して逃げようとしたとき、"自分がこの国の王族だから"といって逃げないなんて言って死なれるのは非常に嫌なので。
俺が頑張ればいいんでしょうけど、リコリスから聞いていると思いますが、一発一発が大火力なもので味方、いや姫様ごと殺りかねない。
だから、意識のすり合わせです」
「……なるほど、そうでしたか。
大変、失礼致しました、思わずてっきり――」
「嫌なんかじゃない」
下衆いことを言えば、孕ませたがりのザクリケル出身の女性相手に、「確実に孕むという姫様がいる」ということで強引にお突き合いもとい、お付き合いを迫ってくる人をシャットアウト出来る。
よって、彼女を侍らせるのは"アリ"だ。
あと気になるところは、姫様に色目を使う阿呆だが、学園編で必ずあるだろうと思われる実力試験で桁違いの魔法でぶっ放せば、向こう十年は喧嘩は売ってこないだろう。
もちろん、姫様だけではなく、セシルやエルリネ、エレイシアにも同様のことをしたら、磔刑だ。
慈悲はない。
とにかく。
「そういうわけだから、嫌なんかじゃない。
寧ろ大事に思ってる、それだけは理解して欲しい」
そう答えると、姫様は「承知致しました」と言って頭を下げて「では、改めまして宜しくお願い致します」と述べた。
「うん、よろしく。姫様」
……そういえば。
「姫様の名前ってなに……?」
「無いですよ」
「えっ」
姫様もエレイシアと同じく「この子の七つのお祝いに」ってか。
いや、俺並みの年齢であれば、既に名前はある筈。
いや、エレイシアと同い年か……?
「ええっと、つかぬことお聞きしますが、ご年齢は」
「……? 八歳ですよ?」
初経まであと四年ね、ってそうじゃなくて。
もう七歳は超えている。
では、名前がない理由はなんだ……?
「ええっとですね。何故にお名前ないのでしょうか」
「……お話の口調、ころころ変わる方ですね。
ええっと、この国の姫というものは一生涯、たった一人しか愛しません。
お名前もその人専用のものなのです。
一応幼名はありますが、婚約した身なので幼名はもう使えません」
だから、名前が欲しいってか。
脳内の黒歴史ノートを捲る必要はなく、お姫様キャラの設定などない。
というのもミリエトラルの世界でも、お姫様が出てくるのは主人公サイドで名前も「お姫様、お姫様」と呼んでいた。
つまり、本当にない。
「あーうん、参考程度に聞きたいのだけど幼名はなに?」
「リーネ、リーネ・ザクリケルです」
……リーネとか、それだけでも十分完成しているお名前じゃないでしょうか。
「あ、あと蛇足ですが、旦那様の家名があれば、家名もそれに変えます」
……マジかいな。
本当に嫁入りかい。
「……いや、ちょっと待て」
と、お義父さんから止める声が。
はて、なんだろうか。
「リーネ、家名は捨てるな。『魔王』いや、ウェリエ・ザクリケルでよかろう」
「いえ、お父様。私が嫁ぐ身なので、私が捨てるべきです。……旦那様の家名はなんでしょうか」
「あー、"フロリア"だけど」
「では、幼名でお呼びされるのであれば、リーネ・フロリアですね」
「いや、そうではなくてだね、リーネ。
ま、『魔王』もなんとか言ってくれないか」
「駄目です。決めたのです。旦那様が言っても、私はリーネ・フロリアです」
やいのやいのぎゃあぎゃあと父親と娘が喧嘩している。
娘のほうが微妙に優勢だ。
どこの世界でも、娘のほうが優勢のようだ。
お父さんタジタジ。
さて名前のほうだが……、かなりイメージに合わないが"いた"。
いや、見つけたというべきか。
貴族の女性で主人公の仲間で、主人公とウェリエ戦において一瞬で退場した人だ。
ウリは剣聖。
かなりイメージに合わない。
どうみても姫様に剣を持つ才能があったとしても、剣聖になるとは思えない。
だからイメージに合わない。
いや、二度目の正直ってことで剣聖になって、名を馳せるかもしれないが、それでも合わない。
……使えるだろうか。
どちらにせよ、名前が必要だ。
だから。
「あー、じゃれているところ悪いけど」
「旦那様、じゃれておりません」
姫様がキリッと真顔を向けて、俺に硬い声を掛ける。
対するお義父さんのほうは、心なしか笑顔だ。
娘からそこそこキツい発言聞こえていたが、それに対し笑顔とは。
このお義父さん、ドマゾかな?
それはともかく、名前だ。
「ええっと名前の方、これで是非ともお願いしたいのですが」
「はい、お聞きします」
その、発言を聞いて唐突に思い出す。
……あ、セシルたちの『前衛要塞』解除せんと。
そう考えて後ろへ振り向けば、既に外盾はなく、内盾もなく、あるのは内膜の部分が彼女たちを覆っていた。
そんな彼女たちの居場所も既に俺の声が届く距離だ。
エルリネとエレイシアは、口の端を弓なりに曲げ、いい笑顔だ。
トカゲくんもいつのまにか、エレイシアの肩におり、同じくじっと見ている。
対して、セシルは真顔だ。
考えてみれば、名を上げていない者はセシルだけになっている。
セシルはザクリケルの貴族出身とはいえ、王族のように改名する必要はない。
エルリネにように奴隷でもないから、奴隷改名はしない。
エレイシアのように幼いとはいえ、「この子の七つのお祝いに」として改名なんてものもない。
もちろん、ニルティナとパイソのように愛玩動物でもなんでもないので、そういう名付けもない。
つまり、セシルにはどう頑張っても名付けイベントが発生しないのだ。
無理やりタイミング作るならば、十五歳の成人式だろうか。
セシルの真剣でありつつ、どことなく嫉妬を纏わせた眼差しから、逃げるように姫様へ向き直る。
「では、姫様にこの名前を付けたいと思います」
ゴホンと一咳。
「――クオセリスで。家名は……、まぁ追々」
「はい、『クオセリス・フロリア』。
確かに頂きました」
しれっとフロリアって言ったな。
「まて、リーネ。いま、しれっと"フロリア"って言ったな?
父は認めんぞ」
「父上、いい加減しつこいです。私はフロリアです。
ザクリケルではありません」
また、わいのわいのぎゃあぎゃあと口喧嘩が勃発した。
とはいえ、割りと本気なのはクオセリスで、お義父さんの方は笑顔だ。
なお、複数名いたはずの儀仗騎士たちは既にいなかった。
最後に残っていた一人に聞けば、お目出度い席だということで、街へ繰り出して行ってしまったらしい。
いいのか、職務放棄でないのだろうか。
と、最後に残っていた騎士の顔をまじまじと見れば、例の見たことがあるにーちゃんだった。
思い出せそうで、全く思い出せない。
誰だっけ……?
必死に思い出そうとしたところで、「ぷくくく……久し振り」と笑われた。
……いや、本当に誰だろうか。
「あ、もしかしてホントに覚えてない?
うわぁ悲しいなぁ……」
「……?」
「いや、まぁ本当に宮廷魔術師になるとは、思いもよらなかったよ。
あのとき、薦めた甲斐があるね」
「…………あ、」
「くくく、久し振り。だいぶ身体大きくなったね。
出来れば、直ぐ思い出して欲しかったかな。
ま、仕方がないか。
最後に会ったの一年前だしねー」
「……誰だっけ」
この人の名前そういえば覚えていなかったな。
「おぅち、あー……そういえば、教えてなかったなぁ」
そう言って一息付き。
「ゼルファーって呼ばれてる。
ゼルファー・ザクリケルだ、よろしくねー」