怪物
起きるのは窓枠の破砕の音。
一瞬にして起こる、非日常。
見えるのは、『鬼神』が身につけていたとされる鎧。
……やはりか。
目の前の『人魚姫』は驚いたのか身体が硬くなった。
その姿を尻目に即座に動く。
先手必勝。
『十全の理』を起動して、魔力を強引に精製させる。
灯油ではなく、ガソリンのような爆発的な火力を見せる魔力で使う魔法は「土石流」だ。
パスッと空気が抜けたような音が食堂に響く。
そして土と岩の塊が『鬼神』の鎧を叩く。
叩くといっても、普通の人間であれば押し潰すほどの量だ。
その数秒後に本来の効果である、粘土と岩片の塊が岩津波として対象に襲いかかる。
鎧と剣槍といった装具どもの粉砕を試みるが、中々に物理防御力も高いようだ。
しかし、その岩津波のお陰で食堂から突き放せた。
これでおばちゃんと彼女は襲われない。
……鉄くずに変えてやるよバーカ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
戦闘を開始すれば、ただの暴れ回るだけの雑魚だった。
良い言い方をすれば、ただの的。
悪い言い方をすれば、いやこれもただの的か。
これのどこに苦戦する場面があるのか。
いや、昔は強かったが蜘蛛の巣が張ってしまい、雑魚くなったのかもしれない。
どちらにせよ、今強くなければ意味が無い。
思ってたより雑魚すぎて、どうしようもない。
先ほどの『マンディアトリコス』より弱い。
弱い奴を基準に手加減という舐めプをする必要などない。
よって、全力とまでは行かないが、それに準じた魔法を使う。
それは「雪山の吹雪」だ。
一瞬にして鎧が凍りづけになり、ぱっと見空洞の中身に牡丹雪が積もっていく。
外側は高速の横殴りの風で勢いづいた雹で、鎧を傷つける。
鎧に雹など相性が悪そうに見えるが、"生前"の雹は車のような鉄板に穴を開けたりした。
で、あれば高速で横殴りの風で舞う雹は。
鉄ごときを物ともせずに穴だらけにする。
事実『鬼神』の鎧と剣槍は、十個や二十個ではきかない雹をその身に受け続けた。
「雪山の吹雪」の起動時間は三分程度と決めた。
決めた時は「五分のほうが良かったかな」と思ったが、ツペェアに九ヶ月ほど住んでいたが雪など見たことがない。
雪という現象が見たことが無いのであれば、雹も当然見たことがない。
俺がそうなのだから、きっと『鬼神』も見たことがない筈だ。
つまり、見たことがない現象が三分も発生し、防御策を思いつかないまま、鉄をも貫く雹に身を晒し続ける。
自殺行為だ。
事実、魔法を使ってから二分で、俺の魔力検知から『鬼神』の装具どもの反応が消えた。
力を求めるかと聞いてみた相手が、本物でした。
というオチだったわけだ。
悲惨なこって。
「乱気流」を簡易起動し、装具共を完全に鉄くずに変えた。
あとは、まあ博物館の職員がやってくれるだろう。
雑魚が相手でも疲れる量は一定だ。
……ああ疲れ――ッ。
視界の端っこに、彼女が映った。
「危ない、来るな馬鹿!」
考えるより先に声が出た。
心配になって食堂から出たのだろう。
「「危ないから出ないように」とか言わなかった俺も悪いが、まともに戦えない奴が戦場と言える庭に出て欲しくない。
いや、食堂も危ないかもしれない。
いや、それでも――」
「ご、ごめんね。
でも、……私も戦えるから一緒に、ね」
正直、戦力は足りている。
いや、火力は足りている、というべきか。
「……ダメ?」
上目遣いで聞いてくる彼女。
あざとい、実にあざとい。
"日本人"風の顔しているから、殊更元"日本人"の俺はギュンギュンにクる。
「……わかったよ。
ただ、助けることは出来ないかもしれないからな」
「……大丈夫、魔獣程度だったらどうにか……なるから」
そいつぁ良かった。
なお、また装具が暴れだしたら困るので、念のため『吸襲風吼』で、ひとまとめに圧縮しておいた。
捨てるときは非常に簡単だろう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
今自分たちがいる庭は、植物園があった庭とは違った。
というよりも、植物園があった庭は裏庭だったようだ。
……なるほど、だから人がいなかったのか。
表の本来の庭では、まさに戦いがあった。
職員約十名と兵士さん約二十名が、魔法と刃を抜いて目の前の怪物を相手にしていた。
いや、相手にしているというより餌になっているというべきか。
怪物、それは博物館で見た元"宮廷魔術師"の外套だ。
外套が宙に浮き、着込んでいれば腕がありそうなところに杖があった。
両手杖といえばいいのか、中々に装飾が派手で緑色の石がピカピカ光っている。
そんなピカピカ光る杖を横に払うだけで、爆発や氷塊が辺りを埋め職員さんも兵士さんも、人数を減らしていく。
中には明らかに死んでいる者もいる。
こんな光景を見せつけられれば、「"宮廷魔術師"だけど~」なんて考えない。
俺にだって元々最低限のちっぽけな正義感はある。
こんな光景を目にして、動かない奴はいない。
……だから。
そう、考えたとき。
脇にいた彼女を置いて怪物に向かって駆けた。
使う魔法陣は、久しぶりの『竜風衝墜』だ。
蒼緑色の奇妙な文字配列と、魔力線で描かれた幾何学模様の魔法陣が現れる。
その数瞬後、『竜風衝墜』が『十全の理』経由で準備完了、と俺に応える。
『竜風衝墜』がいつでも、力を開放出来るということだ。
一応、持っていた『魔王:ウェリエ』用の仮面を被り、怪物の猛攻から耐えている職員の横に着く。
「加勢する」
「ありが……、え?」
「俺は『魔王』ウェリエだ。俺の攻撃に巻き込まれる可能性がある。
全員下げろ」
「な、なんで、ウェリエくん!
帰ったんじゃ……!」
ううん?
と、よく見れば職員はリコリスだった。
なるほど、要塞の名は伊達ではないようで、彼女は無傷だ。
だが、怪物の方が一、二段階強いのか、リコリスが無傷でリコリスの回りの兵士や職員もちょっと怪我している程度だ。
そのリコリスから離れれば、死屍累々だが。
「悪いね。
逃げず、帰らず。
ちょいとばかし、遊んでたもので」
マンディアトリコスのことだ。
「とにかく、邪魔なんで退却げて」
「いいの、本当に?
――ッ」
話しているところで魔法が彼女の障壁を穿つ。
「じゃあ、巻き込まれるなよっと。
あ、あと後ろの彼女も保護して欲しい」
「え? ……あ。
なんで非戦闘員が……!」
「彼女が一緒に来たいと言ったんだ。
だから一緒に来させた」
それだけさ、という言葉は発しなかった。
怪物がひっきりなしに魔法を撃ってきてウザい。
ええい、まともに話せん!
「最低駆動だ。『竜風衝墜』。
地殻を穿ち、引き裂け」
俺が。
「『魔王』が、来た時点で怪物の命運は尽きたんだよ」と呟き、バーカと心のなかで思う。
その後の詳細について軽く言えば、『竜風衝墜』が最低駆動から一分もしない内に外套が引き千切れ杖は粉々に砕け、完全に怪物は沈黙した。
あとには力がある、化け物クラスとかいう装具品はないようだ。
残りは職員と兵士さんらで頑張るという。
まあ『魔王』とはいえ、子どもに全てを任せたらプライドが許さないだろう。
プライドじゃなくて嫉妬かもしれないが。
それはまぁ知らない。
俺ならプライドだと思う。
とりあえず立ち話も難だということで、リコリスの提案により"宮廷魔術師"と彼女を伴って、食堂に向かうことにした。
そういえば、おばちゃんどうなったかな……。