気になる男の子 I
九ヶ月ほど前、私はその男の子と遭遇した。
遭遇したといっても、別に魔獣かなにかとして出会ったわけではない。
その日はたまたま、交代制の学芸員のお仕事が長期に渡ってお休みだったから、"宮廷魔術師"本部で書類仕事をしていた。
数カ月ぶりに会ったゼックルスお爺さんは健康そうなお身体で、嬉しかったと思う。
いくら私とゼックルスさんとの間に、実力が一回りも二回りも離れていて、且つ年齢も四回り以上は離れているお爺さん。
「まだまだ、若い者には負けぬ」と言っていたお爺さん。
でも、この本部のお爺さんの執務室は二階で階段を登るのが一苦労だ、と漏らしていたのも知っている。
だから、お爺さんの代わりに私が事務仕事をしている。
いつも、お爺さんは私のことを「リコリスは良い子だね、ウチのどら息子共とは違う」といつも比較する。
比較されたいと思うわけではないので、ちょっと苦笑いしちゃうけど、でも悪気あるわけではないだろうから、素直にありがとうと応える。
いつもどおりに書類仕事をして、職員の人が度々見に来てくれて、私とお爺さんに香茶を淹れてくれる。
仕事をしながらいつも想う。
私は、どうしてここにいるのだろうと。
ちょっと力のあるただの平民として学園に入学して、人並みに恋をして敗れて、学園の闘技大会で自分の特技を全面に出したけど、結局負けて、女なのに騎士になろうと頑張っても、特技が騎士向けじゃないということで数多くの級友に負け続けて。
結局卒業して実家に帰れば、お父さんとお母さんと私の姉妹たちは私を歓迎してくれたけど、それは上辺だけというべきか。
とにかく、居場所がなくて。
私の新天地としてツペェアに来て、ちょうど人員募集されていた学芸員に滑り込みで入って。
あれよあれよと言っている内に、私の学生時代を知っている人がいて、あれよあれよと言っている内に知っている人から魔法を受け続け、あれよあれよと言っている内に、噂に聞いていて、授業でも散々話に上った宮廷魔術師というモノになって。
私なんかを正当に「認めてくれる」ツペェアためになりたいと、いつのまにか考えていて。
高給取りになってからというものの、手の平をくるっと返したように学生時代の友人や、初恋の人とか、たくさんの人から迫られた。
あの上辺だけで居場所が無かったあの場所からは、アニスという妹が来て本当の肉親だからという理由で、私にお金を入れるように迫ってくる。
でも、アニスは肉親じゃない。
どちらかというと従姉妹だ。
従姉妹といっても遠い遠い親戚。
学園に入学前に、お金がない実家の代わりに保証人になってやると言ってきた、あのいけ好かない親戚。
あの時の「嫌だが、仕方がない」というあの顔が今でも腹が立つ。
私は聞いているんだよ。
「商品価値がなければ、沈めろ」って言っているのを。
当時は沈めろというのが、分からなかった。
けれど今ならわかる。
娼館に行けってことなんだね。
……私の回りは敵だらけだ。
心を許せるのはゼックルスお爺さんだけ。
いえ、ゼックルスお爺さん以上にとても頼りになるメリアお婆さんもいらっしゃるか。
とにかく、この二人しか私には味方がいない。
あとは、私の身体と身分とお金しか興味がない人ばかりだ。
学園に行かなければ、私はあの故郷でお父さんとお母さんと共に、畑を耕して隣の村の若い人と結婚して、新しい命を育んで同じように畑いじりをして、「今日も疲れたね」といって、旦那様と子どもたちと一緒に寝る。
そんな生活だったかもしれない。
あの時、幼いころに買ってもらって読んだ、本の中の女騎士のようにかっこいい王子様と一緒になる。
そのために学園に入ったのに、蓋を開ければこうだ。
夢なんて、どうにもならない。
私の人生はなんで、こうもつまらないのだろう。
日々懸想をしている妄想だ。
このつまらない日常を壊してくれる王子様が、やってきて私に手を差し伸べてくれるという妄想。
私の身分もお金は気にしなくて、性格を見てくれるようなかっこいい王子様。
でもちょっとだけ、私の身体も見てくれて恥ずかしがってくれるような王子様。
口に出すのも恥ずかしいようなことを、寝台でしてくれて学園に行って良かったと心の底から思えるような愛し方をして。
でも、夢から醒めて。
そんな毎日。
その日も夜遅くまで、仕事をする予定だった。
でも……。
最初はちょっとした痛痒感が来た。
きっと誰か本部内の職員が害虫を見つけて、殺そうとしたのだろう。
前から食堂にまれに現れる黒いアレ。
……そう、腐肉漁り。
私も嫌悪感を隠せずに、結構全力で叩き殺すことが多くて部屋の壁を壊して、腐肉漁りを私に殺させる前に先に殺せと、本部や博物館で共通の標語になったことがある。
壁に貼ってあるその標語をみて、人をなんだと思う反面、力を制御出来ていないのだなと思う自分がいた。
とにかく、最初はあれを殺すときの痛痒感、だと思った。
でも実際は違った。
しばらくしたら、本部の正門に凄い衝撃が来た。
破城槌のようなものが正門にぶつけられたような音がした。
それとともに私が張っておいた、魔法障壁も破られた感触があった。
考えるよりも先に身体が動いた。
今までに本部正門から、宮廷魔術師の入り口の門を叩いた者は数多くいたが、どれもこのような衝撃は与えなかったと聞いていた。
私もこの宮廷魔術師になってから、そこそこ経ち、そのそこそこの間に門を叩くものはそこそこ来ていたが、私の魔法障壁を破るものは誰一人としていなかった。
だからこそ、心が躍った。
私の魔法障壁を破る人はどんな人だろう。
女性だろうか。
男性だろうか。
同年代、いえ同年代以上でも女性だったら、友達になりたい。
男性だったら、どうしよう。
同年代、いやもうちょっと上でもいい。
結婚前提の友達になってほしい。
なって欲しいじゃない。
私からなるんだ。
ゼックルスお爺さんと、メリアお婆さんのような夫婦になりたい。
私にとって、理想の夫婦だ。
――だから……!
職員たちよりも先回りして私が会ってみれば……。
私よりも一回りぐらい下の年齢の男の子だった。
正直に言えば、「え?」と思った。
私のお気に入りの恋愛小説ばりの目眩く官能的展開は、脆くも崩れ去った。
でも、門を叩いたのは事実だし、よく見れば学生時代に恋をした相手と似たような童顔をしている。
きっと私は童顔が好きなんだろう。
そして、その童顔を見続けて、精悍な顔つきになっていくのが好きなんだと思う。
なお、学生時代のその人は就職先の国の騎士で「女たらし」の称号を手に入れたようで、酷いことになっていると、風の噂で聞いた。
ともかく、私好みの男の子だ。
あの手この手でとにかく誘惑するが、話を聞けば「キュリア家」のお宅と間違えたようだ。
例え、「間違えた」なんて言われてもこちらの都合上、そのまま帰すわけにいかない。
勘違いでも私の魔法障壁を破ったのは事実だし、正門を軋ませている。
魔法障壁が無い今、もう一度同じのを使われたら、正門が壊れることが確定する。
とにかく、ニッコリ微笑んで敵意が無いことを伝えながら、「受けるだけで。本当に受けるだけでいいから!」と言っても頑なで、キュリア家の人に会いたいといっている。
ならばと思って、ゼックルスお爺さんを紹介すればいいだろう。
ということで、連絡を取ることを約束すれば、素直に従ってくれた。
……素直で、可愛い。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
応接室に通してから、ゼックルスお爺さんに事情を話す。
すると二つ返事で私と付き添ってくれることになった。
なんでも、キュリア家に用事がある小僧は覚えがないので、一目みたいとのことだった。
もちろん断る理由はなく、付き添ってくれることに感謝をした。
で、いざ応接室にゼックルスお爺さんを通してみたところ、何か思うところがあったようで、そのままとにかく試験をさせようと私に合図してきた。
もちろんは私はそのつもりなので、特に断ることもなく首の動きだけで首肯を示した。
お互いの自己紹介は軽く済ませ、次は彼らだ。
最初に彼からかなと思えば、なんと女の子からだ。
更に驚くことに……ザクリケルニアのキュリア家の子だった。
それなら確かに、頑なにキュリア家の屋敷に行きたがる理由がわかる。
つまりは挨拶だろう。
この娘と結婚しますので祝福をくださいという感じの。
先にこの子を紹介したということは、つまり彼はこの国の人では無いのだろう。
キュリア家と言ったら二大宮廷魔術師のお爺さんとお婆さんが有名人。
その有名人の中にこの男の子が、名を連ねる。
世間的にどう思われるか。
私には当事者ではないから、どんなことが起きるかわからないけど。
セシルさんの自己紹介が終わり、彼はミリエトラルというらしい。
……ミリエトラルくんというのであれば、今度あったときに親しげにミルくんと呼んでみよう。
私みたいなお姉さんも友達に加えてくれるかしら。
ゼックルスお爺さんのセシルさんを見る目が、急速に柔らかくなっているのに苦笑いをしながら、隣に座るお爺さんの脇を肘で突く。
お爺さんとお孫さんの初のご対面でも、今この場は公の場で面接試験するところだ。
だから、威圧系の面接をお爺さんに任せる。
強面だから、尚のこと効く。
返ってきた答えは……、「国を相手取る」という子供らしく危険でありながらも、大事なことは守るというその想いが感じられた。
そのときの彼の表情が今まで、学園でも見たことのない影を持った貌で、思わず私が守りたいと思ったと同時に、心もきゅんとした。
なんだろうか、この想いは。
当時は答えは出なかったけど、今だからわかる。
私はこのときに年端もいかない男の子に、愛を覚えたんだ。
童顔なところに興味を覚えて、一言二言話して、影を持った貌にきゅんとして。
ただの惚れっぽい女だ、私は。
でも、彼に見つめられると身体と顔がぽかぽかする。
そのあとは身体と顔がぽかぽかしながら、実力を測った。
実力はとんでもなかった。
ただでさえ、見たことがない岩津波の魔法に、中空に浮いていると思われる爆発物が私の通り道を作る。
これは目に見えない迷路。
なんということだろう。
私なんかよりも数倍、いえ数十倍以上も強すぎる少年がこの国にいるなんて。
更に私の学生時代に培った、この動きもそれなりに昇華させてきたつもりだったけど、それすらも簡単に追って、道を作っていく。
私のような防御壁でないと、直ぐに保養室送りだろう。
――桁違いに強い!
見えない爆発物の迷路が途切れた、魔力切れならばここで……!
と、ふと前を見れば、彼の正面だった。
それに気づくと同時に彼から途轍もなく嫌な魔力を感じる……!
それに対する対策を考える暇などはない、とにかく緊急脱出だけを考える!
この場はとにかく危ない……!
そして、自分によく似た魔力構成体を作り、斜め後方に逃げた瞬間に私がいた場所と、その場所を始点に直線状に広がる破壊が一瞬で出来た。
他にも太陽のような神々しさを持つ火の玉が、私たちの真上から落ちてくることも起きた。
それは私の『要塞』で耐えたけど、あともう少し長く落とされていたら、間違いなく死んでいた。
それほどまでに、宮廷魔術師などでは測れない。
別の何かではないだろうかと、思った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後は一悶着あったけれど、私と同じ立場の男の子が出来た。
このときはあまり考えないで「私がお姉さんとして、彼を導こう」なんて思ってた。
けれど。
今更になって思えば、お金も立場も同等の存在で。
歳の差が気になるところだけど、他の人とは違って私の性格という心と、身体を見てくれる対等な存在なんだななんて思った。
なんてことは全く思わなくて、セシルさんがお嫁さんだということを知ってからは、ずっとただの弟みたいな子だと思った。
それから度々、図書館司書さんたちからミルくん。いえ、ウェリエくんの様子を聞いた。
その殆どが言葉を学ぶ姿で、若い女の子の司書たちはみな、彼のことが気になるらしい。
この国は一夫多妻制を是としている。
だから、彼女らにも機会はある。
でも、それを尻目に私はずっと彼を弟だと見ていた。