プロローグ:想像と『世界』
俺は今死に掛けている。
別に食料がなくて餓死とか、癌に蝕まれて病院で息を引き取るとか、天寿を全うして安らかに逝くとかではない。
もちろん遭難しているわけでもない。
俺が死ぬ理由は、異世界転生モノの導入によくある交通事故。
それも別に轢かれそうな誰かを守るために、身を挺して! とかではなく、恥ずかしいことにただの逃げ遅れ。
そうただの逃げ遅れである。
致命的、非常に致命的なイベントに気づかずに突入した。
気づかなかったのは、ただの不注意である。
だが、考えてみても欲しい。
普通、コンビニで週刊漫画誌を読んでいたところに、車が突っ込んできて轢かれるとか「あなたの不注意で死にました」なんて言われても、納得できる筈がない。
納得できる筈がないが、事実俺は轢かれて死に掛かっている。
コンビニの鉄製の本棚に身体を固定された上で無駄にでかい5ドアのミニバンのタイヤが俺の目の前にある。
駐車場に面しているこの立ち読みコーナーもとい雑誌売り場。
朝というべきか昼というべきかわからない微妙な時間の10時半頃、本棚周りに客はおらずコンビニ店員からは邪魔な置物と思われていたであろう。
いや、思われてもいい。
とにかく、あの話の続きが読みたい。あれも読みたいそれも読みたいと読み続けていたところ、立ちっぱなしで足が疲れた。
そこで足を曲げて視線を漫画に落として性懲りもなく読んでいたところ、こうである。
轢かれた瞬間、俺は運転手と目が合った。
下手人は俺の祖母と同じぐらいの年齢に見えた。
呆然とした顔で俺と目を合わせた。
恨みがましい目で見てやればきっと、下手人の夢に俺が出て安眠を妨害出来るであろう。
いや、その前に警察官にとっ捕まって殺人罪で刑罰を受けるだろう、ざまあみろってんだ。
どうせ、俺を轢いた理由もよくニュースで言っている、『ブレーキとアクセル間違えた』なんだろ。
ミニバンのタイヤが俺の頭に向かって身体を引き摺りながら迫る。
身体は、鉄製の本棚と割れたガラスとコンビニの床の凹凸によって削られおろし金におろされた大根のように床に俺の肉が付着する。
痛いってレベルじゃない。
俺がもし救かっても、まともな人生は送れないだろう。
――どうせ、微妙な形で救かるぐらいならいっそ殺して欲しい。
視界が暗くなる。
――これが『死』っていう感覚なんだな。
web小説の導入部でよく死んだりする表現があるが、まさか自分が同じ目に遭うとは。
視界が段々と暗くなり、完全に真っ暗になるまでに所謂『走馬灯』を見た。
俺は身長184cmの長身だった。
身長について友人からネタにされ、不快なこともあった。
好きで身長184cmになった訳じゃないと、何度も友人に語ったこともある。
顔については友人からネタにされたことはないが、不細工なんだろうと思う。
気にしすぎかもしれないが、街行く女性に俺の顔をチラチラ見ながら「あの人云々」と言われたら普通は気にする。
ここは俺がイケメンだからか! なんて思えば気が楽なんだろうが、俺の友人には男の俺からみてもイケメンだらけだ。
見た雰囲気は爽やかイケメンに厳つい系のイケメンとか、性格も稀に邪ま。ほとんど綺麗で所謂乙女ゲームにいそうな奴らばっかりだ。
おまけに、俺と同い年の27歳である筈なのに、軒並みこの歳で嫁持ち。
俺は学校の行事以外で女性と手を握ったことがない歴=年齢。
くそう、世の中顔か。羨ましい。爆発しやがれと何度も心の中で祈ったことか。
そんなイケメンズの中から、俺に対してあえて言及するということは、つまり俺は不細工な引き立て役なんだろう。
くそう、世の中不公平だ。
そんな俺が、女性にモテないからとハマった趣味が黒歴史ノートを書くことであった。
元々、中学生時代から俺はちょくちょくと黒歴史ノートを書いていた。
だが、周りが次々と結婚していく中、日々の恨みを、鬱憤をぶつけるように改めて黒歴史ノートを更新させることにドハマりしていた。
中学時代に本気で書いた魔方陣をを繋げて、
――これは『十全の理』って名前にしよう。
とか、本気で設定した。
痛かった。
アイタタタである。
自分がモテないからと、理想のヒロインを書いたこともある。
痛かった。
中を見られたら恥ずかしさのあまり10回は死ねる。
異世界では俺は友人に負けないぐらいのイケメンでハーレムを構築するんだと考えた。
理想のヒロインが7人に増えた。
設定してから気づいた。
どれも似たり寄ったりの設定だった。
一人のほうがいいやと気づいた。
理想のヒロインと逢瀬を愉しんで、賢者モードに入って自己嫌悪も数え切れないぐらいにやった。
自分の黒歴史ノートを分厚くするために、色々なゲームやファンタジーもののラノベ、web小説を手に取った。
魔法の描写や理想のヒロインのためにエロゲにも手を出した。
人生を壊すというネトゲにも手を出した。
そのお陰でラノベ、web小説と侮ることなかれといわんばかりな、俺にとっての人生書といってしまえるような作品に出会えた。
だいぶ黒歴史ノートが分厚くなった。
主人公の性格もそろそろ決めようと思った。
何がいいかな。
ネトゲ内で有名になった作品の名前を使用していると、「その名前をよこせ」という1:1会話があったとゲーム内で話題になったことがあった。
だから、主人公はネットを検索しても出てこないような名前を選んだ。
これだ。これしかない。
主人公の魔法はどうするか。
ネトゲ内でデバフと呼ばれる種類の魔法がある。
これで強者から反撃を貰うことなく、遠距離から狩る主人公がいてもいいのではないか。
属性もデバフに強い属性を与える。
『地』とか『毒』とか。
(なお、デバフについて簡単に説明すると、「毒」や「氷漬け」、「石化」などの状態異常のほか、掛けられた魔法を解除させる「ディスペル」、相手の魔法を強引に失敗させる「カウンタースペル」といった妨害などに特化した魔法のことである。)
これを黒歴史ノートに書き加える。
あとはそれを取り巻く環境だ。
それをどうするか。
毎日の日課として、布団から出て出勤のため駅へと向かい、満員電車に揉まれながらスマホで、某web小説サイトのお気に入りの作品を読み耽る。
で、満足したところでゲーセンで音楽ゲームを1プレイして仕事に向かう。
仕事のお昼の休憩時に食事をしながら、お気に入りのweb小説が更新されていないかチェックし、また休憩から戻り、仕事をして、終業したら帰るまでの道のりを、やはり満員電車に揉まれながらweb小説を読み耽る。
で、寝る前に黒歴史ノートを更新させて就寝。
そんな日課だった。
だがこの日は、日課であった音楽ゲームの1プレイをしたいと思わなかった。
何故ならばプレイ曲追加の解禁作業とかが既に終わっていて、いつも腹ペコで出勤していたが、朝食を取るというちょっぴり優雅なことをしたくなったのだ。
職場近くのコンビニのイートインスペースで糖分だらけの食事をする。
朝飯なのに奮発してメインはホットドック、デザートにシュークリーム、飲み物にミルクティー。
食べ合わせが悪いほどに糖分だらけで仕事に備えようとしていた。
いや、備えようとはしていなかった。
一日にいくつか更新されるweb小説を待つのが暇だから、出勤しているようなものだった。
そしてそのweb小説を参考に、書き連ね続けてきた俺の黒歴史ノートの中のキャラクターが踊り、戦い、泣き、そして喋る。
その喋っているキャラクターを元に更に黒歴史ノートが分厚くなる。
脳内のキャラクターがいいことを言えば、スマホのネタ帳が厚くなった。
そんな夢の続きのような楽しい時間を中断させられた怨嗟パワーとweb小説の更新待ちのために今日も出勤する予定であった。
楽しい時間もあと20分ほどしかなかった。
妄想という極上の空間に逃げ込むには時間が足りない。
だからといって出勤するのは勿体無い。
だから、望んでしまった。
『車に死なない程度に轢かれて、全治2,3週間の怪我を負って自宅で思う存分に妄想したい』と。
その結果が車に轢かれて自分の身体が、おろし金でおろされているような状態である。
おろされているためか、ところどころがちくちくしてて痒く感じる。
――痛痒いなあ。ちょっとだけ事故に遭いたいとか望んだら、こんなオチか。俺の人生薄っぺらいなあ。
死にたくないなあ。あのweb小説の続きが読みたいし、完結するまで死んでいられない。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
俺の視界が暗いはずなのに、目から涙が流れるような感触を感じた。
――いやだ、たすけて。
そう願っても腰から下の感触がなくなって。
腕の感覚もなくなってきた。
視界も暗いはずなのに、何故か俺の理想のヒロインが俺の傍に座り膝枕をしてくれていた
彼女の顔がよく見え、彼女が泣いている。
それはそうだろう。
俺が死ぬことで、俺の妄想内のキャラクターも死ぬんだ。
彼女たちの『世界』という舞台は、俺が必要なんだ。
何度もweb小説投稿サイトで投稿するべきか悩んだ。
――俺が死んでも理想のヒロイン達が生きれる『世界』を作ってあげたい。と
だが、絶望的に俺の文章作法は悪い。
彼女たちが必死に生きる『世界』が、俺の表現能力のせいで陳腐になってしまったら。
そう考えてしまうと二の足を踏んだ。
その二の足のせいで俺は理想のヒロインたちを殺してしまうのだ。
陳腐でもいい、話を作って『世界』を作ってあげたい。
でも、俺にはそんな誰もが、この『世界』を愛してくれそうな『世界』を描写することは出来ない。
だから生産的なことはせずにずっと黒歴史ノートを作り続けてきた。
この黒歴史ノートを作ったことは、とても不純な理由だった。
恨みと嫉みがあった。
そこで作られた理想のヒロインと主人公が取り巻く設定は、恨みと嫉みで作られた。
きっと言いようのない不幸があるだろう、絶望があるだろう。
それでもきっと、彼女たちは『世界』が出来たことを喜んでくれただろう。
――ああ、ひどいことをした。許して欲しいとは言わないけれど。泣かないで欲しい。
だから、最後の最期に俺は望んだ。
――願わくば、彼女たちに『世界』を。