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道を人に尋ねながら、二人はなんとか川岸に出ることができた。川幅が広くゆったり流れている。土手に桜が咲いていて、風が気持ちいい。
「この川の形、見覚えあるわ。あとのナビはまかせて」
「もう疲れは取れたから、後ろに乗れよ。一気にじいちゃんとこまで行こうぜ」
「うん」
朱音が荷物を膝に乗せて片手に抱え、もう片方の手を腰にぎゅっと廻したのを確認して、渓一朗は勢いよく漕ぎ始めた。
途中の橋を対岸に渡り、しばらく川岸の道を行くと、急に朱音が「あっ!」と叫んだ。
「何だ?」
「向こう岸にあの三人が居るわ! こっちを見て、騒いでる!」
「マジか! スピード上げるぞ!」
「うん」
渓一朗はとにかく川岸から見えないよう、小道を選んで入って行った。まばらに建つ家々や畑を抜けていくと、こんもりとした森がある。
「一旦、ここに隠れよう」
自転車を生け垣に隠して、二人は神社の境内に入った。人気のない神社の裏手へ廻っていく。渓一朗は裏手の階段の脇に、金網の破れを見つけ、そこから床下に入り、朱音を手招きした。二人で一緒に真っ暗な床下の奥へ音を忍ばせて進んだ。
「ちょっと思いついたことがあるんだ」
床下の真ん中あたりまで這っていき、朱音を振り返った。
「ここに逃げ込んでないかい?」
キキッ、というブレーキの音と共に、恐ろしい女の声が境内に響いた。
「誰もいないみたいですぜ」
二人の男が周りをうろうろする足音が聞こえる。朱音が渓一朗の方に身を寄せてきた。渓一朗は安心させるように朱音の手を握る。
「この下に隠れちゃいないかい?」
女が床下を覗き込む気配がする。
目を合わせちゃいけない、気付かれる。渓一朗は握っていない方の手を、朱音の目に当てて、自分は目を瞑った。
石だ、石。石になったつもりで動かないことだ。
「金網が張ってあるし、床下には猫だって入れませんぜ」
男ののんびりした声がする。女は答えず、じっと目を凝らしているようだ。だが、しばらくして
「いないようだね、行くよ」
声がして、足音が遠ざかって行った。
完全に気配がなくなってからも、渓一朗はしばらく身じろぎもしなかった。長い間様子を窺い、何もないことがわかると、やっと息を吐いた。
「あ、ごめん。いつまでも目隠ししてて」
朱音の目に当てていた手を外した。
……ん? 濡れてる?
渓一朗は驚いて朱音を見た。暗くて顔の表情が分からない。
「けーちゃん」
小さい頃の呼び方で朱音は呟いた。
「怖かった」
思わず渓一朗は朱音を抱き締めた。
「ごめん」
何がごめんなのか、ここに連れてきたことか、怖い目に遭わせたことか? 自分でも何を謝っているのかと突っ込みを入れたくなったが、動揺しているので考えられない。
朱音は渓一朗の肩に顔を寄せ、静かに泣いているようだった。よほど怖かったのだろうか。渓一朗はそっと背中を撫でた。朱音の真っ直ぐで長い髪がさらさらと流れる。いい香りがした。
「必ず、アヤを連れてもとの時代に戻るから。必ず」
渓一朗は自分に言い聞かせるように強く言うと、朱音も小さく肯いた。
朱音が落ち着くのを待って、渓一朗は考えていた計画を話した。
「この荷物の中から、茶碗だけ出して、あとは見せかけだけ同じ風呂敷包みにして逃げよう。つまり囮作戦だ」
「うん。わかった」
朱音の声がいつも通りなのを確認して、渓一朗はカーキ色の携帯電話を取り出した。
「アヤ、これ持って手元を照らしていてくれ」
「ん、これってなんかネックストラップ太くない? キーホルダーも大きいし」
「ああ、それ登山に使うザイルで出来てるから。丈夫で切れにくいんだ。キーホルダーみたいなのはカラビナだよ」
「本体もゴツいね」
「耐衝撃・防水・防塵だからな」
スマートフォンの明かりが床下をぼんやり照らし出す。渓一朗はベージュ色の風呂敷包みを開いた。
包みの中には、高価な壺などに使われるような木の立派な箱があり、墨で何やら字の書かれたふたを開けると、更なる風呂敷包みと小さめの木箱が出てきた。
「これじゃない? 茶碗って」
小さめの木箱を指して朱音が言う。
「んー、ちょっとこっち照らしてくれ」
渓一朗は小さい方の木箱のふたを少しだけ持ち上げて、中を覗き込んだ。
「うん、そんな感じだな。黒っぽい茶碗が入っている。クッション代わりに布がいっぱい入っててよく見えないけど」
じゃ、これは出しといて……と横へ置き、大きな箱から出てきた花柄の風呂敷を解いてみた。
「わ、すごい!」
「これぞ、お宝だな!」
中には薄手の布にひとつひとつ丁寧に包まれて、真珠のネックレスや大きな宝石のついたブローチ、イヤリング、指輪と様々な宝飾品が入っていたのだった。
「盗品だよね?」
「たぶん」
二人はそれらを丁寧に包み直した。渓一朗は茶碗が無くなったのに気付かれないよう、似たような重さの石を底に入れた。朱音が木箱を閉じようとすると渓一朗が止めた。
「ちょっと待って。これで穴を掘る」
言うと、大きな木箱のふたで神社の床下の土を掘り始めた。箱の角の所を下にして掘ったり、ちりとりのように土を避けたりとかなり重宝した。茶碗の木箱が入るくらいの大きさに掘ると、そっと穴に入れ、また元通りに土を掛け、ぱんぱん叩いておいた。
「まあ応急処置だけどな。じいさんたちに場所を教えてやれば、自分たちで取りに来れるだろ」
大きな木箱のふたは大分汚れて傷んでいたが、渓一朗はかまわずそのまま閉じ、風呂敷で包んだ。
「これでよし。もし、連中がまた追いかけて来たら、これを置いて逃げるんだ。奴らはこっちに夢中で追ってこない筈だ」
「三枚のお札みたいに? 一枚しかないけど」
携帯電話の明かりに、ようやく朱音の笑顔が浮かび上がった。