啜り啼く黒い海の呼び声-エレイシア・フローレス- ★
わたしのおとうさんは流浪の旅人だったらしい。
らしいというのは、おとうさんは死んでいるとおかあさんに聞いたから。
たった一晩だけおかあさんがおとうさんを愛して、おとうさんがおかあさんが住んでいた村から出て、ちょうどその頃に討伐依頼をかけていた害獣に襲われたみたいだった。
その害獣が討伐されたとき、おとうさんの荷物とおかあさんが渡した荷物が害獣の傍に転がっていたという。
害獣が討伐されてから、しばらくたって私が産まれてもおかあさんはずっと泣いていた。
おかあさんは村を出た。私を連れて。
おとうさんのように旅をした。生活は常に辛かった。
おかあさんは慣れないのに狩りをした。私を育ててくれるのに精一杯だったんだと思う。旅銀のためにおかあさんは一杯嫌なことをしてた。
ある街ではわたしは宿屋の外へ出された。
「鐘の音が3回鳴ったら帰って来なさい」と、おかあさんに言われたから外で遊んだ。
街の子供たちに混じって遊ぶ。種族がバレないように。精一杯遊ぶ。
ここの国は人族と獣人族以外には厳しいと聞いているけど、魔族であるわたしは遊ぶ。遊ぶことがおかあさんのお願いにも繋がるから。
鐘の音が3回鳴り、宿屋に帰ってきたときにはおかあさんは。
おかあさんは裸になって泣いていた。
なにが起きていたなんて、頭のなかで分かってる。
分かっているからそれを見るとわたしは悲しくなる。泣きそうになる。
だから、涙が落ちそうになるけど。
――ごめんね、こんな姿をいつも見せて。
と、おかあさんが止める。
わたしは強い子なんだ。強いから泣かないんだ。強いからおかあさんのためにも絶対にこれ以上に強くなるんだ。
――今日はいっぱいの人にされたからいつもより豪華に出来る旅銀出来たのよ。一緒に食べましょう。
そんなことはいいんだよ。おかあさん。
わたしは。
そんなことを街に着く度に何回もやった。
その度におかあさんは泣いていた。わたしは泣かなかった。
ある時はわたしも、とやられそうになったときもあった。その時は全力で逃げた。
おかあさんにそう言われてたから。でも逃げた時は決まって、おかあさんの顔に青あざがあった。
青あざ作らせるぐらいなら、わたしもやられるべきだった、と何度も思っても。
でもおかあさんからは。
――よく逃げたわね。
と、頭を撫でてくれる。
撫でてくれるからそういった意見も引っ込む。
でも、一度だけおかあさんに「おかあさんが傷つくなら」と言ったけど、哀しそうな目で遠くを見やって……想像したとおりに。
――これは穢らわしいおかあさんの罰。だから、あなたはいいの。
おかあさん。おかあさん。おかあさん。わたしたちかぞくだよね。共有したいんだよ。おかあさんと。
何度いのったか分からないけれど。
それでも神様にいのる。
……かみさま、おねがいします。おかあさんのつみをゆるしてください。おかあさんのつみがなくなって、おかあさんがしあわせになるように。
当然こたえる声はなく、何度いのっても日常は変わらなかった。
いのってもいのっても、おかあさんは日に日にからだがこわれてきた。
薬でわたしのいもうととおとうとができないようにしているから。
薬のせいでからだが、こわれて。
おかあさんは寝れなくなってしまって、わたしの寝返りでとびおきて、ふるえておびえる。
わたしが魔法の『眠りの雲』が使えれば、強制で眠らせることが出来るのに。
わたしの魔法の使えなさに歯噛みする。
――おかあさん。おかあさん。おかあさん。だめだよ、ちゃんと寝てよ。おかあさん。
身体をこわしてもなんにもならないよ。おねがいだから眠ってよ。おねがいだから。
わたしが神様に何度もいのったつみほろぼしのいのりが、いつの間にかおかあさんを休ませるいのりになった。
いのりになってしまった。
……かみさま、おねがいします。おかあさんといっしょに。あのときのように、いっしょにあんしんしてねかせてあげてください。
ある日、今まで叶わなかったいのりが通じた。
そう、おかあさんが。
苦しそうな顔ではなくて……微笑っていた。
夜に……いちどだけきいたことがある、おとうさんのなまえ。
それをいちどだけ。
――つらくてもこわくてもこのこがいたから。あなたのもとへようやく。
――ヴェーデ。
悲しくて悲しくて……でも、涙は出ない。
泣き出したくて泣き出したくて……でも、声は出ない。
呆然と。
――おかあさん。
と、呼吸が漏れた。
一度呼吸が漏れるとあとは、せき止められない。
泣いてなんかいない。この声は啼いているんだ。
涙なんか流していない。これは啼いて雨雲がよってきた、雨粒なんだ。
魔族は魔法の扱いに長けた種族。
身体は魔法で構成されていると考えられている種族。
死んだら魔力素となって消える。
――おかあさんきえないで。
現実は厳しく。
おかあさんはきらきらと光り輝く板状の物質になり、蜘蛛の巣状に割れ砕けて、欠片となり砂状に散っていった。
土砂降りなのに。砂になった。
土砂降りが止んだあと、その場には誰もいなかった。
誰もいなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――ひとりぼっちは、もういやだよ。
古代の歌詞の碑文:啜り啼く黒い海の呼び声――エレイシア・フローレス
の伝説より抜粋。