お出かけ
今日の朝は記録的に寒かったようで、滅多に起きない霧が一般街で発生したようだった。
しかし、その霧も太陽がその身を見せる頃にはすっかり消えており、残るのは相変わらずの寒さのみ。
そんななか、文字通りの大住宅が立ち並ぶ貴族街。
その中で一際大きい建物があり、その大きな建物の脇にあるこじんまりとした建物(とはいえ、他の建物と大差ない大きさ)。
その建物こそが永いツペェア史の中でも最年少を記録した"宮廷魔術師”の少年の家である。
まだ寒く、貴族街で就寝している者が多いこのツペェアの中で、少年の家の中は暖かく、家人全員は起床しており、朝の団欒を過ごしていた。
そう、朝餉を摂っていたのだ。
少年が同年代の少女に声を掛けた。
「セシル。調味料取って」
「あら、ミル様。お口に合わなかったのですか?」
「ん、いや違う。
ちょっと量が多いから、味を変えようかなと思ってね」
「そうでしたか」
少女が述べてから、利き腕を胸元に持って行きなでおろす。
「てっきり、まだ口に合わないのかと……」
少女の発言に、少年と少女というには歳が離れた女性の動きが止まる。
そう、少女は約九ヶ月ほど前まではまともな料理が作れなかったのだ。
ただの串焼きですら、真っ黒に焦がすほどで、一時期少年と女性が交互に料理を作り、その料理の作り方を真似させて、漸く串焼きを『食べれる』ように出来た。
その後しばらくは串焼きのみをしばらく作らせ、今に至る。
先ほどと違い青い顔で、「まぁ前に比べれば相当美味しいほうに変わってるから……。うん」と述べるのは少年の弁。
ひと通り朝の食事が終わり、食器の片付けと清掃は交代制に則り『奴隷』の女性が行い、少年と少女は女性が淹れた食後の香茶で一息。
はふうと少年と少女が幸せそうな一息を漏らす。
それに響くのはじゃぶじゃぶカチャカチャという食器の音。
女性の清掃が終わったあとは、今度は三人仲良く「はふう」と香茶を飲みながら、幸せそうな一息。
しばらく三人仲良く幸せに香茶を嗜み、その後は各自一日の予定を言い合う。
少年は図書館へ行くようだった。
行く理由について特に少年は明かしていないが、少女と女性は分かっているようで「行ってらっしゃい」と送り出す。
対する少女と女性は家事をしてから、一般街へ出かける旨を伝え……。
もう一度「はふう」。
少年が出て行ってから、少女達も動き出す。
少年と違い、少女達は生活魔法-水-が使えるため、木桶に並々と水を注ぎ、それを使って少女と女性と少年の服をゴシゴシと洗う。
とはいえ、どろんこになるぐらいに遊ぶといった、年齢相応のことはしない特殊なお宅なため、洗濯に関してはそこまで苦労はしない。
その後洗濯が終われば、使っている寝室と居間の清掃だ。
まず一度寒いながらも、窓を開けて空気を入れ替える。
少女は「さむーい」と女性と笑いあいながら、窓枠を小箒で掃きその後雑巾で拭く。
寝台の布団がずり落ちていれば戻し、床は箒でさっさこ払い、廊下も居間も同様に清掃を行う。
洗濯は毎日だが、この清掃は一週間に一度執り行われる。
その後、清掃が終われば各自自由時間になるのだが、大黒柱たる少年がザクリケルとツペェア間の道のりでお世話になった、ご夫婦のもとへ字を習いにお出かけするというのは、この家では公然の秘密だ。
字を習う理由も自分たちが関わっているとなれば、自分たちも快く送り出したくなるものだ。
だから、当然とばかりに送り出す。
さて清掃が終われば、また「はふう」と香茶で一息。
この後は少年がいれば、そのまま訓練に向かうか"日本語”の講義であったが、生憎上述した通り彼はいない。
となれば、残るは一つ。
街へ繰り出し、街を見てくることである。
これについても立派な少年からの頼まれごとで、基本的に少年は図書館へ行ったり来たり。
またはご夫婦の元を行ったり来たりの生活になる。
折角、観光地とも名高いツペェアに住んでいるのに、味気のない一年は困る。
ということで、少年の代わりに街を見てくるというのが、少女と女性が頼まれたお仕事である。
少女が女性に問いかける。
「今日はどちらへ向かいましょうか」
「そうですね、西門と南門から貴族街までの大体の観光地は巡りましたし。
今日から最後の北東門周辺を伺いましょう」
女性の回答に少女は満足そうに笑みながら、頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
家人の行事は、みんなで仲良く参加。
というのが、少年の家の法律だ。
だから仲良く、少年とべったりで少年が名付けた「tdxklnadくん」という名前の小動物も連れて行く。
少女と女性の服には胸ポケットなんてついてはいない。
なので、腰に小物を入れる鞄を取り付け、その中に小動物の「tdxklnadくん」を入れる。
なおこの小物鞄には、お金も入っている。
つまり、「tdxklnadくん」はお財布の門番だ。
さて、出かける準備が出来たようで戸締まりをしていく。
獣魔族のお嬢様は戸締まりをしている間に、最後のチェックとして褐色肌の森人は装備を見る。
もし襲われても即座に動けるか否かだ。
以前に比べて彼女は動きのキレがよくなったと自負している。
一度でもクリーンヒットすれば即死するような猛攻を、彼女の主人たる少年から受けている。
あの当たってはいけない状態で、主人に攻撃を振るう。
それはとても地獄だ。
思い起こせば、周囲を見たことのない銀世界に変化させ、更に吐息を白くさせる骨まで凍り付くような大寒波の嵐を巻き起こす地獄。
何者をも燃やし尽くす地獄のような炎。
周囲を砕く岩津波。
どれもが彼女にとって見たことのない地獄。
それらを訓練だとして、彼女相手に繰り出す主人。
その地獄をくぐり抜けた彼女。
それは何者にも得難い自信に繋がる。
そのような地獄が起き得るとは、考え付かない。
だが、どんなときでも最低なことが起き得ることを予測しておけばいい、というのは彼女が敬愛する主人の弁だ。
だからこそ、装備を見る。
この街へ来てからしばらくは服などを揃えなかった。
いや、揃えることは考えが付かなった。
奴隷生活が長かったため、自分専用の服などはない。
よそ行きも屋内も全てあの服で賄っていた。
だが、敬愛する主人が自身のことを一輪の花だということを、教えてくれたことで身だしなみを気にするようになり、そして主人に似合う一輪の花で居続けるために、戦うための装備を揃えることにした。
自身を守りながらも、自身の体術の阻害にならない程度に鉄板を仕込んだ腕甲と脚甲、主人から正式に下賜された黒塗りの短剣を包んだ鞘は右腕に設置。
『精神の願望』と呼ばれる、魔法陣に魔力を通せば、自動的に鞘の留め具が外れ右手に短剣が滑りこむという技術。
予備兼投擲用短剣は両足の大腿に付け、外套を羽織り、軽く飛び跳ねる。
想定は斜め上からの襲撃。
問題なく跳べる。
跳んだ上で、遠心力を利用した踵を相手の首元に打つ。
当然、今は相手がいないので踵は地面を穿つ。
但し、地面を穿った瞬間……。
地面がドンッという爆発音という音と共に、球状で直径約三十センチメートル、深さ約十五センチメートルの凹みが出来た。
その事実に、特に驚くもない彼女。
現象については単純なもので、主人から「魔力装填」という技術を学んだ。
その技術を体術の基本となる脚に「爆縮」を付与した。
それだけだ。
「まだまだ……かな」
と漏らす、その感想は何に関してまだまだなのか。
もちろん、なんとなく言っただけである。
理由は特にない。
ただ、彼女が敬愛する主人の「爆縮」はもう少し巨大で、発生する災厄も巨大であることは確かである。
なんとなしに呟いたその感想が、外の空気に触れ溶けたとき、少女が女性を呼ぶ。
女性は、直ぐさま考えることを止め、女性の元へ歩んだ。